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ホリエモン「日本人の9割に英語はいらない」に賛成。

堀江貴文さんが時事ネタを斬っていく番組で、大学の入試に新しい英語民間試験の導入の延期のニュースについて堀江さんが成毛眞さんの本のタイトルを引き合いに出して「日本人の9割に英語はいらない」と意見を述べました。(*昨年12月頃)

私はこの成毛さんの本は読んでいないため、詳しい内容についてはわかりかねますが、堀江さんが番組の中で言っている日本人に英語は必要ない、という意見には実は賛成です

読み書きについてはgoogle 翻訳があれば事足りますし、英会話が必要になる機会は、日本で生活をしていると実際ほとんどありません。教養として英語を学ぶことは賛成ですのでこれまで通り、大学の受験に関してはセンター試験でいいと私も思います。

おいおいおい。留学生を受け入れている海外の英語学校のマネージャーをしている立場の人間がそんなことを言っていいのか、と思われる方はいらっしゃると思います。

ただ、一つ付け加えたいことは、日本人に英語はいりませんが、留学または海外の生活経験はするべきだと私は思っています。そして、英語もできれば習得した方がいいと思います。

この記事では、この理由について私の考えを述べていきたいと思います。

英語は必要なければ無理に使う必要はない

まずは英語が必要ない、という理由から。

私はオーストラリアに住み始めて15年以上経ちますが、仕事や必要な時以外は日本語を話したいと思っていますし、フラットメイトも友達も日本人ばかりです。これを言うと何をしに海外にいるのかわからないと思われる方がいると思いますが、私は英語を伸ばす時期は終わって、今は仕事と生活のためにシドニーに住んでいます。(英語は生涯学習ですので毎日が勉強ですが)

私がオーストラリアにいながら日本語を話すことを好む理由はただ一つ。「楽だから」です。日本語は私の母国語です。今は大抵のことは英語で伝えることができますが、事細かな表現や言い回しはもちろん日本語でないと伝えにくいところはあります。言いたいことが言い切れない状況はストレスですし、日本語でも起こるコミュニケーションのすれ違いは英語であるともっと起こります。

英語はツールとして身に着けることには大賛成ですが、必要のない状況で無理して使うことはないと私は思っています。

英語はNo.1の言語ではない

日本人は英語コンプレックスが強く、英語が話せないと恥ずかしい、とか劣等感を感じる方が他の国の人たちよりも多い気がします。私は常日頃、生徒たちに伝えていることがあります。

それは、「英語はNo1の言語ではない」

英語が話せる人間がすごくて、話せない人間はダメだ、なんてことは何一つありません。たまたま世界の共通語として英語が認められているだけで、他の言語より優ってる、なんてことはないんです。

少し極端な考え方かもしれませんが、オーストラリア人が日本語が理解できないから、私たちが英語を話しているんです。(もちろん彼らの母国語は英語なのでそれは当たり前だということはわかっています)だから英語が話せないことを恥ずかしいと思う必要は全くない。

むしろ、私たちが話す拙い日本語英語を理解しようとしない相手の方に問題がある、というのが私の考えで自信を持って英語が話せないと悩む日本人の生徒にはこのことをよく言っています。(すみません。極端な言い方ですが、自信をつけさせるためにはこのくらいの言い方をしないとなかなか難しいのです・・・)

仕事柄、韓国人や中国人のような日本人以外のアジア人や、イタリア人やコロンビア人といったヨーロッパやラテン出身の留学生たちとコミュニケーションをとるのですが、彼らの言語で話をされて、意味が理解できなかった私に「どうしてわからないの!」とイライラされることはよくあります。(そりゃあ、わからない。笑)

ですが、英語が話せなくても、彼らは日本人よりも「伝えよう」という努力がみられます。母国語を使ってでも「伝える」ことをとにかく諦めない。英語がうまく話せないことからくる「恥ずかしい」という気持ちよりも、自分の思いを「伝える」という気持ちの方が遥かに強いのだということを感じます。

英語はコミュニケーションのツールにすぎません。自分たちの母国語を使おうがボディイラングイッチを使おうが、それで目的が達成できるのなら最終相手に伝わればそれでいいんです

オーストラリアでは英語が話せなくてもちゃんと尊重される

英語が話せようとも、話せなくても、人間としてRESPECTリスペクトはされるべきですし、それは多民族国家のオーストラリアでは当然の考え方です。

政府から発表される大切な情報については中国語やスペイン語をはじめ、もちろん日本語も含むたくさんの言語に翻訳されていますし、通訳のサービスも充実しています。英語が母国語の国だから必ず英語を話さなければいけない、というルールはありません。(ただ、永住権等を取得するときは英語のテストで一定のスコアを求められるのでこの辺りがちょっとよくわからないところなのですが・・・)

ここまで話をすると、英語を学ぶ意味や、海外に来る意味が全く見出せないような気がするかと思いますので、私がそれでも全ての日本人に英語を学んでもらいたいと思っている理由をそろそろ述べますね。

「英語は魔法のコトバ」

これだけは言えるのは「英語は魔法のコトバ」です。

英語を習得することによって、昨日まで何を言っているかわからなかった人たちと自分のコトバでコミュニケーションが取れるようになります。

これは、ネコや犬と話すことができるようになることと何ら変わりないと思っています。これまで、何となく行動や鳴き方から彼らが言っていることがわかったかもしれませんが、もし彼らが話している”コトバ”を習得することができれば、より正確な意思疎通が可能になります。

つまり、英語は習得可能な魔法のコトバなのです。

英語が読めるようになったり、話せるようになると確かに見える世界は変わります。手に入れることができる情報が一気に増えます。本や、ネット上の情報、YouTubeや海外のテレビ番組等、英語で発信している情報全て、翻訳、通訳を入れずにそのまま理解することができます

もちろん、実際コミュニケーションをとることができる人(これが一番価値あることだと私は思います)が増えます。しかもこれは、英語圏の人のみではなく、英語圏以外の人たちと、英語というお互いの共通言語を介すことによって相手の言語をどちらかが学ぶ必要もなく、コミュニケーションをとることを可能にするのです。

これって、すごいことだと思いませんか?

私は英語圏の人たちとコミュニケーションを取れるようになることよりももっとすごいことだと思っています。もし、英語という共通の言語がなければ、どちらかが相手の言語を学ばない限り、その人とコミュニケーションをとることはできません。これが、私が英語は魔法のコトバ、と言っている由縁です。英語がもつ可能性は私たちが想像する以上に大きいものなのです。

英語を習得することでついてくるおまけ(これがおっきい)

そして、何よりも英語を習得することにはたくさんの副産物(おまけ)がついてきます。これが私が様々なところで言っている、「英語を学ぶことを通して」得ることができるモノです。これを得るためにとにかくやってもらいたいことが、「留学」もしくは「海外経験」です。

海外経験を一言で言うと、「多様な価値観に触れる」ということです。

そして、これこそが視野を広げるために一番必要なことであり、日本国内だけの生活では身につきにくいことで、海外の生活経験から得られる一番の良い点だと思います。

これについては、まだまだ話したいことがあるのですが、長くなるのでまた別の記事でお話したいと思います。私の生徒の実際の経験をご紹介しながらこのとてつもなく大きな「おまけ」について今度お話させていただきます。

留学の目的は決して英語習得だけにあらず、です。むしろ英語習得はできて当たり前であって、(ここを最終の目標にすること自体が本当はナンセンスと言いたいのですが・・・)留学の本当の価値はここじゃないのですが、「経験しないとわからない」というのが実際のところですので、実例を出しながら丁寧にご説明させていただきますね。

まとめ

では、最後今日のトピックについて私の意見をまとめます。

堀江さんがいう通り、ほとんどの日本人は日本にいる限り、英語は必要ないです。必要ない、という意味は「使わない」ということであって、「使わない=要らない」という見方をするとその通りです。大いに賛成です。

ただし、①とてつもなく多くの情報と可能性が得られるから習得はした方が良い②視野を広げるために留学や海外経験はした方が良い、と思います。

この2点は10年以上で2000人以上の留学生徒を相手にカウンセリングをしてきた私が自信を持って伝えられることです。

コロナが終息したらたくさんの日本人留学生がオーストラリアに来られることを楽しみにしています。日本でも色々と行動範囲等に規制がかかっていると思いますが、あまりストレスを溜めないよう、また体調の管理にみなさんくれぐれも気をつけてくださいね。




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