アメリカに憧れていた
私は若い頃、めちゃくちゃアメリカに憧れていた。
英語も絶対アメリカ英語。
発音はもちろんアメリカンイングリッシュ。
アメリカのドラマにハマり、
アメリカの映画にはまり、
ビバリーヒルズ高校白書の世界に憧れた。
こんな人、私以外にもたくさんいるだろう。
そんな私のアメリカに対する気持ちに変化が現れたのが、2002年、28歳の時、1年と3ヶ月間アメリカに留学した時だ。
アメリカ同時多発テロの翌年ということもあり、アメリカはピリピリしていた。
あらゆる観光施設が閉鎖され、警察は常にピリピリ。
まぁでもそれは当然だと納得はしていた。
にしても、彼らのアクションは過剰すぎた。
そもそも偉そうなアメリカ人が、もっと偉そうなアメリカ人になってしまった。
今でも鮮明に覚えているのが、カナダに旅行に行った帰り道。
車でカナダからアメリカへの国境越えをしていた際、国境の検問にて、「食べ物を持っているか」と聞かれた。
陸での国境越え経験がほとんどない私は、「バナナもおやつに入るんですか?」レベルの質問だと思い、「スナックフードはあるけどそれも食べ物だって言うなったら食べ物持ってるね」と言う感じで答えたら、身柄拘束された。
6人で旅行していたのだが、6人とも全員拘束された。
J1ビザで旅していたので、ビザスポンサーに助けを求めるため電話した。しかし、電話はその時つながらず。
閉じ込められた部屋の中で途方に暮れていた。
その時、仲間の1人がトイレに行きたくなった。
「閉じ込め部屋」の扉の暗証番号を横目で見て暗記してしまっていた友人は、その覚えてしまった暗証番号でロックされている扉を勝手に開けてしまい、その1人をトイレに行かせようとした。
その時、1人の警察官に見つかり、めちゃくちゃ怒られたあげく、「お前らもう一生ここから出さないからな!」ぐらいの勢いでまくしたてられた。
「おいおいこれいつ帰れるんだよ。結構やばいな。」と思った。
いつもはどんな時でもなんとかなるというマインドで過ごしてきた私も、こればかりは正直ビビった。
同時多発テロの翌年ということもあっただろうが、やたらめったら国境で止めていたので、その「拘束ビル」は人で溢れかえっていた。
話は変わるが、警察側の人間同士が話をしているのが聞こえた。
「こいつら英語できるのか?」と。
「英語はかなりできるよ。彼らの英語はPretty Good!!」
的な話声が聞こえてきた。
メンバーを代表して警察と話をしていた私は、こんなピンチにもかかわらず、ちょっと心が踊った。
話を戻そう。
国境で「食べ物持っているか?」と聞かれたら、たいてい牛肉や、その他家畜の肉で加工された食品などであり、キャラメルコーンみたいなスナック菓子は関係ないからね。当時の僕。。
結局、彼らも忙しく、また、怒りや止んだのだろうか。拘束されて1時間か2時間後に解放された。
例のテロ事件の翌年なので、彼らがピリピリしてるのはよくわかる。だけど、その時の彼らの態度から、次第にアメリカ人が嫌いになっていった。あんなに憧れたアメリカなのに。
その後、海外出張や私用でアメリカに行く度に、まず空港で嫌な思いが込み上げてくる。
アメリカの空港は世界一嫌いだ。
あの国の入国手続きは、荷物検査含め、世界一嫌いだ。
そこへ来ての例の黒人差別事件。
彼らはまだそんなことやっているのだろうか。進歩しない奴らだ。
アジア人への差別もひどいが、白人の黒人への差別はまだまだあの国ではなくならない。
自分に何の落ち度もないのに攻撃を受ける。
生まれながらにハンディキャップのようなものを負っている。
なぜ肩身の狭い思いをして生きていかなければならないのだろうか。
なぜ警察は仕事だと割り切って、罪もない人間を傷つけることができるのだろうか。
そこに正義はあるのか。
何のために警察や軍隊に入ったのだろうか。
「人種差別主義者」を擁護するためではないはずだ。
二カ国語話せる人をバイリンガルと言う。
1カ国語しか話せない人を「アメリカン」と言う。
よく言われているジョークだ。
でも、ここに真理があるのかもしれない。
つまり、アメリカ人は、英語を話す人間以外と自らコミニケーションを取らない、取ろうと努力しないということだ。
そんな人たちに多様性を語る資格はない。
そしてこんな腐った世の中を変えていくのは今の子どもたちだ。
だからこそ、子どもたちへの教育が重要だ。
教育って勉強のことじゃない。
例えばこのような多様性を学ぶ機会をどんどん作ってあげること。
指導要綱にそれが書いてあるかどうかなんて関係ない。
学校の先生にはそのあたり、チャレンジしていただければ幸いだ。
我々一人一人の行動が、今、問われているのかもしれない。
笑顔溢れる世の中にするために。
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