【「君に届け」を観直して思ったこと】


※2020年 8月の投稿

いま日本で1番バズってるものと言えば、それは話題的な意味でも物理的な意味でも間違いなく「コロナ」だと思います。

そして、なんでこんなにコロナがバズってるかというと「自分ごと」だからだと思います。

ところで自殺での年間の死者数は今の日本でおよそ2万5000人くらいなわけで、毎年2万〜3万人の人が自殺しています。

単純な数字で比較できるもんじゃないですが、コロナの死者数は累計1000人くらい(30未満だと1人)なので、今のペースでいくと自殺者のそれには遠く及ばなそうです。

つまり、今後僕らがコロナ要因で死ぬ確率よりも、

「自殺で死ぬ確率の方が圧倒的にたけーぞ」

ということなのです。

しかしながら自殺問題に対して、かつてこんなに連日報道されるほど世間のムーブメントとしてバズったことは一度もないわけで、
これは単純に危険度だけじゃない「何か」がコロナをバズらせてるんだと思います。

そしてそれは

「やべえ、自分も感染しちゃうかも・・・」

という「自分ごと感」なんじゃないでしょうか。

なので、この「自分ごと感」をいじめや自殺に関してもみんなが持つことができたら、被害者を大いに減らすことができるんじゃないかと考えたわけです。

余談になりますが、まあこんなことを考えだしたのはもちろん三浦春馬の死がきっかけなんですが、他の世代の方ももちろん驚いたかと思いますけれども、僕くらいの世代は特に三浦春馬の喪失感は甚大だと思います。

小学生のとき「14才の母」が放映された日にはお茶の間が気まずい雰囲気になり、

中学では「恋空」に影響されすぎたクラスの女子達がケータイ小説を自作して黒歴史を紡ぎ出し、

「君に届け」がやっていた高校時代には、どう考えてもボソっとした陰キャラな奴が
「三浦春馬に横顔が少し似ている」
という理由でにわかにモテ始めるという怪現象まで起こりました。

そんな感じで青春時代の随所で三浦春馬が存在していたのであり(当時は意識してませんでしたが)、僕ら世代のアイコンになっていたんだと思います。
※三浦春馬の人気が凄すぎて、逆に
「私はそんなに三浦春馬の顔好きじゃない」
とカウンターの概念を提唱する女子勢力が生まれたほどでした。

なので三浦春馬の自殺の事実は、もちろん直接の接点がないので肌触りのある悲しみとかはないんですが、
僕ら世代のアイコン的存在が自ら死を選んだという点で大きな喪失感を抱かせられ、
精神論ではなく仕組みとしてこういう人を減らせまいかと考えました。

そして本題に戻るのですが、僕が総理大臣になったら
「自殺者の近所にいた人、仲良かった人、とにかく人生でまあまあ関わった人からランダムで罰金か刑罰を課す」
という法律を作るでしょう。

あるいは学校のいじめだったら
「いじめられてた子のクラスメートの家庭から無作為に選んで罰金」
というふうにします。
※もちろん加害者はもっとえげつない罰則を課します。

こうすれば、今まで第三者的に傍観してた連中が「俺の周りのやつ自殺しないだろうか」とか、「うちの子は周りがいじめられてるのに見て見ぬ振りしてないだろうか」という感じに、周囲を本気でケアるようになると思います。

しかも、いじめとかって止めようとすると「なにイイやつぶってんだよ」と言われるのが世の常であり、
それを振り切って止められるような気高い精神性を持つのは君に届けの風早君くらいのものであり、
現実的に実行できる人は少ないと思います。

しかし、罰金制度があれば「いや!イイやつぶるとかじゃなくて罰金払わされるからマジやめろよ!」となりますし、

「お前いじめとかやって周りに迷惑かけんじゃねえよ!」
というふうに、イジメとかパワハラをする奴が、コロナでいうところの「クラスター」のような扱いを受けて隔離されていくと思います。

そして知らない人であっても
「ちょっと温かい言葉でもかけようかな」
みたいな感じが当たり前の優しい世の中になるでしょう。

しかしこれを書いている途中で気付きましたが、この法律を作ったら
「罰金課せられるからみんなで隠蔽しようぜ」とかが増えそうですし、
この悪法を立案した僕は

「マジでキモい」
「テラハから消えろ」
と誹謗中傷されていじめられることになるでしょう。

まあとにかく、周りと違うことをやみくもに批判したり、
人を見た目などのセンシティブなことで揶揄したりするのは良くないことだと、「君に届け」を観なおして改めて思いました。

ところで、、

多部未華子って整形したよね。

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