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たまーに、娘が産まれたときのことを思い出します。 わが家は助産院での出産で、夫の立ち会い…
娘に小さな嘘をついた。 本当に些細なことだし、そんなの嘘じゃないと言えなくもないかもしれ…
飛行機に乗って、ふと思った。 目の前に広がる世界はこんなにも美しい。 この美しい世界を娘に…
娘とふたりで散歩をしてたとき。 「パパは自分のこと好き?」と聞かれた。 4歳児にあらためて…
娘が寝起きに「ママがいいー」と泣きながら言った。 たぶん、どこの家でもある子どもの言葉。 …
大きな室内プレイランドで目一杯遊んだあと。 「あー、アイス食べたいなー」 と娘が言った。目…
娘に対して、いつだって優しい心で接していたいと思う。でも、当然そんな仏様のような気持ちでいつづけることはできないものだ。 ここ最近、小さく、本当に微妙な日々のコミュニケーションの中に、ゆとりのなさを感じることが増えてしまった。 たとえば、 「もう一回、カードゲームやりたい」 「肩車してほしい」 「トイレに一緒に来てほしい」 散々相手をしてきた上での、こうしたひと要求に気持ちがささくれ立ってしまうのだ。 自分の中で、ここまでは相手をしよう、と考えているボーダーラインが、
ニュースで、去年まで住んでいた街の近くが映し出された。よく知っている場所。通っていた高校…
「明日のお弁当、卵焼き入れてな!」 たまたま卵を切らしてしまってお弁当に入れていなかった…
「そんなことしたらあかんで!」 そう言いながら娘がぼくの前に立ちはだかった。娘は、ぼくの…
幼稚園の帰り道。 休日にお友達家族と遊んだ日。 ぼくたち親と一緒にいるときと、友達といる…
助産院の小さな和室の中。 四つん這いになってうずくまる妻を、ぼくはなす術もなくただ見つめ…
父は、ぼくを東大卒のプロ野球選手にしたかった。 小さい頃。たぶん小学生低学年ぐらいだった…
ぼくのスマホ(厳密にはクラウド内)にはおよそ20,000枚の写真が入っています。たぶん、その大部分が娘の写真。 それをたまに、なんとなく見返したりします。 産まれてから4年間の、家族みんなでの生活の営み。 すっかり記憶からは消えてしまっていたようなささいなシーンまで記録されています。 娘は、産まれたときからちゃんと娘で。 笑った顔とか、カメラの前でのポーズとか、表情とか、変わらない姿が映し出されている。 写真を通して、成長した姿と、変わらない彼女自身を成す姿の両方を目