[最初から]ゾンビつかいの弟子 5章(後半)

(約10000字 / 読むのにかかる時間 : 約20分)

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こちらは「ゾンビつかいの弟子」本連載ではありません。今後の投稿スケジュールはこちら


五章(承前)

3.

雨が降っている。
真夜中の雨だ。

レポートは終わっていなかったが、僕は諦めてそこまでで区切った。

カーテンを少しだけ開ける。雫が窓の外を伝っている。
濡れたくないな、と反射的に思ってしまい、僕は去年の野宿でついた癖がこんなところにまだ残っていたことを知る。

あの一時期は雨に降られるたびに、濡れながら屋根のある場所を探していた。空に雲が増えてくると、今夜の寝床をどうしようか、と悩んだ。見極めを間違えてずぶ濡れになったとき、数田はちょっと嬉しそうな顔で「伊東君の金で宿に入ろう」と言ったものだ。神白は必ず、「すみません」と言った。もっと早く宿に入る決断をすべきだった、という意味での謝罪だったのだろうが、なんとなく「雨を降らせてすみません」くらいなニュアンスに聞こえてくることがあって、おかしかった。しまいには数田まで、「じゃあ雨を止ませてくれ」と返すのだった。

清水先輩の撮った動画は数日の間にサークル内を一周した。神白が笑いながら土下座したとき、相当面白かったはずなのだが、動画で見返すとさほどでもない。なんと言うか、この画面の向こう側の連中だけが楽しいんだろうな、という、冷めた疎外感をおぼえる。『向こう側の連中』には、僕自身も含まれているのに。

「コントかよ」と塚田さんは鼻で笑った。他の人達の反応もだいたいそんな感じだった。乗ってくるときは全力だが、飽きるのも早い。これは、このサークルに、もしくは、この大学に特有な空気感なんだろうか?

雨音を聞きながら、僕はもう一度、あのパチンコ屋の跡地で起きたこと、起こっていること、これから起こりそうなことを慎重に順番に振り返った。

それから、去年の長旅でよく知っているはずの神白の性格と、もらった手紙のことを考えた。

試験や自動車教習の日程も考え合わせると、自由に動ける日はかなり少ない。

行くなら、もう行かなければ。

翌日は木曜だったが、僕は級友たちに『代返』を頼んで、S町方向へ向かう電車に乗った。

車で行くよりも遥かに時間と手間は掛かったが、2度の乗り換えの末、駅から温泉施設へのシャトルバスを捕まえて、昼過ぎには『セントラル・プラザS』にたどり着くことができた。

前夜の雨のせいで、駐車場跡地はますます悲惨な現場になっていた。はっきり言って、もう一歩も踏み入れたくない感じだ。長靴で来るべきだったのかもしれない。

「また来たの」玄関から坊主頭の青年が顔を出し、迷惑そうに言った。

「神白いる?」

「いるけど」

「2階?」

「うん」

「じゃあもう、そっちから上がるね」
僕は外付けの非常階段のほうを指した。

坊主頭は「うん」と「ふん」の中間くらいの生返事で、興味もなさそうにまた建物内へ引っ込んだ。

2階は、立体駐車場になっていた。屋根があるが、壁はほぼ無い。建物の裏手に樹々の生い茂る急斜面が迫っており、この巨大なベランダのような形の2階からは、確かにその『森』をよく見渡せた。

神白は手すりに身を乗り出すように預けて、じっと森を観察していた。

今日はバンダナをつけていない。Tシャツはよく分からないピンク色で、クタクタになったジーンズを履いていた。

「いたよ」
神白は僕の足音を仲間の誰かと思い込んだのか、振り返らずに言った。
「いたけど、駄目だね、たぶん獲れない」

「神白」

「え?」
神白は振り向いて、一呼吸置いてから笑った。
「何してるの? あれ? 伊東君だよね?」

「なんだそれ」僕は吹き出した。「僕は伊東だけど」

「いや、偽物かと思った。ああ、びっくりした。来てたの」

「今来たんだ」

「先輩は?」

「今日は置いて来た」

「なんだよ、残念だなあ」神白はまた手すりに乗り出して森を眺め始めた。

「残念って何」と僕は言った。

「楽しかったのに、あの先輩」

「また来るって言ってたよ。今度は温泉に入るって」

「ああ、あそこいいですよ。露天風呂、広くて」

「神白、こっちを見ろ」と僕は言った。

「僕、今、忙しいんですけど」

「僕はもっと忙しいんだよ。今日は本当は講義が5コマあったんだ」

「大変そうですねー」神白はものすごい棒読みで返事をした。

「こら」僕は神白の背中をどついてやろうかと思った。「なぜ手紙を出した? 僕に用なんじゃなかったの?」

「えっと……近況を知らせとこうと思って」神白は背を向けたまま言った。「それに、伊東君の近況も知りたかった。お母さん、見つかった?」

「ああ、僕が帰ったら、もう帰ってた。道路の封鎖に巻き込まれたとかで」

「それは良かった。ずっと心配してた」

「嘘つけ。ずっと忘れてたの間違いだろう」

「いや、そんなことはないよ」と神白は言った。「ただ、連絡取れるとはあんまり思ってなかったんだ。君は中国へ行くと言ってたから」

「ああ……。彼女には、捨てられた。付いて来るなってさ。恋人になるのも、お断りだって」

「ショウコさんらしいね」と神白は言った。

「ちょっとさ、人がふられた話をしてんのに、返しが雑すぎない?」

「伊東君くらいのイケメンでも、ふられることがあるんだね」神白はまるで本気にしていない口調で、「けど女は星の数ほどいるさ。次へ行こう」

「まったく心のこもってない慰めをありがとう。お前を殴りたいよ」

「なに、伊東君、僕に恋愛相談しに来たの? それは人選ミスというものだ」

「誰が相談するか」と僕は言った。「相談があるのは、神白のほうだろう」

「そうかなあ」神白はまだ、森を見ていた。

僕は腕時計を見た。5分間待って、彼が何も言わなかったら帰ろうと思った。

本音を言いたがらない奴に口を割らせる技術など、僕には無い。だから単純に黙っていた。

何かの修行なのかと思うほど、気まずい時間が2分間続いた。
5分も耐えられそうにないな、と思い始めたとき、神白はようやく「あの」と口を開いた。

「伊東君」神白は森のほうを眺めたまま、「僕ね……怖い。怖いよ」

押し殺すような声だった。

「ヤツラが怖い。今、世の中で、起きていることも」

僕は黙っていた。

「トモ君のことを……」神白はそこで言葉を切って、しばらく何も言わなかった。

森から降りて来た風がこちらに吹き付けている。
空気は新鮮で、甘い。風にうねりながら揺れる緑色は目に鮮やかで、ところどころ日光を反射して輝いて見える。

特に用事が無くても、ずっと眺めていたい景色だった。

「トモ君を傷つけた。一生歩けなくした」神白は声を詰まらせるようにして続けた。「許せない。僕じゃなく。僕じゃないもの、僕より大事なものを奪われた。怖い。……許せない。自分が許せないんだ」

「あのさ、その話じゃなくてさ」僕はなるべく控えめに言った。

「その話じゃない?」神白は急に振り返った。「僕、これより大事な話は無いかと思ったんだけど」

「じゃなくて、『アキちゃん』の話をしにきたんだ。トモ君のことはほっとけ。あいつは幸せそうにしてたよ。僕がS駅で見た限りではね」

神白は黙って、すごく不思議なものを見るような目で僕を眺めた。

ああ、この人本当に、馬鹿なんだな。

数田が世話を焼くわけだ。
世話を焼きたくなるような『隙』がある。

「あのさ、神白がもし……今、ここで困っているなら、僕に」
僕は、途中で自分が何を言っているかわからなくなった。
「……手伝えることがないか、聞きにきたんだけど」

「手伝う?」神白の顔に、すごく微かに、何かの表情がよぎった。それは一瞬だけだった。

「君、帰れなくなってない? ここから」

「そんなことはないよ」と神白は言った。

「わかった。じゃあ僕の用事は終わった。今日はもう帰る」

「ゆっくりしてったらいいのに」と神白は少し笑った。

「いや、なんでこんな所でゆっくりしなきゃいけないの。自分ちでゆっくりするよ。マジで馬鹿なんじゃないの」

「わかった、わかったって」

「神白、僕は本当にもう帰るよ。そしてもう、8月までここには来れない。忙しいからね。先輩とまた来るかもしれないけど、温泉に入りにね。いちいち君のために時間は取れないよ」

「僕は君の彼女か何かなんですか?」

「あと、僕はAmazonじゃないんだよ。注文伝票みたいな手紙を送ってこないで。Amazonで買えよ」

「一回くらい、いいじゃないの」神白はちょっと笑いかけてから、急に真顔になって、「あのさ、ねえ……トモ君は、なんで僕の自警団を横取りしたんだろう」

「ああ……」

なるほど。
『帰れない』じゃなくて、『帰りたくない』のほうか。

「横取りされたの? 謀反じゃなくて?」

「裏から煽ったのはトモ君だ。実は、そうじゃないかとは思ってた。S駅であいつとあいつらが一緒にいるのを見て、やっぱりそうだったとわかった」

「まあ、兄弟の持ってるものって、取りたくなるものなんじゃないの」と僕は言った。「もしくは、君が兄貴づらをするからウザくなったとか」

「でも、兄貴だもの」神白は苦笑いした。

「というか、本人に聞かなかったの? 派遣で働いてる間は家にいたんでしょ?」

「向こうは入退院繰り返してたし。そうでない時も、僕が顔合わせないようにしてたから」

「ああ、それ……ひとつ屋根の下でやられるとキツイやつ。僕もやられたことある」

「伊東君、兄弟いたの?」と神白は言った。

「うーん……そっか。言ってないか」僕は溜息をついた。「僕の妹は、死んだんだ」

神白は、僕のほうが申し訳なくなるくらい、戸惑った顔をした。

「ごめん」と神白は言った。「僕、すごく無神経なことを……」

「そんなでもないよ」

「そうか、だからあのとき、彼女と墓地に……。ごめん。本当にごめん」

「え、何、君が殺したのか?」

「知ろうとしなかった」と、神白は言った。

「それはお互い様だ」

神白はしばらくの間、僕の足元の辺りへと目を落として黙っていた。

「僕、ほんとに帰るよ。ほんとに忙しいんだ」と、僕は言った。

「慌ただしいですね。これだけの用事で来たの?」

「君がスマホの料金払わないからだろ。メールで済むことなのに、世話の焼ける」

「すいません」神白はニヤニヤ笑った。「親に交渉したんだけど、ダメで」

「働けよ」
僕は本日いちばん大きな溜息をついた。
「世の中の人はね、みんな働くか学ぶかしてるんだよ。いい歳してなんで親に払わせようとしてんの。中学生か」

「いや、うん、まあ」神白はまだニヤニヤ笑ったまま、「これが終わったらまた働きますよ」

「アキちゃん……」

「何、リューイチ君」神白は面白半分な口調で返した。

「トモ君は心配していたよ、去年。アキちゃんのこと、恨んでいないよ。あと、君のことを弟だと言っていた」

「まあ、言いたきゃ言わせとくさ」と神白は言った。「僕が兄だという事実は変えられない」

「トモ君は生きてるんだ。結構楽しそうだったよ、彼はあれで。君も、もうゾンビのことは忘れろよ。くだらんことしてないで、早く帰って来て。僕はもう迎えに来ないからな」

「くだらんこと、と言ったな」神白は腕組みをして手すりにもたれ、しばらく僕を眺め回した。「……まあ考えておくよ。ありがとう。伊東君、もう帰っていいよ

「……また、そういう、嫌味」

「君が言ったことじゃん?」神白は楽しそうだった。
あるいは、嬉しそう、と言うべきか。

「わかったよ、あの時はごめん。また来るよ」
僕は歩き出した。

「ああ、やだなあ。伊東君が素直だと不気味だ。明日世界が終わるのかも」

神白は非常階段の降り口まで付いて来たが、そこで立ち止まり、
「僕が出て行くと万が一『守る会』に出くわした時、揉めるから。ここで」

「何度も聞いて申し訳ないけど、君たちは何をやってるわけ? 虚しくならない?」

「いや、とても楽しいですよ」と神白は言った。「伊東君もやってみればわかる」

「わかりたくないよ」

帰りのシャトルバスがなかなか来なかったので、僕は温泉施設の周りをブラブラと歩き回って、スマホで景色の写真を撮ったりして過ごした。
高原のふもとの初夏は、ものすごく静かで、平和だった。

化物がどこかにいるとしても、森から出て来ないのなら、そっとしておいても良い気がした。
もちろん、僕自身、その考えは欺瞞でしかないとわかっていたが。


4.

その講義の終盤、僕はほとんど眠りかけていて、周りの学生のどよめきで急に目が覚めた。

講義室はカーテンが閉じられ、照明も全て落とされて、薄暗い中で天井から下がったスクリーンに、パソコンの画面が映し出されていた。
画面中央には動画再生ソフトが立ち上がり、画質の粗い定点カメラの映像が写っている。

狭い灰色の部屋に椅子のようなものがあり、そこに人間風の何かが座っていた。

「今、これが、プログラムを書き換えた直後から映像が始まってます」

谷中というその中年の准教授は、画面の中でマウスカーソルを動かして、その生体ロボットの腹部を示した。

「書き換えは、ここにケーブルを差しこんで、PCと繋ぎます。まあ、マイコンと一緒です。この、部屋はですね、G県の隔離施設ですね。うちで作成したコードを送って、向こうの職員に書き込んでもらって、その結果をこうして遠隔で受け取ります。これ、画像と音声ですが、バイタルのデータも別でもらいます。本当は『本体』を直接、学内に持ってきたいんで、今かなり交渉しているんですが、まあ政治的な理由で難航してますね。

この、遠隔実験は何が一番つらいって、走らせたプログラムにミスとか、バグとか見つかった時、あとちょっとした微調整が必要な時に、それ書き換えるためにいちいち向こう方とのスケジュール調整をしなきゃいけないんで、まあ面倒臭いです。馬鹿みたいな話ですけど、if文のfが取れたまま、気づかずに送ってしまったことがあって、そしたらそのfを一文字追加するだけのことに2日も待たされたんです。その一文字のために、最初っから全部の手続きやり直し。それはね、さすがにうちの向山先生が怒って、予定を早めてもらって、でも、早めてもらった結果が2日ですからね。まあほんとすごいお役所仕事ですよ。

あと、このあと始まりますが、このロボットが状況に対してどういう反応をするのかを見たいんで、コードだけでなく、実験のプロトコルもこちらで、すべて作成して指定するわけです。で、向こう方の職員にやってもらうんですが、だいたい一回じゃちゃんと分かってもらえてなくて。ほら、ここですね」

画面の中、灰色の部屋に別な人間が入ってきた。手にノートを持っており、そこに書かれていることを読み上げているようだ。

椅子に腰かけた生体ロボットはしばらく全くの無反応だったが、ある瞬間に急に口を開いて何かを言った。

「今、ここですね」谷中准教授は動画を一時停止して、少しだけシークバーを戻し、また再生した。

何を言っているのかは、分からない。

「これ、ポルトガル語です。実はこちらの人には、30種類の言語で『あなたは誰ですか? どこから来ましたか?』と、言ってもらってます。最初英語、次にドイツ語、次にイタリア語……という調子で、同じ意味の文を30パターンですね。この職員さん、別に30言語喋れるわけじゃないですが、ネイティヴの発音をわけもわからず真似してもらってます。だから、この実験を始める前に1時間ほど、別で練習してもらってます。こういう細かな指示、指定するのも、最初は相当時間が掛かりまして、最近はだんだん向こうもこっちの注文のパターンが分かってきたんで、だいぶスムーズになりましたけど」

「何て言ってるんですか」
一番前の席で聴講していた学生が聞いた。

「これね、ロボットのほうは『撃たないでください』と言ったっぽいですね。まあ、これだけだと何とも言えません。使い回しのきく言葉なんで、あらかじめ条件反射として登録されてる可能性も高い。ただ、まあちょっと不気味ですよね。このロボットに自我が全くないという証明をするのは、けっこう難しい。というか、事実上は不可能だと思います。言葉が出てしまってますからね。人間、言葉で何かを言われると、それをまったく無視するってことは心情的に難しいんですよ。どうしてもその向こうに知性とか自我というものを想定してしまいますからね」

講義室は静まり返っていた。

僕は吐き気の予兆のようなものを感じて、思わず部屋の出口までの距離を見た。

この講義自体は、『力学の基礎』という看板だ。しかしこの先生は雑談好きで、毎度、わざと時間を余らせては、スライドショーなど流しながら自分の学生時代の自慢やら最近の研究室事情やらを語るのが趣味だった。
でも、今日の雑談コーナーは雑談の域を超えて突き抜けている。

この映像、こんなところで流して良いものなのか。

収容されているゾンビたちを社会に有用な形で使うべきだ、という意見は徐々に強まっている。殺すことができないのなら、せめて働いてもらわなければ割に合わないというわけだ。
そして、ひとまずはこの『生体ロボット』たちを安全にコントロールしながら働かせる方法を確立するため、各大学から名乗りを上げた研究者たちに予算が振られ、実験が始まっている。
うちの大学でも、この谷中准教授の所属する向山研究室のほか、工学部や理学部、そして医学部の研究室など7、8ヶ所ほどが、プロジェクトに関わっているらしい。

「私がこれを君たちに見せたのは、世の中で何が起きているか一応知っておいてほしいからです。君たちはある程度の能力を認められてここに来ているわけで、知っておく必要があるし、今後こういった技術にどのスタンスで向き合っていくか、いずれ決めなければならなくなります。君たちのうちの何人かは3年の研究室配属の際にこれに関わる研究室に入るでしょうし、就職後に関わることになるかもしれません。まあ、ひとつには、全く関わらない、と決めてそういう進路を選ぶのも手です。まず生理的に無理な人もいるでしょう。もう、この映像早く消してくれって顔をしてるのが何人か、いますね。

ただね、これだけは覚えといた方がいいですが、全ての科学技術は不謹慎なものなんです。

飛行機だってロケットだって、あとこのパソコン、コンピュータも、もともとは戦争のために作られたものです。車だって、毎年この国だけでも何千人もの罪のない人を殺し続けて、ここまで進歩してきた。人間の命を生贄にして対価を得て来たんです。そういう意味じゃ、人身御供を捧げて雨乞いをしてた時代と大して変わりません。
この技術だけが特別だと思わないことです」

講義の時間は残り2分ほどあったが、僕はそっと席を立って廊下に出た。

そのままサークル室へ向かった。

キャンパス中央の広場を突っ切る間にも、次から次へと沢山の人間とすれ違う。このあと昼休みなので、余計に混雑している。
見知らぬ人間の群れ。
この人間たちは、本当に全員が人間だろうか?

こんな時に限って、清水先輩はいなかった。

代わりに、院生の庄司さんがいた。
このサークル内に3人いる女性メンバーのひとりだ。

「あ、こんにちは」
と僕は言った。

「えーっとね。伊東君、だね」庄司さんは少し考え込んでから言った。「あのカップ麺の人の友達か」

「あ、そういう覚え方なんですね……」

「顔色悪い? それとも色白?」

「まあちょっと体調悪いですね」
僕は本棚から適当に一冊取って、テーブルを挟んで庄司さんの斜め向かいに座った。

「ふーん」
庄司さんはわざとらしく両肘をつき、その手の上にあごを乗せて、僕をじろじろと眺めた。

いかにもこの大学によくいるような、そつがなく、飾り気もない女子学生だ。化粧を、するかしないか程度。髪も、まったく弄らないわけではない、くらいの色味。ボブで、やや癖っ毛だ。細面で目元も少し細いせいか、なんとなく狐に似ているような、少し油断のならない感じがある。

「伊東君て、モテるでしょ」と庄司さんは言った。

「よく言われますよ」と僕は返した。

「ああ、そうなんだ、もう、その返事が手馴れてるよね」

「手馴れてるってなんですか。人聞きの悪い」

「遊んでそう。女の子泣かせてそう。いつも2人くらいキープしてそう」

「偏見すぎるでしょう。僕、彼女いたこと無いんですよ」

「またまたあ」と庄司さんは笑った。「あ、もしかして、そっちの人?」

「違います。あのね、先輩、言ってることが昭和のセクハラ親父ですよ」

「ふふふふ。昨日、宮田君にも言われた。親父ギャグを言うなってさ」

そこへ清水先輩が購買の弁当と野菜ジュースを持って入って来た。僕と庄司さんを見比べて、
「あ、もしかして、口説いてた? 伊東君、悪いことは言わない、この先輩はやめといた方がいいよ」

「こら清水」庄司さんはニヤニヤ笑った。「伊東君に本当のことを教えるんじゃない」

「本当のことじゃないっすか」

「うっせえなー」と庄司さんは言った。「お前早く彼女と別れろよー。別れるか、もしくは結婚しろよー。つまんねーんだよお前はよー」

「庄司さん、飲んでませんよね? ノリが完全に酔っ払い親父でしょ……」清水先輩は僕の隣に腰を下ろし、「あれ、伊東君、食べないの?」

「ちょっと食欲なくて」と僕は言った。

「何を言ってるんだ。それ以上細くなったら折れるぞ、お前」

「いや、今日ほんとに無理なんです」
そして僕はたった今見てきたものを曖昧な言葉で表現した。

「ああ、谷中先生だろ。俺も見たよ」と清水先輩は言った。「ぶっ飛んでるよな、やべーよあれは」

「え、何、何の授業?」と庄司さん。

「ゾンビを喋らせる実験をしてる先生がいて」

「はあー。げろげろげろ。あ、ごめん、今から食事?」

「いや、俺はいいですけど」清水先輩はけっこう平気そうな顔で、勢いよく唐揚げ弁当を食べ始めた。

「ヤツラに自我があるかも知れないって……」と僕は言った。

「あるもんかよ。あったところでなんだ。こっちは人殺されてるんだ」清水先輩はどちらかというと『倒す派』のようだった。

「いやー、でも、キツいでしょう」庄司さんは言った。「誰かの知り合いかもしれないわけでしょ? 極論を言えばさ。どこかの国の行方不明者なわけでしょう」

「だとしてもさあ、じゃあ『あなたの家族ゾンビになってましたよ』って言われて、家に帰って来られても、って思いません? まずどうやって世話する、って話で」

「まあ、だから、こっちに拘束しておいて働かせておくか、ってなるんだろうね」

「ほら、伊東君」清水先輩は野菜ジュースにストローを挿すと、そのまま僕の前に置いた。「飲まず食わずじゃいかんよ」

「先輩、今日は優しいですね」と僕は言った。

「俺はいつでも優しいよ。いや、俺だめなんだ、飯食ってない奴見るとほんと無理なんだ、不安になっちゃう。ちゃんと食べてくれ」

「清水君、あたしも食べてないよ」と庄司さんが言った。

「え、俺の食べかけで良ければ食べます?」

「馬鹿やろう。しかもおかず残ってねーじゃんか! なんで肉だけ先に食べてんの。これ、残りのご飯どうすんの」

「別にそのまま食べますよ。デブの食欲舐めないでください」

「デブとか関係ないだろ、育ちが悪すぎる! 食べ方が汚ないよ」

僕は黙って野菜ジュースを飲みながら、先輩たちの駄話を聞いた。
食欲は戻って来なかったが、落ち込んでいた気分は何とか回復できそうだった。

「谷中先生、言ってませんでしたか」僕はしばらく考えてから清水先輩に聞いた。「すべての科学技術は不謹慎だ、とか」

「ああ、いつも言ってるもの。前から言ってた」清水先輩はあっさりと言った。「けどさ、全然、不謹慎のレベルが違うだろ。ありゃ人体実験だよ。あれが許されるんなら、なぜ『処分』が許されないのかって話でさ」

「うーん」

「結局は、体制側に魂を売ったってことじゃない? ものすごい額の研究費おりるらしいぜ。学生にあの映像見せまくってるのは、要するに勧誘だよ、優秀な学生を研究室に呼び込みたいから。その『不謹慎云々』の演説も俺はハッタリだと思うけどな。あそこらへん歩き回ってる怪しい勧誘野郎どもと一緒だよ」

「そうか……」
飲まれそうになっていた自分に気づく。しかし、何度思い返しても、あの異様な空気になった講義室の中で、どれほど冷静になれたとしても、谷中先生の言葉を『詭弁だ』と撥ね付けることができたとは思えない。
本物の大人の怖さを、僕は見た気がした。

「このあと、どうなっちゃうんでしょうね」
僕は、いつか神白にも聞いたことを、また清水先輩に聞いていた。

「まあ何とかするさ」と清水先輩は言った。

スマホを見ていた庄司さんが、顔を上げもせず「雑すぎる」と笑った。

「結局何とかするしかないもの。まずは今日を生き延びることだ。ご飯をちゃんと食べろよ、伊東君」

「あとで食べますよ」

「あとでなんて駄目だよ、食事と睡眠に『あとで』なんて無いんだぞ」

清水先輩の言葉は正しかった。その正しさは、次の瞬間に証明されることになった。

重苦しい轟音が近づいてきて、それから建物が揺れだした。え、またなのか、というくらいの感慨で、僕たち3人はテーブルの下に入った。さほど強い揺れとは感じなかったが、そのかわり長かった。
地震の揺れが収まって、テーブルの下から出たとき、停電していることに気づいた。

この停電は3時間ほどで復旧した。この程度の地震には、日本という国は慣れ切っている。実際のところ、この地震自体は、大したニュースにもならなかった。

しかし、地獄はここから始まった。


六章につづく)


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それはともかく「ゾンビつかいの弟子」「怪獣をつかう者」は二次創作、ファンアート、絵、歌、朗読、コスプレ、無断転載、再配布、全て自由です。作者を偽らないでくれればあとは何をしてくれてもかまいません。もし面倒なら、特に報告なども不要ですので、皆で可愛がってやってください。

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アラサーのママです。長編小説「ゾンビつかいの弟子」「怪獣をつかう者」目次ご覧ください→ https://note.mu/toma_mori/n/n40761080856c SFとかパルプ書きます。

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