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ドラゴン桜公式副読本 16歳の教科書~なぜ学び、なにを学ぶのか~

ドラゴン桜は1・2と全巻読みました。ドラゴン桜2については1年ほど前に以下のnoteに感想をまとめてます。

こちらの公式副読本は1・2と2冊あるのですが、一気読みしました。1はテーマが『なぜ学び、なにを学ぶのか』、2は『「勉強」と「仕事」はどこでつながっているのか』というテーマで、各業界の第一人者たちが今を生きる16歳たちに向かって大変示唆に富んだ話をしてくれています。

1のラインアップは以下の通りです。

開講の辞 桜木建二 なぜ学び、なにを学ぶのか
1時限目 国語 金田一秀穂/絵筆のように言葉を使おう
2時限目 数学(計算問題) 鍵本聡/数学力とは「真実を見抜く力」だ!
3時限目 数学(図形問題) 高濱正伸/数学が「見える」ってナンだ!?
4時限目 英語 大西泰斗/考える前に、感じてみよう!
5時限目 理科(物理) 竹内薫/紙飛行機で「世界」を飛べる
6時限目 社会 藤原和博/「情報編集力」を身につけよう
課外授業 心理 石井裕之/「自分という他者」を味方につけよう

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000208071

私が知っていたのは金田一先生、高濱先生、大西先生、藤原先生の4人だけでしたが、いずれの方も大変示唆に富んだお話をしてくださっており、16歳の高校生ばかりではなく、大人の私も感銘を受けることが多く書かれていました。その中で特に印象に残った部分を引用したいと思います。

数学の「見える力」と「詰める力」(高濱先生)

僕はいつも、数学には「見える力」と「詰める力」がある、と言っています。数学力と呼ばれるものの正体はこの二つだ、と。
まず「見える力」とは、まさに図形の補助線が浮かぶような能力のことです。具体的には、次の4つに分けられます。
①図形センス・・・何もないところに補助線が浮かぶセンス
②空間把握力・・・立体の見取り図、断面図、投影図、展開図がイメージできる能力
③試行錯誤力・・・じっと固まらず、手を動かして試行錯誤ができる能力
④発見力・・・既成の枠にとらわれず、大胆な発想ができる力

一方「詰める力」とは、一言でいえば論理的な思考力と、最後までやり遂げる意思や気迫のことです。こちらも、次の4つに分けられます。
①論理力・・・論理的整合性に敏感で、一つも破綻のない考え方ができる能力
②要約力・・・「要するに何を問われているのか」を理解し、的確にこたえられる能力
③精読力・・・一字一句、読み落とさない集中力
④意志力・・・自力でやり遂げたいという強い気持ち

こうやってピックアップしてみると、数学がどのような能力を鍛える教科なのかわかるのではないでしょうか。
数学(算数)は、「考えることそのもの」を扱う教科です。

高濱先生は「はなまる学習会」の創設者として有名ですが、私もこれまでにいろいろな番組や記事で彼の話を聞いたり読んだりして、非常に共感を覚えました。(たとえばこんな記事)

その高濱先生が提示する「数学」の定義が私には新鮮で、とても印象に残りました。

数学力というと、とかく計算力や図形を読み取る力などの表面的な力だと考えがちですが(私がそうでした)、試行錯誤できる能力や精読できる能力まで含まれるなんて考えたこともなかったですし、目からうろこでした。

現代は第4次産業革命を受けて、「数学の時代」などと言われたりもします。それが単純に数学ができる(数学の問題で点数が取れる)力ではなく、不確実性にあふれたこれからの時代を生き抜くうえで必要なスキルを培うための手段が『数学』なのだということがよくわかりました。

英語は「並べる言語」。パターンに感覚が通っている(大西先生)

英語にはね、どこにでも「感覚」が転がっているんです。至るところ感覚だらけ。機械的にできていることなんて、なにもない。規則で「決まっている」ことなんてありはしないんです。どんな表現にもどんな単語にも感覚があるけど、最も大切な感覚、英語を勉強するうえでどうしても不可欠な感覚と言ったら、それは「並べていく」感覚でしょう。表現を配置して文を作る感覚です。ここが日本語と一番大きく違う部分ですから。

たとえば、I gave Mary a present.という文で考えてみましょうか。もちろん意味は「メアリーにプレゼントをあげた」ってことですが、位置を変えてI gave a present Mary.となると、もう全く意味が通じない(プレゼントにメアリーをあげることになっちゃうからね)。英語というのは位置の言語なんです。表現をどこに置くかがとっても重要な言語なんですよ。

おそらく英語教育関係者で大西先生を知らない人は少ないと思います。私が大西先生を知ったのは大学生時代(外国語学部英語学科に所属していました)で、下記の本を読み、大変感動しました。

これを読んだ後、すぐにこちらも読み、それまで謎でいっぱいだった前置詞の感覚を体得しました。

ちなみにレビューにも書かれていますが、出てくる例文は品のないものばかりです(笑)それは大西先生を知っている人ならわかると思うのですが、彼はまったく大学教授らしくない、超軽いノリの人間です。ただ、私はその軽いノリが好きでしたし、下記の本の出版記念イベントに参加したこともあります。

私の英語の授業は多分に大西先生の影響を受けていますし、上記の本に載っている冠詞(aとthe)の問題などは今でも授業で使っています。

きみの未来は「違和感」の中にある(大西先生)

もしみなさんが「あれ?なんでこんなことが見過ごされているんだろう」って思ったとしたら、チャンス到来。その違和感を握りしめてほしいんだ。誰もが見過ごしている大きな穴ぼこ、そこに違和感を感じる「感度」自体が、皆さんの個性だからです。
政治に違和感を感じたら、素通りしないでその違和感を追求してみる。もしかしたらそれが契機で政治学を先行することになるのかもしれない。ひょっとしたら将来、政治家や新聞記者になるかもしれない。
英語の文法ってなんか変だよな。そう違和感を感じたら、立ち止まって考えてみる。やがては僕のように言語学者や英語教師になるかもしれない。
自分の心に宿った小さな違和感、小さな不本意、小さな不自然。それを放置しないことだよ。虫眼鏡で拡大して見極めるんだ。その問題意識の中にこそ、大切な「ほんとうの」自分が住んでいるんだからね。
僕はそうやって、今の仕事にたどり着いた。

大西先生はチャラいだけじゃなくて、アツい先生でした(^^)

最後に藤原先生。藤原先生は東京都で初の民間出身の校長先生で、杉並区和田中で様々な改革を起こし、話題になりました。私も彼の著書やスピーチなどはたくさん読み聞きしましたが、中でも「よのなか科」という取り組みは当時(2003年就任)はなかなかセンセーショナルな取り組みでした。

「情報処理力」と「情報編集力」(藤原先生)

さて、正解が一つしかない問題を前にしたときに必要とされるのは「情報を上手に処理する力」、つまり「情報処理力」です。
これはジグソーパズルを組み合わせていくような能力のことで、パターンさえ覚えてしまえばパパパっとできるようになる。
じゃぁ、正解が一つではない問題を前にしたときに、いったいどんな力が必要とされると思う?
まず、自分の知識、技術、経験を総動員して、それらを組み合わせ、自分なりに答えを導いていく力が必要になってくる。ここで導き出すのは、すべてのひとにとって「正解」ではなく、あくまで自分なりの「納得解」。
この力のことを僕は「情報を編集する力」、つまり「情報編集力」と呼んでいます。
正解主義の情報処理能力とは、決められたパターンを決められた場所に埋めていく、ジグソーパズルのような能力のことだったよね。
これに対して、情報編集力はレゴブロックで遊ぶ時の能力なんだ。
つまり、自分の手で組み合わせ、自分で何らかの形でつくりあげていくような能力のことだとイメージしてください。

日本の教育ではこれまでに答えが一つしかない問題ばかりを扱い、それらが得意な生徒ばかりを育ててきました。藤原先生の言うところの「情報処理力」が高い人間ばかりを育成してきましたが、ご存じの通り世界は第4次産業革命を経て劇的に変化しました。これからは解なき問いにあふれた世界
を生きていかなくてはならず、「情報編集力」を身につけ、その力を発揮していかなければ活躍のできない社会が待っています。このような前提の上で、「情報処理力」と「情報編集力」の両方をバランスよく併せ持つ人材が求められていますし、教育もそのように変わっていかなければなりません。

ひとりで解決しようとしないこと

もしも僕がネットワークを持たない一人きりの人間だったら、「よのなか科」はなにもできない。自分の知識と技術と経験だけで勝負しても、ダメなんですね。
ところが、学校って正解主義で9割は正解を教えられるよね。
しかも「カンニングするな」と言われる。
すると、みんなひとりっきりで正解を出さなきゃいけないと信じることにある。
でもね、実際に社会に出たときに、一人っきりで正解を出すなんてことは無理なんだ。それでみんな、社会に出てから戸惑ってしまうんだよ。

日本の学校教育は今でも本当にたくさんの問題を抱えていますが、その中の一つとして「学校教育は社会と断絶している」ということが挙げられます。ブラック校則などもそうですが、社会に出たらありえないようなルールや慣習が今でも普通に続いていることを由々しき問題だと思っています。

藤原先生が言うように、社会に出て一人だけで問題を解決しなければいけないということはほとんどありません。どんな仕事であろうと人と関わらずに生きていくことはないですし、そもそも人は一人で生きていけません。学校というコミュニティの中でもっと多くのコミュニケーションを作り出すことはとても大切です。ちなみに日本は先進国の中で最も自殺率が高い国とされていますが、この「ひとりで正解を出さないといけない」という価値観は、もしかしたらこの高い自殺率の遠因になっているのかもしれません。

まとめ

自分が16歳の時は何も考えず生きていた気がしますが、この本を読んでいたら少しは「なぜ学び、何を学ぶのか」ということを理解し、その後に役立っていたかもしれません。本書に登場する方々のような大人たちに16歳で出会えたら幸せだと思いますし、自分もそんな大人の一人になりたいと思いました。

最後までお読みいただきありがとうございました。続編に続きます。



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