見出し画像

『谷崎潤一郎の作品紹介と解読 題8回 文章論に文化論』

読んだ本の中から谷崎の文章論に文化論について少しばかりまとめてみたい。初めは 「文章読本」である。

谷崎の文章に対する考え方を表しているのが「文章読本」である。文章の表現そのもの対する記述であって、夏目漱石の哲学的とも言える「文学論」とは根本的に異なっている。漱石の「文学論」は文章の表現に対する考察もあるけれど、小説における認識と情緒の関係性を礎とした考察である。では、さっそく谷崎の「文章読本」が何を記述しているか、目次から見て行こう。

1 文章とは何か
 〇言語と文章 〇実用的な文章と芸術的な文章 〇現代文と古典文
 〇西洋の文章と日本の文章  
2 文章の上達法
 〇文法に囚われないこと 〇感覚を研くこと
3 文章の要素
 〇文章の要素に六つあること 〇用語について 〇調子について
 〇文体について 〇体裁について 〇品格について 〇含蓄について

この目次を見れば、谷崎の記述しようとすることが容易に分かる。そして谷崎は明晰な文章にて言わんとするところを的確に述べている。言語の表す曖昧性や言語が思想に形態を与える点など、当時としては斬新な発想であったかもしれない。特に、分からせるように書くという点に重きを置いている。更に音楽的効果や視覚効果について述べている、最後には句読点の打ち方などの体裁や文章の礼儀上の品格、そして含蓄に至る。谷崎自身の文章の含蓄とも言える。この「文章読本」を読むと、谷崎の文章に対する気配りの周到さ徹底さが際立っている。

細かな点を述べるより、谷崎の考え方は、例文としてあげ論じている文章を示せば手っ取り早く理解できるであろう。ただ、例文は示さないので、本書などを読んでもらいたい。まず、志賀直哉の「城の崎にて」の蟻の死骸を見て書いた文章を「気持ちと様子とを見て取れる」とても優れた文章と言う。また、実用文書と同様に簡単な言葉で明瞭に描き出していると捕らえて高く評価する。実用文書とはきっとビジネスなどで使用する簡明なかつそつのない文章で書かれたものなのだろう。また、この文章は寂しさという言葉が繰り返されているが簡明であり胸を打つと言っている。こうした視点は、谷崎が長い文章で句読点を多用して書いていることを思うと意外の感もある。でも、短い文章はすっきりとして分かりやすくリズムがあるのも確かである。解説では吉行淳之介が寂しさの繰り返しの多さを指摘し、余韻を好む谷崎がこの文章を好むことが、そもそもおかしいと述べている。確かにそれほど良い文章でもない。この「城の崎にて」の文章はその後も何回も取り上げられている。他に取り上げられ褒めるべき文章がなかったのだろうか。如何とも不思議なことである。というより、谷崎の文章と比較して極端に反対側にいる志賀直哉の文章が強烈な印象を与えて、谷崎には好みの癖のない平明な文章と即断したのだろう。

次にテオドール・ドライザー氏の長編小説「アメリカの悲劇」の日本語への直訳文、意訳文示して翻訳の難しさを言う。次に源氏物語の「須磨の巻の一節」の英人アーサー・ウェーレー氏の英訳分を取り上げて、優れているけれども細かく書き過ぎて冗長だと言う。いずれにせよ翻訳はいろいろな意味を含むユトリのある言葉使いをした方が良いと結論づけている。次に谷崎自身の「鮫人」を取り上げ主格の取り扱いを、上田秋成の「雨月物語」の開巻第一の「白峰」の主客の非明示と比較して主格の表現の多さを指摘している。主客を非明示した「白峰」のほうが名文なのである。

次に谷崎は、西鶴の艶隠者巻の三「都のつれ夫婦」の色気に富んでいるが長くて癖のある文章に対して、森鴎外の「即興詩人」を癖のない平明な文章として紹介している。結局、文章は歯切れの悪いだらだらした源氏物語派と簡明な響きのある非源氏物語派に分かれ、文章を上手にするには感覚を研き文章をできるだけ多く読み、できるだけ多く記述するのが良いと結論づけている。さて、文章の六要素(用語、調子、文体、体裁、品格、含蓄)のうち、用語は分かりやすいものを選び、調子は即ちリズムは当然として、文体は講義体や口上体、会話体などがあるしたうえで、品格と含蓄を述べているそのことが谷崎独特の文章論と言える。

品格とは饒舌を慎んで言葉使いを粗略にせずに、敬語や尊称を疎かにしないこと、更に『われわれは、生の現実をそのまま語ることを卑しむ風があり、言語とそれが表現する事柄のとの間に薄紙一と重の隔たりがあるのを、品がよいと感じる国民』なのであり、意味のつながりには間隙を置く必要があるとする。間隙があることが重要で、これは表現を内輪にして物事の輪郭をぼやかせる手段を取ることである。この例文として昔の書簡文を示して、谷崎自身が過剰文章に線を引き添削している。また、不足文章を補っている例もある。この含蓄や意味の隙間こそが谷崎の文章論の真骨頂なのだろうと思わせる。ただ、文章は感覚を研いてできるだけ多く記述する以外に上手くなる方法がない、更に気を配り文章を記述したければならないと主張する。このように谷崎の文章論は、夏目漱石の思いのままに言葉を用いて書く、時には造語を用いるのとは、まるっきり思考の具合が異なっている。谷崎の文章論には敬意を表する、ただ格式が高そうで私などは敷居を跨ぐのさえ怖そうに思われる。というより、相当の量の単語や用語に幅広い知識が要求されると同時に、記述する際の用意周到さや注意深さが求められていることでもある。

随筆の「陰翳礼賛」も、結局は文章論における表現を内輪にして物事の輪郭をぼやかせる手段との考え方であろう。なお、陰翳とはうすぐらいかげを意味する。この「陰翳礼賛」は、「陰翳礼賛」、「懶惰(らいだ)」(怠けること)、「恋愛及び色情」、「客ぎらい」、「旅のいろいろ」、「厠のいろいろ」の六つの随筆からなる。先に書いたように陰翳こそが日本文化の原点であるとの主張が含まれて、それぞれの題に従って連想を展開させて、多岐にわたり思うままに記述している。内容に関心のある話題もあるが、その内容は紹介しない。ただ、「厠のいろいろ」における「厠」は、「武州公秘話」における河内介(幼少時の法師丸)と桔梗の方とを繋げる場所でもある。それも高貴さを醸し出すために砂の代わりに翅を敷いたという点も確か同じで内容であり、その内容が好都合に展開されているのを知って幾分面白みを感じた。なお、「源氏物語」にも便そのものを高貴に見せるために姫君が苦労した話があったはずである。自らを気高く見せるために、あらゆるものに気を配って細工するのは、恋心の成就のためばかりではなくて、何かしらの自尊心や虚栄心が含まれていて、苦労する人も多いのである。

「陰翳礼賛」なる随筆は一つの思いに繋がって連想することがらを、筋を転がし展開するように長い文章で書いている。こうした文章を読むのは疲れてくる。夏目漱石の「硝子戸の中」は日常の細かな出来事を小さな感情と事実で綴っている。無論、漱石であるから短文で歯切れがよい。こうした随筆の比較は随筆を読む本人の感性に合うかどうかだから、事細かに話しをしても無駄であろう。私は漱石の随筆の方が断然好きである。谷崎も自らの文章よりも、癖のない平明な文章を好んでいるなら、もう少し簡潔な随筆に書いて欲しいものである。

「夢の浮橋」なる文庫本は「夢の浮橋」だけが小説で、「親不孝の思い出」、「高血圧症の思い出」、「四月の日記」、「文壇の昔ばなし」が随筆である。「幼少時代」はすべてが随筆で約20作品ある。これらの随筆は先に述べたように谷崎自身の経験を文章に表したものである。以前、高名な人物たちの随筆を何冊か購入して読もうとしたところ、まったく読めなかった。随筆とは人の体験を追体験させるものであるから、感性、趣味、文体などが合わなければ読まずに捨て置くだけである。つまらない他人の体験ほどつまらないものはない。つまらない人の話を永劫に聞いているのと似ている。そういう意味では先の述べたように夏目漱石の随筆は好きで読むことができる。「硝子戸の中」などは話が関心を引き読ませる。いわゆる随筆の筋や文章のテンポ、それに表現の簡明さと奥行きなどの書き方が読む読まないの分かれ道になるのかもしれない。谷崎の知識の披露と長い文体が興を削いでいる。それに漱石のように出来事に基づいたある種の謎や緊迫感を含んでいない。漱石の場合、推理小説が好きだったようで謎を含んで出来事と心理が推移していく、その書き方が良かったのかもしれない。作者の心理が緊迫して謎を含んで出来事が意味を、もしくは無意味を含んで話が進んでいて味わい深いのである。まあ、こう言ってしまえば身も蓋もなくなるが事実そう感じるのだから致し方ない。

そのため「幼少時代」は表の表紙の紹介文を掲載するだけにしたい。『江戸の面影を残す明治中期の東京下町に生まれ育った谷崎潤一郎が、生い立ちから小学校卒業までの暮らしを愛着をこめて描き出した回想記。団十郎や菊五郎の芝居見物、少年の日の読書など、谷崎文学を読み解く話がいっぱいつまっている』こう記述されると小説作品を読み説くには、作家の経験を知っておくことが必要と思われるが、まあ、読書は作家論を書くために読んでいるのではなくて、面白いから読んでいるのであって、その延長線上に作家論がある。いわゆるエクリチュールに基づいた解読が可能であり、それが作家論になる。それにそもそも随筆が露出趣味に基づいたものであってはいけない。何かしらの作品でなければならない。読み応えがなくてはいけない。こう言えば、なぜ自らの人生をたくさん書き切らなければならないのだろうと思う。人間は個体として生きている、その個体の記憶を昔から呼び戻してなぜ記録しなければならないのだろうとつい疑念する、雑な思いが生じてくる。個体とは基本的には自らも他者からも終には忘却される存在なのである。

こうした思いは個々人にて違っているのは当然である。どうしても人間は消尽してしまうのであるから、固有名詞はn番地へと飛び地して掻き消えてしまうものと思っている私には自らを語ることなど理解不能にもみえる。個々人の記録など必要ない。立派な墓もついえてしまうのである。墓地に行くと本当に立派な墓があって固有名詞が厳然と聳えているのを見ると、なんとなく阿保らしく思われる。柳田国男によると死んだ人間は三十年を経て忘れられることによって神になることができる、なんてこともどこかに書いていたと記憶している。神になってもならなくとも、いわゆるすべてが忘却の彼方に消えてしまうのである。従って墓碑にたくさんの名前を刻んでも、あまり意味のあることとは思われない。個々人とは常に死んで忘れられる者たちである。悲惨などの出来事も最後には関与しなくなる、ただ生きていた人間が死んで物質として解体するだけである。これは古今の真理である。なんて、思うに任せて書いていると随筆っぽくなるからもうやめよう。まあ、未来へ記憶として残る人はほんの数えるほどしかいないはずである。

文化論では「蓼食う虫」に浄瑠璃文化がとても詳しく書かれている。また「細雪」では花見や蛍狩りなどの日本的な文化が興を添えている。こうした文化の語りは知識であり、見て興ずるには行動を起こすことである。文章に記述すると追体験ができる。でも、こうした文化を記述してもそれほど意味があるわけではない。無論、否定するわけではないし興味のある方はぜひ谷崎の文章を参考にするとよい。桜見物や蛍狩りなどの谷崎の文章は趣があって心惹かれる名文である。谷崎が日本文化を大切にしていたことだけを示したい。その最も冴えた結果が「谷崎源氏」なる古文の現代語訳である。この谷崎の訳文はきっと良い。出だしを読んでみると思わず引き込まれる。「陰翳礼賛」の思想を持つためか、主体や時空間を曖昧にして具体性を補って訳した与謝野源氏とは異なっている。ただ、やはり好みの問題もある。そこで池田彌三郎の解説から引用して谷崎源氏と与謝野源氏の具体的な文章として示したい。なお、谷崎には長年にわたって「源氏物語」を現代語に訳していたが、旧訳、新訳、新々訳の三通りある。引用は「空蝉」の冒頭の文である。どちらが良いかなど判断は読む人によって異なるであろう。

[本文]ねられ給はぬままに、われはかく人に憎まれてもならはぬを、こよひなんはじめて憂しと世をおもひしりぬれば、はづかしうて、あがらふまじくこそ思ひなりぬれなどのたまへば、涙をさへこぼして伏したり。いとらうたしとおぼす。

[新々訳]お寝みになれませんので、「私はこのように人に憎まれたりしたことはないのに、今宵始めて世の辛さを知ったので、もう恥ずかしく、生きている空もないような気がして来た」などと仰せられますと、涙さえこぼして臥ています。たいそう可愛らしいと思いになります。

[与謝野源氏]眠れない源氏は、「私はこんあにまで人から冷淡にされたことはこれまでないのだから、今晩はじめて人生は悲しいものだと教えられた。はずかしくて生きていられない気がする」などというのを小君は聞いて涙さえこぼしていた。ひじょうにかわゆく源氏は思った。

こうした文章を振り返ると、主語を明確に示した与謝野源氏のほうが分かり良いとも思われる。たぶん、例文が一部の切り張りで良くないためと思われる。「源氏物語」の巻頭などから引用すればまた違った結果になるはずである。現在の国語の教科では、小説よりも論文なる論理的な文章に重きを置いているので、谷崎源氏が陰翳を好んでいて趣があっても与謝野源氏も捨てがたい。やはり文章は明確に伝わるのが良いのである。小説的な文章は好みの問題で、論理のほうに重きを置きたいと思っている私は結局谷崎源氏のほうが良いと断言できない。こうした谷崎の「文章論や文化論」は、随筆などを中心にしてたくさん記述されていて、それを丹念に調べて結論を出すには結構難しいので、このくらいの記述にしたい。次回は谷崎の「精神性と肉体」について述べたい。

詩や小説に哲学の好きな者です。表現主義、超現実主義など。哲学的には、生の哲学、脱ポスト構造主義など。記紀歌謡や夏目漱石などに、詩人では白石かずこや吉岡実など。フランツ・カフカやサミュエル・ベケットやアンドレ・ブルドンに、哲学者はアンリ・ベルグソンやジル・ドゥルーズなどに傾斜。