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取り留めのない雑感



読書の秋2020の課題図書に掲載されていたので興味をもち読んでみました。
以下、タイトルの通りです。

見えないという事は、余白があるという事だった。
見えている人よりも自分の世界に余白を持てる。
見えないからこそ、見える人が見る事の出来ないものを見つめる事が出来る。
それは逆説的でとても不思議だった。けれど、それは真理かもしれない。
サン=テグジュペリは星の王子さまの中で大切なものは目には見えないのだと言っていた。
世界は等しく誰の隣にも在る。いつだって世界を感じることが出来るし、互いの存在が自分の世界を形つくっている。
自分しか居ない世界は存在しないし、そんな世界は無意味だろう。
自分ではない誰かの存在が自分を自分たらしめている。
たとえ視界からの情報がなくとも、全ての五感や身体のあらゆる器官を通して見る事が出来る。
見たいという思いが、身体を進化させるのかもしれない。

見るとは世界を知るということなのか。
自分以外の世界を知るという事、理解するという事は今をよりよくする為のチカラなのではないか。
私たちはもっとお互いをよく知り理解したら良い。

あなたと私は違う。
生まれた環境も考え方も身体的特徴も、何ひとつとして同じものはない。
この先も決して同じになる事はないでしょう。
けれど、私たちは相手の事を知ろうとする事が出来る。相手と気持ちを共有し寄り添い、分け与える事が出来る。
相手を思いやる想像力があれば、互いが互いの違いを楽しみ尊重し合う事が出来たら、世界は今よりもっと広がりを持ち私たちはきっと孤独ではなくなる。

生きていく事は知る事の連続で、情報量の違い、情報を得る為のツールの違いこそあれど、知って感じて自ら世界を構築していく事に目の見える人、見えない人の違いなどないように思えた。

あと、目の見えない方たちのユーモアに感銘をうけた。ユーモアはどんな時でも大切で救いだと思った。
ほんの少し視点を変えるだけで、悲劇にもなり喜劇にもなる人生。
与えられた状況や環境で、どういう態度で生きていくかは自分次第で、私もどうせ生きるのならおもしろおかしく自分を楽しませて生きていきたいと思った。

読んでいろんな思いが去来したので、忘れないうちに思った事を書いてみました。すぐ忘れるので…

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