[最初から]ゾンビつかいの弟子 3章(前半)

(約11000字 / 読むのにかかる時間 : 約20分)

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こちらは「ゾンビつかいの弟子」本連載ではありません。今後の投稿スケジュールはこちら


三章

1.

「ゾンビとヴァンパイアの一番の違いは何だと思う?」
ビィが言った。

なんだよそれ、と僕が言う前に

「倒し方!」
と神白が答えた。
「ヴァンパイアは心臓に杭を打つ。ゾンビは銃で頭を撃つでしょう」

「そうだっけ」
僕はぼんやり考えたが、どちらについてもあまり知識は無かった。正直、ゾンビとヴァンパイアに言うほどの共通点があるのかどうかも、よく分からない。

「ヴァンパイアはね、人の家に侵入できないんだよ」
とビィは言った。
「家に招かれないと入れないの。だから変身したり言葉を話したりして、人とコミュニケーションをはかるの」

「そう考えるとすごく礼儀正しいですね。ていうかコミュニケーション取れるなら、退治する必要もあんまり無いような」

「でも、血を吸うからね」

「巨大な蚊だと思えば、まあ、無理か」

「キョンシーは?」
僕は昨夜の神白の言葉を思い出して聞いた。

「キョンシーねえ。キョンシーは戦場の伝説なんだよね」
とビィは言った。
「ヴァンパイアは『死体が墓から出てくる』っていう、よくある墓場の怪談なんだけど、キョンシーは昔、中国で、戦死した兵士を自宅に帰す習慣があったことがその起源なんだよ。遠征した先で兵士が死んだら、その身体を棒に括り付けて、生き残った者達で担いで帰るの。山越えをしなければいけないから、寝かせて運べないんだよ、肩のところを括って立たせた状態で運ぶわけ。それも一人や二人じゃないわけよ、戦争だからね。で、『実はただ運んでるんじゃなくて、死体がひとりでに歩くような黒魔術を使ってるのだ』っていう怪談が出てくるわけ」

「黒魔術じゃなくてもその絵面は怖いね」

「キョンシーは家に侵入できるんですか?」
と神白が聞いた。

「入れるんじゃないの? キョンシーは操ってる人が居るからね。その人の命令次第だと思うよ。
実はゾンビも、元ネタのアフリカの伝説では術者がいて。墓場の死体を黒魔術で蘇らせるっていう伝説なの。
キョンシーは暗殺者として使われるんだけど、ゾンビはたいてい、農場で働かされるそうだよ」

「蘇らせる目的に土地柄が出ますね」

「実際、死体にやらせたいほどの仕事って、限られてくるよね……」
僕は軽く口を挟みながら、なんだこの会話は、と思った。

山道は登るより下るほうが辛い、というのは本当だった。
身体は軽く感じるのに、脚だけが酷使されていく。まだ1時間も歩いていないのに、膝から下に痺れとも痛みともつかない奇妙な浮遊感が付きまとい、僕は先程から何度も足をもつれさせていた。

神白は何度か、転びそうになる僕の腕を掴んで支えたが、「大丈夫?」とか「休もうか」とは一言も言ってこなかった。

速度のペースを作っているのはビィで、彼女は喋りながらぴょんぴょんと危なっかしい身軽さで下っていく。
上機嫌な顔だったが、足取りは決して緩めなかった。

明らかに怯えている。

無理もない状況、と言えばそうなのだけど、しかし彼女にしては怯えすぎじゃないかという気もした。
僕や神白はともかく、ビィには自分の一声でヤツラを停止させる「隠しコマンド」がある。万が一、ヤツラに追い付かれたとしても恐るるに足らないと思うのだが……

そんな僕の考えを察したのか、ビィがふと振り返って言った。
「お兄ちゃん、私の『ていし』コマンドはもう死んだと思ってね」

「死んだ?」

「昨日使った時点で、私がコマンドを仕掛けていたことは向こうにバレた。向こうはプログラムを読み返して該当のコードを除去する。バグを取り除いてアップデートするんだよ。コマンドは何個も仕掛けてるんだけど、今頃は全部消されてるかも」

「次に出くわすゾンビは、新バージョンだということ?」

「そういうこと」

「まるでスマホだな……」

「そうそう、彼らは独自の通信回線も搭載してるから、ほんとにスマホだよ」

「通信も? でも、ネットは落ちてるのに……」

「そもそも、ネットが落ちてるのは日本だけだよ。ちょっとした設備があれば今でも海外のネットは見れるよ。だから私は昨日もツイートしてる」

「ツイート……」
Twitterなんかしてる場合なのか。
まあ、ビィみたいなIT系コミュニティの連中は地球が滅びる瞬間に「滅亡なう」くらいは投稿しそうな風潮がある。それは知っているが。

「ネットが止まっているのになぜネットが見れるんですか?」
と、神白が聞いた。
ビィがすぐには答えなかったので、神白は「僕たぶん、すごく素人的な質問をしてると思いますが」と付け足した。

「日本では全国の基地局が止まったから通信ができなくなった。なんというか、集配センターを潰せば手紙が届かなくなるのと一緒だよ。中継してくれる場所がなくなったってこと。ただ、住所や道路はまだ残ってて機能してるし、手紙も破棄されてはいない。だから自分で道を調べて繋げばいいってことなの」

「へえ……何だか、それだけ聞くと簡単そうに聞こえますね」

「私もテクニックの詳細は知らないんだ。知っている人を知っている、っていうだけで」

「あとどれくらいなの?」
僕は我慢していた言葉をついに口にしてしまった。

降りても降りても代わり映えのない石と笹薮と腐りかけた樹木の風景だ。しかも道が曲がりくねっていて全く先が見えない。どこかでずっと川の流れる音がしているが、川は一向に見えてこない。

「3分の1くらいは来たんじゃないかな? なんとなくですが」と神白は言った。

そんな事くらい僕だって言える。

「お兄ちゃんはさ、受験生なんだから私達より博識でしょ。何か披露できる雑学とかないの?」
ビィは階段のように続く木の根の段差を跳んで下りながら聞いた。

「はあ……雑学?」

「そう。『ジャガイモは根ではない』とか」

「うーん」
喋って気を紛らわすしかないということか。
「……水1リットルとアルコール1リットルを混ぜると、合計は少し減って1.9リットルくらいになるらしい」

「ほんとですか? なんで?」神白が食いついた。

僕は無視して、
「全ての回転する機械は、ある回転速度に達したとき突然ガタガタ震え出して壊れる」

「えっ。それはどういう……」

「逃げようとする相手をクロロホルムで気絶させることはできない」

「マジですか?」

「漫画で陰陽師や忍者が使う『おんなんとか、そわか』っていう呪文の殆どは弘法大師が伝えた真言宗の真言」

「えっ、えっ」

ああ、馬鹿な人相手に知識をひけらかすのは楽しいな。

「解説はないの?」
ビィが言った。

「解説ねえ」

「クロロホルムで気絶しないってのは本当ですか?」神白が聞いた。「ドラマでよく、あるじゃないですか」

「最近のドラマでさすがにそんな場面ないでしょ」とビィが言ったが、

「いやいや、僕はつい去年も観ましたよ」と神白は言い張った。「お昼のサスペンスドラマってすごいんですから。台詞や演出は完全に昭和なのに、小道具はスマホだったりするんですよ」

しかしそんなもの観てるのはニートと主婦だけだろう。ドヤ顔で言うようなことじゃない。

「クロロホルムは大昔に手術用の麻酔として使われたんだけど、結構大量に吸ってもあんまり効かないこともあったりで……
暴れる相手に無理やり嗅がせても眠らせることはできないし、量を増やせば早く眠るというわけでもないんだよ」
と、僕は解説した。

「へえ。そうそう便利な薬って無いんですね」

「そういえば、悪霊退散の、」
ビィが言いかけた言葉を中途半端な所で止め、立ち止まった。

ビィの視線の先、今来た道を振り返る。

木の根が抱え込んでいる大岩の脇を降りたばかりだったので、道がえぐるようにカーブして、先ほどまでいた場所がまったく見えない。

しかし、先ほど僕たちが通ったと思われる方向から、不吉な音が聞こえた。

足音。

熊や猪の類ではないだろう。ここまで無防備に音を立てて歩く獣はいない。
道は一本しかなく、音は明らかにこちらへ向かっている。

どうしよう、と思う間も無く、カーブの先から足音の主が現れた。

「うげー」
とビィが言った。

どことなく日本人らしくない、無表情な顔。ほとんど模様が見えないほど色褪せた迷彩柄のシャツに、くたびれたジーパンという姿だ。
僕たちを見ても足取りは全く変わらず、ズカズカと近付いてくる。

ビィが口を開く気配があったが、
「使うな!」
と神白が叫び、ためらいなくそいつに掴みかかった。

化け物の腕がばね仕掛けのように反応し神白を掴み返したようだったが、そのまま両者は脇の笹薮になだれ込み、その先で急斜面になっていたらしく姿が掻き消えた。

「えっ、ちょっ」

「大丈夫?」
とビィが叫ぶ。

返事の代わりに、ガサガサと藪を分ける音がする。
「うう」と、神白なのか化け物なのか分からない声。
樹々が視界を遮っているためか、距離感が分からない。

ビィを見ると、表情は冷静だったが、顔色が青ざめていた。

やがて何の音もしなくなった。

遠い水音と、鳥の鳴き声だけ。風も無い。
おびただしい数の樹と、草と、土と石とが、示し合わせた嫌がらせのように沈黙している。

もう、神白がどこから落ちたのかも分からない。

いきなり目の前の藪が大きく揺れて、神白が這い上がってきた。
僕は思わず後ずさってしまった。

「大丈夫。退治した」
神白は淡々とした顔だった。
闘ったからというより、斜面を駆け上がったせいで息が切れている。

「さっすが。強いね」
ビィが茶化すように言った。

「殺したの?」

僕の質問に神白は答えず、
「コマンドはなるべく使わないで。いざという時に取っておきたい」

「でも、連中がどのコマンドを消してどのコマンドを取りこぼしているか分からないんだよ。死ぬ直前に使ってみて不発だったら結局死ぬよ」

「じゃあ、もうその闘い方は当てにしないことだ」
神白は静かに言いながら、先へ立って歩き出した。

「はあ。感じ悪いねー」
ビィはニヤニヤしながらその後を追った。
僕も慌てて続く。

しばらくの間、無言で行く神白の背中に向かってビィは「ヒーローさま」「脳筋」「群れのボス」など、えげつなく煽り続けた。

僕も人の事は言えないが、こんな事ばかりしていたら、昨日までの仲間にゾンビを差し向けられるのも無理はない。

神白はビィの煽りを全て黙殺し、分かれ道に来ると「先を見てくるんで、ちょっと待っててもらえます?」と言って、1人で右側の道へ入っていった。

僕は木の根が盛り上がったところに腰を下ろして、脚を休めた。

ビィは左の道の方へ行きかけたが、また戻ってきて、
「暇だなー」
と言った。

「暇? 僕の疲れを分けてあげたいよ」

「いや、疲れてるけどさー、頭が暇じゃん」

「頭がねぇ」

「ネットが無いし」

「大自然があるよ」
僕は終わりの見えない森に目をやった。

「原始人は暇だっただろうな、と思う。うん」ビィは大きく伸びをして首をぐるりと回した。「大自然なんてさ、3日も見てたら飽きるじゃん? だから文明を作ったんだよね」

「違うと思うけど」

神白が戻ってきた。
「こっちは、やめたほうが良さそうです。下りなんだけど、どんどん川から離れていく」

「川から離れないほうがいいの?」

「まあそうですね、一般論としては、川沿いに下れば必ず下山できる。日が暮れる前には目処をつけたいですね」

日が暮れる前には?
今、まだ朝と呼べる時間である事を思うと、僕は思い切りげんなりした。

「やっぱり、バスにでも乗ったほうが良かったんじゃない?」
さくさく歩き出してしまった2人を追いながら、僕は思わず吐き出した。

「無理だよ、まともな道じゃあ、必ず先回りされる」
と、ビィ。

「それに、山道にいる間は安全ですよ」と神白が言った。「何せ、ヤツラは歩くのが下手だから、こういう道だとなかなか追ってこれない。さっきの奴もたぶん、10人以上送られた中の唯一の生き残りでしょう。他はたぶん、途中の崖から落ちるとかで自滅してますよ」

「はは。コスパ悪い」
ビィが笑った。

「僕のほうが自滅しそうだよ」
明け方に慌てて飛び出したので、ろくな装備もない。口にできそうなものはペットボトルの水と、食べかけのカロリーメイト、ガム3枚だけ。足の小指には靴擦れができ始めていた。

それから先は、全員が無言だった。
下り坂が急にきつくなり、集中してないと転げ落ちて行きそうだった。

会話が無くなると、森は本当に静かだ。
自分の足音だけが、ズンズンと頭の中に響く。
道は曲がりくねっているが、景色は代わり映えがなく、新しい情報が何もない。
不思議と疲れは感じなくなっていき、それはランナーズ・ハイのようなものと言うよりは、単調な作業の連続による催眠状態に近かった。

こんなに激しく運動している最中にも、うっかり眠ってしまうことがあるんだろうか。

最後尾にいたはずが、いつの間にかビィを追い越していて、急に腕を掴まれた。
「お兄ちゃん、待って」

昼寝から叩き起こされたような、奇妙な感覚に陥った。

先頭の神白が立ち止まって、じっと先を見ていた。

僅かに上り坂になっていた獣道が、その先で下りに転じており、そのためにまるで道が途切れてしまっているように見えた。

その向こうで、チリチリと高い音が鳴り続けている。まるで、鈴を引きずっているような音。そして草を分ける足音。
音は一定の速さで、こちらに近づいていた。

「早すぎる」
神白が、信じられないという口調で言った。

回り込まれたのか。

この山の登山道は無数に枝分かれしていて、降り口も沢山あるから、上と下から挟み撃ちにされることはほぼ無いだろうというのが僕たちの見解だった。
そもそもヤツラの不器用な歩き方では、麓側からここまで登ってくるのには相当の時間がいるはずだ。
その考えが甘かったのだろうか。

それとも、道を間違えていたのか?
山に分け入って下っていたつもりが、県道付近をうろうろしていただけなら、簡単に回り込まれてしまうこともあり得る。
もしこの数時間の苦しい行軍が徒労だったとしたら……考えただけで胸が悪くなりそうだった。

ビィの指が僕の腕に食い込んでいる。

逃げ隠れすることもできず、呆然と立ち尽くす僕たちの前に、ついに足音の主が現れた。

今朝のヤツとだいぶ体格が違うな、と感じて、一呼吸置いてからそれが数田であることに気づいた。

「………誰?」
ビィがものすごく不審そうな声で言った。


2.

「伊東君、久しぶり」
数田はなぜか先に僕に向かって挨拶した。

相変わらずの無表情だが、機嫌は悪くなさそうだ。

「その鈴、何?」
と、僕は聞いた。
チリチリ鳴り続けていたのは、数田のベルトに付いている変わった形の鈴だった。

「熊よけ」
と数田は答えた。

数田は重装備だった。
ジャケットもパンツもアウトドア用らしく、大きな外ポケットが幾つも並んでおり、その全てがスナップで閉じられるようになっている。そして分厚い大きな靴を履き、ものすごく沢山入りそうなリュックを背負っていた。

まさに、「山に入る正しい装備」のお手本だ。
軽装の僕たちが如何に無謀なことをしているか、思い知らされる。

「県境で野宿してたときにお世話になった人だよ」
と、僕はビィに説明した。

「世話になった自覚があったとは、意外だな」
数田はその場にリュックを下ろして開けた。
最初にタオルが3つ出てきて、次にスポーツ飲料のペットボトルが3本、ビニールに包まれた幕の内弁当が3つ、そしてピクニックシート。なぜかそれは薄汚れたピンク色で、古いサンリオのキャラクターがプリントされていた。

「数田さん、申し訳ない」と神白が言った。

「申し訳ないなんて、思ってないだろ」

「いや、もっと麓の方で合流するつもりだったから。数田さんの足が早すぎた」

「だって、あんたの伝言何が言いたいのか全然分からんし。俺の集落側で待ってればいいのかと思ったけど、あんたら足が遅いからいつまで掛かるか分かんないから、暇だから登ってきたんだ」

「よく、この道が分かりましたね」

「分かるわけないだろ。3回間違えて引き返した。この道が外れだったらもう諦めようと思ってた」

「いや、さすがだなあ」

ビィは無言でシートの端に座り、ガツガツと食べ始めていた。

「君たち連絡取ってたの?」と僕は聞いた。

「宿の人にメモの配達を頼んだんです。正直あんまり期待してなかった。数田さんて本名かどうか分からないし」

「残念ながら本名だった」数田は淡々と言った。「宿屋の主人がよく分からんからって駐在に投げて、駐在もよく分からんけど緊急だろうってうちに来た。朝5時にだぞ。連中は暇なんだ、電話がなくなってから。くだらんことで呼び出す老人が居なくなっただろう」

「メモに何て書いたの?」
僕は神白に聞いた。

「ゾンビに追われてるってことと、旧旅館の裏手から山に入るけど遭難しそうってことと、男2人女1人ってことです」

「ローマ字で書いたのは良かったな。駐在が、英語は読めねえとか言って、中身を確認しなかったから」

「じゃあ、一応読もうとはしたって事ですね」

ビィは恐ろしい勢いで食べ終わり、「おかわりは無いの?」と言った。

数田は黙ってリュックからゼリー飲料を取り、手渡した。

「ありがとう。ドラえもん」
ビィは真顔で言い、封を開けると掃除機のような勢いで吸い始めた。

「僕のも食べる?」
僕は食欲が湧かなかったので、蓋を開けたばかりの弁当を差し出した。

「お兄ちゃんもちゃんと食べないと、倒れるよ?」ビィはそう言いながら、遠慮なく僕のぶんまで食べ始めた。

結局、数田の出してくれた食料の7割がたはビィの腹に収まった。

「伊東君は大丈夫なのか」
数田はゴミを集めながら、不意に言った。

「嫌に親切だね。またお金?」

「じゃなくて、顔色が悪いから」と、数田は言った。

僕は返事に詰まってしまった。

「頭も回ってないみたいだな。……少しペースを上げないと、わかんないぞ」
数田の言葉の後半は神白に向けられた。

「これ以上ペース上げたら死にますよ」と神白。

「もう既に遭難してるな。あんたら昨日、寝てないだろ」

「だって追われてるんですよ」

僕は、数田が何気なく使った「わかんない」が、「駄目だ」という意味の方言である事について無意味に思いを巡らせていた。

食事のあとを片付けた僕たちは歩き出した。だが、もはやその一歩一歩が苦痛でしかなかった。
身体が空腹と疲れを思い出してしまったのだ。

僕は食事と休憩をもたらした数田を激しく恨んだ。

ビィや神白の足取りも、当初よりは重くなっている。しかし、2人はまだまだ平気そうだった。
神白はともかくとして、ビィよりも僕の方が体力がないなんてこと、あり得るのか。ビィが例の合宿所でPC・エアコン完備のITライフを満喫していた間、僕は一日中県境付近を徒歩で移動していたのに。

道が再び上り坂に転じているのが見えてきたとき、僕は思わずへたり込みそうになった。

本当にこの道は麓へ繋がっているのか?
もちろん、数田が登ってきた道なのだからその点に間違いはないはずだが、もはやこの道に終わりがあることを想像できなかった。

「ストップ」

覚悟を決めて上り坂に踏み出した直後、先頭の数田が急に振り返った。

僕はぼんやりと数田を見上げた。

ビィも神白も、黙っている。

「方針を変えないか? このままだと日が暮れてしまって身動きが取れなくなる。伊東君が参ってしまうぞ」

「なぜ僕を名指しするの?」

数田は僕の反論を無視して、
「あなたは、まだ動けるね?」
と、ビィに向かって言った。

「動けるの意味にもよるけど」
ビィは首を傾げた。

「3時間、死ぬ気で俺に付いてきてくれ。あなただけは日暮れ前に下山させる。伊東君は山に一泊。神白さんは伊東君の護衛」

「あのね……」僕は呆れて文句を言いかけたが、

「僕もそうするしかないと思ってました」
と、神白が言った。
「どこか、野営にお勧めの場所はありました?」

「まあ、どこもお勧めはできないが、この先を左に逸れて、河原で寝るのが一番マシかな。雨が降ったら流されるかも知れんけど、おそらく降らないと思う」
数田は背負っていた巨大なリュックを下ろした。
「これは置いていく。食料と水は結構詰め込んできた。あとエアマットと寝袋、1人分だけある。交代で寝て、片方は見張り。もしできたら、火を焚いたほうがいい。ゾンビより熊が怖い」

「適当にやっときますよ。ありがとう」

「この辺りに居てくれれば、明日の……そうだな、昼くらいまでには迎えに来る」

「待ったほうがいいですか? それとも、少しでも下っていたほうがいいですか」

「それは任せる。どうせそんなに動けないと思うぞ」

「ですよね」
神白はリュックを背負いあげた。

「いや、僕だって3時間なら死ぬ気で歩けるよ」
やっと、僕は口を挟んだ。

「3時間では着かないぞ。この人だけなら続きはおぶって行ける。男は足手まといだ。では解散」
数田はビィを促して歩き出す。

「ちょっと、おい」

ビィは一瞬迷うような顔で、僕と神白を交互に見た。
しかし、そのあと急にけろっとして「じゃ、お兄ちゃん気をつけてね。着いたらメールするねー」
駅前の女子高生みたいなノリで言って、数田を追って登りだした。

数田の姿はもう見えない。ビィもすぐに見えなくなった。
確かに、今の僕にはまったく無理なペースだった。
数田の腰についている熊よけの鈴の音だけが、しばらく聞こえていた。

「メールって……ネットが死んでるのに」

「なんか独自の技術があるんじゃないですか?」
神白が言う。

「だとしてもこっちが受信できないんだから」

「あ、そっか」

まったく、こんな底抜けの馬鹿と山に置き去りなんて究極の罰ゲームでしかない。

「この先を左って言ってましたね。とりあえず河原に出てしまいますか」

「この先ね……」
数田の口癖、この先、ちょっと向こう、すぐそこ。その言葉に何度騙されて苦しんだことか。

あいつ1人なら「崖から転げ落ちろ」と呪ってやるところだが、ビィを連れて行かれては無事を祈るしかない。

僕はその場に座り込んだ。
「神白さんはさ、先に行っててくれない? 僕は少し休んで行くから」

「いや、これ以上バラけない方がいいです」
神白もリュックを下ろし、僕の隣に腰を下ろした。

「なんで僕はこんなに体力が無いんだろう。確かに受験勉強しかしてなかったけどさ」

「うーん、僕の予想では、風邪じゃないかと」
神白は意外なことを言い出した。
「実は僕も今朝から頭痛があるんです。ふたりして風邪を引いてる可能性はありますね。数田君はそれに気付いたから、ショウコさんを引き離したんじゃないかな。体調の悪い僕たちに足を引っ張られた上、風邪をうつされたショウコさんが時間差で発症すると面倒なことになる」

あまりにも疲れて、気の利いた返事も思い付かないので、僕は黙って足元を眺めた。

「ショウコさんはモテるんでしょうね」
神白は藪から棒に言った。

「さあ。そうかもね」
と僕は言った。

「なんか、興味なさそう」

「だって、オフの彼女を知らないもの。言ったよね? オンライン限定の付き合いだったって」

「何かイメージ違いますか? やっぱり」

「どうかね……。特にイメージなんて無かったし」
身体がひどくだるく、重くなってきた。本当に風邪なのかもしれない。もしくは、風邪かも、という神白の言葉で、緊張の最後の糸が切れてしまったのか。

「不安とか無いんですか? あるいは、嫉妬とか」

「僕の女じゃないんだよ」
僕は何度目かのこの台詞を口にした。

「君の女に、すればいいのに。伊東君に何の不足がある? 君は彼女と同じく若いし、彼女と同じくらい賢いし、彼女に見劣りしない外見だと思うけど」

「いや……わからないよ。ただ、断られたんだ。申し込む前にだよ。先回りして断られたんだ」

あなたと私の関係はここで終わるべきなの。お兄ちゃんと、初めてオフで会ったとき、ひとめ見た瞬間に、そう分かったのよ。

ばちが当たった、という気分だった。
失った家族の幻影をSNSの中に探していた。都合良く『妹』を演じて慰めてくれるビィに甘えて、僕はその向こうに生身の人間がいることを考えなかった。

僕がビィというアカウントの「中の人」に全く興味を持っていなかったことを、見抜かれたのだ。
その後ろめたさがあるから、僕は言い出せなかった。

お兄ちゃんと呼ばないで欲しい、君の本当の名前を教えて欲しいと。

「ま、数田くんは手を出さないでしょうよ」
と、神白は言った。

そんなこと考えてもみなかったので、ぞっとしてしまった。

あのガタイで、誰も来ない山道、ふたりきり……歩けなくなったらおぶってくとか言わなかったか?

どれほどビィが身軽でも、数田が悪意を持って動いたらひとたまりもないだろう。

「大丈夫ですよ。損得でしか動かない人間は、そこが信用できるんです」

「けど、この場合のあいつにとっての『得』って何?」

「ひとまず僕たち全員に恨まれるか、全員に感謝されるかの二択なら、断然後者を取るでしょう、彼は」

確かに、それは違いない。

「数田くんの熊よけの鈴、借りれば良かった」

神白は木々の梢を見上げながら呑気な感じに言った。

「やっぱりあれが無いと危ないの?」

「『こっちに人間がいる』という合図をするのが目的なんで、必ずしも鈴である必要はないんですけどね」

「へえ。こちらの居場所を知らせた方がいいんだ」

「そう、普通の動物なら向こうが勝手に避けてくれます」

「ゾンビは逆ってことか……」

「え? あ、確かにそうだ」神白は意外そうに言った。「いや、僕が言いたかったのは、中にはあえて向かってくるような普通でない熊もいるってことです」

「普通でない熊……」

「過去に人間を襲って持ち物を奪ったり、人肉を食べたりして、美味しい思いをした動物は、その後は意識して人間を襲うようになるらしいです。だからそういう癖のついちゃった熊は、山に返さず駆除したほうがいいって言いますね」

「へえ……熊も大変だな」

神白が地元で自警団をしていた当初、ゾンビを山へ追い返す事もあると言っていたが、ヤツラは熊と出くわすことは無かったのだろうか。

熊にとっては、あれは人間という分類になるんだろうか。

歩き方は変だが、見た目は人間には違いないし、たぶん肉体も人間と同じ。熊にはきっと区別は付かないだろう。

そう考えると、大自然という視点から見れば、僕たちとゾンビとの攻防も「人間同士の小競り合い」でしかないのかも知れない。

しばらく座り込んでダラダラしてみたが、身体の重さは増すばかりだった。早いところ横になったほうが良いと神白に説得され、渋々歩き出すと、思ったよりもずっと早く河原に出た。

ちょっとした谷のようになっており、ソファくらいの大きさの岩がゴロゴロと並んでいる。細く浅い川にはまったく勢いが感じられず、もうしばらく待っていたら止まるんじゃないかと感じるほどだった。

神白は少し川からは離れた岩の上にマットを広げた。促されて横になってみるものの、往来に寝そべっているような感覚で、まったく落ち着かない。

「ここに一泊なんて無理」僕はすぐに身体を起こした。

「まあでも、いったん休んでみましょう」
神白は先ほど弁当のときに使ったビニールシートを広げ、木の枝にかけた細いロープを使って半分ほど吊り上げた。
なんとなく、テントとは行かないまでも、壁と天井のようなものが出来上がった。
色褪せたカエルのキャラクターが、僕の視界を遮る。

それだけなのに、ふっと全身から力が抜けた。
疲れすぎて、目が開けられない。
というか、僕はいつの間に目を閉じたんだ?

麻酔でも掛けたかのように、強引で圧倒的な眠りに引きずり込まれていった。


3章後半につづく)


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それはともかく「ゾンビつかいの弟子」「怪獣をつかう者」は二次創作、ファンアート、絵、歌、朗読、コスプレ、無断転載、再配布、全て自由です。作者を偽らないでくれればあとは何をしてくれてもかまいません。もし面倒なら、特に報告なども不要ですので、皆で可愛がってやってください。

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アラサーのママです。長編小説「ゾンビつかいの弟子」「怪獣をつかう者」目次ご覧ください→ https://note.mu/toma_mori/n/n40761080856c SFとかパルプ書きます。

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