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題:吉本隆明著 「初期歌謡論」を読んで

吉本隆明の著作本は「共同幻想論」や「言語にとって美とはなにか」などを読んでいる。「共同幻想論」では「対幻想」など具体的な共同体における幻想について論じていたはずである。「言語にとって美とはなにか」では説明的な文章としての「指示表出」と自らの高揚とした感情や思想をあらわす「自己表出」なる文章に分け、これらを「構成」と称し、表出空間としてまとめていたはずだと記憶している。なにせ多読家なのか、作品からの引用文が多くて読むのに悩まされたはずである。

この「初期歌謡論」も歌謡、短歌、それにその隠喩などの引用やその説明が多すぎて、読むのに悩まされる。こうした内容は記述しない。また、「竹取物語」の叙事詩的な記述の指摘も、渡辺実著 「平安朝文章史」にも同様の記述があり、これについても論じない。私はあっけらかんとした、言い換えれば赤裸々に感情を表現した「記紀歌謡」が、どうして「万葉集」や「古今和歌集」に移行するに従って、繊細な心の内の表現になったのか、その点にのみ関心があって、この関心に関連したことのみを感想文として記したい。本書は「共同幻想論」や「言語にとって美とはなにか」よりも論理性は薄くて茫としているが、この関心を持つ点についてはある程度明確に指摘し記述している。本書は「共同幻想論」や「言語にとって美とはなにか」よりも論理的な枠組みが初めから薄くて、それでいて結構内容が深くて、私にとって著者の中では一番好ましい著作物である。

『未明の共同体の宗教的な主催者は、特殊な素質と修練をへて、憑依状態を手に入れた。そこで発した緊迫した宣託のたぐいが、歌の起こりだった』であり、「祝詞」である。なお、この時、適宜に言葉を重ねてゆけば自在な意味を持たせることができた和語が漢字へ表音表記された時、漢字の持つ承継的なイメージ自体が付け加えられことになる。これは和語の<聖化>のはじまりであり、<聖化>も律文、韻文化へのひとつの契機と解すれば、歌の萌芽があったと言えると著者は主張するのである。なお、首長(部族の長)の神格化には和語の意識から漢語の表現への上昇が不可欠である。ただ、和語を漢語で読み下す時、村人と首長たちのあいだで文化のおきてに対する距離感が広がる。こうしてこの距離感が極限にまで達した時、和語でもない漢語でもない、表音でもない表意でもない第三の和語脈が形成されたとする。この和語脈が律文の意識に適合していったのである。こうしてみると「記」、「紀」のなかにも歌謡ではないけれども、そうした表現が見受けられると著者は主張している。

なお、『記紀の編者たちが、口誦や氏族の記録のたぐいを、時代のもっとも高度な水準で集成した時には、和語そのものがすでに基礎構造を、大部分失うように変貌していた。だから記紀の和文脈を、和語の始原をもったものと想定することはできない。すでに遠い時間がそのあいだに経過している』のである。こうして著者は折口信夫の稱(トナ)へ言(ゴト)を取り上げ、遠い祖先の時代にあったこれらがものがたりへと移り、今でも神主のとなえる祝詞となっていると言うのである。この稱へ言のある部分が諺となり、ものがたりの肝心の部分が歌となったとの主張に著者は賛同している。諺は祝詞の主要部分であり、これが歌の発生に結びついているのである。なお、和語は具象性を特徴とする言語であり、語の〈畳み重ね〉によって自在にひろい対象の〈空間〉を指す語を作れる言葉であることは注意しておきたい。

『記紀の歌謡は、すべて新しいもので、とうてい文字のないところで即興的に歌われ伝承されてきたとはいえない高度なものというべきだ』との著者の主張は重要である。こうして著者は賀茂真淵の考えを引用して、歌のはじめを「八雲たつ・・」ではなくて、伊須気余理比売と大久米命の応答歌にすることに賛同する。「八雲たつ・・」は、比喩が高度なことと、五・七調のためである。初期の歌は短く、四言であるらしい。この歌の一部を以下に示す。
「あめ鶺鴒(つつ) 千鳥真鵐(ましとと) など黥(さ)ける利目(とめ)」
「媛女(おとめ)に 直(ただ)に逢(あ)はむと 我が裂ける利目」

歌は心の表現で始まり心の表現で終わるのではない、自然(事物)をまず人間化して心の方に引き寄せ、次に心の表現と結びつけるのである。こうした「こと」と「こころ」が歌の歴史にはある、またそれ以前には詩句の繰り返しが盛んに行われている。また儒教倫理の影響も加わってくる。こうして著者は俊成の「古来風体抄」や壬生忠岑の「和歌体十種」などに基づき、なおかつ「記」、「紀」、「万葉集」、「懐風藻」、「古今集」の間の成書を紐解いて、歌体を論じるのである。なお、初めに『古今集が古来の短歌謡から美的なものを選び取っていわゆる和歌をつくりあげたように、新古今集は古今集によって成立した和歌の美的な根拠に、形而上学的な色合いを与えようとしたといってよい』との著者の主張は引用しておく。即ち、形而上学とは心の境地を歌の表現を媒介にして苦吟して求めて表現を練り上げることであり、この時、得られた境地は幽玄であり有心なのである。こうして、いろんな歌体を示し論じているが省略する。
ただ、新古今集における絢爛豪華な和歌の世界、と言うのはたわ言に過ぎないと著者は述べる。『俗謡、歌曲のような大衆今様の世界に浸透されて解体寸前といってよかった。歌人たちは主題を純化して、かろうじて和歌の世界を支えていたのだといっていい。ここに新古今集が〈古今的なもの〉が終わったところから、新たな虚構の世界を築いた意味があった』と言うのである。郭公の歌を例にとり述べているこの文の虚構とは幽玄や有心とは異なった、空無な世界における心のつぶやきである。こうした著者の主張は新古今集の捕らえ方の難しさを象徴している。なお、万葉的な短歌謡が古今的な和歌の世界に移行するのは、他者のかげに配慮して心を述べる姿が、形式の上でも内容のうえでも他者のかげを払ったためである。自分の心の動きとして世界を区切り、自分の心を見ている自分が居るためだけなのであるとの指摘はなるほどと思わせる。

こうしてみると、短歌謡はたくさんのものを漢詩に委ね、そして和歌は『自然との即物・即事的な交感の表現をうしない、公的な場面から退けられた歌は、疎外された知識層(下級官)と儒教倫理によって後景に除けられた女官の層によって、詩的な叙情ニュートラルな自然観照に活路を見出していった』のである。無論、嵯峨天皇、宇田天皇のような文化の推進者の存在の有無と言った、政治的な影響もある。著者は「あとがき」で和歌形式の連続性を統一的に捕らえ論じること、枕詞などの解剖による詩の理論の確立が願望でありながら、肉薄はできずともそれなりに近づくことができたと述べているが、その通りである。私にも、今まで分からずに困っていた古代歌謡からの歌の連続性がなんとなくであっても、身近になり分かるのである。

なお、この古代歌謡からの歌の連続性をきちんと本感想文では記述できないでいるが、単純に言えば、和語の経緯と祝詞、それに四言が歌の成立の初めにあり、その後、記紀歌謡をはじめとした歌謡集などが編纂されていったということであろうか。これらの詳細について知りたければ、本「初期歌謡論」を読んでいただきたい。

以上

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詩や小説に哲学の好きな者です。表現主義、超現実主義など。哲学的には、生の哲学、脱ポスト構造主義など。記紀歌謡や夏目漱石などに、詩人では白石かずこや吉岡実など。フランツ・カフカやサミュエル・ベケットやアンドレ・ブルドンに、哲学者はアンリ・ベルグソンやジル・ドゥルーズなどに傾斜。