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僕がメキシコに行った理由【自己紹介②】

Hello! :)

海外生活9年(アメリカ6年、メキシコ3年)現在メキシコシティ在住のTomokiです。

今日は自己紹介第2弾として、メキシコに行くという決断に至ったまでの経緯を話したいと思います。今回は時系列で話して、最後に一連の流れで学んだ教訓を書きます。

スペイン語に興味を持ち始めたきっかけ

これが第一ステージ。きっかけはスペイン語圏の友達でした。

アメリカの1つ目の大学でよく一緒に遊んでいた留学生グループがあり、その中にスペイン語圏から来た人がたくさんいました。

スペイン、メキシコ、ボリビア、コロンビア、エクアドルなどなど。

この人達は、みんなでいる時は英語で話をしていましたが、スペイン語圏の人同士で話をする時は、スペイン語で話をしていました。

その姿を見て思ったこと。
「あれ?この人達って全く別の国の出身じゃなかったっけ?」

頭では、中南米ではスペイン語を話す人が多いとは分かっていましたが、実際にそれを目の当たりにするとやっぱり違うもの。しかも話しているのは英語ではなく、別の言語!!しかも共通語の英語とは違い、みんなネイティブ!!
当時はまだ世界を知らなかったので、「日本人が日本語で他の国の人と問題なく話をしているのと同じだよね?この言語すごくないか!?」と思いました。

これがスペイン語に興味を持ったきっかけ。

その後、大学でスペイン語の授業を2つ取りました。興味があることはとことんやる性格なので、テストはいつも満点で成績もトップでした。

ただ、授業で習ったことを使って友達とスペイン語で話をしてみたりしましたが、全く話せませんでした。

「あんなに授業頑張ったのにこれか。。」
これじゃあだめだと思い、もっとスペイン語を話せるようにするにはどうすれば良いのか考えました。

そこで行き着いたのが、グアテマラです。

カリフォルニアからグアテマラへ


パソコンでスペイン語学習について調べていると、「グアテマラ」という国の名前がたくさん出てきました。生活費も授業料も安いので、スペイン語を手軽に学ぶにはココ!らしい。

費用は、先生と1対1、1日5時間の授業+3食付きホームステイで、1週間で100ドルもいかなかったと思います。(うろ覚えなので間違っていたらすみません。)

僕が当時住んでいたカリフォルニア州からも近く、飛行機代も安いので「ここに行ってみるか」と思い、大学の夏休みを利用し、2回(2夏休み分)グアテマラに行きました。

少し余談ですが、小学校の時の国語の教科書の何かの物語に「グアテマラ」と書いてあって、「グアテマラってなんだ?」と思ったのをずっと覚えていました。
そのためグアテマラに行くことにした時は、「これは運命だ!」と勝手にテンション上げ上げ。

グアテマラは、人生初の発展途上国だったので本当に面白いことばかりでした。

W杯決勝戦をバーで一人で観ているときに隣にいたレンチョというグアテマラ人と仲良くなり、その人のパーティーハウスに住むことに。
毎日片道1時間かけて朝からジェットコースターのようなボロいバスで、崖を駆け下りるようにスペイン語学校へ行き、午後は美味しいグアテマラコーヒーのカフェで宿題をし、夜は安いビールで友達と飲み明かし、そして週末は学校でできた友達と旅。本当に最高でした。

帰りはニューヨーク経由のフライトにしたので、レンチョのニューヨークに住んでいるアメリカ人の友達の家に泊めさせてもらうことに。
その友達と、その人の彼女とそのまた友達の4人で、夢のニューヨークでのブランチもしました。
レンチョとは今でもメッセージを取り合って仲良くしています。

僕が人生の中で「俺生きてる〜!」と感じた瞬間は、今まで3回ありました。その2回目が、グアテマラに一番最初に着いた1週間後ぐらいの、寝る直前の真っ暗な部屋の中。

よく分からない街に一人で来て、よく分からない言語で生活して、明日も何が起こるか分からないけど、勉強も頑張っている、という状況にすごく興奮しました。

窓から星が綺麗に見えていたのを覚えています。

ここまでが、スペイン語に興味を持ってから勉強をし始めた流れについてでした。そしてここから下が、メキシコに行く決断に至るまでの流れについてです。

まずはアメリカから日本に帰国をしてからの、1年半の暗黒時代について話します。

日本での暗黒時代を脱出しメキシコへ

アメリカ生活を終え、日本に帰国した後の1年半のお話です。

単刀直入に言うと、自分自身が日本文化に合わなくなっていました。

特にほとんどの時間を、当時務めていた日本企業で過ごしていたため、逆カルチャーショックをもろに受けました。
一番最初の記事でも書いた通り、アメリカにいた頃は、自分の中で完全に日本語と日本文化を排除していたため、日本での振る舞い方を完全に忘れてしまっていた。

毎朝満員の銀座線に揺られ、会社の研修で「これ意味あるの?」と思うようなものを数ヶ月に渡りひたすら丸暗記させられ、慣れない日本の上下関係に揉まれ・・・

本当に嫌になっていました。この時期は今までの自分の人生の中で、一番気持ちが落ち込んでいた時期です。

また海外に出ることは、帰国した時から自分の中で決まっていましたが、「これはすぐに出ないとダメだ」という気持ちが強まっていきました。
海外といっても今回はアメリカではなく、全く別の新しい国での生活をしたいという考えでした。

そこで思ったこと。「ラテンアメリカに行きたい。」

スペイン語も勉強していたし、ラテンアメリカの友達も好きだったから。

そして早速お得意のリサーチ。
どうやらメキシコには日本企業がいっぱいあって、日本人の働き手が不足しているらしい。

これがメキシコに行くことにした理由です。
仕事経験があまりない自分でも、収入を得られるチャンスがあると思いました。

当時勤務をしていた日本の会社の人に、就職先が見つかっていないのにメキシコに行く、という報告をすることは死ぬほど嫌でした。何か言われそうなので。。

ただ、反応は自分が思っているほど悪くはありませんでした。(一人の上司を除いてですが・・・)

「メキシコへ行くので会社辞めます!」と言って返ってきた同期や先輩の反応は、「えっ!?どういうこと!?」とか、「クレイジーすぎだろ」というもの。
突然すぎ & 意味わからなさすぎで、何を言っているかよく分からなかったんだと思います。

そしてメキシコへ飛び、無事今務めている会社に入ることになり、今日の話はめでたく終わり。

そして今回の話の教訓。

今回の教訓

今回の教訓は、「嫌なことがあれば辞めればいいだけ」ということ。

普通に考えればこの考えにたどり着くはずです。
この世界はものすごく広いので、他の選択肢なんて山ほどある。
たまたま選んだ選択肢が自分に合わないのであれば、楽しくなるまで他の選択肢を試せばいいだけ。
自分に合ってないことなんて、数ヶ月後でも分かるんじゃないかと思います。

日本には「石の上にも三年」ということわざがあり、例えば会社を辞めさせないためなど、この言葉を悪用している人を多く見受けます。
僕はこの言葉を1ミリも信じていません。
こんなことわざのために自分の人生の3年も無駄にするなんて、考えられません。

そして、何かを辞める時、もしくは何か新しいことを始める時は、必ず批判をしてくる人がいます。
これも自分には全く関係ないです。
「あなたの人生じゃないですよね?」の一言で瞬殺です。

嫌な気持ちにはなると思います。もちろん僕もなります。
ただこれも当然の話です。
人間という生き物は、コミュニティーを作って進化してきた歴史があります。そのため、他人が言うことを完全に無視することが難しいのは、僕らのDNAにデフォルトで含まれているんだと思います。コミュニティーに属せない人のDNAは遠い昔に絶滅しているはずなので。

ただし、現代社会で自分の人生をコントロールしているのは、結局は自分。自分の本能に従って、面白そうな方向に進めばいいだけ。
もしその方向が間違っていたとしても、その中での経験は「自分」という人間を形成していきます。

僕はこれを実際に試している人が「なんか面白い人」の定義だと思っています。

以上、ここまで読んで下さった方、ありがとうございます!
また頑張って記事を書いていくので、是非見てみてください!

Bye! :)

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