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カセットテープの時代。

夜の8時。
ぼくは母と弟に「静かにしてて!」と頼み、黒いカセットデッキをテレビの前に持ってきた。オープンポタンをカチッと押し、中にお気に入りのカセットテープを入れて閉じる。

テープはちょうど前の曲が終わったところで止めてある。大丈夫、ここから録音すればちゃんとされる。

でも、少し不安になって念のため巻き戻しボタンを軽めに押す。

キュルキュルキュル

テープがすばやく巻き込まれる音がする。2、3秒でボタンをはなし、再生ボタンを押す。

wow wow ...

米米CLUBの浪漫飛行。アウトロがフェードアウトしていく。この次だ。この後に録音したい。


テレビではすでに音楽番組が始まっていた。特番だ。今日はなんと荻野目洋子が出る。歌うのはダンシングヒーロー。数年前にヒットした代表曲。

父が運転する車でよく流れていて、大好きになった曲。父がCDを持っているのだけど、CDデッキはリビングにある。だから好きなときに好きなように聴くことができなかった。
ぼくと弟が眠るリビング横の和室には、父にもらったお古のカセットデッキしかない。

ぼくは夜になると和室にこもり、小さな音でこっそりと好きな音楽を聴いていた。お気に入りの曲たちは、テレビから流れる音楽番組の音を録音した。

録音中に、ジリリリリリ、と電話が鳴りひびき電話の主を恨んだことだってあった。
録音中にだというのに、母が平気でしゃべりだして怒ったこともあった。

やり直しはきかない。一発勝負なのだ。


ついに荻野目洋子が登場。
MCと軽いトークをし、スタンバイ。録音ボタンの上に指を置く。イントロがはじまる直前、指に力を込める。録音ボタンは他のボタンより少し重い。強く押しこむ。

曲の始まりと同時に、録音もはじまる。

ここからは、誰も一言も発してはならない。

曲は進み、間奏。ここで気をゆるめてはいけない。この後まだサビがある。まだ、終わってない。
曲が盛り上がり、最後のサビがはじまる。

『今夜だけでも』

カタン

『シンデレラ・ボーイ』

カタン。母がコップを無慈悲にも音を立ててテーブルに置いた。
サッと母を見ると、しまった、という顔をして苦笑いしていた。


※※※

いまは、好きなときに好きな音楽を聴ける。
昔の曲も最新の曲も、検索すれば大抵出てくる。もう、テレビの前でヒヤヒヤしながら録音なんてしなくていい。

CDデッキが自分の部屋になんかなくても、スマホでイヤホンをつければいい。

そんな便利さの恩恵をめいっぱい味わいながら、なかなか手に入らなくて苦労して作り上げた自分だけのカセットテープには、特別な愛着があったような気もしている。


記事を書きながら久しぶりにダンシングヒーローを聴いた。

『今夜だけでも シンデレラ・ボーイ』

カタン、と音がしないサビは少し物足りない気がした。ぼくには、もはやなくてはならない音のひとつだったんだ。


では、また明日。

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