[最初から]ゾンビつかいの弟子 6章(後半)
(約10000字 / 読むのにかかる時間 : 約20分)
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こちらは「ゾンビつかいの弟子」本連載ではありません。今後の投稿スケジュールはこちら
六章(承前)
3.
清水先輩のコンパクトカーに続いて2台のバンがあらわれ、そのまま3台とも向かいの温泉施設の駐車場へ入って行った。間もなく『漫画読書会』のメンバーが降り立ち、ぞろぞろとやって来た。
優に20人近くはいる。
「ごめん!」と清水先輩は言った。「道、間違えた。遅くなったね」
「どんだけ連れて来てるんですか」僕は少しほっとしながら言った。「ほぼ全員じゃないですか」
「だって、そっち7人なんでしょう」塚田さんが駐車場を見ながら言う。「車は……6台だね? 割合としてT大生のほうを多くしとかないと信用度が下がるから、検問抜けようとしたらこれでもギリギリだと思う。6台にふたりずつ分乗したら、それでもう12人だろう。そのうえで、僕らの乗って来たぶんの運転手も残さなきゃいけないわけだし」
「これ、どうしたの」庄司さんは、とっ散らかっている駐車場跡地を見て笑った。
「まあ、なんだかわかりません。嫌がらせで車止めをされてる。今、急いで片付けてたんですが……」
建物の裏手へ行っていたゾンビハンター3名が、戻って来た。『次郎』をどこかに隠してきたらしい。
坊主頭の青年は、返り血を浴びていた。はっきりと目立つほどではないが、シャツに染みができている。
それに、3人とも明らかにただならぬ表情で、まさに、たったいま殺戮をしてきたという顔だった。
しかしT大生たちはお構いなく、駐車場の前に勢揃いしたまま、それぞれ好き勝手なことを言っていた。
「踏みつぶして出られないの?」庄司さんは言い、
「釘はさすがになあ」と清水先輩。
「四駆なら割と行けるんだけどな」と塚田さんは言った。
「この人数いれば、軽なら持ち上がるんじゃ?」僕と同じ新入生の宮田君は、冗談とも本気ともつかない口調で言った。
その他、「え、何ここ、廃墟?」「ほんとに立てこもってんだ」「この立札、売ってるのかな?」「え、汎用性無さそうだけど」「腹減った。伊東君、何か無いの?」「うわー、温泉入りてえ」
遠足にでも来たような空気で、緊張感はまるで無い。
それから皆はトモ君を見て、「あ、神白さん?」「カップ麺の人?」「土下座の人!」
「僕は神白だけど、あなたがたが言ってるのは僕の弟だと思う」
と、トモ君は言った。
僕は、ひとまず塚田さんと清水先輩に、状況を説明した。たった今、『次郎』を駆除したことも話した。
「急いだ方がいい。『関所』復活の話も出てるらしい」塚田さんはそう言って、「ほら全員!」と号令した。
「車出せるように、道開けよう。この人数なら片付くだろう。車は全部、エンジンかかるのかな? 女性陣、キー借りて、確認してみてくれる? バッテリー上がってたら、他の車から電気分けるから。あと、3人、山に入ってて電波届かないらしいんだけど、誰か探索できない?」
「ああ! GPS持ってくりゃ良かった」4年生の君津さんが言った。「あと、ドローンも」
「なんでそんなもの持ってんの」と庄司さん。
「俺、気球部だもの。まあ、ドローンは個人的な趣味だけど」
「のろしとか上げられないんすかね」と宮田君は言った。「焚火たいたら、見えないかな? その山だよね?」
学生たちはまたゴチャゴチャ喋り出した。
「アドバルーンみたいなのでさあ、ハヤクモドレって書いた旗を上げれるとな」「凧でいいんじゃね? 誰か凧持ってないの」「ロケット花火みたいなの撃ちまくれば。そっちの売店みたいなとこに売ってそう」「もうさ、全員でクラクション鳴らしまくれば聞こえるんじゃないの?」「わかった、カップ麺をたくさん作ればさ、匂いにおびき寄せられて……」「犬か」「そうか、じゃあバーベキューをしましょう!」
「いい、もう、さっさとこっちを片付けて」塚田さんは皆を駐車場跡に押しやった。
さすがに僕も立っているわけにはいかないと思ったのだが、「腕から血が出ている」という謎の理由で手伝わせてもらえず、しかたなくトモ君のそばに戻った。
「土下座の人ってなんだよ」トモ君は言った。「弟が馬鹿だと、風評被害がひどい」
「昼ごはん、どうしますか」と僕は聞いた。
「うーん、あ、昼か。どうしようね。食欲無いなあ」
「この建物にも非常食みたいなのはありますけど、あとは向こう渡って、何か買ってくるとか……」
「今、こんなめんどくさいことを言うのは気がひけるんだが、トイレに行きたいんだよね」トモ君は言った。「僕の予感では、向こうの施設内には多目的トイレがありそうな気がする。伊東君申し訳ないんだけどさ、」
「介助いります?」
「じゃなくて。向こうに着いたら、車椅子を車から下ろして欲しい。その先は自分で行ける。悪いね」
「わかりました」
僕は一番手前にいた宮田君に、温泉施設のトイレを借りに行くと伝えた。それから、トモ君の車に乗った。
「悪いね」
トモ君は身軽に腕だけで運転席に戻りながら、もう一度言った。
「そんなこと言わないで」
「君は優しいな」
トモ君は杖を後部席に押し込んでから、エンジンをかけた。
「そんな、だって困るでしょう。トイレ行くたびに謝られても」
「そうかね。僕が君の立場なら、『オムツでもしてろ』って言っちゃうな」
「意外と卑屈ですね……」
温泉施設の前には、最も使いやすい場所に身障者用の駐車スペースがあった。そこで車椅子を下ろしたあと、僕はひとりで産直販売センターの方へ向かった。
何かすぐに食べられるものが売っていればと思ったが、並んでいるのは調理が必要そうな野菜だけだった。果物や生で食べられる野菜は売り切れ、土産物の菓子や、特産品の惣菜が並んでいたと思われる棚も空っぽだ。
忘れていた。ここは『守る会』が毎朝買い占めをしているのだ。
僕が温泉施設のほうへ引き返すと、間も無くトモ君も戻って来た。
「あっち見てきたんですが、買い食いできるようなものは、無かったです」
「ね、敬語をやめて」トモ君は控えめな調子で言った。
「いいけど」
「僕、なんかした?」
「だって、怒るから」
「ごめん。怒ったわけじゃない……」トモ君は言いかけてから、「ちょっと待って。なんで僕が謝らされてんの? お前はほんとに人たらしだな」
「トモ君のほうが反応がいいな」と、僕は言った。
戻ると、駐車場の片付けはもうあらかた目処が付いていた。人数が多いから、というだけではない手際の良さだった。
頭の出来が違う、というやつか。
清水先輩が、どこかから調達した金属の薄板をチリトリのように立てて、地面に残った釘やガラス片を脇に寄せていた。
「もう、帰れる人から帰ろう」塚田さんは地主の男と、ゾンビハンターたちに向かって言った。「その建物は施錠しなきゃいけない? もしそうなら、中の荷物を出すけど」
「いえ。ちゃんとした鍵は無いですよ。ただ、放置してれば『守る会』に漁られる可能性はあるんで、大事なものは置いてけないけど」
「何か大事なもの、置いてるの?」
「いえ。食べ物と着替えと、ゴミです」
「それならいい。家は遠いの?」
「この4人は、みんなわりと近いです。この子は歩きで、残り3人は、車で15分とか20分とか」
「それなら、歩きの子は俺が歩きで送ろう」塚田さんはてきぱきと手順をまとめた。「車の3人は、各自2人ずつT大生を乗せて、検問対策だ。『T大のサークル活動』と名乗って。ただ、経歴について突っ込んで聞かれたら、嘘はつかないようにね。残り3人がまだなのはかえって都合がいい。僕らの車3台、清水君、早瀬君、島地君ですぐ後ろを追って、検問を抜けたらT大生を回収してここに戻ってくる。だから、えーと、俺含めて10人、いったん抜ける。残った人たちは適当にご飯食べながら神白君たち3人の帰りを待とう」
「なぜ、こんな事までしてくれるんです?」地主の男が言った。
「え、なぜだろう、まあいいじゃない」塚田さんは乱暴にまとめた。「俺たちはさ、可愛い後輩の頼みとあっちゃ断れないから。それで、神白君だけ回収して帰っても良かったんだけど、残り6人を放置してくのも人道に反するかと」
「こんなこと……だって、お礼ができません」
「お礼なんていいよ。人間としての義務を果たしてるだけだ」
「裁判は大丈夫なの?」と、清水先輩が横から尋ねた。
「裁判まではしない。たぶん、この『私有物』いじったことで、また1時間くらい話が長引くだろうけど。それに、俺が今ここを離れると、たぶん明日からは叔父さんがここに勝手に泊まり込む。それに関しては……まあいいです、弁護士と打ち合わせるので」
「大変だなあ」清水先輩は笑った。「お家騒動ってのは、ここまでするもんなのか。勉強になるねえ」
「お金に換算すれば、それなりの金額になるので」地主の男は真面目な顔で返した。「やれることは全部やってみないと、向こうも気持ちが収まらないのだろうと。父の死で落ち込んでるのも、叔父のほうで。いや、俺も落ち込んではいますよ。けどまあ、親子と兄弟じゃまた違うんじゃないですかね」
「遺産など取り合っても仕方ないのにな」塚田さんはあっさりと言った。「お父さんのこと、残念でしたね。まだお若かったんでは?」
「まあでも、あれで寿命です」地主の男は唇をかみしめて言った。「自業自得なんですよ。酒の飲み過ぎです」
「そんなことないよ。浴びるほど飲みまくっても100まで生きる人だっている。死は不平等で理不尽だ」
「……そうですね」
塚田さんたちが出発すると、人数は一気に半分以下になった。数えると、僕とトモ君も含めて9人。駐車場が急に広く感じた。僕たちは建物の中をあさり、カップ麺や缶詰めを出して昼食代わりにした。
駐車場は一応片付いたものの、車椅子を通せるほど平らではなかった。僕たちは、自分の車に留まっているトモ君に合わせて、外で立ち食いした。
「神白さんツーは、足、どうしたの?」宮田君が聞いた。
「ツーって何だ」トモ君は薄く笑った。「僕がオリジナルだ。足はゾンビにやられた」
「大変だね。じゃあ、最近なんだ」
「2年……もう、3年目かな。慣れたよ」
「え、ゾンビってそんな前からいるの」
「僕んとこ田舎だから、昔からいたよ。テロとか始まる前ね」
「へえ……」
神白ワンのほうは、いっこうに戻ってこなかった。もはや、ここから見えるあの『森』ではなく、まったく別な土地へ旅立ってしまったのではないかと、僕は本気で思い始めた。
小一時間ほど経ち、塚田さんたちが全員戻っても、まだ神白は戻らなかった。
学生たちはめいめい食事をとったり、神白を呼び戻すためにクラクション、ロケット花火、焚き火を試したりした。また、気が向いた者数名で建物の中の荷物も整理し、持ち帰るべきものは神白たちの車に積んだ。
そのまま、15時になった。
「引きあげましょう」トモ君が皆に向かって言った。「2次被害を出すわけにもいかない。あいつら3人の車にそれぞれメモ貼って、検問で引っかかったら電話するようにと。伝言だけ残して引きあげましょう」
「僕とトモ君は残ろうよ」僕は思わず言った。
「駄目だ」トモ君はきっぱりと言った。「君だって一度襲われてる。ここにいると危ない」
「でも……」
「アキちゃんは大丈夫だ」トモ君は僕を見つめて、じっと言い聞かせるような口調で、「彼を信じよう。僕たちは自分の身を守らなければ」
「……もう一度だけ、2階に行ってみていい?」
「駄目だ。さっきので懲りないのか?」
「懲りるって何だよ」僕は声を荒げてしまった。「ここで置き去りにされるのがどれほど怖いことだか、トモ君は身を持って知ってるはずだろ」
「何だって?」とトモ君は言った。
「自分がそれほど痛い目に遭ったのに、アキちゃんを危険に晒すのが怖くないのか?」
「そんなこと怖くないね」トモ君は拳を握りしめて僕を睨んできた。「僕は後悔してない。あいつだって後悔しないはずだ。初めからそのつもりで闘ってるんだ」
「伊東君」塚田さんがゆっくりと言った。「俺には、君も含めて後輩たち全員を守る義務がある。大量に新型のロボットが脱走している地域に、長居はさせられない」
「……わかっています」
僕がおかしいって言うのか。
一番、取り乱さなければいけないはずのトモ君が真っ先に離脱を提案したことが、僕は何よりも許せなかった。
帰路、トモ君の運転する車の助手席で、僕はかなり長いこと、一言も口をきかなかった。
「なあ」トモ君は15分おきくらいに僕に話しかけてきたが、その5回目くらいのときに、こう言った。
「君はゾンビが怖いか?」
「なんで?」と僕はようやく口を開いた。「なんで、そんなこと聞くの?」
「僕はずっと怖かった。ヤツラは空っぽだと思ってた。魂のない、器だけの肉体だと……でも、背骨をやられたとき僕は、確かに感じた、憎しみを……感じた。爽快だったぜ」
「爽快?」僕は、聞き間違いかと思った。
「その瞬間、すべて怖くなくなったんだ。ヤツラには中身がある。口はきけないが、心があるんだ。魂があった。僕の魂とは、形が違うだろうけどな。僕は深淵を見た。ヤツラが、生き物だと分かった。僕のことをものすごく憎んでいる、一個の人間だとわかった。だから僕は後悔していない。僕は人殺しの代償を払った。アキちゃんもまた、別な形でそれを払っている」
「……君たちはイカれてる」
「イカれてるさ。並みの神経であんなことができると思うか? 君も見ただろう。腕を折り、膝を割り、顔を潰す。君にできるか? できないだろう」
「何が言いたいの」
「深入りするな。君には立ち入れない場所もあるんだ。それでも、待ってりゃ帰ってくる」
トモ君は、苦しげな目で前方を見ながら言った。
「僕は二度とあそこへ行けないんだ。待つことしかできない。伊東君も、こちら側に留まってくれ。それがアキちゃんのためでもあるんだ」
「……わかったよ」と、僕は言った。
4.
神白はその日の夜中にS町から戻った。と言っても、戻った先は自宅ではなかった。
車で帰宅しようとしたところを検問で止められたようだが、頭から血を流していたため、その場で救急車を呼ばれ、車も病院にレッカーされた。
トモ君に一報をもらった僕は、翌日昼、彼が運ばれたという大学病院へ向かった。
カーテンで仕切られた4人部屋の奥で、神白はスマホゲームに夢中だった。
僕は開けかけたカーテンを怒りで引きちぎってしまいそうな衝動と戦いながら、しばらく神白を眺めた。
額の左側に大きな絆創膏みたいなものを貼っている以外は、特に問題は無さそうだった。レンタルと思われるカーキ色のパジャマを着ていて、こっちが恥ずかしくなるくらい似合っていなかった。
「お邪魔みたいだから、帰るね」と僕は声を掛けた。
「ん?」神白はようやく顔を上げ、「わあ!」と言った。
「君は日に日に馬鹿になっていくな」
「伊東君」神白は笑顔になった。「すみません、わざわざご足労いただいて」
「何をしてるんだ、ほんとに……」
「え、パズドラですけど。トモ君のスマホ借りた」
「そのことじゃないよ」
僕はカーテンをくぐってベッド脇まで行った。
「伊東君」神白は真顔になった。「ごめんなさい」
「何がだよ」
「もう、しません」と神白は言った。
「嘘をつくな。嘘を。君はどうせまたやるよ」
「いや……うん、そうかもなあ」神白はまたニヤニヤ笑い出した。
「何が面白いんだよ。マジで変なところ打ったんじゃないの?」
「いや、もう、ほんとにそれを疑われて」神白は言った。「僕の、受け答えがしどろもどろだったからって、MRIまでやられました。けど、検問でしどろもどろになる理由はわかるでしょ? ここでは言えないけど」
「『太郎』か?」
神白は薄く微笑みながら、無言で真横のカーテンに目をやり、相部屋の患者に聞かれていることを示した。
「とにかく、当然ながら、検査は白なので明日退院です。もう、ここは暇で暇で」
「10日くらいここで謹慎してたほうが社会のためだよ」
「トモ君にも帰ってくるなと言われた」
「当たり前だ」
僕はその場に座り込みそうになった。2日連続で究極の寝不足だというのもあって、僕のほうが倒れたいくらいだった。
「頼むから……」僕は思わず吐き出すように言った。「長生きして」
「え、ほんと?」神白はぱっと身を乗り出し、大袈裟に聞き返してきた。「伊東君、僕が死んだら困る?」
「そんなの考えたことないよ」それは嘘だった。何度となく考えた。「お前ほんとムカつくな。ほんとに、来るんじゃなかった、僕の頭が痛いよ」
「お大事に」
「黙れ」
ベッドから出ても良いとのことだったので、僕と神白はそれから、院内に入っているコーヒーチェーン店に移動してケーキを食べた。
僕は全体的に眠くてぼんやりしており、神白はスマホに夢中だった。
まったく、何をしているんだか。
「そういえばさ」僕は言った。「トモ君は、君に自分の自警団を取られたと言ってたよ」
「あ、そう?」神白は動じなかった。「そりゃあ、初耳だな」
「違うの?」
「あいつはシンパ引き連れてグレてただけだ。そのあとメンバーを増やして、町内会と連携して、自警団として組織化したのは僕だ」
「なるほど」
トモ君にこれを伝えれば、トモ君からもまた、もっともらしい反論がかえってくるに違いない。
「君たちは、仲が良くないくらいが丁度いいんだろうね」と、僕は言った。
「そう?」
「ふたりで意気投合して何かし始めたら、ろくなことするわけないもの」
「あ、子供の頃、いつも母がそう言ってた」
「君たちのお母さんが」可哀想、と言いかけて、僕はすんでのところで引っ込めた。
「え、何?」
「……新盆と言ってたね。誰か亡くなったの」
「ああ」神白は少し驚いたように僕を見つめた。「婆ちゃんが。長いこと心臓患ってたし、もう85だったから、粛々としたもので」
「そうか……」
「気を遣わせてすみません」
「いや、なんか時期的に、テロ関係なのかと」
いやな時代だ。トモ君の言った『戦時中』という言葉が、不吉な真実味を帯びてくる。
「ねえ、伊東君」神白はしばらくしてから、すごく思い切ったように言った。「明日退院するんだけど、迎えに来てくれません? 家族が誰も来そうにないんで」
「僕、明日学校なんだけど」
「え、日曜日もあるんですか?」
「今日が日曜日だよ」
「あれ? そうだっけ……」
「そもそも、家族が誰も迎えに来ない状況についてよく反省したほうがいいと思うよ」
「……」
神白が病室に帰りたくなさそうなので、僕はほとんど飲み終わったカップの底に残っている水分をすすって時間を引き伸ばした。
不味い。
ガラス越しに見える通路の一角に大型のテレビが埋め込んであり、ニュースが掛かっていた。
真っ黒な鉄の仮面を被った者たちが大量に行進しているところが映っていた。
画面右上のアオリは「山狩りに『生体ロボット』出動」。
脱走した生体ロボットの捜索のため、再プログラミングされた生体ロボットの一群が投入されたというニュースだった。
「やっぱり使うのか」神白はぼんやりとした感じで、無表情にニュースを眺めていた。
「ハッキングされて暴走してるロボットを追うのに、同じ弱点を持つロボットをさらに送るって、頭悪そうだよね」僕は言った。「書き換えた連中についてのセキュリティには自信があるってことなんだろうけど」
「こんなことをしちゃいけないのに」神白は何かの確信があるような口ぶりで、そう言った。
「駄目なのかなあ。やっぱり、駄目なんだろうね」
「冒涜だ」と、神白は言った。
「君のしていることは、違うの」
「うん?」神白は僕を見た。優しげな目だった。「……伊東君、僕が怖い?」
「君のしていることが怖いよ。僕、昨日『次郎』に会ったよ。そして君のお仲間が次郎を壊すところを見た」
「それは最悪だ。ひどいものを見たね」
神白は決して茶化すような調子ではなく、ごく当たり前の真摯な口調で、そう言った。
僕は思わず神白から目を逸らしてしまった。
「僕に、これをやめて欲しい?」と、神白は聞いた。
「それは……」僕は神白の顔を見ずに言った。「アキちゃんの好きにしたらいい」
じっさい、僕はやめて欲しいなどと思わなかった。ただ、まったく理解できなかった。
神白のような人間が、躊躇なく人を殺せるということ……トモ君が言った通り、やはりあれは殺人でしかないということ。そして、神白ほどの人間が、そのことを理解できないわけでも、感じ取れないわけでもなく、彼が自分のしていることを完璧に理解していながら、それでも正気を保っていられる、その源となる動機が何なのか、想像もつかないのだった。
聞いたら、話してくれるのだろうか。
僕に理解できるような言葉で、返ってくるのだろうか。
それが怖かった。
全てを話してもらったところで、僕に理解できないということが、単にその断絶だけが明らかになってしまうのだったら、聞きたくない。
聞くのが怖い。
「伊東君」神白はわずかに、テーブルに身を乗り出し、僕の顔をじっと見てきた。
僕は顔を上げなかった。
「言いたいことがあったら、今言ってよ。黙っていられると、怖いんだ」
「アキちゃんを突き動かすものが何なのか教えて欲しい。でも、教えて欲しくない」僕は顔を上げて、迷いが出てくる暇が無いように、一気に口にした。「お前を嫌いになりたくないんだ。僕のわかる言葉で説明できないのなら、聞きたくないよ」
神白の顔色は変わらなかった。
彼は「ごめん」と言った。
ごめん、遅刻した、くらいの口調だ。
頭にくる。ほんとうに。
「僕はね、ただ、自分があの姿になったら、殺して欲しいだろうと思って、そうしている」
神白は穏やかな声で、真面目な調子で言った。
「よく、夢を見る。自分が人間でなくなる夢だ。前がよく見えない、息が苦しい、何かよくわからないまま、抜け出せないで暴れている夢だ。ものすごく息が苦しい。それが永久に続く。もう嫌だと思う。もう、耐えられない、ここから抜けたい、終わりにしたいって思う……そのとき、向こうからトモ君が来るんだよ。もしくは、『僕』が来るんだ。僕を殺しに来る。すべてを終わらせに来る。僕は、救われたと思う。殴り殺されて、目が覚める」
僕はずっと目を逸らしていたつもりだったが、気がつくと真正面に神白を見ながら呆然としていた。
神白は泣いていた。
子供みたいに。
「わかる? わからない?」
神白は手のひらで何度も目をこすった。
「僕はいつも泣いて目を覚ます。トモ君が、どう思ってるのかは、知らないけど」
僕を見ているその目から、まだ次々と、透明な涙が落ちてくる。
「ちょっと、こんなところで、大泣きしないで」僕はすっかり困り果てた。「わかるよ。わかったよ。ごめん。神白、ごめん。もう泣くなよ。ケーキ、もう一個買ってあげようか?」
神白はまだ手を目元に当てたまま、少し笑った。「なんだよ。食べ物の話?」
「きっとね、そんなに悲しくなるのは、お腹がすいてるんだよ。ちょっと落ち着けよ」
「なんだよ。僕は子供か」
神白は溜息をつきながらまた笑った。
「わかったよ」僕はできる限り声を落ち着かせて言った。「よくわかった」
「僕を嫌いになる?」
「ならないよ」
振り返ってみれば、なぜ今までそれを考えたことが無かったのか、自分の冷たさに驚いてしまうほどだった。
ヤツラが人間だったかもしれないということは、僕がヤツラだったかもしれないということなのだ。
それはまさに、トモ君が言ったことと表裏を成す真実だった。
殺す者と殺される者。
討つ者と討たれる者。
トモ君も、アキちゃんも、ヤツラに中身があると感じていて、それを信じているからこそ、なのか。
「わかったんだけどさ、やっぱりあまり、のめり込まないほうがいいと思うよ」
僕は一応、なるべく静か目に忠言した。
「所詮は他人の人生なんだよ。アキちゃんはもう少し、自分の人生のことも考えたら?」
「そうだね」と神白は言った。それから鼻をすすって、「いいからさ、ケーキ買ってきて」
「ほんとに食べるの……」
「え、何、違うの?」
「別にいいけど。何がいいの」
「任せる」と神白は言った。「見に行くのめんどくさい。何でもいいから、買ってきて」
「パシらせ方が図々しいな」
僕は席を立ち、カウンター脇の冷蔵ケースを見に行った。
ガトーショコラをひとつ買って、戻って来ると神白はまたパズドラをやっていた。
「面白いの?」僕は呆れて言った。
「やったことない?」神白は画面から目を離さずに聞き返した。
「あるけど、10分くらいで飽きたけど。よくそんな長いことやってられるね」
「うーん、だってこれは、長くやればやるほど、もっと長くやらなきゃいけなくなるから」
「そのことに疑問を持たないということが信じられないよ」
僕はケーキの皿を神白の手元にねじ込むように置いた。
「ほら。早く食べろよ。さすがに長居しすぎだよ、僕たちだいぶ店から嫌がられてると思うよ」
「うん、まあね」神白は名残惜しそうにスマホを置いた。
「この次はその夢に、僕を登場させてよね」と、僕は言った。
「夢?」
「さっきの夢の話。次は僕がアキちゃんを殺しに行くから」
「はあ」神白は呆れたような返事をした。「僕ね、さすがに伊東君に殺される自分を想像できないんだけど」
「だからいいと思わない? その夢の中で君が殺されそこねたら、その続きに何があるのか知りたいよ」
「ええ……気乗りしないな」神白は本気で嫌そうに言った。
「だって、現実には、もう嫌だ、死にたい、と思った瞬間に丁度良く殺されることなんて、あり得ないわけだよ」
「それは、そうなんだろうけど」
「よく考えておいてよ。僕みたいな非力な人間に殺される屈辱を味わうか、僕を倒して続きを見届けるか」
「そんな夢は見ないって、そもそも」と神白は言い返した。
「いいから、よく考えておいて。その夢には、違う結末があるってことを」
神白は少しのあいだ何かを言いたそうに僕を見つめてから、
「そうだね」と言って微笑んだ。
(七章につづく)