昭和時代あれこれ〜昔の駿台

アラ還親父の昭和時代懐古録その2です。何の為にもなりません。単なる記録です。ボケて完全に忘れる前の記録です。

今は大学全入時代、浪人する人も激減し、時代の移り変わりを感じます。

私の通っていた某都立高校は浪人するのが当たり前の雰囲気で高校3年9月の文化祭のクラス単位の映画制作に全力投球。それから受験勉強と言っても、身が入らず、そもそも進路指導なんてものは全くなく、何なら教養主義の名の下で、文理の区別も殆どなく、理系も日本史現代史があり、文系も数字Ⅲまでありました。

案の定浪人が決定し、というか、来年の下見だ、とか言って国立のみしか出願しない奴が多数。皆、駿台、河合塾、代ゼミに別れて浪人生活を開始しました。

私は駿台で浪人しました。浮草の様に自分自身のアイデンティティがないことを実感しつつ、駿台に通う毎日でしたが、今思えば個性的な講師ばかりで充実した日々でした。両親には本当に感謝しています。

駿台。懐かしいですね。昔は午前部と午後部に分かれており、教室はぎゅうぎゅう。はっきり言って密。ブロイラーが餌を食べさせられている様な感じ。長机に詰め込まれ、人気講師の授業は後ろや通路、はたまた教室の外の廊下で立って受けている人もいました。所謂モグリです。40年前からそう言ってました。
授業を切る、という表現も同様です。

授業は録音して、後でノート起こしをしてまとめノートをつくったり…。電子辞書もなく、携帯電話も当然なく、狭い机で隣の人と肘が当たったりして、私は体格がよいのでノートを書くのも結構大変でした。

授業は基本午前でしたので、午後は近くの飲食店で昼飯を食べ、そのままパチンコやゲームセンターに行く奴、帰る奴、自習しに戻る奴、さまざまでした。

天丼いもや、とんかつ駿河、キッチンカロリー、キッチン南海、ラーメン伊峡、ラーメンサブちゃん、明治大学師弟食堂、すき焼きはらの、庄屋のランチの超大盛りカレー…懐かしいなぁ。飯食いに行ってたのか、勉強しに行ってたのか怪しいものです。

駿台の講師は個性的な人が多かったと思います。印象に残っている講師を何人か挙げます。

【数学科】
長岡亮介師
某お茶飲みwikiにも書かれてますが、確かにサーファーみたいな格好でした。髭も当時から生やしていました。夏はメッシュ素材のTシャツにジーンズ。ズボンの後ろポケットにテキストを丸めて突っ込んで教室にいらして、まず前に座っている生徒に「今日は何番から?」とか聞いてやおら問題に取り掛かるといった具合。およそ予習をして来た形跡ゼロ。それでいて切れ味抜群。立体の求積の積分の講義は鮮やかだったなぁ…。講義中に仰るお話も面白く、本当に大好きな講師でした。

根岸世雄師
上品な紳士。お茶飲みwikiでは板書が芸術品、と書かれているが、字が超絶上手だった上にXY平面上の図形を本当に正確にフリーハンドで書いていらした。重厚な授業でありながら言葉の端々にウィットに富んだ表現を使われ、思わずクスッと笑ってしまうこと度々。

野澤悍師
風貌が毛沢東に似た優しい講師。いつも基本に忠実な講義をされていたと思う。実は字は少し丸文字。野澤師の授業を受けると、オーソドックスなアプローチで丹念に問題に向き合うことの大切さを学んだ気がします。

【英語科】

伊藤和夫師
オールバックで淡々と授業をされていました。今でもYouTubeで見ることができますが、正にあのまんま。生徒は皆、英文解釈教室、700選、英頻を必須アイテムで持っていた。冗談を仰る事もあるが、他のクラスの友人に聴くと、同じタイミングで同じ事を仰っていたそうで、講義案に冗談まで書いてあった模様。今でも英文を読むときはたまに構文把握のため紙に英文を縦に分解して書いています。


筒井正明師
とにかく体が大きい。迫力満点。休み時間に生徒が黒板に書いた英訳を添削して行くスタイルの授業。授業教材の英文を出発点に、人生論、恋愛について、戦争について、その他様々事を教えていただきました。
1番印象に残っているのは、核抑止力に関する以下の言葉。

「人間は使わない為に道具を作ったことはない」

最終講義のあと、ご自身の好きな詩を私たちに送って下さいました。

Count your age by friends, not years
Count your life by smiles, not tears

ジョンレノンの詩でした。

「君たちに読めない英文はない。自信をもって!それでは元気で!」
拍手のなか、颯爽と教室を後にされました。今でも最終講義のあと生徒たちは拍手をするのかなぁ?

その他に、

桑原岩雄師
関谷浩師
高橋正治師
高橋善昭師
大岡俊明師

大変お世話になりました。

良く言われることですが、受験テクニック的なものより、アカデミックな感じの授業が多かったと思います。

今はどうなんでしょうね?

浪人生が減って予備校業界も大変でしょうが、駿台には頑張って貰いたいですね。半生を振り返ると、私が幸運にも志望する某国立大学の法学部に進むことができたから思えるのかも知れませんが、駿台での浪人時代はとても充実していました。

今は浪人生はマイノリティで何なら浪人するのは恥ずかしい、といった風潮を感じますが、自分の学びたい大学の学部に行くため浪人することは、受験勉強以外にも得られる事も多いと思いますけどね…。

でもそんな時代ではないのでしょうね。

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