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親として僕ができることなんてたかが知れてる

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親と言っても、なにか偉そうなことができるわけでも正解を知ってるわけでもない。子どもとの対話の気づきと記録。
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2019年10月の記事一覧

出産の立会いは、何かをするためにするのではない。そばにいて産むことの壮絶さを目の…

たまーに、娘が産まれたときのことを思い出します。 わが家は助産院での出産で、夫の立ち会い…

娘に小さな嘘をついた。

娘に小さな嘘をついた。 本当に些細なことだし、そんなの嘘じゃないと言えなくもないかもしれ…

娘が産まれて22日後に飛行機で感じた、いまも変わらない世界観。

飛行機に乗って、ふと思った。 目の前に広がる世界はこんなにも美しい。 この美しい世界を娘に…

4歳の娘と話す、失敗は悪いことじゃないについて。

娘とふたりで散歩をしてたとき。 「パパは自分のこと好き?」と聞かれた。 4歳児にあらためて…

パパがいい、ママがいい、を真に受けない。

娘が寝起きに「ママがいいー」と泣きながら言った。 たぶん、どこの家でもある子どもの言葉。 …

アイスを食べたい娘は。

大きな室内プレイランドで目一杯遊んだあと。 「あー、アイス食べたいなー」 と娘が言った。目…

娘に対して、いつだって優しいパパであるわけじゃない。

娘に対して、いつだって優しい心で接していたいと思う。でも、当然そんな仏様のような気持ちでいつづけることはできないものだ。 ここ最近、小さく、本当に微妙な日々のコミュニケーションの中に、ゆとりのなさを感じることが増えてしまった。 たとえば、 「もう一回、カードゲームやりたい」 「肩車してほしい」 「トイレに一緒に来てほしい」 散々相手をしてきた上での、こうしたひと要求に気持ちがささくれ立ってしまうのだ。 自分の中で、ここまでは相手をしよう、と考えているボーダーラインが、

台風に不安を感じる娘を抱きしめる。

ニュースで、去年まで住んでいた街の近くが映し出された。よく知っている場所。通っていた高校…

ぼくは毎朝、卵焼きをつくる。

「明日のお弁当、卵焼き入れてな!」 たまたま卵を切らしてしまってお弁当に入れていなかった…

ぼくの前に、娘は立ちはだかった。

「そんなことしたらあかんで!」 そう言いながら娘がぼくの前に立ちはだかった。娘は、ぼくの…

子どもたちのコミュニケーションは、大人のわからないところできっと成立している。

幼稚園の帰り道。 休日にお友達家族と遊んだ日。 ぼくたち親と一緒にいるときと、友達といる…

娘が産まれた日。

助産院の小さな和室の中。 四つん這いになってうずくまる妻を、ぼくはなす術もなくただ見つめ…

父が描いた、ぼくへの小さな夢

父は、ぼくを東大卒のプロ野球選手にしたかった。 小さい頃。たぶん小学生低学年ぐらいだった…

一番の、宝物。

ぼくのスマホ(厳密にはクラウド内)にはおよそ20,000枚の写真が入っています。たぶん、その大部分が娘の写真。 それをたまに、なんとなく見返したりします。 産まれてから4年間の、家族みんなでの生活の営み。 すっかり記憶からは消えてしまっていたようなささいなシーンまで記録されています。 娘は、産まれたときからちゃんと娘で。 笑った顔とか、カメラの前でのポーズとか、表情とか、変わらない姿が映し出されている。 写真を通して、成長した姿と、変わらない彼女自身を成す姿の両方を目