怪獣をつかう者 2章-4

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これまでのあらすじ:正体を明かさぬ技術者集団によってゲリラ的に開催される「怪獣」の3D映像上映ショーは、SNS上でカルト的なファンを集めていた。神白に誘われてショーを見に行った伊東は、この3D映像が「実写」であり、モデルとなった生き物が実在するはずだと指摘する。


4.

「いい報告がある。読むよ」助手席の伊東はスマホを見ながら、急に言った。

「何が」と神白は言った。疲れていた。

すでに秋田県に入っていたが、日本海からはまだ程遠い。高速道路の路面は日差しに焼かれてギラギラと光っており、見ているだけで汗が湧いてきそうだった。

「清水先輩が動物園と水族館を回ってくれた」伊東は機嫌が良さそうだった。「なかなか仕事が早い。この調子なら福島も何ヶ所か頼めるんじゃないかな。交通費を出せばだけど」

「僕は出さないよ」と、神白は言った。

「うん、わかってるよ……」伊東はちょっと不満そうに言い返し、「とにかく読むよ。『怪獣の映像と完全に一致するものはいなかった。ただ、どちらの施設でも飼育員と話すことができて、怪獣の絵を見せるとふたりとも、これはワニだと思う、と。口と首を短く描き直されている可能性があるけど、顔がワニで間違いない。特に動物園の人は、黒カイマンではないかと。クロコダイルではなくアリゲーターのはずだという点では、ふたりとも一致。そのふたつがどう違うのかおれには分からないけど。動物園の人はごちゃごちゃ沢山言ってたけど覚えきれなかった。気になるなら自分でもう一度行って聞いて。ハシモトという飼育員。』」

「……ごめん、途中から聞いてなかった」神白は言ってから、「わかってる、100円って言うんだろ。勝手に財布から取れよ」

「疲れすぎだろ」伊東はやや呆れた感じの声で言った。「運転を替わるから。次のサービスエリアで停めて。なんだってそう、限界突破するまでやるんだよ? 疲れる前に替われないの?」

「……うん、なんか言った?」

「言ってませんよ」伊東はわざとらしく溜息をついて窓の外を見た。

サービスエリアまで3km、の標識が見えたので、神白はゆっくりと長く息を吐き出そうとしたが、上手くいかなかった。

「ワニって言った?」と、神白は聞いた。

「車が停まったら話す」伊東は不機嫌そうに、窓の外を見たまま言い返した。

「伊東君、」

「黙って運転しろ」

「なんで、君はすぐに機嫌悪くなんの?」神白は笑いながら言ったつもりだったが、自分の耳に入った自分の声が、思った以上に冷たかった。

「機嫌悪いのはお前だ」伊東は手加減なく言い返してきた。「僕に八つ当たりするな。あと、謝るのも禁止だ。黙って車を停めろ。マジで腹立つ奴だな。全部、中途半端なんだよお前は」

「はい、はい、はい」

「ウザい。お前はほんとにウザい」

「伊東君、知ってた?」サービスエリアに入り、駐車場の空きを探しながら神白は言った。「僕は君より年上なんですよ」

「ああ。そう」

「年長者に手伝いを申し出る時は、『恐れ入りますが、私に引き受けさせていただくことはできませんか』って言うものだよ」

「へえ。そう」
車が止まるか止まらないかのうちに、伊東は素早くベルトを外し、勢い良くドアを開けて出て行ってしまった。後ろ手で閉められたドアが激しく音を立てた。

神白は溜息をつきながらエンジンを止め、車を降りた。

焼かれたアスファルトの熱気が立ちのぼっている。すぐにでも冷房の効いた車内に戻りたかったが、あまりにも身体がだるくて、当分はどこも曲げたくない。運転は伊東に替わってもらうとしても、このあと助手席にきちんと座り続けること自体、かなり難しそうに感じた。

ヤキが回ったな、と神白は思った。これくらいの遠出は苦でもないはずだったのに。しかも、前々夜に徹夜で運転し切ったばかりの道だったから、当然同じことを繰り返せるものと思っていた。

やはり、ベッドできちんと寝ないと体力を回復できないのか。つい、2、3年前にはできていたはずのことが、できなくなっている。劣化が始まっている。

伊東はいつまでも戻らなかった。
神白はトイレに行き、自販機で紙コップの飲み物を買い、それを飲みながら建物の前に幾つか並んだ屋台を見て回った。
どの屋台も、ある程度の列ができている。世間は夏休みのようで、家族連れが多い。小学生くらいと見える兄弟が、げらげら笑い合いながら互いの持っているかき氷の山を崩そうとしている。後ろから母親が「こぼすから!」と怒鳴っていた。

平和だ。

そのことに気づいて、神白は不安になった。あんなことがあって、そしてまだ、すべてが完全に片付いたわけではないのに、みんなそれを忘れている。その話題に飽きて、うんざりして、忘れたいと思っている。そしてその望み通り、本当に忘れていくのだろう。

忘れられたらいいのに。忘れて、無かったことにできたら。でも、伊東の背中には消せない傷跡がある。

自分があのとき何を思ったか、その傷のことで何を思っているか、伊東に伝える機会はこの先無いだろう。

「おい、神白!」
屋台から数歩離れたテーブルつきのベンチから、伊東が大きく手を振っていた。
彼は建物内のフードコートで注文したらしい冷やし中華をそこに持ち出して、すっかりくつろいで食事を始めていた。

神白は歩み寄った。
「ここにいたの。ていうか、これは何ご飯? お昼は食べたでしょう」

「LINEしたのに。見てないだろ」伊東は言った。「おやつね。昼、足りなかったから。神白は? 何か食べないの」

「僕はこれでいい」神白は持ってきた紙コップを示し、伊東の向かいに座った。
テーブルとベンチは一応、日差しで熱くなりすぎないような素材でコーティングされているようだった。それでも相当、熱く感じた。

伊東の機嫌はもう治っているようだった。と言うより、彼の場合やはり、不機嫌な対応もひとつのカードでしかなく、その場その場で自在に出したり引っ込めたりできる、その程度のものなのかもしれなかった。

「あのさ、」

「謝ったら殺すよ」伊東は冷やし中華の大皿をわずかに傾けるように持ち上げて、薄く笑った。「この皿ごと、お前の頭に浴びせるから」

「へえ、やってみろよ」と、神白は言った。「伊東君さあ、僕が何されても絶対にキレないと思ってる?」

「え、キレたらお前、泣くじゃん。それで僕がウザいなーって思うだけで、まあ、うん、ウザいだけだよ」

「うん……君には一回どこかで、分からせないといけないみたいだ」

「え、何、怖いんだけど」伊東は楽しそうに言った。「それって脅迫だよね?」

「……じゃなくて、ワニのことなんだけどさ」と、神白は言った。

「ああ」伊東は急に真顔になって、スマホを取り出した。「黒カイマンってこれね」
伊東が差し出した画面には、画像検索の結果が出ていた。画面にはワニと、ワニ革の財布やバッグが並んでいる。
日差しが強すぎて、スマホの画面は少し見づらかった。

「うーん。こんなんだったかなあ」神白は画面の上に手で影を作り、大きな口を開けたワニの写真を見ながら、怪獣の姿を思い浮かべようとした。
確かに、言われるとよく似ているような気もするが、他にも似た生き物はたくさんいる気がしてならない。
しかし複数の専門家が一致して言うのなら、間違いはないのだろう。

「ワニって色々種類があるんだね」スマホを返しながら、神白は言った。「僕は、てっきり、ワニという1種類の生き物なのかと思ってた」

「うん。僕もそう思ってた。ワニの英語がアリゲーターだと思ってたんだけど。アリゲーターっていうのはワニの中の分類のひとつで、他にクロコダイルと、ガビアルっていうのがいるらしい。で、それぞれのグループに、何種類ものワニが属している。カイマンっていうのも、要するにアリゲーターの中の一派という感じだけど、カイマンって付くワニも何種類もいる」

「それって別な生き物なのかな? つまり、チワワとダックスフントくらいの差なのかな?」

「いや、もっと差があるはず。チワワとダックスフントは品種が違うだけでしょ。同じ『イヌ』という種だ。黒カイマンと、それ以外の他のワニでは、種が違う」

「へえ……イメージつかないな。ワニなんてみんな同じに見えるけど」

「でも、見比べると確かにだいぶ見た目が違うよ。大きさも種によって全然違う。この、黒カイマンは相当大きくなるらしい。長生きすれば5メートルくらいになるって」

「5メートルか……」
怪獣としては小さく感じてしまう数字だが、実際に目前にしたらそれは驚異的な大きさだろう。
「だとすると、ロケ地は相当限られてきそうだね。もし、国内だとしたらだけど。5メートルのワニを飼える場所なんて、全国探しても数えるほどしかないんじゃない?」

「そうかもな。第一、ワニは飼うときに必ず届出をしてマイクロチップを埋めなきゃいけないらしい。だから日本にいるワニは基本的には全頭、各都道府県が把握している」

「……え、それってワニをペットとして飼う人がいるってこと?」

「いるよ、そりゃ」伊東は頷いた。「爬虫類って熱狂的なファンがいるんだよ」

動物園以外の場所にいるワニというものを、神白はうまく思い浮かべることができなかった。まさか放し飼いにもできないだろうし。犬を飼うみたいに、専用の小屋を用意したり、リードで繋いだりするのだろうか。そんなことをしたところで、懐くような生き物にも思えないが。機会があれば飼い主のことだって平気で食ってしまいそうなイメージだ。
実際にどこかの飼育員が噛まれて大事になったというニュースを、つい数年前に見た気がする。

「せっかくだから清水先輩には伊豆まで行ってもらうかな」伊東は麺をすすりながら、また楽しそうに言った。「熱川バナナワニ園。ワニが100匹いるらしい」

「いや、まあそこらへんは君と先輩でよく話し合って……僕はほんとに金は出せないから」

「わかったよ、大丈夫だってそれは」伊東は意外と優しい口調で言った。「学生さんには学生さんなりのやりくりってものがあるんだよ」

「清水先輩って、僕も会ったことある人だよね」と、神白は言った。

「そうそう。君を土下座させて動画撮った人」

「ああ」神白はその一連の流れを思い出した気がして、笑いかけたが、直後にそれは笑っていいような記憶なのかどうか、急激に自信が無くなった。

そして、しっかりと思い出してみようとすると、記憶がまだらになり、入り組んで時系列も失われていることに気づいた。

あのとき最終的にはすごく悲惨なことが……違う、それは別な日だ。ずっと後? もしくはその前。伊東はどういうふうに記憶しているのだろうか?

伊東は手を止めて、少し驚いたような目で神白を見ていた。それからものすごく薄く笑っているような、不思議な表情になった。

「あのときはすごかったな」伊東は穏やかな声で言った。「君はなんかやってたよな。いつもだけど。僕は3度も迎えに行ったのに、君は敵を全滅させるまで戻らなかったね」

「ああ……そうだったかな」

「そのあと、帰ってきて号泣してたね。あれこそ動画に撮っておくべきだったな。最高にウザかったから」

「僕、覚えてないかも」と、神白は言った。

「うん」伊東は何故か笑った。「覚えてないという顔をしている」

「いや、記憶はあるよ、ただ、起きたことの順番が……」

「順番も何もないよ。君はなんかやってた。そのあと、帰ってきて今の仕事に就いただろ。あれ? あのとき就職した先が、今の職場だよね?」

「だと思うけど」
それは違いない。だとしたら、やはりそれほど昔のことではない。この仕事を始めて、まだ2年だ。ほとんど何もできるようになってはいない。まだまだ、新人気分が抜けない。

「あまり、そう、考え込まないで」伊東はまるで宥めるような口調で言った。
それから彼は皿を持ち上げ、残りの麺と具を勢いよく口に入れると、そのまま立ち上がって食器を下げに行った。

神白はしばらくぼんやりと待ってから、もうこのテーブルには用が無いことに気づいた。

空の紙コップを捨ててから建物に入ってみると、思った以上に冷房が効いていた。汗が一気に引いていく。
伊東は売店で飲み物を選んでいた。

神白は横に並んだ。
「僕、覚えてるよ」と、神白は言った。

「うん、そう」伊東はジュースを取りながら生返事をした。

「伊東君が僕を助けてくれた」

「そうだった? 都合のいい記憶だな」

「僕を助けてくれたでしょ? 伊東君が、仕事しろ、って言った。違う人生を考えろって。それで僕はこの仕事に就いた」

「あんまりそういう大事なことを、人のせいにしない方がいいよ」
伊東は生真面目な感じでそう言って、レジへ向かった。

「けどさ……」

「待って」伊東は会計待ちの列の最後尾につくと、スマホを覗き込んで急に声を張り上げた。「やった。当たったぞ」

「え、何が?」

「怪獣が出る。今夜も秋田だ」伊東はTwitterの画面を見せた。

いつもの「祭り」が始まっていた。

「これ、どこだろう? ああ、でもまだ遠そうだな」伊東は誰かの投稿した地図情報を見ながら、すごく嬉しそうな顔だった。「これ、けっこう内陸じゃない? 高速を途中で降りた方がいいかな?」

「どうかなあ。道にもよるな。高速で先まで行ってしまってから引き返した方が、早い時もあるし」

「午前3時だって。完全に夜だよね? 早めに着いてどこかで寝ておきたいな」

「そうだねえ」神白は笑った。「伊東君て、子供のとき、恐竜とか好きだった?」

「え、どうかなあ。ミニカーとかのほうが好きだった気がするけど」

「へえ。意外だなあ」

「意外なの?」

「ゲームばっかりしてた人かと……」

「馬鹿にしてんのか」

「ともかく、やっぱり今夜は、宿を取りたいんだけど」神白は謝らないように気をつけながら言った。「ちょっと本当にベッドか布団で寝ないと無理かも」

「最初から僕はそう言ってる」と伊東は言った。

「でも、金が無くて……いや、今夜分は出せるけど、毎日は無理」

「そう……」伊東はスマホの画面をものすごい速さでスクロールしながら、「じゃ、そろそろ転職したら?」と言った。


(3章につづく)



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アラサーのママです。#小説 タグを無差別に読みます。長編小説「ゾンビつかいの弟子」をよろしくお願いします。目次ご覧ください→ https://note.mu/toma_mori/n/n40761080856c 現在は続編「怪獣をつかう者」連載中。
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