[最初から]ゾンビつかいの弟子 1章(後半)

(約13000字 / 読むのにかかる時間 : 約30分)

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一章(承前)


3.

翌週には、すべてが様変わりした。
僕は土曜のうちに家に戻ったが、それはT県に用が無くなったからではなく、幸運にもS駅へ向かう新幹線がまだあったからだ。
これを逃せば、帰れなくなる可能性があった。

全国のあらゆる路線で、この前僕たちが遭遇したような「遺体なき人身事故」が起き、列車が足止めされていた。
明らかに、計画されたテロ行為であり、大都市の鉄道網の中でも動脈となりうる重要な路線ばかりが狙い撃ちされていた。

それに、連中はY駅で行なった「テスト」からひとつ学んでいた。

僕とビィが墓参りをしたあの日、Y駅のホームから不死身の人型が飛び込んだが、結局2時間ほどしか電車を足止めできなかった。
人身事故に慣れている都市部の路線では、同じ手で20分も止められないだろう。
だから、今回の「本番」では、飛び込んだ者たちは皆、大量のコンクリブロックを線路に持ち込んでいた。
リュックや、自転車の荷台にブロックを詰め込み、荷物ごと侵入する。
結果、事故の被害者が見つからないというトラブルの他に、飛び散ったブロックで二次被害が出たり、欠片をすべて取り除くまで線路が使えない、などの障害が重なることになった。

警察や報道機関は一貫して「威力業務妨害の容疑者が現場から逃走した」という言い回しを貫いていた。
しかし、目撃者たちの口に戸は立てられない。
インターネットを介して噂はさざ波のように広がり、今まで都市部を避けていたアレがついに本気を出したのだ、この社会はテロの脅威に追い詰められ、危機に晒されているのだと、皆が理解していた。

そして食品テロのほうも、事態は深刻だった。
各店舗はスタッフを夜通し残業させて棚卸しを行ない、チェック済みの商品から再度品出しをしたが、袋入りの食品を買う客は激減した。
代わりに、缶詰が飛ぶように売れ、一部の食品会社は緊急増産体制に入った。
また、外食店は自社農場や固定の仕入先を持っていることをこぞって宣伝し、ほとんどのチェーン店には連日行列ができた。

僕の母はと言えば、至って冷静だった。
農家をしている友人に連絡して米や野菜を直接買い、卵や魚介を扱う知人も紹介してもらった。
だいたいこうしたルートで買うと「ダンボール1つ」が最小単位になるため、食べきれないぶんは隣近所に配り、その見返りに別な食品や、日用品や、最新の噂話を仕入れた。

「学校には行っときなさい」と、母は言い、毎日弁当と手作りのお菓子を僕に持たせた。
コンビニなどで袋入り商品を買い食いしないように、子供に手製のお菓子を持たせる親は多かった。
母の腕前は素人の域を出なかったけど、スナックが食べたいと騒げる歳でもない。

電車を使って遠距離通学をしている生徒は、半分くらいが「自宅学習届」を出して学校に来なくなった。
これは、僕の通う高校が進学校だというのが大きかった。
そもそも入学した時から「大学のための予備校」としか考えていない生徒が多く、学校側もそれを容認した。

ビィのSNSページは相変わらず沈黙していた。電話もずっと繋がらなかった。

僕は「追い込み」の続きに取り掛かり、他のことを忘れるように努めた。

テレビやネットのニュースサイトは上滑りした建前を流し続け、掲示板やSNSは異様にギラギラした投稿で埋め尽くされていた。
見るな、見るな、と僕は自分に言い聞かせた。

重苦しく、長い1週間が過ぎた。

毎日、どこかで列車が止まり、どこかで混入物いりの食品が見つかった。
そのうちの幾つかは単なる自殺や便乗した愉快犯、模倣犯かも知れず、また食品混入物に至っては「野菜に虫が」などの神経質すぎる報告や、画像加工を駆使した偽の証拠写真が蔓延し、混乱の一途を辿った。

ネット上では皆がイライラし始め、手っ取り早く目に付いた者を批判した。
土日が明け、最初に血祭りにあげられたのは「女子マラソンのファン」、火曜日の敵は「フォアグラ反対論者」。
理由など無い。
1行の投稿、1枚の写真からすぐに火が点き、燃え出すと皆、訳も分からず油を注ぎ続けた。

水曜日の夕方、神白が家を訪ねてきた。
あの日一緒にS駅まで帰った時、住所を教えてあったのだ。

「ニートの曜日感覚は違うね」
自室に通して、母が階下に去ったのを確認してから、僕は言った。

「元気そうで良かったですよ」
神白は床に直接腰を下ろした。

僕はベッドの縁に腰掛け、神白には勉強用の椅子を勧めたが、辞退されてしまった。

「君の町は落ち着いているの」

「まあ、そうですね。農家は何かと備蓄が多いし、うちの村は電車もないし」

「今日はどうかしたの。急に」

「お願い、というか、質問があって」
神白はそう言って、背負ってきた小さなバッグから何かを取り出した。
輪ゴムで留めた梱包用シートを解くと、中からパソコンの内部パーツみたいなものが出てきた。

丸い、緑色の基盤に無数の小型チップが植え付けられ、プリントされた金色の導線が複雑に走っている。
その全体が堅そうな箱に収まっていて、透明な蓋で密閉されていた。
大きさは、直径10センチ弱。
厚みは3センチも無いだろう。
規則的な円柱ではなく、どちらかというと凸レンズ型だった。

「これが何に見えますか」と、神白は言った。

「何かの部品というか、家電のマイコンとかに見えるけど」僕は優等生的に答えたが、次に神白が何と言うか予想できる気がした。

「ヤツラの身体に入っていたものです」果たして神白はそう言った。「そもそもうちの自警団はあまり積極的にヤツラを追わず、単に山奥へ追い払うようにしてたんです。ただ、この前の視察でT県の人達はかなりヤツラの身体を研究してる様子だったので……思うところがあって、あえて捕まえてみたんです」

「それで解剖してみたわけ」

「さすがにそれは無理でした」

「一応は試そうとした、みたいな言い方だね」僕は顔を歪めてしまった。

「以前に何度か捕まえてしまったときは、地面に穴を掘って、その中で荼毘にふして、そのまま埋めてしまう、という方法を取ってたんです。服や所持品もそのまま燃やしたので、骨以外のものが焼け残っても疑問を持ちませんでした。
ただ、T県の人達が何か含みのある言い方をされてたので、気になって今回、裸にして処理してみたんです。それで骨とともに焼け残ったのがこれです」

「はあ」

「伊東君はこれが何だか分かりますか? いえ、うちの町には、分かる者がいなくて。
僕が知る人の中でいちばん賢いのは、伊東君なので、持って来てみたんです」

「いや、僕にも分からないよ」僕は苦笑いした。「ただ、こういう部品はパソコンや家電には必ず入ってるんじゃないかな」

「これが頭脳の代わり、なんでしょうか」

「どうかなあ。家電はともかく、パソコンはもっと複雑な役割分担があるし、その、ヤツラも自立して歩いたり人を襲ったりするわけだよね? とてもこんな部品ひとつで、そんな複雑な動き方はできないと思うけど」

「では、これ自体に何か感情とか考えが宿っているわけではないんですね」神白は基盤入りケースを見下ろしてそう言った。

当たり前じゃないか、と笑いそうになった。
しかし、それはさすがに失礼か。
知識が無い人にとっては、よく分からない技術は神秘的に見えるのだろう。

「その部品自体は、単独では何の働きもしないと思う。電源や、実際に動作する本体と上手く組み合わさって働くものだから」

「なるほど……」

「たぶん他の必要な部品は燃えてしまったんじゃないですか。人の身体を焼くとなると、相当な高温にしないといけないんでしょ。このケースが耐熱性があってたまたま燃え残ったけど、きっと熱で基盤はダメになってると思うし」

「はあ、熱でダメになるんですか」

「大抵はそうだよ」

「じゃ、もし万が一、この部品を僕の脳に埋め込んでも、何もならない?」

「何も、というか、そんな手術したら普通死ぬけど、死ななかったら、まあ今まで通りの神白さんだと思うよ」

「うーむ」神白は深く頷いた。「そうか、そうですか……」

「そもそも、この人、じゃなくて、このナニカさんが、どこかに身体的な障害を抱えていて、体の一部に機械を埋め込んでただけかも知れない。
義足とか義手とか、人工心臓とか、そういった身体的な道具の部品かも……それこそ家電みたいなもので。とにかく、こういう部品だけでは、人の考えや動き方を制御することはできないと思う」

「そうですか……いや、勉強になりますね。聞きに来て良かった」

神白が素直に有り難がるので、僕は気分が良かったが、同時に何だか不安な気持ちでもあった。

「僕は専門じゃないんで、上手く説明できてるか分からないけど」
と僕は言い、この言い方は高校によくいる雑談好きの教師と同じだな、と気付いた。

それから僕と神白はビィの行方と、ネット上での乱痴気騒ぎについて少し話した。

お互いに、新しい情報は持っていなかった。

「食品テロのほうも、ヤツラの仕業なのかな」

「タイミングが合いすぎてますからね」と神白は頷いた。

「ヤツラを動かしてるのは、誰なんだろうね。このテロを仕切って指示を出してるのは」

「少なくとも、人間でしょうね」と神白は言った。

「そうなの?」

「僕が退治してきたヤツラのほとんどは、駅前に出るどころか、まともに道を歩く事もできていなかったです。舗装道路と藪の区別が付かなくて、ただ行きたい方向へ何もかも突っ切っていくのです。そういうところが、明らかに生き物ではないな、と感じられるわけです。ヤツラはもともと、誰かに使われる道具なのだと思います」


「散歩でもしませんか。ちょっと外の空気を吸いましょう」急に神白はそう言った。

「僕、そんな暗い顔してる?」

「そうですね。とても辛そうです」

「受験のストレスだよ」と僕はうそぶいた。

用もなく外に出るなんて、もう何年もしていなかった気がした。
日が暮れたばかりの住宅地は、夏草のにおいの風が吹いていた。

狭苦しい世界だ。家がぎっしりと詰め込まれて。
テロリストたちはこの社会を怨嗟しているようだが、社会の反応は至って自分勝手で、冷淡だ。
皆、ネットで暴言を吐きながら、普段の暮らしは意固地に保守している。

「お洒落な町ですね」神白は別なことに感心していた。「街に来ると、田舎を出て行く者の気持ちが分かります」

「じゃあなぜ、出ないの」

「なぜでしょうか。面倒だからかな。田舎は自分の部屋みたいなものですから、刺激は無いけど居心地はいいんです」

それに、と神白は言った。
そのまま、彼が何も続きを言わないので、聞き間違いだったのかなと僕は思った。

「弟がいるんです」と、神白はずっと経ってから言った。ゆっくりと絞り出すような言い方だった。

「何か訳ありなの」

「障害があるんです。2年前、ヤツラに襲われて、脊髄をやられて」

「そう」僕は気の利いたことを言おうとしたが、上手く思いつかなかった。

「辛気臭い話して、ごめんなさい」

「いや、別に……ていうかそれは弟さんに失礼でしょ」

「うーん」

「寝たきりなの?」

「……病院からは、リハビリに通うように言われてるんですが、あんまり気乗りしないみたいで」

「ニートと引きこもりの兄弟というわけか」

「そうなりますね」

ちょっとだけ広い道路を渡ると、周りの家2軒分ほどの広さの公園に行き当たった。
遊具は全部錆びていて、子供の姿はなく、おじさんが犬を散歩させていた。
犬は雑草の根元を嗅ぎ回っていて、おじさんは犬の好きにさせていた。

「戻る?」と僕は言った。

神白は頷いた。

辺りは急激に暗くなっていた。

「これからどうなるんだろうね」

「さあ、何か起きるんでしょうか」神白はとぼけた感じに言った。

「だって、テロだとしたら、いずれ犯行声明とか、政府への要求とかあるんでしょ」

「ああ……そういう手もあるのか」

「それともただ世の中を混乱させたいだけなのかな」

「問題はそれでどういう得をする人がいるのかという事でしょう」と神白は言った。「僕らは攻撃を受けると、自分がどれだけ嫌な思いをしたか、ばかりを考えてしまうものですが、相手だってその攻撃のために手間暇をかけて苦労をしているわけです。そして、見返りが無いのに苦労を選ぶ者はいない。こんなふうに、日本に住んでいる者全員が困るような攻撃は、相手にとっても負担なはずだし、長続きはしないと思いますよ」

確かに、その通りだ。
僕は神白の大人びた考えに感心した。
もうちょっと科学知識とかもあれば、尊敬できるのにな。

その日の夜更け、僕は着信音で目覚めた。
ビィからだった。

「お兄ちゃん! 電話くれてたね」彼女の声は、快活だった。「いやーごめんごめん! まさかこんなことになるとは思わなくて」

「無事なんだね?」僕は目をこすりながら言った。

「うん、ピンピンしてるよ。ただ電話の使えないところにいて」

「それならいいんだよ……何してたの?」

「ハッカソン」

「はっかそ……」

「プログラミングの勉強会というか、コンテストというか、合宿みたいなものだよ」

「へえ……。食べ物とか大丈夫だった?」

「ああ、混入事件のこと? まあ、確かめてから食べればいいや、みたいな感じで、誰もあんまり気にしてなかった」

ビィは僕よりもずっとたくましく生きていたらしい。

「ゾンビに攫われたのかと思ったよ」

「ごめんごめん。結局何とも無かったんだ。心配したよね」

「いいんだけどね」僕はT県までわざわざ出向いたことを言おうかどうか迷った。

しかし、僕が何か言う前に、

「じゃあ、また」とビィが言った。

「あ、うん」

電話は切れてしまった。

僕は時刻を確かめ、神白は寝ているかも知れないと思った。それで、簡易メールでビィの無事を伝えた。

"よかったです。安心しました。"
神白はすぐに返信してきた。

僕は夜分に起こしてしまったことを謝ったが、

"起きてましたよ。ニートなので。"
と返ってきた。

「あっ、そ」
どいつもこいつも能天気だな。受験で苦しんでるのは僕だけなのか。

ずり落ちていた掛け布団を乱暴に引き上げて、僕は寝直した。


その週の後半には、全国のガソリンスタンドが新たな標的になった。

有人、無人を問わず次々と放火され、激しい爆発とともに散った。

ヤツラは必ず、客のふりをしてスタンドに入り込み、正面から堂々と火を放った。
結果、辺りにいた者多数が死傷し、ヤツラも無事ではないはずだったが、遺体の判別にはいちいち時間がかかった。

まだ被害を受けていないスタンドも、恐れをなして営業を停止したり、縮小しようとした。
ガソリンの流通が止まれば、他の交通手段がない田舎は干上がってしまう。物流への打撃も計り知れない。
各地のスタンドに警察が緊急配備され、人手が足りないところには自衛隊も駆り出された。
ものものしい監視の中で人々は粛々とガソリンを買うようになった。

誰が言い出したわけでもないが、車の種類や社会への貢献度に応じて、一度に給油して良い量が異なる、という認識が広まった。
物流に関わるトラックや、バス、タクシー、介護用車などが優先的に満タンが許されるいっぽう、仕事の無さそうな若者や学生が満タンを頼むと白い目で見られた。

赤ん坊を乗せた主婦が強気に満タンを主張したことで、ネットの世論はまた燃え上がった。
田舎体質の抜けない土地では、地元のお巡りさんが率先してこうした「選別」に口出しをすることもあり、それがまたネットに取り上げられると大炎上した。
ついに総理大臣自らが会見を開いて「国内のガソリンの流通は質、量とも通常通りであり、奪い合う必要はない」と呼び掛ける事態になった。

ウンザリするような毎日。
自分の生まれ育った社会が、こんなに愚かで場当たり的で、くだらない連中によって構成されていたなんて。
教師の中には授業中にこうした「衆愚」の体質を熱心に批判する者もいたが、生徒の半分くらいは醒めた顔で聞き流していた。
自分と、自分が愚かだと思う人達の間に、明確な線引きができるという自信を、僕たちは持てなかった。

ビィのSNSへの書き込みは再開されたが、明らかに前より少なくなった。
また、何かをわざと伏せているような、謎めいた書き込みが増えた。
僕自身も、SNSへの熱意を失いつつあった。
僕にはもう、「バーチャル妹」は必要ないし、亡き本物の妹に対する異様な執着も、必要ないのだろう。
妹の不在は、単に、僕という人間を構成するプロフィールのひとつに過ぎなくなったのだ。

警察はようやく、一連の事件の容疑者を何人か逮捕した、と発表した。
5つの「容疑者」の顔が公表された。
どの顔も、何となく日本人離れした、しかし外国人とも言いがたい、男の顔だった。
疲れ切ったような無表情の顔写真だったが、意外にも人間らしく、それぞれに個性も感じられる顔つきだった。
見れば人間ではないと分かる、というのが神白やビィの言い分だった。
ということは、この5人は少なくとも人間の犯人なのだろうか。
それとも、顔写真では分からないような他の特徴があるのだろうか。
容疑者は全員が「身元不明」で、「黙秘を続けている」と発表された。

僕は毎日通学し、時間割をこなし、放課後は「自習」と称して教室で麻雀をした。
校則がうるさい学校ではないが、一応、教師からのイチャモンを避けるために、本物の麻雀牌ではなく、カードの余白に麻雀牌が印刷されたトランプを使っていた。
この兼用トランプはクラスの才女、河野が「たまたま家にあったから」と貸してくれたものだ。
当初、僕たちは河野やその友人の女子を交えて、いかがわしい罰ゲームつきの麻雀ができるのではと期待したが、河野は「麻雀は知らないしこれから知るつもりもない」とバッサリ。
結局、馬鹿男子数名が母親に持たされたお菓子を賭け合って戦うという、じつに健全な課外活動になっていた。

「お前、先月すげえ可愛い女の子連れてたって、佐藤から聞いたぞ」
対面の山田がクジャク型に広げた札の向こうからじっと睨んできた。

「ああ、はい、はい」

「カノジョ? カノジョ?」

「どうかな」

「ムカつくわー。どこで出会うの? まさかうちの学校の子?」

「いや、ネットで会った子」

「うわっ、最悪だ。最近の若者は。フケツ!」

「どういう視点なの、それは」

「ポン」と、神奈川が無表情に言う。

「バス停で抱き合ってたって聞いたぞ」山田は自分の番なのに、札を引こうとせず、僕への尋問を続けた。「ヤッたの?」

「ヤッてないよ」

「嘘つくな」

「まあ嘘だと思われてたほうが僕も気分がいいけどさ」

「え、なんだよそれー。腹立つわー。いずれにしろ腹立つわー」

学校に通い続ける限り、僕たちの生活は日常に埋もれ、守られている気がした。
何が起きても、この教室の平和だけは変えられないはずだ。
何が起きても……たとえ、全ての電話回線が死に、インターネットが無くなっても。


4.

初めのうち、多くの人は楽観していた。
インターネットが無かった時代にも、大抵のことは上手く回っていた。
しかも、まだその頃の世代は現役だ。
だから、前のやり方に戻せばいいだけなのだと。

しかし社会は急速に劣化していった。
基本的な設備の保守管理や、連絡、取引などに予想外のコストが掛かることが分かり、各企業は業務を縮小していった。
電気や水道などのライフラインは、予告なく止まったり復旧したりを繰り返した。
コンビニを始めとするフランチャイズの小売店は、本社との連絡が難しくなり、半ば独立してしまうか、売り尽くしセールの後に閉店した。
闇市が乱立し、すでにその端々で現金の価値が揺らぎ、物々交換が活発に行なわれた。

そして、停電の夜に乗じて「何か」の軍団が通りを跋扈しているようだった。

母は相変わらず淡々と賢く生活を維持していたが、「いつ何が起きるか分からないよ」と毎日僕に言い含めた。
「勉強はしておきなさい。受験の有る無しに関わらず。あと、もしお母さんに何かあったら、どうにかしてお父さんのところへ行きなさい。それくらい、できるわね? 名刺を渡しておくから」

父は2年前から単身赴任で、C県にいた。
名刺には父の勤める会社の、C県の工場の住所が記されていた。
こんな事になってから、頻繁に葉書をやり取りして連絡を取るようになったが、それもいつまで続くか分からなかった。

そしてある日、母は食料とトイレロールの調達に出掛けたきり、帰ってこなかった。
翌日、僕の通う学校も「早めの夏休み」を宣言し、門を施錠した。

僕は物置の奥から、中学生のときに乗り回していたマウンテンバイクを引っ張り出し、タイヤに空気を入れた。
だいぶ錆び付いていたが、問題なく走りそうだった。
通学用のリュックに日持ちしそうな食料と最低限の着替えを詰め込んだ。
勉強道具は、迷ったが、電子辞書だけを持った。

そして、母が曖昧な言葉で示していたタンス預金を開けた。
大判の茶封筒の中に、びっくりするような大金が入っていた。
大人にとっては当たり前の金額なのかも知れないが、僕にとっては初めて触れる「札束」だった。

どれくらい必要になるのか、よく分からなかった。
結局、三分の一くらいを適当に取って、小袋に移し、リュックに詰め込んだ。
最後に、父に現状を伝える葉書を1枚書き、僕は家を出た。

郵便局の窓口に葉書を持って行くと、「未配達の確認しましょうか?」と言われた。何のことか分からず答えにつまっていると、局員は明日配達予定の分だと言って僕宛の手紙を1通持ってきた。
手紙はビィからだった。

「笑笑笑
お兄ちゃんへ笑
生きてる?
ワタシは学校なくなったし親とも決裂したので笑
旅に出ることにしたよ笑
うまく書けないんだけど、
ワタシはこの現状をダハするために
やれることがありそうなんだ笑笑
B山中でハッカソンの続きをやるよ。
だから探さないでね笑笑笑」

変な手紙だった。
ビィの書く手紙ならこれくらい変でもおかしくはないのだが、状況が状況だけに、何か暗号が仕込まれているのかと勘ぐりたくもなる。
僕はビィからの手紙をリュックに詰め込んで、S駅へと自転車を走らせた。

駅前の駐輪スペースに自転車を停め、チェーンを二重に掛けた。
闇市を目当てに集まってきた人混みを抜けて、総合案内の窓口へ向かう。
係員に父の名刺の住所を見せ、交通手段を相談したいと告げると、なぜかひどく迷惑そうな顔をされた。

「C県には新幹線では行けないですよ」

「はい、ですから、どこか最寄りで降りてそこから乗り換えたいんですが」

「どこかって」窓口の男は鼻をゴシゴシ擦った。「何線のどの駅、って言ってもらわないと」

「こちらで調べられないんですか?」

「あのね、もうネットが無いんだよ」男は馬鹿な人に言い聞かせるような調子で、そう言った。

「こちらには地図とか路線図とかないってこと?」僕はだんだん腹が立ってきた。「ネットが無いから何なんです? 何のための窓口なんですか」

「お兄ちゃん早くしてくれないかな」後ろから鋭い口調で言われた。
振り向くと、陰険そうなスーツのおやじが僕を睨んでいた。その後ろにも2人並んでいた。
「みんな待ってるんだから」

「僕だって並んでここにいるんだけど?」僕はスーツおやじにも厳しく言い返した。

スーツおやじは無言で、いきなり僕の胸倉を掴んできた。拳に力を込め、僕の首元を締め上げる。
脂の浮いた顔が近づいた。
「ぁんだとぉ? コラ」と、スーツおやじは言った。

はっ。何だよそれ。

そのとき、真っ赤な服を着た金髪の若者が、僕とおやじの間に割り込んだ。
「まあまあまあ、どうしたんです」
若者は柔らかな口調で言いながら、有無を言わさぬ力技でおやじの拳を解かせた。

胸倉を解放された僕は急いでシャツの皺を伸ばした。

金髪の若者はまだ不満げなおやじを無理やり窓口へ押し出し、僕の肩を叩いて別方向へ歩きだした。

「あの、か……」

「早足で」神白は僕の耳元に低く言って、しばらく僕の肩を抱くような形で歩き続けた。

仕方なく、僕もその歩調に合わせた。

駅構内にも出処の知れない物売りが闊歩していて、「指定業者以外の売買は禁止です」の張り紙の前でも、取引は行われていた。

神白と僕は人混みを突っ切り、駅前の大型歩道橋の上のベンチに腰を落ち着けた。

「びっくりしましたよ」神白は言った。「こんなところで会うとは。奇遇ですね」

「ゾンビ退治に来たの?」僕は神白の真っ赤な服を見て言った。

「今日は弟を送ってきたんです。うちの町に薬が届かなくなっちゃって、やむなく大病院に預けることにしました。この服だと待ち合わせ相手が見つけやすいから、今日はこれで来ました」

相変わらず、どこか変な人だ。

神白に状況を聞かれ、僕はこれまでの経緯を話した。

「C県なら僕が送りましょうか」神白はあっさりと言った。「車なら半日もあれば行けるでしょう」

「半日って……大丈夫なの?」

「親に言ってから出掛けたいんで、一度うちに寄らせてもらえれば。その後はいくらでも付き合いますよ。帰りの足もたぶん必要でしょう」

「自警団は? リーダーがいないと困らないの?」

「ああ」神白は軽く肩を竦めた。「僕、謀反を起こされまして」

「謀反って」

「別なリーダーが立ってしまいました。僕に付いてきてくれる人もいないわけじゃなかったんですが、分裂して別行動を取るのも馬鹿馬鹿しいので降りさせてもらいましたよ」

「けど、なんで……」

「まあこんなもんですよ。元来こころざしが低いんです。ガイジンづらの若造に大きな顔されて、あの田舎連中がいつまでもしおらしくしてるはずがないんです」

神白が母親に外出予定を告げに行く間、僕も自転車を自宅に戻すことにした。
どうせ家も無人になるので、盗難を防げるかどうかは微妙だったが、駅前よりは盗まれにくいだろう。
色々なものが手に入りにくい今の状況では、ボロ自転車ひとつでも失いたくない。

自宅に戻り、神白の迎えを待ちながら、ビィの手紙を読み返した。
消印はビィの住居のあるT県U市だった。
しかし、ハッカソンを行なうというB山は隣のF県だ。
IT技術のイベントを山奥でするというのも不思議な話だ。
前回もネットの繋がらない場所で行なったようだし、何か僻地で開催することに利点があるようなイベントなのだろうか。

インタホンが鳴らされて、僕はソファで眠っていたことに気付いた。1時間ほど経っていた。
玄関を開けると、普通の服に着替えた神白がいた。

「相手を確認してから開けた方がいいですよ」

「いつもは確認するよ」と、僕は言い返した。

「地図は読めますか?」
車に乗り込むと、神白は助手席の僕に全国地図と書かれた分厚い冊子をよこした。

「どうかな。たぶん読めると思うけど」

「まず高速で行けるところまで行きましょう。C県に入って下道に降りたら、もう少し詳細な地図が欲しい気がしますけど。ちょうど良く本屋かコンビニがあればいいんですがね」

「もし、無かったら?」

「誰かに聞くしかないですよ」

高速道路の乗り口はETCゲートが閉鎖され、係員がボックスの窓からチケットを手渡ししていた。
本線に乗ると、間も無く小雨が降り出した。
空は一気に暗くなり、日は暮れていないはずなのに夕方の雰囲気になった。

「世界の終わりみたい」僕は曇天を見ながら思わず呟いた。

「まさに僕の望んだことです」神白が言った。「世界が終われば、働かずに済むと思ってた」

「でも、働いてないじゃん」

「そうですけどね。社会がこんなふうにダメになれば、労働なんていう概念は無くなるものと思ってました」

「もしそうだったら、こんなに呑気にはしてられないよ」

高速道路が使えるのも、お金で食べ物が買えるのも、世の中の大半の人がいまだに働いているからだ。
しかし、だとしたら、人はどれくらい社会が壊れれば働くのをやめるのだろう。
それとも、保身の気持ちがある限り、働き続けるのだろうか。

神白は取り立てて無駄口を叩かず、また、ラジオや音楽もかけず、淡々と運転を続けた。
僕は電子辞書を開いて、化学の暗記項目の一覧表を眺めた。

「元気、出してね」
神白はかなりしばらく経ってから言った。

びっくりするほど、温かい声色だった。

「なんで?」と僕は言った。

「何が?」

「なんで、僕が元気ないと思ったの?」

「さあ……」神白は曖昧に微笑んだ。「僕なら、母親と恋人が同時に行方不明になったら、落ち込むかと思って」

「ふーん……」と、僕は変な返事をしてしまった。

母親と恋人が行方不明?
まずビィは恋人ではないし、一応は自分の意志で出掛けた旨の手紙を寄越している。子供ではないんだし、自分のケツは自分で拭くだろう。

母は……僕は母について全く根拠のない希望を抱いていることに気づいた。急激な不安に襲われたが、顔には出さないように努めた。
大丈夫、大丈夫だ。
最悪、妹の墓の隣にもうひとつ墓標が増えるだけのこと。

神白は黙って次のパーキングエリアに乗り入れ、車を降りて缶コーヒーをふたつ買ってきた。

「気が利かないね」僕は受け取りながら言った。「缶コーヒーは好きじゃないんだけど」

「伊東君って、その性格で、学校で友達いるんですか?」

「いるけど」

「僕にだけそんなに冷たいの?」神白は笑っていた。

「それは、自意識過剰なんじゃない?」

「さあ、なにぶん出会いが良くなかったし、根に持たれてる可能性はあるかも、とか」

「確かに君はウザいよ。非常識だし」

「ほら、また」

日がすっかり沈むと、猛烈に腹が減ってきた。
神白にそう言うと、彼は座席の後ろに手を伸ばし、小ぶりの紙袋を引っ張り出した。中にはホイルで包んだ大きなおにぎりが10個ほど入っていた。

「僕の手製ですが、お嫌でなければ」

「家でとれた米?」

「そうです。まあ僕の家は、本業は玉ねぎですけど」

具のない丸々としたおにぎりだった。表面に塩がまぶされて、大きな海苔が巻いてあるだけ。
僕は料理などしないが、僕が作ってももっとマシなものができそうだ。
しかし、さすがにそれを口に出すと、もはや軽口ではなく単なる嫌がらせになりそうな気がした。

ふたつ食べると、僕は眠ってしまった。

内容の薄い、それでいてどこか重苦しい夢を見た。
嵐の中、濁流の渦巻く川の向こうで、ビィの声が叫んでいた。
「すべて終わりよ! あたしが終わらせるの」
滝のような雨に顔を打たれながら、僕は涙を流していた。

目が覚めても、景色はほとんど変わっていなかった。

「うなされてましたね」神白が言った。

「うん……」

「世界が終わる夢?」

「そうかも知れない」僕はぼんやりと答えた。「なんだか悲しい」

「疲れが出る頃ですよ。もう一眠りしたら」神白は柔らかく言った。

彼のその、人を気遣える余裕みたいなものが、頼もしくもあり、また、腹立たしいところでもあった。

「いま何処なの?」

「まだF県です」

「長いなあ」

「F県が一番長く感じるんですよ。ここを抜ければ、あっ……」
神白は変な声をあげて、一瞬だけハンドルをブレさせた。

「どうしたの?」

人みたいなものがいた」神白は低く抑えた声で言った。

僕はため息をついた。

「ヤツラ、なの?」

「あの歩き方は、そうです。5、6人、退避車線を歩いていました」

「何がしたいんだろう」

「高速を塞ぐつもりでしょう。電車と同じように」

「石を抱えて飛び込む?」

「KのジャンクションでI県の方へ逸れます」
神白は片手を伸ばし、僕の膝の上で全国地図をめくった。
器用なもので、時速95キロを保ったまま、地図の該当するページを開き、一点を指差した。

ジャンクション、つまり、複数の高速道路の交差する接続点が記されていた。
このままF県を南下してT県に入る道と、西から来て海岸沿いの国道へ繋がる道とが、ほぼ十字に交わっている。

「ここから乗り換えて、東インターで降りましょう。
高速が塞がれる瞬間に立ち会うと、最悪、足止めされて降りることもできなくなります。下道を伝って国道に出て、I県に向かって南下します。
国道も塞がれるかも知れませんが、この国道には幾つかバイパスがあるはずですから」

「クソムカツク連中だ」
ここへきて僕は本気で腹が立ってきた。
ずっと、気味が悪いとか面倒臭いとか、関わり合いになりたくないとか、ぼんやりそんなふうに思ってきた。
しかし、よく考えてみれば、彼らのしていることはただ単に本当に迷惑だった。今こそ、それが実感できた。

「ナビをお願いしていいですか? 下道に降りてからは、何かありそうならすぐに脇道へ逸れるので」と神白は言った。


結論から言えば、僕たちはC県に辿り着けなかった。
神白の懸念は一番悪い形で当たり、僕たちの車は「事故」のとばっちりで大破した。
そして、ヤツラに追い立てられ、雨に降られ、濡れ鼠になって、夜半に街道沿いのラブホテルに逃げ込んだ。

初めて入ったラブホの部屋は、ベッドカバーがやたらと赤いことをのぞけば、それほど変ではなかった。天井は鏡張りではなかったし、ベッドに仕掛けがあるわけでもなかった。

風呂に入り、ドライヤーで服を乾かすとだいぶ文明的な気分に戻れた。
神白が当たり前のようにベッドの片側に入ってしまったので、僕は床で寝るべきか迷った。

「なるべく寝ておいてくださいよ」神白は平然と自分の隣を示して言った。

「え、うーん」僕は何か言おうとしたが、気の利いた言葉は浮かばなかった。

「どうしたの。何もしませんよ」

「いや、この状況で何もしないとか言われても……」

「モテる気まんまんだな。調子乗んな」
神白は突然ガサツな口調で言うなり、ベッドの中央に背を向ける形で寝返りをうち、背中を丸めた。

僕が恐る恐る近づくと、神白はもう眠っていた。


2章へつづく)


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それはともかく「ゾンビつかいの弟子」は二次創作、ファンアート、絵、歌、朗読、無断転載、再配布、全て自由です。作者を偽らないでくれればあとは何をしてくれてもかまいません。もし面倒なら、特に報告なども不要です。皆で可愛がってやってください。

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アラサーのママです。#小説 タグを無差別に読みます。長編小説「ゾンビつかいの弟子」をよろしくお願いします。目次ご覧ください→ https://note.mu/toma_mori/n/n40761080856c 現在は続編「怪獣をつかう者」連載中。
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