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解釈違い。

オタク界隈で時折り使われる言葉で『解釈違い』と言う物がある。

同じ〇〇が好きでも楽しみ方が違う。
推しの〇〇は同じでも自分の夢想してる事と違うそうじゃ無い。
〇〇の公式が自分の好きなキャラと違う。

などと言う感じだと理解してる。
違ってたらすいません。

園芸にも勿論それは存在してて十人十色で皆違う考えかた感じ方を持ってるのだと思う。

例えば、サボテンを育てるのが好きでも。

自生地に生きる姿に感動して好きになった、フォルムが面白くて好きになった、自分のライフスタイルに応じた感じで育てれるから好き。

など様々なアプローチが事実ある。
20年近く園芸にたずさわって様々なユーザーや趣味人、普通の人、マニア、コレクター、ハイアマチュア、プロの人と関わって来たので様々な思いや話を聞く事が出来た機会に自分は恵まれてた故に「皆んな違ってみんなよい」と言う目で見れるが、深く世界に潜ってる人には到底理解出来ない、看破できない、相容れない、譲れない部分があるだろう。

栽培法一つにしてもサボテンのポテンシャルを全て見せて欲しい、僕が考えた最強のサボテンを夢想しその為に研鑽努力を惜しまない人もいるし、サボテンの生命力その物に魅せられどうしてそうなるの?見たいな物を追求したい人もいるし、毎年花咲いてくれたら満足って人も居る。

それらは似て非なる物で、自生地の環境を再現しどのように耐えて生き残るか?を追求してる人をポテンシャルを最大限に発揮させたい人が見たら虐待に見えるかも知れない。
実際、「あんたのハウスは死んどる」など怖いことを言われた先達も…いたり居なかったり。
また逆も然りで園芸的に肥大化させたサボテンは果たしてサボテンなのか?
種子から育てて無いくせに自分のサボテンとかよく言うよな!なぁ!
と極端に考える人も居る訳なのだ。

それに対し、まぁまぁ人それぞれだから、多様性だよねー、など本音では思ってても、極端なアプローチをしてる人には通じない事もあるある。
通じないなら良いけど俺の考えの外は許さんとかも。

そうならお互いお触り禁止にするしかないと思うが、それすら許せなくて辛いって人も居るかも知れない。
わかってくれとは言わないがそんなに俺が悪いのか?見たいな感じになるのだ。
また流行って欲しいけど流行ったら流行ったで違うそんな流行り方じゃ無いみたいな面倒な気持ちとかも。

何が言いたいかと言うと解釈違いはどこにでも発生するので何処まで深く潜り込むのか?ココはもしかして後戻りが出来る分水嶺なのか?とオッサン園芸数寄者はつい考えてしまう。
けどまぁ楽しいからヨシ!
見たいな心境だと言う事だ。

最後に自分の推しの植物ガステリアの画像を投げときます。

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