ささくれた気持ちを和らげるために、ぼくは小さな徳を積む。
最近、わが家はすこしお疲れモードだ。
ものすごく大変なことが起こって、家族総出でテンヤワンヤ、ではなくてじみ〜な疲れの蓄積という感じ。
不思議なもんで、家族ってその雰囲気みたいなものをゆる〜く感染させあっている。
誰かが絶好調になれば、なんとなく他のみんなも調子良くなったりテンションが上がったりするし、逆も同じ。
ぼくは、調子がいいときも悪いときもその歯車に注意している。
調子がいいときは、この好循環を少しでも長持ちさせたい。
悪いときは、どこかで循環を断ち切りたい。
とくに悪循環は危険で、もともとの不機嫌は家族とは関係ないのに、普段なら気にしないような些細なことでイラついたりしてしまう。
今日も娘と一緒に買い物をしながら、落ちているゴミを拾ったり、ダラダラと歩く娘に向かって「早く歩いてよ」とイライラ。
いつもなら一緒に拾ったり遊んだり、笑いながら急かしたりできるのに、できない。
ちょっと言いすぎちゃったな、と思って優しくする。
ヒステリックまではいかないけど、感情の高低差がいつもより開くのを痛感する。
悪い歯車が、家庭の中でカチカチと回りはじめているのを感じる。
こういうときは、ほんの少しだけ“徳”を積むようにしている。
徳を積む、なんていうといささか怪しげだけど、見えないところで少しだけいいことをするということ。
スーパーで落ちていた商品を拾って戻すとか、ちゃんと収まってないカートを少し正すとか、エレベーターの「開く」ボタンを押してあげるとか。
普段でもやってるだろって程度のささやかなことを意識的にする。
誰に感謝されなくても気にならないレベルなのがポイント。
リターンを望むと、得られなかったときに悪循環の歯車は大喜びで回りだす。
同じように、大きな気分転換もしない。
こういう小さな日常の不具合は、大きなアクションをするほど噛み合わせが悪くなる気がしている。
だから、車で歩行者に道を譲るとか、ゴミを拾うとか、お釣りの小銭を募金するとか。
ひとりでやって、ひとりで少しいい気持ちになれることを意識的にやる。
小さな疲れやイラつきは、自分の心に心地よさを与えて、ゆとりを少し育んであげる。するとその派生を抑えることができる。
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今日も見に来てくれてありがとうございました。師走になったんだなぁと、気忙しい疲れを感じながらしみじみ思います。
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