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「やりつづける」と言う、誰もが勝ち取れる個性。

たまに、どこまで行っても凡庸で無個性な自分が嫌になる。

子どもを見ていると、凸凹と言うのはすごく魅力的な可能性を秘めているとわかる。
「性格に難ありだけど、この一点においては誰も敵わない」とかね。つるりと凡庸に生きてると、そういうのに憧れたりもするもんです。

じゃあ、自分は特別な才能が欲しかったのかというと、そうでもなくて。もっと平たく「個性」と呼べるものが欲しかったのかもしれない。

「〇〇と言えば、三木だよね」って言うような。

最近、燃え殻さんの小説を読んだ。それで、どんな方だろうって調べていたら、この記事を見つけて。

「30~40代なんてまだ何も始まってない」って、すごくよくないですか?
「いくつになっても始められる」「挑戦に年齢なんて関係ない」ってよく言うけど。
若くして結果をどんどん残してる人たちを見ると「あ、自分はもう遅いんだな」とかってちょっと達観して遠くを見ちゃう。

でもね、「40代? まだ何も始まってないよ」って言われると思わず「そう?」なんて身を乗り出したくなる。

でね、この記事の中でもっと素敵なことを言ってる。

「みんながやめてもやる」のは、誰にでも勝ち取れる個性だと気づくようになりました。

さすがにこの年になると、よもや自分でも想像もしてなかったような天賦の才能が隠されてるに違いない!
とは、思わない。
良くも悪くも、地続きなんだってわかってくる。

そうしたときに「誰にでも勝ち取れる個性」は「やりつづけること」だよって言われると、地続きの先の希望にワクワクできる気がする。

書くことや、運動、座禅、何年も飽きずに続けられてるってのは、確かに個性になる。
3日続ける人はいくらでもいる。1ヶ月もまだいるかも。1年になればなかなか希少。3年休まなければかなり珍しいし、10年続けたらそれだけでちょっとした権威になれるかもしれない。

毎朝のお弁当づくりも、5年目にもなるとすっかり「ベテラン」扱いしてもらえる。

毎日である必要なんてなにもないど、やめずに続けることは、自分の個性になるのかもしれない。
優勝しなくても、特別な才能がなくても、続けることは誰にでもできる。

「つづけること」が個性になるなら、noteには素敵な個性を持った人が溢れてる。

ぼくと同じように「自分には個性がないなぁ」と思っている人がいたら、何かを少し長めに続けてみたらいいかもしれない。

1ヶ月も続けられたら、立派な個性だし。
1年以上続いたなら、才能って思ってもいいかもしれない。

そんな、ゆるめな個性を満喫していきたい。

では、また明日。

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