[最初から]ゾンビつかいの弟子 7章(後半)

(約11000字 / 読むのにかかる時間 : 約20分)

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こちらは「ゾンビつかいの弟子」本連載ではありません。


七章(承前)

3.


神白が「スターバックスに行ってみたい」と言ったので、S駅近くの歩行者専用道路に面した店に来ていた。

勝手に行けばいいのに、と僕は言ったが、僕自身入ったことがなかったし、神白にとっては、気後れしてしまうような憧れの場所のひとつらしかった。

入ってから改めて気づいたが、高すぎる。学生には痛い出費だ。昼近くなっていたので、サイドメニューを何か買いたかったが、とても手が出なかった。

で、飲み物のほうは、ふだん飲んでいるものの3倍の価格だからといって3倍腹が膨れるわけでもなく、もちろん、3倍の時間長持ちするわけでもない。

でも、ソファはすごく柔らかかった。

「それで僕は、この関数は引数に関わらず常に同じ値、R_XX1 を返すようになっていて、じっさいにメインの部分では再帰的に使われていると答えた。谷中先生は、つまり、時間が経つほどにRの2乗、3乗、4乗、5乗……と指数が増えるような漸化式だと言った。あと、Rは何の頭文字だと思う? と聞いた。僕は、曲率半径しか思い付かない、と答えて、隣の4年生が、比率じゃないですか、と言った。『指数関数の形で変化する比率か。何に使えると思う?』と、谷中先生はその4年に聞いた。彼は『このRの大きさは別な場所で1より大きい値として定義されているから、指数を取れば無限大に発散する』って言った。『人体を正常に制御するとき、無限大に発散するパラメータが必要な状況を考えにくい。これは自爆機構に関する数値かも知れない』。谷中先生はそれに対して、『それは定義域による』と言ったんだ。ホワイトボードに指数関数のグラフを書いて、その左端のほうだけを赤で囲った。『定義域をここら辺で狭く取れば、丁度良く下に凸のカーブを描いて上昇する地味な曲線になる。だから、何かの比率としてきっと使い道があるだろう』と……そしたらね、その4年が、でも、と言い返したんだ。『でも、整数乗だけを取るのだから、かなり離散的になりませんか』って……

相手は准教授だよ? 年齢も倍だよ。相手はこの道のプロで、目上なんだよ。なのにお構いなしで、平気でね、『でも』とか言うんだから」

神白はソファに深く背を預けて、足を組み、微笑んで僕の話を聞いているような顔をしていた。本日、彼は自分の持っている服の中で最も真面目なものを、真面目な組み合わせで着ていた。まるでインテリのように見えた。それは、彼の日本人離れした顔立ちのせいでもある。

「……君はさ、どれくらい聞いてるの?」僕は話を中断して尋ねた。

「全部聞いてるよ。まったく意味がわからないけど」と、神白は言った。

「だいたい、どれくらいは聞き取れてるの?」

「いや、ちっとも」神白は首を傾げた。「まずね、僕、『値』なんて言葉を素で使う人を初めて見た」

「うーん。文明の隔たりを感じるな……」

「でも、続けてよ」神白はにこにこして言った。「伊東君はね、勉強してるときと、勉強の話をしてるときは、目が輝いてるね」

「え、そう? 特に楽しくはないんだけど」

「そう、辛そうだよね。でも、目だけ輝いてるんだなあ」

「はあ……そうなのかね」

向山研究室でのゼミについて、他の誰にも愚痴れないので、僕は神白を相手に定期的に愚痴っていた。神白のスマホがようやく復活したので(誰の金なのかはあえて聞かなかったが)、たいていは電話を掛けて一方的に愚痴っていた。

本日、珍しく直接会うことになったのは、トモ君がまた街中の病院に入院したので、その見舞いの帰りにスタバに行きたいと、彼から打診があったためだ。

「トモ君はどうなの」僕はゼミの話を切り上げて聞いた。

「まあ、弱ってたね。いつもそんなもんだけど」神白は穏やかに言った。

「僕が会った時、すごく元気そうに見えたけどな」
セントラル・プラザの前で、自分より年上の男に怒鳴り散らしていたトモ君を僕は思い返した。

「ま、元気そうなふりをしてる時と、そういうふりもできなくなる時と、繰り返しだよ」

「脊髄って大変なんだね」と、僕は言った。

「色々繋がってるからね。でも、上の方でなくて良かったんだ。ほぼ、腰だからね。もっと、背中とか、首に近いところをやられてたら、本当にベッドから出られなかったし、長生きも望めたかどうか」

今のトモ君は長生きが望めるのか、と僕は聞こうとしたが、さすがに躊躇してしまった。

「僕も見舞いに行っていい?」

「やめといたほうがいい。嫌がるから」神白は笑った。

「そういうもの?」

「弱ってるとこは見られたくないらしい。病室に友達を入れたことがない」

「やっぱり、そこは兄貴にしか見せないんだ」

「いや、僕もめちゃめちゃ嫌がられるよ。だからもう、今回はたぶん、見舞いはこれっきりだ。実はさっき、大喧嘩してしまった……」
神白は組んでいた足を解いて、ちょっとテーブルのほうへ身を乗り出した。

「君たちは学習しないね」と、僕は言った。「何回喧嘩するの。何をそんなに争うネタがあるわけ。逆に感心するよ」

「だってさ、向こうが喧嘩売ってくるわけだよ」

「いや、もうその手には乗らないぞ」と僕は言った。「どうせトモ君は『アキちゃんに喧嘩を売られた』と言うに決まってる」

「言うだろうよ。まったく。あいつはほんとに性根が」神白は何か言いかけていたが、中途半端なところで切った。

この店は、入口側はほぼ全面がガラス張りになっている。そこから歩行者専用道路を行き交う通行人を見渡せる。今、そこで乱闘が始まっていた。

男が4人。

若い者3人と、汚い身なりの中年男。
3対1の構図で、ほとんど一方的なリンチになりかけていた。
中年の男は路上に叩きつけられたが、そのまま素早く身を捻って立て直し、逃げ出した。

「ゾンビ!」若者のひとりが、男の逃げる方向に向かって怒鳴った。「ゾンビだ! ゾンビが逃げた! そいつを捕まえろ!」

「あれは人間だ」神白はソファから勢いよく立ち上がって、外へ出て行こうとした。

「待てよ」僕は急いで彼の腕を掴んだ。「放っておけ。関わるなよ」

「彼は人間だよ」神白は僕を振り切ろうとした。

「放っておけよ」僕は握力計を握るくらいの勢いで神白の腕を握りしめた。「珈琲一杯飲む間くらい座ってられないのか? 警察に任せろよ」

「伊東君、痛いです」

「警察に任せろよ」と僕は繰り返した。

神白はかなり渋々ながら席に戻った。

「なぜ、そう落ち着きが無いの……」僕は文句を言おうと思ったが、途中で笑ってしまった。

「いや、落ち着いていられる? あんなの。可哀想だよ、あの人」

「興味を持ちすぎだよ。ここは君の村じゃないんだよ。変な人なんて山ほどいる。いちいち首を突っ込んだらキリがない」

「けど、あれはまずいですよ」神白は言った。「きっとまずいことになるよ。パニックが起きたら、本当に殺されかねない」

「じっさい、東京じゃ何人か死んでるよね。人間が」

「ほんとにまずいと思うよ。テロよりも面倒になりそう」

もうすでに、なっていた。
疑心暗鬼になった人間同士での、事故とも事件ともつかないような殺し合いが、各地で起きようとしている。マスコミも過敏になっていて、大事にはならなかったような小競り合いであっても、わざわざ大枠で報道する。それがさらに状況を加熱させており、マスコミの報道自体が問題の源なのではないか、という批判も日増しに強くなっている。

「こんなのって、いつか終わるのかな」僕は暗澹たる気持ちで言った。

「もちろん、いつかは終わる」神白はわりと自信ありげに言った。

「そう思う?」

「何にでも終わりはある。不安定な時期というのは、長くは続かないよ」

「僕には終わりが見えてこないな」

「終わらなければ、それが日常になるんだと思うよ」神白は言った。「ずっと興奮し続けていることはできないから。みんな、ある意味飽きてくるし、ニュースにもならなくなって、忘れられるんだろう」

「そう上手く収まるといいけど」

「だって、『初期型』の騒ぎがそうだったでしょう? 最初にうちの近所でアレが見つかったのは、かれこれ5年くらい前だ。そのときはすごく、ニュースにもなったんだよ。マスコミの取材も来た。でも今じゃ、誰も覚えてすらいない。そんなものだよ」

「そんなものか……」

その、忘れられた問題によって、トモ君はシャレにならない重傷を負ったわけだが。

「アレと共存してかなきゃいけないなんて、僕は考えたくもないけど」

「でも、伊東君のしている勉強は、そのためのものじゃないの?」

「わからないな。どう転がるのかは。谷中先生は、とにかく見届けていたいと言ってる。他の奴に任せていると、何をされるか信用ならないからと。谷中先生は、悪夢を見ると言ってた。ヤツラに話しかけられる夢を見ると、次の朝はご飯を飲み込むことができないって」

「そりゃ壮絶だね」と、神白は言った。

「でも、谷中先生のことだから、その話自体もどこまでほんとかは、わからないけど」

「そう?」

「すぐに大袈裟なことを言う。口が上手いんだ。だから僕はたぶん丸め込まれてるんだよ。今週で最後にしようと、何度も思うんだ。でも、また上手いこと言われて、次の週も呼ばれてしまう」

「伊東君」神白は自身の膝の上に身を乗り出すようにして、僕をじっと覗き込んだ。

「え、何?」

神白は真面目な、しかし笑いを含んだ表情で僕を眺め、
「僕はね、伊東君がこんなに何かを熱く語るところを見たことがなかったよ。君はいつも、何を見ても、何を言われても、『これじゃない』という顔をしてたけど、今は、ゼミの話をするたびに、まるで『このために生まれてきた』というような顔をしている」

「まさか」と僕は言った。「冗談じゃない」

「いや、辛そうなのはわかるよ。でも、運命、というか、使命、ってものがあるのかなと思う。誰にでもね」
神白は少しまた姿勢を崩して、ガラス壁の向こうの人通りを見やった。

もう、通りはふだんの平和な活気を取り戻していた。
都会の時間の流れは早い。一瞬前のことが、もうすでに過去だ。

「神白はさ、あのB山のハッカソンの連中に、『死人に鞭打ってるだけ』と怒ってたよね」

「そうだな。あいつらはムカつく連中だったな」

「僕の関わっていることもそうではない?」

「そうだろうけど、それが伊東君のすべきことなんだから」神白はごく当たり前のようにそう言った。

「僕にはそう実感できないよ」

「うん」
神白はそれ以上何も言わずに、飲み物のカップを取った。

「僕に才能があるんなら、僕だってこれが自分の使命だと思える……」
神白が笑い出そうとしたので、僕は急いで遮った。
「いや、これは本当なんだ。だって『彼女』は、去年の時点で、高校生だよ、完全に素人の独学で、それで今の僕よりも遥かに自由にあれを読み書きできた。そして、ゼミにいる他の人は、みんな、彼女の10倍以上の能力があるんだ。向山先生の言ってることなんて、僕には99パーセントわからないんだよ。神白が僕の話を聞いてもまったくわからないのと同じくらい」

「いや、使命というのは、才能とはまた違うんじゃない?」神白は笑ったまま言った。

「じゃあどういうものなの?」

「わからない」神白はあっさりと言った。「わからないけど、まあ僕は来週も伊東君の意味不明な話に付き合うよ。意外と楽しんでるんですよ、僕はこれで。伊東君は先生の話が理解できないとつらい?」

「死ぬほどつらい」

「それがすごいよね。僕なんか、意味わかんないこと言ってんなあって、笑いたくなっちゃうから」

「君ほどお気楽じゃないんだよ、僕は」

「はいはい、そうですよね」

状況は悪くなるいっぽうのような気がした。関所の運用は以前にも増して厳しく、近頃は県境を越えない移動であっても、「不要不急」であれば後日にしてくれ、などと言われるらしい。こうなる前に旅行をしとけばよかった、という声はよく聞く。僕自身は取り立てて遠出に興味はなかったが、それでも、とうぶんこの周辺を離れることは難しいのだと、あえて意識させられると息苦しさを感じる。

「どう?」と僕は、しばらくしてから言った。

「え、何?」

「スタバは気に入った?」

「うーん。まあこんなもんかねえ」神白は天井あたりを見上げた。「確かに美味しいし、おしゃれだね。通いつめる人がいるのはわかる」

「僕たちには、さほど似合わない場所だよな」と、僕は言った。

「まあね。でも、たまにはいいものだよ。また来よう」

「あのね、神白が働いて奢ってくれるんなら、僕もまた来ようと思うよ」

「あ、それね」神白は実に軽い口調で、「じゃ、来月からちょっと働いて来るんで」

「適当すぎるよ。君を雇う職場が気の毒だ」

「いや、実はもう決まってるんです」と、神白は言った。「昨日、採用の通知が来たんです。だから僕は、ほんとに来月からお仕事」

「へえ。どうしたの急に」

「どうしたのかな。ほんとにね」神白はひとごとのように笑って、仕事の内容も、今後のスケジュールも、話そうとはしなかった。

あ、これは本気だな、と僕は思った。
金目当ての一時的なアルバイトではなく、本気で社会人になる気だ。

またどこかへ行ってしまうのだろうか、と不安になったが、僕が引き止める筋合いでもない。

神白はしばらく無言で僕と、店の中をふわふわと見渡していたが、やがて言った。
「あとさ僕、もう1個どうしても行ってみたいところ、あるんだけど。ひとりで行きづらいから、そのうち誘っていい?」

「どこ?」

「ディズニーランド」

「さすがにそれは女の子とにしたら?」
僕は呆れて言った。

「あ、そうか。そういう場所か」

「どういう場所だと思ってたんだよ。何が悲しくて男ふたりで」

「いやあ、考えたことなかった」神白は無邪気に言った。「困ったなあ。ハードル高いな」

「ちょっとしっかりしてよね。僕を誘わないでね。僕は女の子と行くから」

「ああ、だいぶ先は長そうだ」神白は溜息をついた。

「君はそれなりに雰囲気はあるのに、なんでそう、女っ気が無いんだろうね」と、僕は言った。

「そりゃ、女の子は賢いから。僕と付き合ったらどんな目にあうのか、付き合わなくてもわかるんだろう」

「自分で言ってりゃ世話は無いね」

「ほんとに」神白はしかし、すごく楽しそうな顔で「じゃあどうしようかなあ」と言って、またしばらく何かを考えているようだった。



4.

「俺さ、今週末、G県に行ってくるんだけど」と、谷中先生が言った。

ゼミが終わって、向山教授は「会議がある」と言って先に退室し、残りの者は椅子を片付けていた。

谷中先生は僕たちを見回しながら、言った。
「『本体』の様子を見てくる。それはともかく、お土産何がいい?」

「G県て何が有名なんですか?」4年生の学生が聞いた。

「さあ。知らん。何も有名じゃないんじゃないか? だって俺が知らないもの」谷中先生は笑いながら言った。

「また前回と同じのでいいんじゃないですか」研究員の久山さんが椅子を重ねながら言った。

「前回のって、あのどら焼き? あれはO駅で乗り換えたときに買ったやつだよ。しかもたぶんあれ、東京土産だ」

「あれがいいですよ」院生のひとりが言った。「『G県に行ってきました』って書いてあるクッキー」

「ああ、あれって全都道府県ぶんあるの?」

「あると思いますよ」

「あれ、中身はただのクッキーだよ」もうひとりの院生が言った。

「そんなこと知ってるわ」

「いや、袋に『行ってきました』って書いてあるだけで、中身は無地のクッキーなんだよ。だからさ、袋だけ印刷してるんだよ、その会社では。クッキーは別んとこから持って来て、詰めるだけ」

「え、すごいな、ビジネスだなあ」

「じゃあそれ買ってくる」と谷中先生は言った。

「おひとりで行くんですか?」と、僕は聞いた。

「ああ。向山先生は今回、都合つかなくて。あと、希望する人いたら一緒に連れてくけど?」

学生たちはしんとなって、それぞれ変な苦笑いをした。

「僕、行ってもいいですか」
と、僕は言った。

「ほんとに? 別に俺は構わないけど」谷中先生は笑いながらの口調だったが、本気で驚いた目をしていた。
「けっこうキツイよ。大量にいるよ。時間もそれなりにかかるよ。俺、1個試したいことがあるから」

「また、喋らせるんですか?」4年生が聞いた。

「どうかな。どう出るかは分からんが。血が出るかも知れない。伊東君、血は大丈夫な人?」

「いえ、苦手ですが……けど、急に倒れたりはしません。前にも『爆発』は目の前で見たことがあります」

「あらそう。意外と修羅場をくぐってるね」

交通費と『関所』用の申請書類を出す必要があると言われ、片付けが終わった後、僕だけ准教授室に移動した。

「S駅で待ち合わせよう」
僕が書類を書き終わると、谷中先生は言った。
「土曜日ね。7時。新幹線の改札ある階の、みどりの窓口のところ。わかる?」

「はい」

「大丈夫? 嫌になったら、ドタキャンでいいからね。行けなくなったとメールだけくれ」

「はあ」

「伊東君ってさ、あのロボットに何かあるの?」谷中先生は軽めの口調ながら、相当真面目な目で僕を見つめて聞いた。

「さあ。何か、というほどのものは」

「ほんと? 親を殺されたりしてない?」

「いえ、親は居ますよ、ふたりとも」

「ほんと? 何かあるんならさ……いや、話したくはないかも知れないが、俺で良ければいつでも聞くよ。話すと気楽になるかも、少しは。まあ俺じゃない方がいいか」

「友達が、そういう奴が多いんです」僕は言った。「ひとりは、ゾンビ退治をしてます。わざと、居そうなところへ出掛けて行って、ゾンビを狩るんです。……もうひとりは、去年ですけど、ゾンビを捕まえてプログラムの書き換え実験をしてました。ネットで集まった、素人の集団です。『爆発』をコントロールできなくて悩んでましたけど、すごく高度なことをしてました」

「なるほど。魅入られてしまったクチか」
谷中先生はじっと考え込むような目で、まだ僕を見つめていた。

「自分では、よくわかりません」と、僕は言った。「僕には向いていないような気がします」

「いや、君は向いているよ。ただ、俺は、君は普通に情報系のエンジニアとして、システムを運用したり、それか、アプリとか開発したり、そういうことのほうが好きなんじゃないかと思ったけど」

「わかりません。あんまり考えたこと無かったです」

「だって、この生体ロボットの研究はいずれにしろ、もってあと3年だよ」と、谷中先生は言った。

「え?」と、僕は反射的に聞き返してしまった。

「いや最近、俺の友達の研究者が論文を出してね。そいつ、山奥にずっとこもって、生体ロボットの寿命を計測してた人だ。その人が、3年程度が限界と結論を出した。それを過ぎたら、停止する、つまり、肉体の死が訪れるんだ。こればかりは誰にも止められないようだ。だから、今この国で持ってるアイツラは、最大でもあと3年しか動かない。この国では新しく自分たちで生体ロボットを製造することは、さすがにできんだろう。素材を持ってこれないからな。それに、相手もこれ以上は送ってこないだろう。送れば送るほど、日本という国の手持ちの生体兵器が増えるだけとわかったからには。だからこれでもうお終いなんだ。終わったんだよ。俺たちはその後始末をどう付けるかを議論しているだけであって……何を話してたんだっけ? そう、つまり3年後にはこの研究は『店じまい』となる。君はそのとき、えーと、4年生か。22歳? 23歳? そこからが人生の始まりだろう、言ってみればさ。将来、何をするの?」

考えたこともなかった。

この『戦争』はもう終わっていて、もしくは、終わりが決まっていて、あと3年経てば……いや、3年もしないうちに、神白の言ったとおり、世間はすべて忘れるだろう。

脱走したヤツラも、野放しになっている『初期型』たちも、このまま何もせず時間の経過を待てば、すべて倒せるのか。

僕が何もしなくとも。

つまり、僕にはやはり『使命』などは無く、今、これに囚われてのめり込んでしまっているのは、僕自身の問題であって。

「……先生は、もともとは何の研究をされてたんですか」

「俺? 俺は、元の元は、ロボットアームの制御。俺、学部と院はK大学で。その後、こっち来てからは、画像処理だ。ロボットの目だな。目というより、視覚野、つまり脳のほうだね。いま流行りの、AIだよ」

「ゾンビが……生体ロボットの研究が終わったら、またAIをやるんですか」

「というより、今もそっちがメインだよ」

つまり、この『生体ロボットのコード分析』のほうはメインではなくサブ、片手間の仕事だというのか。
何のことはない、この先生もやはり、この大学には掃いて捨てるほどいる『天才』たちのひとりなのだ。

「まあ考えておいてくれよな」と、谷中先生は言った。「3年の配属のときうちに来てくれるんなら、卒論のテーマはいいのを用意しとくよ。君の場合、卒論は生体ロボットじゃないほうがいいだろう。修士まで続けられるやつにしたほうがいい。院には行くんだろう? まだ決めてない?」

「決めてないですが、たぶん行くと思います」

「まだ、1年だもんなあ」と谷中先生は笑った。「先の長い話だよな、君にとっちゃ。あまり飛ばし過ぎるなよ。長く続けられる体力配分ってのを見とかないとな。でもそうだよなあ、若いから、無理がきく年齢だもんな。毎日全力で振り切りたくなるよな……」


大学の先生と研究施設の見学に行くと話すと、母は「あなた、そういうところに着ていく服を持ってないでしょう」と言って僕を2階の奥の部屋に連れて行った。

父が単身赴任先に持って行かなかった物が、そこに詰め込んであった。

母はだいぶ何年も忘れ去られている様子の衣装ケースを開けてパタパタと中身をひっくり返し、スラックスと、ワイシャツ、ジャケットをいくつか広げた。

「どの組み合わせでも変にはならないと思うけど。サイズだけね。このへんはお父さんが若いとき着てたやつだから、いけるんじゃないかな」

僕はその場で着てみた。防虫剤のにおいがきつかった。

「あら!」と母は言った。「裾上げ、要らないじゃない。大きくなっちゃったねえ」

いかにも残念そうな口調だったので、僕は苦笑した。
「そりゃ、19歳ですからね」

「早いわあ。つい昨日までお腹に入ってたはずなのに」

「さすがに大袈裟……」

脱いだ服の中でスマホが鳴り出したので、僕はそのまま部屋の物の整理を始めようとしている母を置いて、自分の部屋へ行った。

画面には未登録の電話番号が表示されている。

谷中先生か、研究室内の誰かかも知れないと思って出ると、
「お兄ちゃん!」と元気な声が耳に飛び込んできた。

「あっ……君か」

「お兄ちゃんひっさー」ビィはよく分からない挨拶をした。「元気? 生きてた? 大学落ちた?」

「受かったよ」と、僕は言った。

「ナンダッテー?」ビィは変な棒読みをして、そのあと、妙に真面目な口調で「おめでとうございます」と言った。

「ありがとうございます」

「T大? じゃあ、今も実家?」

「そうだよ。君は帰国したの」

「ああ、うん、とっくに。というか、けっきょく中国でのほうは上手く行かなくてさ。そのあと、アメリカで、という話もあったんだけど、状況もだいぶ変わっちゃったし、私のほうも生活を確保しなきゃで、今はぜんぜん違うことしてるんだ」

「へえ。何してるの」

「仕事だよ。仕事。アイティーキギョウですよ。練馬に住んでる」

「練馬って、東京だっけ?」

「そうよ」ビィは呆れたように言った。「前から思ってたけど、お兄ちゃんて、もんのすごい田舎モンだよねえ。練馬が東京かどうか素で聞く人を初めて見たわ!」

「いや、ほんと知らないし」
僕は笑いながら、自分が落ち着きなく部屋の中をぐるぐる歩き回っていることに気づき、ベッドの端に腰を下ろした。

「とにかくさあ、週末S市に行くからさあ、会えない? ご飯と酒でも」

「僕たちまだ飲めないでしょ」

「何を言ってるの、数えでハタチよ」

「数えじゃ駄目だって……というか、僕、今週末は用事があるんだ」

「あらら、そうか」ビィは意外にも、かなり残念そうな声だった。「ごめんね。直前すぎたか……」

「僕、いま、ゾンビの研究してる先生のとこにいて、今週末はG県の隔離施設を見に行くんだ」と、僕は言った。
言いながら、少し緊張を感じた。

「ナンダッテー?」と、ビィはまた言った。「お兄ちゃんそんなのいちばん駄目そうなのに。お兄ちゃんまず、ゾンビにさわれるの? 見れるの? 前、見ただけで吐いてたじゃん?」

「うーん、普段はソースコードばかり見てるからなあ……」

「なんだ。けっこう好きなの、そういうの」

「わからない。先生に、向いてると言われてるけど、自分でそうは思わないな」

「あらやだ、こんな臆面もない自慢をする人だったとは」ビィは楽しそうに言った。「じゃあとにかく今週は無理そうねー。また今度誘っていい?」

「え、あのさ、もう誘わないでよ」
僕は、笑いながら言ったが、言った瞬間にもう身体の芯から震えるほど苦しくなった。

「あれ? 駄目? なんで?」

「期待をさせないで」と、僕は言った。

「ああ」ビィはものすごく短い時間、間を置いた。「そっか。そうだよね。私、そんなつもりじゃなくて……」

「わかってるよ。電話、ありがとう。……嬉しかったよ」

「やだなあ。もう電話しちゃ駄目なの?」

「僕にそんなことが言えると思う?」
声が震えそうになる。

「あ、うん、わかった」ビィはまた少しの間、黙り込み、「またお互い、落ち着いた頃にね」

「そうだね」と僕は言った。「そうしましょう」

「もしくは、私が伊東君と付き合いたくなったときにね」

「だからさ、そういう期待をさせるなと……」

「いいじゃん。身もだえて待つがいい! そんなこと言って、どうせ今年のクリスマスは別な女の子と過ごしてるに違いないよ、伊東君はさ」

「徹底的にえぐってくるな……」
僕はだんだん笑えてきてしまった。

「だって大学生でしょ? しかもT大でしょ? そしてその顔でしょ? 私はね、その顔でT大に入って1年も貞操を守れる少年がいるとは、信じないね」

「貞操ってね、君……」

「まだ私に未練があったことのほうがびっくりだよ。てっきり既に3、4人は食ったものと」

「こら、いい加減にしろ」

「あ、そうか、私から切らなきゃ、切れないんでしたね。それじゃさようなら。また電話するよ!」
ビィは元気よく残酷な予告をして、一方的に電話を切った。

僕は通話終了ボタンを押し、それから、履歴に残った番号を電話帳に登録しようか、それとも履歴自体を消去しようか、何秒も悩んだ。

何分も、何時間も、そして何日も……何ヶ月も悩むことになるのだった。



(八章につづく)


これにて「最初から読み直し」が本連載に追いつきました。ありがとうございました。
週末はぜひ最終章(八章)をお楽しみください。


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それはともかく「ゾンビつかいの弟子」は二次創作、ファンアート、絵、歌、朗読、無断転載、再配布、全て自由です。作者を偽らないでくれればあとは何をしてくれてもかまいません。もし面倒なら、特に報告なども不要です。皆で可愛がってやってください。

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アラサーのママです。#小説 タグを無差別に読みます。長編小説「ゾンビつかいの弟子」をよろしくお願いします。目次ご覧ください→ https://note.mu/toma_mori/n/n40761080856c 現在は続編「怪獣をつかう者」連載中。
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