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世界トップティーチャーが教える 子どもの未来が変わる英語の教科書

Global Teachers Prizeという「教育界のノーベル賞」とも言われる賞があります。その賞において2019年に世界150か国3万人の先生の中からトップ10に選出されたのが、この本の著者である正頭英和先生です。担当教科が私と同じ英語ということもあり、今回彼の著書を手に取ってみました。以下正頭先生のプロフィール。

立命館小学校 英語科教諭/ICT教育部長。
1983年大阪府生まれ。関西外語大学外国語学部卒業。関西大学大学院修了(外国語教育学修士)。
京都市公立中学校、立命館中学校・高等学校を経て現職。「英語」の授業に加えて「ICT科」の授業も指導する。
2019年、「教育界のノーベル賞」と呼ばれる「Global Teacher Prize 2019(グローバル・ティーチャー賞)」トップ10に、世界約150ヵ国・約3万人の中から、日本人小学校教員初で選出される。
AI時代・グローバル時代の教育をテーマにした講演も多数。

彼が世界でトップ10の教員に選ばられた大きな理由はマインクラフトというマイクロソフトのゲームソフトを授業で導入し、私のnoteでも何度も取り合げているPBL(Project Based Learning)型の授業を展開していたことが挙げられます。

「英語を学ぶ」のではなく「英語で学ぶ」ことに主眼を置き、上記のPBL型授業をオールイングリッシュで行うとのことですが、具体的には「日本に来られない外国人のために京都を案内するようなものを作りたい」という子供たちの要望から、マインクラフトを使って平等院鳳凰堂や清水寺を作り、さらにはそれらを紹介するロボットもゲーム内に作成したとのことでした。英語で授業をする中で、プログラミングや歴史などの教科横断型の授業というのは、現在日本の教育界で注目されている「カリキュラムマネジメント」という概念にも合致し、評価が高かったのも理解できます。

そんな正頭先生の書かれた本の内容は、その多くが私が考えていることと重なりました。なので、自分の考えを整理できたのと、これまでやってきたことを後押ししてもらった気がします。以下いくつかこの本の内容とも関連する自分の考えを記したいと思います。

1.AI時代が到来しても英語は必要か

必要です。確かに現時点でもAIによる通訳翻訳は目覚ましい進化を遂げています。Google翻訳一つをとっても、数年前と比べてものすごい精度が上がっていることを感じます。今後もこの進化は加速するでしょうし、それならば一生懸命単語や文法を覚えて、英語を習得することに意味を見出せない人も多くいるかと思います。

確かに近い将来、旅行や仕事においては通訳翻訳アプリがあれば事足りる時代が来ると思います。ただ、英語(外国語)を学ぶことはそのような実用的な目的だけではなく、言語学習を通して様々な文化の差異やコミュニケーションのあり方などこれからのグローバル社会で生きていくのに必要な力も同時に養うことができます。そこを機械に頼りっきりになってしまったら、非常に器量の狭い人間になってしまう可能性があります。

また自分自身がそうであったように、英語ができるようになると自分の世界が広がり、行動力が涵養されます。英語ができたから世界中を旅する勇気が湧きましたし、多くの異なるバックグラウンドを持った人たちと出会い、成長することができました。例えば、これまで外国で本当に多くの生徒や外国人たちと出会ってきましたが、彼らとのコミュニケーションがスマホのアプリを通してのものだったらどんなものになっていただろうかと考えます。もちろん意思の疎通はできるかもしれませんが、それ以上に深い関係になったり、心を通わせることはきっとできなかったと思います。

2.AI時代に生き残れる子どもを育てる

これも何度も書いていますが、日本の教育は多くの問題を抱えています。その最たる例が、約150年間教育のモデルが変わっていないということです。教師が延々としゃべり、生徒はひたすら暗記する。考える機会も自分の意見を言う機会も与えられずに学校教育が終わっていく、という教育スタイルはまだまだ日本に蔓延っています。

戦後復興のための大量生産社会を支える人材を育成するにはこの教育スタイルは非常に合理的でしたが、世界がドラスティックに変化した今、社会に必要な人材は「与えられた課題を愚直に取り組む人材」ではなく、「自分で課題を発見し、解決できる人材」です。その前提に立てば、当然学校教育も変わらなければならず、正頭先生はある意味その理想的な教育を実践している教師の一人です。

また、正頭先生は「これからは『レアキャラ化』が求められる」とも言っていますが、これも日本の教育へのアンチテーゼです。日本の教育(文化)においては均質性、同一性が強く求められます。ただし、これからの社会はこれまでの常識が通用しない、常に変化が求められる世の中になっていきます。その中で、「ほかの人と同じ」「普通」な生き方はリスクでしかなく、逆に「他人と異なる」レアキャラ化が大切だということです。

私は日本の社会、そして日本の教育現場には『多様性』こそが絶対不可欠なものだと考えています。自分と異なる価値観や考え方を受け入れることで人も組織もさらに成長することができますし、世界がこれだけグローバル化した今、超均質的な社会で生きていくことは国の成長を妨げる要素でしかありません。

ちなみに多様性を受け入れる教育として思い出深いのが、自分がイギリスの小学校で働いていた時に見た光景です。低学年の子供たちを二人一組にさせ、お互いに向い合せます。次に相手を変えて、クラス全員と同じことをさせます。その後先生は子どもたちに「同じ人はいましたか」と聞き、子供たちは「いない」と答えます。先生は続いて「では、考えていることは一緒ですか。違いますか。」と聞き、子供たちは「違う」と答えます。見た目も考えも異なる人間同士なのだから、自分の考えはきちんと言葉で伝えないと相手には理解してもらえない、という彼らの文化(コミュニケーション)の原点を見た気がしました。

我々は一昔前のように国内だけでビジネスが成り立っていた社会で暮らしているわけではなく、あらゆる点において世界とつながったグローバル社会で生きていかなければなりません。その中で我々の社会に欠乏している『多様性』は学校教育においてもキーファクターになると思っています。

最後に正頭先生の言葉を引用して、今回のnoteを締めたいと思います。私も自分のできることを全うし、日本の教育界のチェンジメーカーになりたいと思います。

GTPのドバイでの授賞式に出席してあらためて強く感じたのは、世界では教育者は尊敬される存在であり、優秀な教師はヒーロー、ヒロインとして憧れの対象であるという事実。そして世界中で求められている教師とは、教育の改革の担い手となるゲームチェンジャーであり、チェンジメーカーであるということです。


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