2020/04/08(水)考えることは増えたのに人に会って話せない。だから、ノートに書く。

 ぼくはコクヨの「キャンパス ツインリングノート ドット入り罫線 A4 A罫 ス-T225AT」というノートを愛用しています。

 A4なのでサイズが大きく、ドット入り罫線なので悪筆な自分でも比較的整った字が書きやすい。そして、たっぷり書けるうえに持ち運びにもそれほど邪魔にならない40枚という厚さ。

 「これこそが最高のノートだ!」とまではいいませんが、質、量、そして価格や入手しやすさの点からも、自分にとってはベストに近いベターなノートです。

 持病が良くなり元気になってきた2年ほど前から書く量が増え、今では1ヶ月に1冊のペースで使い切っています。ざっくりな計算ですが、1日あたり約1.3ページ書いているということになるでしょうか。

 しかし、3月末あたりからはみなさまご存知の通り、世の中いろいろありまして、書く量が一気に倍近くなってしまいました。

 世の中がこんな感じなので、いつも以上に考えること、思うことはある。

 しかし、外出、それも人との密接な交流がある場への外出を可能な限りひかえなければならなくなったため、それらを人に話して分かち合う機会が激減。

 じゃあ、ネットで話すのはどうかというと、これもみなさまご存知のとおり、パニック状態というか、阿鼻叫喚というか、蜂の巣をつついたような騒ぎというか……。

 蜂の巣をつついたような騒ぎの時に騒ぐのは、騒ぎを大きくすることに加担するだけであり、公共の利益に反します。いまは「責任者・専門家・当事者」以外はなるべくおとなしくしていた方が、世のため人のためでしょう。

 ぼくも日本国民……というか、地球人ですので、当事者のひとりではあるんですけど「被害の当事者」にはまだあんまりなっていないので「責任者・専門家」の言うことに従っておとなしくしていることが自分の任務だと思っています。

 とはいえ、そうなると本当に人と話す機会がない。

 なので、ノートにひたすら考えたこと、思ったことを書き続けています。ぼっちとかいうな。

 でも、悪いことばかりではないです。

 ネガティブな感情をネットに書いてしまえば、それは他のユーザーの感情にも悪影響を及ぼす可能性があります。

 しかし、ノートに書くのであれば、自分以外誰も見ることはありません。

 また、書いたのがSNSだった場合、興奮した状態で投稿してしまったあと、改めて読み直して自らを省みるということはほとんどありません。

 でも、ノートであれば、明日も明後日も来週も1ヶ月後も「そこ」にあるわけで、読み返す機会がいくらでもあります。

 読者である「自分」とは「いまの自分」に限りません。明日や明後日や来週や1ヶ月後の自分も、読者になります。

 未来の自分が読み返した際には「あー、あの頃しょうもないこと考えていたんだなあ」と自省したり「あの状況でもけっこう頑張っていたんだなあ……」としみじみしたり「お、俺ってなかなかいいこと考えてたじゃん!」と自信を得たりと、いろいろなことが起こるでしょう。

 その時、ノートに書いたものは「いまの自分」から「未来の自分」に手渡される「気づきと成長のためのバトン」になるわけです。その場の勢いでSNSに投稿し、流れ去ってしまった思考や感情とは、そこが違います。

 また、繰り返しになりますが、他人に悪影響を与えないのもいいところです。

 いまは疫病そのものだけでなく、不安・恐怖・怒り・憎悪、そしてそれらを煽るデマやアジテーション、ミスリードやプロパガンダも恐ろしい脅威です。

 正直なところ、一部のSNSはそれらによってもう機能不全に陥っていると思います。ぼくも、長年愛用してきた某SNSにほぼほぼ見切りをつけました。匿名で暴れまわれるタイプのSNSは「見切りをつけて離れる人」と「暴れまわる快感にどっぷりハマって抜けだせなくなる人」に分かれていくと思います。まるで死後の世界のようですね。

 なんか話が大きくなってしまいましたが、いま精神的にしんどいという方は、いったんSNSから距離をおいて、ノートとサシで語り合ってみるのもいいかもしれません。

 ノートはあらゆる秘密を守り、あらゆる話を聞いてくれて、そしてそれらをいつまでも覚えていてくれますから。

 

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