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「学び方を学ぶこと」は、学歴以上に大切な個人の「糧」になる。

「自分で考える」というのは、大人になってからでもなかなか難しい。
ましてや、その考えを検証し、人にわかるように伝える、というのは社会に出れば必須のスキルですが、誰でもできるものでもありません。

ぼくたちは疑問があれば「Google」をつかって、答えの概要に触れることができます。もう少し詳しく知りたければ図書館で調べることもできる。だけど、どこかで「答えはこの世の中のどこかに転がってる」と思っているような錯覚に囚われてしまいます。

重要なことは、正しい答えを見つけることではない。正しい問いを探すことである。※ ドラッカー

ドラッカーに限らず、哲学においても答えを提示することよりも「問い」を立てることが重視されます。

「問い」を立てること。それこそが冒頭の「自分で考える」なのだと思うのです。

「自分で考えられる人」が必要とされる時代において、考える練習は必須の教育。子ども時代に自分の頭で考える練習をしてきたかどうかは、その後の学びの姿勢に大きな違いを生むと思うのです。

学ぶとは、何かを覚えることではなくて自分の頭で考えて、問を立てるところからはじまるのかもしれません。

▷ 小1でも自分で「仮説」を立てて検証して、発表することができる

娘の通っている東京コミュニティ・スクールでは、サマープロジェクトとして「仮説を立てて、検証して、発表する」をやりました。

娘はこの夏いっぱい、「いろはすは人と飲むとおいしい!」という仮説を立て、それを検証し続けていました。
「もともと水が好き。その中でも”いろはす”は特別甘くておいしい」という自分の好みがあり、「わたしは人も好き! だから好きな”いろはす”と”人”を合体させたらもっとおいしくなるに違いない!」と仮説を立てたのです。

▷ 「疑問」と「仮説」は違うんだよ

スクールでは「疑問」と「仮説」は違うんだよ、というところから学んでおり、立てた仮説が調べ学習で終わってしまわないように考えます。

調べればすぐに答えがわかってしまう問いは、仮説にはなりません。
たとえば「いろはすは、どうやって作られているんだろう?」は疑問です。サイトを調べたり、問い合わせをすれば答えはわかります。

疑問はいくらでも思い浮かぶけど、仮説になる問いを立てるというのは、大人でもなかなか難しいです。

▷ 「自分で考える学び」を実践する教育

そして、夏休み明けの今週頭。スクールに通う1年〜6年まで全員のサマプロ発表会がありました。1人3分のプレゼン。保護者はそれをオンラインですべて見ることができました。

それを見ながら、上級生の仮説のおもしろさにひっくり返りそうになりました。
1年生のころから、「自分で考える」を習慣として学んできた子どもたちは、自由な発想で様々な仮説を導き出していきます。

小学生が、ひとりひとり壇上に立ち、自分で描いた模造紙や作品を前にプレゼンをしていく。

しかも、オリジナリティ溢れて、笑えたり感心させられたり考えさせられたりするものが多い。

教育の形はたしかに変わって来ています。自分が小学生だったころを思い返してみるとその違いに驚くばかり。

日本の教育は前時代的だとやり玉にあげられることも多いですが、先進的な学びを実践しているスクールも増えてきています。
きっと「受験戦争に勝ち抜く」が教育の目的だった時代は終わりに近づいているのでしょう。いい大学にただ入学しても、いい就職ができるとは限らないし、そもそも「いい就職」なんてもの自体が疑わしい時代になりました。

「学び方を学ぶこと」は、学歴以上に大切な個人の「糧」になる。

今回のサマプロを見ながら、そう確信することができました。

では、また明日。

お片付けBootCamp!9月生、残り2名まで!!

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