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7月の振り返り【作家としての姿勢】

久しぶりにnoteを書く。
そしてこれからまずは1ヶ月に1回は更新しようと思う。

自分でシナリオを書き続けるなら、「書く」行為をやめてはいけないと思ったからだ。
なので自分の一ヶ月をまとめて振り返り、そこで「気づき」「発見」を書こうと思う。どちらかというと自分がこのnoteを見て、あの頃どういうことを考えていたのか・どうしようとしていたのかをまた見直して自分の何からしらの素材になればいいと思っている。
でもたまたまそれを見てくれた人が少しでも楽しんでもらえたら嬉しい。なので自分の思っていることをここでさらけ出して残していこうと思います。

7月は監督選考コンペをしていた。
それは15人の監督を目指す男女が5分の短編をそれぞれが1週間で作る。その短編・審査員と面談・自身の企画性の3つを判断基準として審査される。そのうち4名が監督として選ばれると製作資金はもちろんプロのスタッフを呼び30分の中編を撮れるのだ。

私はこのコンペに7年ほど連続で出している。
今年が35歳という年齢制限により最後のチャンスだった。
しかも最終に残ったのは今回が3回目。
自分にとってはここで取らなければ男じゃない!という思いに熱くなりつつ、そのプレッシャーの中、参加した。

コンペのスタッフも「今年こそ受かるよう頑張ってね」など言葉をもらったり周りの知り合いや友達も「今年こそ取れよ!」と言ってくれていた分、今年はいろんな人達の応援も力にして臨んだ。
しかし結果は「落選」だった。
毎年何年もやってきて悔しいし悲しかった。
それでも一番自分の中で嫌だったのが、「落選」したことに対して、慣れていることだった。
いつの間にか、私は慣れていたのだ。
落選してもいいように準備していたのだ。一番の敗因としてあげるなら、おそらくこれだ。
こういった自己防衛の思考は人間なら当たり前だと思う。だけどそれとしっかりと向き合い立ち向かう姿勢こそが正しいあり方だと思う。
私は考えることが好きだと思う。今回のことに対しての考えでいうともっと自分の気持ち・感情と向き合うべきだったと思う。
自分の課題はそこだと思った。

今回のコンペで一番よかったなと思うのは企画のフィードバックをもらったことだ。
面談で監督・脚本家・プロデューサーから言われたことは私の本は説明的過ぎるということだった。台詞ですべて説明していると。説明台詞は情報に過ぎない。情報をずっと話されても飽きてしまうし心に響かない。
題材としては面白いのに説明的なことで物語としても広がらないとのことだった。
そしてストレート過ぎるということだった。
ストレートな表現だけでは表現として弱いということだった。
私自身、誰にも投げられないストレートな球を投げたいと思っていた。
今の速度だと弱いと言われた。
この時点で私にはこのストレートは止めて、違うカーブやスライダーなどの球種を投げれるようにするか・さらにストレートの鍛錬をするかどうかのどちらかだと思う。
こんな時、いつも私に浮かぶ言葉がある。
「AかBかを選べって言われたら、AでもBでもない。選ぶべきはCなんだ」と。
じゃあ自分にとってのCはなんなんだと考えた。
それは「自分にしか投げられない球」を見つけることだと思う。そしてそれがストレートよりもカーブよりもスライダーよりも凄いものにすることだと思う。

そのためにはより自己理解をし、自分の魅力をキャラクターや物語に昇華することだと思う。今は自分にしか投げられない球は掴みきれていない。しかし、全力で考えて試してみる。その積み重ねで少しづつ見えていくと思う。



私が一生を通して極めるものとして映画を選んだ。

映画は人間の業を突き詰めた先にある物語だと思う。
それを作るという過程がとてもおもしろく、難しく挑みがいのあるものだからだ。

私はこのコンペには選ばれなかった。

可能性がないと判断された。
しかし、そのコンペの審査員にはわからなくても観た人の心を震わせ、観た人を興奮させ、観た人の記憶に残り続ける作品を作ろう。
作ることでしか証明できないのだから。

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