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「承認欲求の器 < 利他欲求の器」かもしれない。〜子どもとのコミュニケーション〜

「はんぶんこ!」小さな子どもが板チョコをパキッと割って渡す。そんなCMがありました。
かわいいんですよね。自分の大好きなお菓子を、嬉しそうに人にあげちゃう子どもの姿。

子育てしていると、あれってCMの世界の創作じゃなくて、日常の一コマだってことに気がつきます。

▶ 「喜んでもらう喜び」の威力

人に喜んでもらうって、ものすごく嬉しいもんです。
子どもって、その喜びに対してめちゃくちゃ素直。だから、自分が大好きなチョコだって人にあげちゃうし、大事にしている玩具をあっさりお友達にプレゼントしたりする。

「お手伝い」も同じ気がする。

自分の玩具、自分の部屋のお片付け、自分の歯磨き、自分の着替えなんかは全然やろうとしないくせに。親がやってるお風呂掃除、お買い物、料理、忘れ物を取ってくるなんてのは、嬉々としてやりたがる。

もちろん、大人がやってることをやりたがるってのもあるだろうけど。
顔をよーく見ていると「お手伝いしたら、喜んでもらえるんじゃない!?」っていうワクワク感が、オーラのように漏れ出ちゃってるのに気がつく。

本気の「ありがとう!」「助かった!」は、お小遣いや褒め言葉の何倍も嬉しい。
大人だってそういうところある。ボランティアなんて、まさに誰かが喜んでくれることこそが報酬なんだ。

▶ 「承認欲求の器」<「利他欲求の器」

「承認欲求の器」って案外小さいんじゃないかって思う。

承認欲求ってなかなか満たされないようだけど、満たされ始めるとすぐにいっぱいになる。褒められたり、認められたり。問題はなかなか褒められないってことで、浴びるように褒められても、まだまだ褒められ足りない! って人は少ないんじゃないかな。

だから、ある程度褒められると「もうそれはいいよ、それよりもさ」って気まずい気持ちになる。

それに対して「利他欲求の器」は際限がない。
あ、利他欲求って「人に喜んでもらいたい欲求」という意味で勝手に作った造語です。

人に喜んでもらうのって「もう十分喜ばせたから、これ以上はいいや」ってならない。どれだけ喜ばれても毎回新鮮に嬉しいし、Aさんの次はBさん、次はCさんって感じでどんどん広がっていく。


子どもも「すごいね、がんばったね」って褒め続けていると、最初は嬉しそうにしているけど段々「褒められる < 面倒くさい」になってくる。
「褒められなくてもいいや」って気持ちになってるのって、見ているとすぐにわかります。

一方、喜んでもらえるってのは、「面倒くさいな」って気持ちを乗り越えてしまう力がある。
「喜ばれる > 面倒くさい」な瞬間を子育てをしているとしょっちゅう目にする。

だから、子どもがチョコレートをお友達に半分あげてたら。
かけてあげる言葉としては「半分あげて偉かったね」じゃなくて「喜んでもらえてよかったね」なのかもしれない。

▶ 承認欲求の器が満たされてないと、利他欲求の器に水を入れられない

そうは言っても、まずは承認欲求の器をある程度満たさないと、利他欲求の器に水を入れることはできません。

だから、子どもを褒めてあげることが不必要なんてわけじゃない。
ちゃんと褒めてあげて、「すごいね」って認めてあげて。
その上で「嬉しいな」「助かったよ」って、喜びを伝えてあげる。

7歳の娘は「片付け」や「宿題」が好き。だけどすっきり暮らしたいとか、将来いい大学に入るためじゃない。
「やったよ!」と言う時のドヤ顔は、一見「褒めて」に見える。 けど嬉しそうに褒めて「パパも、片付けなさいとか宿題しなさいって言わなくていいから、超助かる!」って言うと、ただ褒める100倍くらい喜ぶし、また自分からやろうって気持ちになるみたい。

「喜ぶ」の力は絶大だ。


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