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きょうだい児と不登校

こんばんは!
今日は私が小学校2年生の時の話を書いてみることにした。

以前書いたnoteにも触れたが、私は小学校2年生の時に不登校を経験した。
きっかけは妹の入院と母親の育児ノイローゼだった。

家庭環境も最悪だったその時の私は、毎日が情緒不安定で、些細なことで泣いていた。
とにかく不安でたまらなかったし、それを誰にも理解して貰えなかったのも辛かった。

その頃の家庭環境は、まさに最悪だった。
父親は仕事が忙しくて家にほとんどいなかったし、母親はいわゆるワンオペ育児に追われ、妹の病気もあって育児ノイローゼになっていた。
情緒不安定な母親の顔色を伺って過ごしていたのは今も覚えている。

学校から帰ってきて、機嫌のいい日は学校であったことを話したりするが、機嫌の悪い日は怒鳴り散らされて、時には蹴られたり叩かれることもあったから、母親が嫌いだったし、家にもいたくなかった。

学校でも、今みたいに仲の良い友人はつくれなかった。今でいうとADHDの症状が酷かったこともあって、いつも一人でいることが多かった。

2年生の9月も終わりに入ろうとした頃。
妹が入院し、母親は毎日看病で家を空けた時に高熱を出した。
手伝いに来ていた祖母に看病されて、次の日には熱が下がったものの、この日から学校に行けなくなった。

「誰も心配しないし、家にいても学校に行っても私の居場所はない。何もしたくない。」
人生で初めて、カラに閉じこもった。不登校は1ヶ月程続いたが、祖母からは一度も学校に行くように言われなかった。

学校に行けないことへの罪悪感もあれば、学校に行きたくない気持ちや家にいたくない気持ちもあって、ごちゃ混ぜになっていた。


子供が不登校になるには様々な理由があるが、私みたいに学校だけでなく家庭環境がきっかけで不登校になることも知って欲しい。
そして、病気や障がいのある子のきょうだいが様々な悩みを抱えている。
そんな子達の居場所は必要だと思う。もし、あの時に居場所があれば、また違っていたかもしれないし、別の意味で変われていたかもしれない。

この経験がなければ、居場所づくりや福祉の仕事をしていなかったと思う。
これからもっと、きょうだい児の居場所がたくさん出来てくれたらいいなと思う。

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