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2020/04/19(日)主役の表現、黒子の表現。

「自分のことを書くのが作家、他人のことを書くのがライター」という言葉を聞いたことがある。

 これは「書き手が主役の表現であるか、黒子の表現であるか」と言い換えることもできる。

 noteで多く書かれているもので例を挙げると「日記」「思考や感情の吐露」「自分のストーリーを語るもの」などは「書き手が主役の表現」で「情報発信系の記事」は「書き手が黒子の表現」となる。

 ぼくはこれまで、noteでは「自分が主役の表現」を主に書いてきたのだが、本垢で新たな創作活動をはじめたことにより「あ、そっちだけじゃダメな場合もあるのだな」ということがようやくわかってきた。より正確にいうと「頭ではわかってはいたけれど、ようやく身に沁みてわかった。腑に落ちた」という感じとなるのだが。

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 いまぼくがやっている創作活動というのは、大雑把にいうと「ゲーム作り」になる。とてもシンプルなものではあるが「ゲーム」と分類するのがいちばん妥当だと思う。

 このゲームには他の多くのゲームと同じように、まずキャラクターがいる。そして、プレイヤーがキャラクターに働きかけることにより、キャラクターからプレイヤーにレスポンスがいく。おおまかにいうと、こういう仕組みになっている。

 この場合、主役は「キャラクター」と「プレイヤー」となり、作り手のぼくではない。むしろ、ぼくの気配はできるだけ少ないほうがいい。ディズニーランドでぼくたちが会いたいのはミッキーやドナルドであって「中の人」ではないのと同じだ。

  今まではnoteでの「自分が主役の表現」しかしていなかったが「ゲーム作り」という「自分が黒子であるべき表現」を新たにはじめたことで「あーそうか。よき黒子になるためにはこういう工夫をしないといけないのだな」「ここは自分がしゃしゃり出るところじゃないね。後ろに下がって気配を消そう」など、長年使っていなかった感覚が呼び覚まされてきた。

 ぼくはかつてゲームの攻略本やファンブックを作ったり、ゲームシナリオを書いたりする仕事をしていたので「黒子の表現」をやったことがないわけではない。だが、それらの仕事からは長年遠ざかっていたので、勘所をすっかり忘れてしまっていた。というか、そうした仕事をやっていたこと自体、遠い記憶になっていて、すっかり忘れてしまっていた。思い出せてよかった。なんでもやっておくものだ。

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 さて、ここからはぼく個人についてだけではなく、世の中全般にまで話を広げてみよう。

 「受け手からの需要」という面でいうと、圧倒的に「黒子の表現」の方が求められている。「主役の表現」をすることで多くの人から「もっと見せてくれ!」と言ってもらえる人は、なんだかんだいって少ない。

 一方「送り手の需要」は、圧倒的に「主役の表現」である。「俺を見てくれ!」という表現が圧倒的に多い。

 ネットの普及により、誰もが「主役の表現」をできる時代になった。しかし、受け手はそんなにたくさんの「主役」を求めていない。むしろ、受け手も「主役」になりたい人たちだったりする。

 受け手が求めているのは「黒子の表現」

 送り手が求めているのは「主役の表現」

 この需給のミスマッチを越えていくためのいちばん早い方法は、送り手が「黒子の表現」つまり自分の発信だけではなく情報の発信のスキルを身につけることだろう。

 情報の発信ができて「あの人の言っていることは役に立つね、ありがたいね」と思われるようになった上で「主役の表現」をしても遅くはないし「黒子の表現をやってみたらそっちの方が性に合った。無理して主役にならなくてもいいや」となる場合もある。

 いずれにせよ「いいね!」と思われなければ見てもらえないし、見てもらえなければバズりもしない。

 「いいね!」と思われるための手段を選ぶ際、あくまで「自分が主役」を貫くか、それとも「自分は黒子」もできるようにしておくか。最終的には個々人の判断ではあるが、自分は後者を選ぶつもりだ。

 ……とはいえ「黒子の表現」は「役に立つ」「ためになる」「得るものがある」と思ってもらわないといけないので、入り口の段階では「主役の表現」よりもスキルがいる。そりゃあ「お気持ち表明」や「自分語り」はラクですよ。ぼく自身、やっているからわかる。

 たが、ぼくは「できないからやれない」という状況が大嫌いだ。「黒子の表現ができないから主役の表現をやっている」というのは絶対にイヤ。「主役も黒子もできたうえで好きな方を選ぶ」がいい。

 と言いつつも、noteでは毎日投稿を掲げていることもあり、どうしても易きに流れてしまう。「続けながら変わる」って難しい。

 だが今回「ゲーム作り」という新たな創作をすることにより「黒子の表現」をトレーニングする場ができた。期せずしての幸運であった。

 noteだけではできないことを他の場でやり、noteだけでは身に着けられないスキルや考え方をそちらで学ぶ。

 noteと他の場を組み合わせることでそれぞれが車の両輪のように働き、お互いにいい影響を及ぼすことができれば「主役の表現」と「黒子の表現」の両方を磨いていくことができるのではないか。そんなことをいま、期待している。

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 ……はてさて、このnoteは「黒子の表現」として少しでもお役に立ちましたでしょうか?

 黒子にしては「中の人」がややでしゃばりすぎていますけどネ。

「表現には主役の表現と黒子の表現の2種類がある」
「受け手が求めているのは黒子の表現、送り手が求めているのは主役の表現」
「より見られたいのなら黒子の表現も磨いたほうがいい」
「『できないからやれない』ではなく『どちらもできた上で好きな方を選ぶ』がいい」
「とはいえ、黒子の表現を身につけるのはラクではない。noteだけでは難しいようなら、他の場でも活動をしてみるといいかもしれない」

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