2016.3.25
不思議と哀しみはなかった。早かれ遅かれ、自分の身に起こるだろうと、頭の片隅でつねに思っていたのかもしれない。医師の説明を聞きながら、「ああ、そうか。最近はこうやって、あっさりと告知されるのか」と思った。
この日、わたしは乳がんを告知された。
右胸の精密検査をするのは3回目だった。というか、2010年にFNH(限局性結節性過形成)という肝臓の特殊な腫瘍が見つかって以来、わたしにとって病院は、コンビニくらいの身近な存在になっていた。肝臓の左葉のほとんどを占めていたFNHは2011年に腹腔鏡下で切除し完治。2012年にバセドウ病を発症し治療を開始。2013年から毎年、乳がんや子宮頸がんの疑いで精密検査を繰り返していた。
自分はそういうタイプなんだ、と思っていた。遺伝子としてそういう類いのものを持ち合わせているんだ、と受け入れていた。だから、子供をつくる選択はすでになく、それでも共に歩むと言ってくれた人と籍を入れた。命が有限であることを、人よりも少しだけ身近に感じているつもりだった。
でもなぜだろう。いまは、命について、よくわからない。
告知後、今後の段取りを説明する医師に冗談交じりで答える自分を客観的に見ている自分がいて、「強くなったなあ」と心底思った。その感覚もなんだか──なんていうか、可笑しくて、存外そんなものなのかなあとぼんやり考えていた。これから忙しくなるなあと、ちょっと憂鬱になった。
すぐに夫にLINEで連絡を入れた。
「すいません、まさかの乳がんだった」
「まさかのだね。早期発見?」
「うん、まだ広がってないから、手術と抗がん剤かなあ。はげるのかなあ」
「ウィッグあるから、大丈夫だよ」
「だねー。がんばるわー。すいません」
「全然。逆に早めに見つかって良かった。生かせてくれてるんやで。まだまだ苦労しなさいってw」
ここで、本当に夫には申し訳ないなあと、胸のところがギュッと苦しくなった。夫はどんな気持ちでこれを送っているんだろうと、苦しくなった。
病院から出て、仕事上報告しておかないといけない人たちにすぐに連絡した。まっすぐ家に帰る気持ちにはなれなくて、なんとなくツイッターを見ていたら、つい先日取材させてもらった声優さんが新宿でライブをするというので立ち寄ることにした。
新宿三丁目から、歌舞伎町へ向かって歩いている自分。かつてここには新宿リキッドルームがあって、テクノが好きだったわたしは高校生のときからこの道を幾度となく歩いたなあ、なんてことを思い出す。朝まで踊って、吐くまで飲んで、たくさんの友達と語り合い、宝物のような思い出が詰まっているこの道を、いまこうやって歩くということは、とても不思議な気持ちで、やっぱり可笑しいなあとすごく冷静に思った。
ライブハウスに着いて、よく知らないバンドの人が歌っているのを眺めて、それを見ているお客さんの姿を眺めながら、なんでこんなところに自分がいるんだろうとふと思って帰ろうとしたときに、声優さんを見かけたので声をかけた。話をしながら、自分がいま持っているビニール袋のなかには、がん研有明病院への紹介状とか、右胸の細胞を採取したプレパラートが入ってるんだよなあと思い出し、それもなんだか可笑しかった。人生って、滑稽だなと思った。
4杯目のビールを飲み終えた頃に声優さんのライブが始まった。その歌声はとても心地よく、身体が軸のところから少しだけ上昇するような、ふわっとした感覚をおぼえ、やっぱり来てよかったなと思った。こうやって、なるべく社会や人とつながっていたいと思った。
帰りの道で、ふたつ、自分に決めごとをつくった。
「あのとき、ああしていたらよかったのかも」と思わない。
「どうしてわたしばっかり、こんなことになるんだろう」と思わない。
だって、これらは無意味で、不毛で、建設的ではないから。
これが、わたしの乳がん患者としての1日目だった。
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