怪獣をつかう者 3章-4

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これまでのあらすじ:神白と弟のトモル、友人の伊東は、「怪獣」上映ショーの会場で揉めていた関係者たちの住処「澤久間村」に乗り込む。


4.

「7時」伊東は腕時計を見た。「え、7時? 早起きすると1日が長いなあ。まあ、回ってみよう」
そう言って車を発進させた。
道の駅のある太い道路を逸れて、「澤久間村 ここから」という錆びた看板の立つ村道へ入っていく。あまり広くはないが、そのかわり信号も曲がり角もない道だった。左側に川原の土手、右側に田んぼを見ながら、緩やかにカーブを描き、どこまでものどかに続いている。

空はまだ曇っていたが、少し雲が切れて明るくなっていた。このあと晴れそうだった。

「伊東君は寝なくて大丈夫なの?」と、トモルは聞いた。

「まあ一応、昨日の夜に一回寝てるし。2時半起きだったのが辛いけど……もし眠くなったらまた寝るよ、どこかで」

「若さというのは財産だなあ」トモルは神白のほうを振り返った。「なあ? ヒシヒシと差を感じるよな?」

「いや、僕は二十歳くらいのときも無理だったよ」と、神白は言った。「徹夜、向かないんだ。ロングスリーパーなんだ、僕は。悪いけどもう一度寝ていい?」

「駄目」伊東はきっぱりと言った。「そういうね、許可を得なくてもいいようなことでいちいち許可を求めてきたら、基本的にリジェクトしていくね。絶対に寝るなよ」

「リジェクトってなんですか?」と、神白は聞き返した。

伊東はそれには答えず、「あと、『悪いけど』って言ったね。100円の罰金」

「もうそれ、いい加減にしてくれない? 伊東君」

「いい加減にしてほしいのはこっちだよ」

「ああ、うるさい」トモルが呆れたように言った。「何、お前たちずっとこんな会話してんの? 女子か!」

「だってこの人、ずっとどうでもいいことで謝り続けるんだよ」伊東は言い返した。

「それは伊東君が悪い」とトモルは言った。「君が甘やかすからだ。こいつは天邪鬼なんだから、『全部てめえのせいだ。早く謝れ』って煽れば、絶対に謝らないから」

「なるほどね」伊東は溜息をついた。「ちょっと僕にはとてもその情熱は持てないな……」

道はやがて川沿いを離れて、樹々の茂る斜面をくねくねと登りだした。林道を舗装して広げたもののように思えた。

神白は本当に眠かった。息がうまく吸えていない気がして、何度も深い溜息が出る。窓の外に流れる樹々の緑を眺めていると、視界がぐらぐらと歪んでくるような錯覚をおぼえる。不規則なカーブの繰り返しが、余計に酩酊したような感覚を誘った。

「これ、どこまで登るんだろ?」助手席でトモルが愚痴るのが聞こえた。

「さあね、知らない」と伊東は言った。「気になるならスマホで見れば」

「うん、そうね」トモルは笑いながら、「伊東君ってさ、大学の先輩にもその調子なの?」

「敬語は使うよ」

「そう?」

「まあ、相手にもよるけど」

「ふん。あんま目上の者を舐め腐ってると痛い目に遭うぞ。ていうか、痛い目に遭えばいいのに……」

すとん、と何処かへ落ちるように意識が途切れ、神白が次に顔を上げたときには、車は高台の広場のような場所に停まっていた。ほんの短時間の睡眠だったはずだが、急にスイッチを切り替えたように目が冴えてきた。

神白は隣の席の足元に押し込んであった車椅子を持って、後部席を降りた。
すっかり晴れている。

小山の中腹のようだった。雑草の生い茂った小さめの野原が前方へ向かって迫り出し、天然の見晴らし台のようになっている。舗装された道路はその手前でぷつりと途切れ、アスファルトの縁はボロボロと亀裂が入って崩れかけていた。

「僕は降りなくていい」トモルは助手席の窓を下げて言った。

「うん」神白は後部席に車椅子を戻した。

見晴らし台の先端付近、見ていて不安になるほど端のほうに、車が一台停まっていた。荷台が大きそうな、背の高いワゴン型の軽自動車で、白い車体が泥を被ったように汚れている。
その側にひとりの女が立って、大きな力強い目でこちらを見すえていた。

体格に対して大きすぎるTシャツ、ハーフパンツ、ビーチサンダル、と、少年のような格好をしているが、顔立ちからすると二十歳近いように見えた。肩上で短く揃えられた髪先が、乱雑に跳ねている。女性にしては少し背が高めで、剥き出しの腕と脚が妙に長く見えた。

「どこから来たの?」
彼女は神白と伊東を交互に見ながら聞いた。

「宮城県」伊東は物怖じせず近づいて行った。「ここに余所者が来るのは珍しい?」

「だってそこ、私道だよ」彼女は神白たちが来た道を真っ直ぐに指差して言った。「うちの私有地」

「そりゃすみません。真っすぐ繋がってたから……」

「何しに来たか知ってる」と、彼女は言った。「ユウちゃんに会いに来た。違う?」

「ユウちゃんって誰?」

「ボクが飼ってるワニだ」彼女は挑むような目で伊東を見た。

「ああ、君が本当の飼い主か」伊東は驚いた様子もなく、彼女のすぐ目の前まで行ってようやく立ち止まった。「思ったよりも小さい村だね。もっとぐるぐる回る羽目になるかと思ってたんだけど、分かれ道がなさすぎて。私道だとは知らなかったです。……ここにワニがいるの? それとも、君の自宅?」

「この山にいる。中に」彼女は言った。「家で飼えるような大きさじゃないです」

「見せてもらえる? 今朝、ハラヤマとかいう人とその仲間ふたりに、見せてもらう約束だったんだけど、揉めちゃってさ」

「あいつらはクソだもの」女は無表情なまま言った。

「そうだろうね」

「知ったような口をきかないで」

「はい、すみません」伊東は苦笑して神白のほうを振り返った。「どうする? ワニを飼ってるそうだよ、こちらの人」

「どうするも何も……」神白は、彼女に聞きたいことが山のように湧いてきて、言うべき言葉を決められなかった。

「ユウちゃんを見たいなら、見せますよ」と、彼女は言った。「そのために来たんでしょう?」

「そうだね」と伊東は言った。「見れるの?」

「いいよ。ただ、『中』に入ったら必ずボクの指示に従ってくださいね」
彼女はそう言って、数歩、立ち位置を移動した。そこで急に地面に這いつくばるような姿勢になって、草むらに隠れていた取っ手のようなものをつかみ、力を込めて引き上げた。

丸く、平たい金属の板が地面から持ち上がり、その上を覆っていた土と砂が滑り落ちた。彼女はその蓋をいったん下ろしてから、再度力を込め、今度は横にずらした。

地面に穴が現れた。

神白はゆっくりと、そのすぐ側まで歩み寄った。
彼女のずらした蓋は、雨水用のマンホールよりは一回り大きく見える。それでも、穴は人が通るための道としてはかなり狭い、暗い縦穴だった。剥き出しの土の壁に、手作りと思われる木の梯子が立てかけられ、底は暗く沈んでよく見えなかった。

「ここから入るの?」伊東が不安そうな顔で言った。

「ここからが近いですよ。別な道もありますが、そちらは道路が通ってないので、長く歩きます」彼女は少しの間、穴の底へ向かって耳をすますような仕草をしてから、立ち上がった。それから、助手席に残っているトモルの方を見た。「あの人も来るの?」

「彼は足が不自由だから」と、神白は言った。

「ああ。じゃあふたりだけですね。いいです。行きましょう」
彼女はそう言いながら、自分の車に戻って肩掛けの保冷バッグのようなものを出してきた。

その中から、古くさい形の懐中電灯が2本出てきた。

トモルが助手席の窓から顔を出した。「おい。どうすんの?」

「お前も来たいとか言わないよね」神白は言った。「この中にワニがいるらしい」

「ああそう。写真と動画、よろしく」

「おぶってってやろうか?」

「ダメです」と、女が鋭く言いながら、懐中電灯を渡してきた。「動画もお勧めはしませんよ。何かあってスマホを落としても、取りには戻りません。失くして惜しいものは手に持たないほうがいいです」

「危険なんですか」

「ユウちゃんはもう人間を信用しなくなっています。ボクの言うことも、必ず聞くわけではありません。あなたがたふたりは、走れますか?」

「どうだろう」神白は伊東を見た。

「走れるよ」と、伊東は言った。「速さにもよるけど」

「速くなくたっていいんです。ただ、自分の足できびきび動いてくれれば」彼女は四角いバッグを背中側に回し、さっさと梯子を下り始めた。

穴の底は思ったよりも近かった。ぎりぎり、神白の背丈よりは高いくらいのトンネルが、やや下りに傾いて続いている。天然の洞窟のようで、剥き出しの岩が不規則にせり出しているが、道は真っすぐだった。
百歩か二百歩ほど先だろうか、突き当りに水面が見える。ぼんやりと明るい。どこかから外の光が入っているようだった。

空気は湿っていて、独特のにおいがした。

「ボクが『戻れ』と言ったらすぐにこの道を走って戻ってください。梯子を登りきるまで止まらないでくださいね。後ろがつかえるので」女はビーチサンダルで不安定な岩の道を踏みしめながら、どんどん先へ歩いて行った。「帰りは、暗いですから、今のうちにときどき振り返って、帰り道をイメージしておいてください。急に振り返って戻ろうとすると、だいたい転ぶんです。速く走ることより、転ばないように意識してください。懐中電灯をつけっぱなしにしておいて。あ、一応フィルターをかけてますが、明かりをユウちゃんに向けないでくださいね」

神白と伊東が一本ずつもらった懐中電灯には、赤いセロファンが張り付けてあった。

「大きいの?」伊東は聞いた。「いつから飼ってるんですか? 種類は?」

「雑種と言われました」彼女は短く言った。「前に、専門の人が来たとき」

「専門家が来たんですか?」

「専門と言っても、ブリーダーです。ペットとして爬虫類を売りさばく仕事の人です。学者ではない」

「慣れてらっしゃいますね」と、神白は口を挟んだ。「よく、こうして誰かをここに案内されてるんですか?」

「よく……と言っても、あなたがたで3組目ですが」

「前のふた組は?」

「だからその、ブリーダーの人と、あとは、クソどもが雇った映画屋さんですよ。それを見て来たんでしょう?」

「あの怪獣の人たちですか」

「そうなんでしょうね。ボクは見ていませんが」彼女はものすごく冷たい口調で言った。

「なぜ、自分のこと『ボク』っていうの?」伊東が聞いた。

「なぜ?」彼女はちょっと間を置いてから、「今までそうしてきたからというだけです。ボクは心も身体も女性だし、恋愛対象は男性だし、スカートを履くことに抵抗もないです。……この答えで良いですか?」

「ああ、うん。そんなに立ち入ったこと聞くつもりじゃなかったんだけど」と、伊東は言った。

「そうですか? じゃ、どんな理由があると思ってたんですか?」

「あまり深く考えてなかった。ごめんね」

水面の全貌が見えてきた。想像よりも遥かに広い。池というよりも、地底湖、とでも言いたいくらいの広さだ。岩の天井がまるで吹き抜けのように高くなっていて、一部に隙間があき、そこから外の光が入っていた。

ほの暗い水は、とても透き通っていた。

女は水際よりも10歩ほど手前で立ち止まり、神白たちにも、それ以上前へ出ないようにと言った。

「これ、天然の水なの?」伊東が変なことを聞いた。

「そうですが。なぜですか」

「生き物が少なすぎる」

「それはたぶん、硫黄と塩分が混じっているからです。どこかから温泉が流れ込んでいるんです」

「おかしくない?」伊東はなぜか、神白のほうを振り向いて不安そうに笑った。「生き物が住める場所じゃない」

「ユウちゃんにとっては、ちょうど良かったんです」
彼女はまったく動こうとせず、静かな水面をじっと見ていた。
「ここは天然の温水プールです。水は温かいし、壁と屋根もある。今は夏だから分からないでしょうが、冬はものすごく暖かく感じます。ここから出たくなくなるほどです。それでもユウちゃんにとっては、かなりつらい寒さです……20度を切ってしまいますからね。よくここまで生き延びたと思います」

「だって、こんなところで何を食べて生きているの?」と、伊東は聞いた。

「それは後で説明しますが……ワニはそもそも、食事を滅多にしないんです。普通は、週に1回くらいです。半年以上食べなくても、死にません」

「……なるほど」

「見えますか」彼女は長い腕を上げて遠い水面を指さした。「あそこに鼻が見える」

目を凝らす必要は無かった。次の瞬間に、静かだった水面にさざなみが立ち、巨大な、とても長い顔が半分ほど浮かび上がった。

伊東が声を上げかけて飲み込んだ。
信じられないほどの速さで、『顔』はこちらの岸に向かって移動してきた。
音はしなかった。

「ユウちゃん」女は四角いバッグから細い棒のようなものの束を掴み取った。

マッチをする音がして、彼女が頭上に高く掲げた棒の束の先から、眩しく白い火花が四方に飛び散った。

煙。火薬のにおいが鼻を刺す。

鋭い火花を吐きづける花火は、目もくらむような明るさだった。何も見えなくなりそうだ。

「ユウちゃん! 来るな!」
叫ぶ彼女の背中の向こう側に、煙と光でかすみながら、歯と、背中と、長い長い尾が見えた。

「嘘だろう」伊東は恐怖にこわばった顔で、左手で神白の腕を強くつかんだが、右手にはしっかりとスマホを持って撮影していた。「アキちゃん! 見える? 見えてる?」

「見える」と、神白は言った。
見上げるほどの大きさだったあの「怪獣」の映像が、誇張ではなかったと感じる。水面に這うような姿勢なので、「高さ」を知ることができないが、たぶん顔の部分だけで人の背丈を超えてしまうだろう。
しかも、どうやら相手は今、水際に立ち寄った3人の人間を「標的」とみなしているようだった。

ワニは岸に上がろうとして前足を踏み出したが、彼女の向けた花火に怯えて少しだけ後ずさった。

「戻れ!」女が鋭く叫んだ。「戻って!」

「大丈夫なの?」伊東が動画の撮影終了ボタンを押してから、聞き返した。

「言ったでしょうが! 戻って!」彼女はひどく苛立った声を上げた。「つべこべ言わないで! 早く!」

「行こう」神白は伊東の腕をつかみ返し、強く引いた。

来た道を引き返して梯子を登り切り、地上に出るまで、神白と伊東はずっと背中に彼女の叱咤と罵倒を浴び続けた。
「ほんと何考えてんですか? スマホを出すなと言ったでしょうが? 若いくせになんでそんなに反応鈍いの? つうかあなたはなんで懐中電灯消してるの? 映画見に来てるんじゃないんですよ? 相手は生き物だって分かってんですか? ほら、そこで立ち止まらないで!」

ほんの数秒遅かったくらいで、罵りすぎだろう。こうなることは予測できていたんじゃなかったのか? 神白は彼女に色々言い返したかったが、結局地上に出てから最初に出た言葉は「すごい」だった。
「伊東君、見た? 凄い、あれは凄い」

伊東はまだ青ざめた顔で、地面に座り込み、呆れたような目で神白を見上げた。「……お前は、いつも幸せそうだな。本当に」

「さっきの動画、彼女とワニのツーショットで撮れてる? 僕、彼女をスケール代わりにしてワニの大きさが計算できるかも……」
写真から実際の長さを推定する方法を、神白は職場の先輩から教わっていた。事前に会場を下見できないような、突貫工事的なイベント設営の際には重宝するのだ。

「僕だってできるよ」と、伊東はあっさり言い返した。「でも計算するまでもなく7、8メーターはあるな。何喰ったらあんなになるんだ?」

「うちの村は、人の形をした化け物の通り道だったから」女が、花火の燃えさしを土に押し付けて、始末しながら、低い声で言った。

「は?」と、伊東が聞き返した。彼の表情にすごく嫌なものがよぎった。「それはつまり……」

「あのゾンビ騒動です」彼女は無表情のまま、淡々と言った。「震災の直後からずっとです。県にも国にも何度も訴えたけど、結局は無視されていたわけです、ずっと。だから、持て余したものが、ここに……この洞窟に、捨てられていました。定期的に。何度もです」

「あいつにゾンビを食わせていたの?」伊東は大きく息を吸い込んで、それから深く溜息をついた。

「なんてことを」神白は思わず、強い口調で言ってしまった。「それがどういうことだか分かってるんですか? 人間の味を覚えさせてしまったんだ。道理で迷いなく襲ってくるわけだ」

「ボクのしたことじゃない」彼女は言った。「ボクはただ、何もかも……こういう事になってから、初めて知らされて、そして引き受けたのです。後始末を」

「始末と言ったって、あんな……」伊東は何かを言いかけたまま、絶句していた。

「おい」トモルは、さっきからずっと、助手席の窓から上半身をほとんど出してこちらを見ていた。「写真を撮ってきたろうな? 仲間外れにするなよ?」

「わかったよ。今度君も連れてってやるよ」伊東は疲れたような顔で、車を振り返らずに言った。

「ちょっと適当なこと言わないで」神白はつい、真面目に言い返した。

「大丈夫だって」伊東も真顔で言った。「きっと後悔しないさ……だってそこで人生が終わるんだから」


(4章につづく)


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それはともかく「ゾンビつかいの弟子」は二次創作、ファンアート、絵、歌、朗読、無断転載、再配布、全て自由です。作者を偽らないでくれればあとは何をしてくれてもかまいません。もし面倒なら、特に報告なども不要です。皆で可愛がってやってください。

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アラサーのママです。#小説 タグを無差別に読みます。長編小説「ゾンビつかいの弟子」をよろしくお願いします。目次ご覧ください→ https://note.mu/toma_mori/n/n40761080856c 現在は続編「怪獣をつかう者」連載中。

コメント3件

おお。つながった。
3、4回前から「ひと山来るな…」という予感がしてぞわぞわしていました。こ、こう来たか!という静かな興奮を今覚えています。
伊豆さん
つながってしまいました。笑

かねきょさん
ありがとうございます。楽しんでいただけて何よりです!!
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