[最初から]ゾンビつかいの弟子 2章(後半)

(約13000字 / 読むのにかかる時間 : 約25分)

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こちらは「ゾンビつかいの弟子」本連載ではありません。今後の投稿スケジュールはこちら


二章(承前)


3.

神白は毎日何かしているようだった。
僕がおきると彼は大抵、もう出掛けていた。

僕は枕の下に入れておいた全財産の封筒をポケットに突っ込み、カードキーを持って部屋を出る。

古い旅館の趣きが残る、時代がかった建物だが、経営は全国チェーンに買い取られていた。

内装や備品も、老朽化したものから順にビジネスホテルのそれに替えられ、どこか統一感のない、つぎはぎの雰囲気がある宿だ。

エレベータの脇にあるコーヒーサーバから一杯汲み、立ったまま飲む。このコーヒーが美味しいのかまずいのか、僕には分からなかった。

食べるものは毎日、弁当やパンだった。地元の者がコンビニと呼んでいる店があり、そこでほとんどのものが買えたが、どう考えてもそれはもともと乾物屋だった。営業は朝9時から夜6時で、店主の体調によって少し早まったり遅れたりした。

昨日と変わりばえのないおにぎりを買って、道端の錆びついたベンチで朝食をとっていると、山の方向から風が吹きだした。冷たくはないが、鳥肌が立ってくる、湿った風だ。

空っぽな気分だった。嬉しくも、悲しくもなく、おにぎりは美味くなく、不味くもなかった。ただそれは毎日、数百円分の代金と引き換えに手に入って、僕の財産はそのぶんだけ確実に減っていった。

この暮らしが永遠に続かないことは分かっている。
しかし、ここを打開しても、何か状況が良くなるとはとても思えなかった。

「ゾンビ」たちが道を歩いてきた。試走の頻度は日に日に増している。

ヤツラが襲来するたびに、街の建物は赤く塗られたり青く塗られたり、白く塗られたりした。

相変わらずデタラメな歩き方だったが、少しずつ進み方の効率は上がっていた。目の前を通るとき「おい」と声をかけると、何体かは反射的にこちらを振り向いた。しかし、無表情のまま再び顔を戻し、進軍を続ける。

胸の真ん中あたりがぐっと押されるような、強い不快感がのぼってくる。
みんなこれをおかしいと思わないのだろうか。
不愉快な日常の一部として受け入れ、こころを動かさないことが、大人の対応なのだろうか。

ビィとはあれきり、連絡が取れなかった。それに、連絡を付けようとも思わなかった。
神白はたまにビィと会っているふしがあったが、何も言ってこない。僕からも何も聞かなかった。

受験勉強だけは、不思議と続いていた。むしろ、それしかすることが思いつかないので、普通の暮らしをしていたときよりもずっと捗った。
持ってきた電子辞書にはびっくりするほど様々な機能があり、ほとんどすべての教科について何かしらのトレーニングをすることができた。

もう、これらの知識は、死ぬまで使うこともないかも知れない。死ぬまでというのも、思ったほど長くはなく、来月には僕の命運は尽きるのかも知れない。
それでも僕は手を動かし、ボタンを操作し続けた。

「お勉強してたの?」
いつもこの時間帯にこの道を通る老婆が、目を細めて僕を見た。

「あ、はあ」

「うーん、えらいねえ」
老婆は昨日とまったく同じ抑揚で言い、まったく同じように頷きながら通り過ぎて行った。

おそらくこのゾンビ騒ぎがなくても、このばあさんはずっとこんな感じなのだろう。雑で、適当で、断絶された世界。世の中は、僕が思っていたようなものとは、まったく違っている。

「2行目」
数学の問題に手こずって夢中になっているうちに、いつの間にか若い女が目の前にきて、僕の書いているものを覗き込んでいた。
「面白いね、これ。電子手帳なの?」
顔を上げると、ちょっとここらへんでは滅多に見られないような美人が立っていた。

足首が見える長さのピチッとしたジーンズに、奇妙な顔がプリントされたTシャツを着ている。長い髪を頭の上で複雑な形に纏めて、その真ん中に金属のかんざしのようなものをさしていた。

「タッチペンで書けるんです」
とだけ、僕は言った。

「2行目の変形はできないよ」
と、女は言った。

声に聞き覚えがある気がして、僕は一瞬考え込んでしまった。
よく見ると、先日、土産物屋で店番をしていた大学生だった。
あの時の野暮な感じとまったく印象が違う。服装や髪型だけでこんなに変わるものだろうか。

「工学部なの?」
と、僕は聞いた。

「そうだよ」

「人型のロボット作ってるの? T大?」
僕はこの地域で一番有名な大学の名を挙げた。

「そうだよ」

僕は何か言おうとしたが、言葉にならず、なんとなく溜め息をついてしまった。

「何だよ。T大受けるの?」
と、女が聞いた。

「さあ。そのつもりだったけど、今はよく分からない」

「どうして?」

「親がふたりとも行方不明だし、僕自身、親からは行方不明者だと思われてる」

「大変だね。関所難民てやつなのかな」

「いろいろタイミングが悪くて」
僕は母の失踪から始まった神白との長旅を、かいつまんで説明した。

女はちょっとだけ目を見開いて聞いていた。それから、
「なんだかな。君は若いから世間知らずなんだろうけど、そのツレの男も適当というか、雑なのか、馬鹿なのか……」
呆れたという感情をまったく隠さない声色だった。

「まあ神白が馬鹿なのは知ってるけど」

「知ってるようには見えないな。なぜそんな理不尽な目にあってる状況で、この町に滞在してて、毎日町の人とすれ違っているのに、君たちは何も言わないわけ? 少なくとも私が大学関係者だってことは前回店に来た時に知ってるよね? どこにいるのかわからない知り合いを探す前に、目の前の私に事情を話そうとは思わなかった?」

「なんで? あなたが何かしてくれるってこと?」

「M県に帰りたいなら力になれると思うよ。知っての通り、T大学はM県にあるからね」

僕は知らず、口を半開きにして女をじっと見上げてしまった。

普通の時なら、ここまで間抜けな顔はしなかったかもしれない。
しかし僕は、本当に長旅と様々な悩みごとのために疲れ切り、いためつけられていた。

油断すれば泣いてしまいそうだった。

「なぜ話さなかったの。私がM県への通行証をいくつか余分に用意できることは、この辺りの人ならみんな知ってる。先週も大学のコネでひとり通したばかりだ。君たちね、ここは砂漠のど真ん中と違うんだよ。目の前に人家があるのに、ここで飢え死にするつもりだったの? 見知らぬ人に事情を話そうという発想はなかった?」

「なかったといえば……まあ、なかったよ」
僕はしぶしぶ認めた。

「待ってて、君と君のツレのふたり分、取れるか確認してくる。君の分はC県にも行けるようにできないか聞いてくるから。お父さんはC県なんだよね?」

「あ、はあ」

「泊まってるのはそこの『旧旅館』だよね? 角のところの。後で連絡するよ」
女はふわっと片手を振って去って行った。

僕は画面の数式の2行目以降をすべて消した。
しかし、どう書き直せばいいのか思い浮かばなかった。

「なんなんだよ……」
まったくの八つ当たりだが、僕はバチンと音を立てて電子辞書をたたんだ。
立ち上がると足元がふらついた。

宿に帰ると、珍しく神白も早く帰っていた。

僕は土産物屋の女が言ったことを伝えた。

「ほんとですか? それならラッキーだ」と神白は言った。

「君は何してたの?」

「まあなんとなく、コネづくり。畑を手伝ったり、例の合宿所を見学に行ったり」

「ビィに会った?」
僕はずっと聞かずにいたことを聞いた。

「何度か見かけたけど、話せなかった。異様な雰囲気です。合宿所全体が。何を隠しているんだか」

「何をって、ゾンビ以外に何かあるの?」

「さあ、何だか。あそこまで大っぴらにヤツラを歩かせてるわりには、どうにも含みのある態度で」

僕はあの女が、なぜ周りの人にすぐ助けを求めなかったのかと憤っていたことを伝えた。

「どうなるか分からないでしょう。僕たちはゾンビを動かしてる側の人間の関係者なんですから。だから僕としては、畑の手伝いでもして信用を作るしかなかったんです。
……ところで、彼女をどうしますかね」

「ビィのこと? もう置いていこうよ」

僕がそう言うと、神白はこちらを一秒ほど見つめた。

「伊東君がそれで良ければ」

「何度も言うけど、僕の女じゃないんだよ」

「その点は分からないけど、ここで別れたら二度と会えないと思いますよ」

「まあね……」

だからなんだと言うのか、と僕は心の中でつぶやいた。
そんなふうに思ってはいけないのだろうけど、しかし、僕がこれ以上、ビィの人生の当事者であり続けることはほとんど不可能に思えた。

「考えてみれば、どんな子なのかもよく知らないし」
僕がそう言うと、神白はそれ以上何も言わなかった。


夕方ごろ、フロントから部屋の電話に連絡が入り、ロビーに来客があると告げられた。

行ってみると昼間の女が、スーツと普段着の中間のような服装で待っていた。

「通行証はすぐ取れそうです」
女は僕たちふたりにそれぞれ申込書のようなものを差し出した。

「必要事項を書いてください。通行理由のところだけど、あなた、神白さんは、うちの大学の今野研究室というところの研究補助員という肩書きにするんで、災害救助用ロボットのテスト走行、と。
そして伊東さんは研究生、つまり非正規の学生となります。項目3の、『同一生計家族の居住地』というところに、C県のお父さんの住所を書いてください。それでM県からC県までの県境をすべてパスできるようになるので」

紙質は粗く、実に簡素な用紙だった。

「いいんですか?」と神白が言った。「そちらの研究室のことなんて何も知らないのに」

「まあ、目をつけられたところで、今野先生は怖いものなんてないから」と女は言った。

「何かとてつもない腐敗に加担してる気分ですよ」
神白は言われた通りに空欄を埋めながら、そう言った。

僕たちが書き終わると、女はそれをクリアファイルにはさんだ。「できあがったら届けに来るよ。荷物をまとめておいていいよ、今週中にはできると思う」

女は足早に去ってしまい、僕と神白はぼんやりとその背中を見送った。

「あの人はなんなんだろう」と僕は言った。

「まあ何にせよ、使えるものは使わないと」

僕たちは部屋に戻り、荷造りを始めることにした。

少しの間の借り暮らしのつもりが、いつの間にか持ち物が増え、部屋中に散らばっていた。

野宿のときにはひとつのリュックに収まっていたものが、今となってはまったく上手く収まらない。格闘した末、服を小さくたたみ直そうとしてもう一度出してみると、部屋は荷造りを始める前よりも更に散らかってしまった。

「伊東君、こういうの苦手?」神白が笑った。

「苦手じゃないけどさ……」
僕は言い返したが、我ながらこの部屋の現状ではまったく説得力がないと思った。

結局、よれよれになったジャケットを2つ処分することに決め、何とか残りを詰め込んだ。

その夜、僕はなぜか寝付けなかった。何となく部屋の空気がこもっている気がして、胸が重苦しい。それに、さほど暑くもないのに汗が止まらず、布団がじっとりと湿っていった。

突然、神白がむくりと起き上がった。アラームが鳴ったわけでもないのに、まるで誰かに呼ばれたかのように、暗がりの中でいそいそと上着を羽織り、靴下を履き、部屋を出て行く。

ドアが閉まった後、僕は3秒考えてから、追いかけることにした。

神白が気づかないようなら声を掛けずに後をつけようと思っていたが、宿を出てすぐ彼は振り返った。

「伊東君も来る?」
さほど驚いた様子もなく、神白はそう言った。

「どこへ行くの?」

怖いものを見に」

怖いものと言ったって、ゾンビが真っ昼間に往来を歩き回るような時代だ。

「夜じゃないと見えないの?」

「そんな気がするんだよね」と神白は大真面目に言った。

神白は通りをしばらく行ってから、二股に分かれた小道のうち細い方へと進んだ。
街灯の灯りが届かなくなり、神白はペンライトを取り出して足元を照らした。

昔の舗装がかろうじて残っているだけの山道に、両側から木々が迫っている。森が、人に切り取られた土地を取り返そうとしているかのようだ。
空気は冷たく、ひどく湿っている。草むらから響く虫の声は控えめで、現実味に乏しかった。

道は緩やかに登りながらなんどもカーブを繰り返していた。
僕は神白について行くのが精一杯で、どれくらい進んでいるのか見当もつかなかった。
やがて、急に辺りが明るくなったような気がして、顔を上げると白い四角い建物があった。

玄関を照らす白い明かりが、僕たちの顔に降り注いだ。

合宿所か何かのようだった。
今世紀の初期に建てられた感じの、中途半端な新しさがあった。
神白は慣れた様子で明かりの真下に入り、インターホンを鳴らした。

「はい」と男の声が応えた。

神白ははきはきした口調で、「あの、馬場ショウコの知り合いの者ですが」

「あの、部外者の方はお入れできないんですが……」

「分かってます。手紙を渡していただきたいんです。僕たち、馬場の親友なんですが、明日でこの土地を離れることになりました。状況的にもうお会いできないと思われるので」

「はあ……」相手は迷惑そうな声色を隠さなかった。
しかし、1分ほど間があって、入口の引き戸が拳ひとつぶんだけ開いた。

相手は手紙だけ受け取って引っ込むつもりだったようだが、神白は戸の開いた隙間にすかさず右膝を打ち込んで、文字通り突破した。

「ちょっ……!」

僕も神白の後ろから入り込んだ。

突き飛ばされた男は尻餅をつき、目と口をまん丸に開けていた。
思ったよりも非常事態に弱いようだ。
意外な気がしたが、考えてみれば神白のように実力行使に出る侵入者は今までいなかっただろう。

中はやはり合宿所で、玄関から真っ直ぐに長い廊下が通っていた。
廊下の床には複数のケーブルや電源コードのようなものが這い、よく分からない機材や誰かの鞄などが無造作に転がっていた。

「待ってください! 困ります!」
男は甲高く叫んだが、追いすがっては来なかった。腰が抜けたのかもしれない。

神白と僕は走って、廊下の突き当たりの部屋へ飛び込んだ。
パーティションが林立して、部屋の全体像は分かりづらかった。

急に、魚市場のような生臭いにおいが襲ってきた。
床にはブルーシートが雑に敷き詰められていた。パーティションにもそれぞれ、防水用と思われるビニール袋が掛けられ、その端は耐水テープで留めてあった。

神白はパーティションの下をくぐり抜け、部屋の中央に向かった。僕は何も考えず追った。

騒ぎの中心はすぐに見つかった。ひときわ沢山のブルーシートが敷かれており、7、8人の若者がレインコートを着て立っていた。

その向こうに、男が膝をつき、ほとんど倒れこみそうな姿勢で大量の血を吐いていた。

僕にはそう思えたのだが、そもそも男なのかどうかはよく分からなかった。血しぶきで顔が全く見えない。
それに、血を吐いているように見えたのも、気のせいだったのかも知れない。
どこかから大量に出血し、それが顔を伝い顎を伝って床に落ち続けていたが、傷口がどこなのかは分からなかった。

「何か用ですか?」
レインコートのひとりが神白を振り返って、迷惑そうに聞いた。

「あんたらは何をしてるんだ?」と神白は言い返した。

「何もしてませんよ。ただ見ている」

「どういうことだ」

「これは僕らが作ったんじゃないんですよ。分かってるでしょ? これはこういう仕様なんですよ。に囚われたことに気づくと、自爆する」

仕様、敵、自爆……耳障りな言葉が頭の中で意味と繋がり、認識された瞬間、僕はようやく、ヤツラが探究心から作られたロボットではなく、この形を目指して製造された兵器であることを理解した。


4.

「ゾンビ」を捕まえる取り組みは各地で行われており、服を脱がせるとその腹部にUSB端子のような人工の孔が見つかることも、その界隈ではよく知られていた。
しかしそれが本当にUSB端子であることに気づいたのは、おそらくこのB山で活動するグループが最初だった。

このグループも、元々は神白が指揮していたのと似たような武闘派の自警団だった。しかし、出入りしていた西橋という学生が「端子」に気付き、拘束したゾンビをパソコンに繋いだ時から、すべてが変わってしまった。
無類のITガジェットオタクである西橋は、ゾンビの腹部に埋められた機器からソースコードを読み取ることに成功し、またそれを書き換えることで彼らの動きを変えられることに気づいた。
西橋はSNSを通じて同様の知識を持つ者たちを呼び集め、ソースコードの書き換え実験を繰り返した。

そうして、B山はいつの間にか付近の村をも巻き込んだ巨大な実験場と化していったのだった。

「プログラムに使われている言語は珍しいものではないですし、操作方法は意外と単純です。根本的な仕組みはブラックボックスですが、とりあえず動かすことは可能です」
リーダー格らしき男が、どうにも言い訳がましい口調で僕たちに説明した。
「ただ厄介なのがこいつらの自爆癖で。だいたい捕らわれそうになると捨て身で激しく暴れて、捕まえたころには損傷がひどくなってる。無傷のまま生け捕りにするとさっきのように『爆発』します。そのため、普通に戦っててもお腹の機構に気付く人がほとんどいないのだと思います。なんとなく機構があるなとは思っても、詳しく調べるチャンスがない。
私たちの研究がここまで進んだのは、とにかく偶然や幸運が重なった結果です。本当に偶然にも、無傷に近い状態で昏倒した個体を手に入れられた。それを西橋さんがすかさず解析してくれた。ソースコードの記述から自爆のトリガーを予測することで、ある程度の時間は自爆させずに彼らを捕らえておけるようにもなりました。
しかしやっぱり、ある程度の時間までです。いずれは自分が囚われの身であることに気づき、爆発してしまいます」

僕と神白が座っている椅子は白かった。テーブルも白い。出された紅茶は上品な香りの湯気を立てている。

しかし、先ほど見た生々しい血の衝撃はまだ全然消えていなかった。
僕の手はずっと小刻みに震えていた。

あいつらはどうやら人の心を持たず、また並の動物らしい知能すら持っていない。
だがその身体に血が通っている。
あんなにたくさんの血が……つまり、僕の身体と変わりない量の血が。

そもそも自分自身の身体に大量の血が通っていることすら、僕はふだんよく考えたことは無かった。

「キョンシーというのを思い出しますね」神白が言った。「昔、流行ったんですよ」

神白が僕を見たので、僕は「妖怪だっけ?」と言った。

「キョンシーは人間の死体です。死体に禁断の呪術をかけ、術者の意のままに動く操り人形として復活させる」

「そういうものであることを祈ってますよ」
リーダー格の男はなぜか苦々しい顔で言った。

「え、どういうことです?」

「彼らの材料が死体であることを心から願ってるということです」

「え、でも……」

「分かりませんか?」男は苛立ったように言った。「我々の懸念は、彼らの材料が生きた人間なのではないかということです。その疑いはどうしても晴れない。だからここにいるメンバーたちは日々怯えています。自分たちは恐ろしいことをしているのではないかと」

僕はぼんやりと、男の顔を見つめてしまった。

「そのふたつは何か違うんですか?」と神白が言った。

男は鼻白んだ。
「ぜんぜん違うと思いますがね」

「ヤツラの元が生きた人間だったと思うより、死んだ人間だったと思うほうが、罪悪感が減るということですか?」

「げんに我々は罪など犯していません」男の声は一段高くなった。「彼らの機構に書き込まれた、他者を傷つけろという指令を書き換えて、壁を塗り替えるという無害な指令を与えているんです。今はまだ無意味なことしかさせられませんが、もう少し調整が進めば町内の清掃とか、警備とか、そういう有用な指令を与えられるようになります。そうすれば……」

「ヤツラと共存することができる?」神白は冷たく遮った。「問題はそういうことではないと思いますよ」

「でも、他者を攻撃し続けるなんて彼らは望んでいないはずです。もし、ですよ、もし、彼らが元は生きた人間だったとしたら」

「死んだ人間なわけないじゃん」
僕は我慢しきれなくなって言った。

「え」と男は間抜けな声をあげた。

「馬鹿じゃないの? 死んだ人間を蘇らせて動かすなんてできない。ヤツラは生きてた人間を手術してあの形にしたものだよ。それ以外に可能性があると思ってたの? もし、事故か病気かで死にかけた人を使ったのだとしても、あんな形で好き勝手に動き回れるってことは、正しく治療すれば蘇生する見込みが十分にあったってことじゃん」

男が唖然とした表情をみせたのは、ほんの一瞬だった。
彼はすぐにその顔を引っ込めて、重苦しい無表情に戻り、「そう……そうですね」と言った。

「いずれにしろ既に死んでいる」神白は低い声で言った。「あなたたちは、死人に鞭打ってるだけですよ。恐ろしいことをしてるんじゃないかって、そりゃ恐ろしいですよ。罰当たりです。それは自分たちで日々実感してるんでしょう?」

「けど、殴り殺すよりはずっとマシです」と男は言った。「我々は彼らを救済しているつもりです。今はまだ、その技術が未熟なだけで……」

「その点についてはいくら話し合っても分かり合うことはなさそうですね」神白はそう言って、まだほとんど手をつけていない紅茶のカップを少しだけ押しやった。「伊東君、帰って寝直そう」

「待ってください、このことをですね、口外されては……」

「おいおい、口止めする気ですか」神白は呆れたように言った。

「そのためにこうしてお引き止めしてるんです」

「いや、諦めてくださいよ、それはさあ」

「こればかりはどうしても、困るんです」

「かと言ってあんたたちが纏まった大金を積めるようには思えないし、まさかちょっとしたお小遣い程度で僕の口を塞げるとは思ってませんよね? それとも武力を使いますか? 監禁するにしても拷問するにしても、そんなことする設備も度胸もあるようには思えませんね」

「もちろんそんなことできません。お金もありません。だから正直にすべてお話ししてるんです」男は白いテーブルに突っ伏すようにして頭を下げた。「お願いしますよ。『爆発』のことを言いふらさないで欲しいんです。実験が続けられなくなってしまいます。我々の実験を邪魔することであなた方に何かメリットがありますか?」

「逆に、実験をすることでどんなメリットがあるんですか?」

「すべては、元の生活を取り戻すためです。彼らが現れてから、この国は衰退する一方じゃないですか。何かをしないと。立ち向かわなければ」

「うーん、じゃあやっぱり僕とあなたが分かり合うことはないな、と思いますよ。ご存知かもしれないですが僕はずっとM県でヤツラを殴り殺す活動をしてきたんです。それが唯一の方法だと信じていたからです。今もその信念は変わりません。僕は地獄へ行くつもりですよ。ヤツラは歩く死体でしかないし、僕はそれを正しく葬ってやってるだけですけど、それでも自分が地獄へ行くだろうと思ってます。不謹慎で罪深いことをしている自覚はある。けどあなたたちのしてることほどじゃないですね」

「けど、……」

「あなたたちはあなたたちのやり方を正しいと信じるわけでしょう? なら隠し立てすることもない、堂々と続ければ良いと思います。僕を口止めして何になります? いずれどこかから漏れますよ。今、あなたが僕たちにしてるように、真摯に自信を持って世間にご説明なされば良い」

僕は神白の言い分を聞きながら、まあなんと威勢のいい口調でクズのような主張をできるものだと思っていた。

神白の言っていることは要するに、何らかの悪意によって自我を失わされた人間を、もはや人とは見做さずに抹殺するということだ。信念というより信仰に近いものなのかも知れない。そしてそれは間違いなく狂信の部類だ。
地獄へ行く覚悟がある? そういう捨て身な態度がいちばん厄介で、傍迷惑になるのだろう。

かと言って、目の前の男の言い分も僕はいけ好かなかった。
血みどろの人体実験を繰り返しながら、「救済」とはよく言えたものだ。

「そんなことできないのは分かってるでしょう?」男はすっかり困り顔だった。「『爆発』の可能性を町の人に知られたら、もう『試走』はさせてもらえない」

「別に町の人々に触れ回る気は無いですけど、絶対誰にも口外しないとお約束はできませんよ」

「そこを何とか、我々がある程度安心できる程度には何かお約束をしていただけないかと」

「何とか、とか言われても。僕はそもそもこんな事だろうと当たりをつけてわざと今日踏み込んだんですから。僕が今日これを知ったのは偶然ではないんですよ。僕の強い意志なんです」

「だからそれが困るんですよ……」男はもう、議論をほぼ放棄して泥沼に持ち込もうとしていた。

確かに、双方に決定的な交渉材料がないこの状況では、ごね通した者の勝ちという線は否めない。加えてここは相手のホームであり、僕たちは寝不足でアウェイに留められているという点でどうしても弱みがある。

神白はどうする気だろうと、僕はひとごとのように俯瞰した。

「我々はね……」

「あのですね」と神白は相手を遮って急に身を乗り出した。「長くかかりそうだし、食べ物、何かありませんかね? 僕たち、実は相当腹が減ってるんですが」

「は、はあ……カップ麺とかなら」

「じゃ、お願いしますよ。すみませんね」

「わかりました。ちょっと待っててください」男は立ち上がって部屋を出て行った。

神白は無言で、音も立てずに、素早く立ち上がった。
目配せをされなくても、その意図はすぐに分かった。

逃げる。

神白はさっと廊下に出た。そして迷わず走り出した。いい走りっぷりだった。
僕も全力で走った。
元来たケーブルだらけの廊下を走り抜き、あと数歩で玄関というところで、

ビィが別な部屋から出て来た。

髪型が変わっていた。いつの間にか肩下まで伸び、雑に下ろしている。
地味で安っぽいシャツにジーパン姿で、顔つきは急に大人びたように見えた。
ビィの目には、驚きよりも眠気のほうが色濃く出ていた。

神白は立ち止まらずに「来い!」とだけ言って、玄関の戸に飛びついた。
僕は駄目もとでビィのか細い腕を掴み、引いた。

ビィが素直について来たので、僕は驚いた。

数分後、僕たち3人は真っ暗な林道を無言で、小走りで歩いていた。
僕たちは一言も口をきかず、ひたすら下り続けた。
林道を抜け、街灯に照らされた舗装道路に出ても、まだ無言で、足も緩めなかった。
息もつがずに、歩き続けなければ、ビィがまたどこかへ去ってしまうような気がした。

僕はビィの顔を見ることができなかった。

「それでどうするの?」
宿が見えてきたとき、ビィが言った。

僕は初めて歩を緩め、神白を見た。

「通行証をもう1枚取るしかない」神白は淡々と言った。「ショウコさんのぶんを頼もう。急いでもらおう。あと、僕が畑を手伝ってた家で車が1台余ってるので、それを売ってもらいます。伊東君のお金を少し借りたいんですが」

「それはいいけど」僕は言った。「というか君、ショウコという名前なの?」

「そういうことになってる」と、ビィは言った。

「問題は通行証が取れるまでの間、連中が黙っててくれるかどうかなんですよね」

「黙ってないと思うよ」とビィは言った。「どうせ私は連れ戻されるよ。何をしたって同じこと」

「そんなことさせない」と僕は言った。

ビィは眠たそうな目で僕を見た。
「お兄ちゃん。もうどうしようもないよ。この山一帯が檻みたいなものなんだから。人間が下山できる道は2つしかない。山の表と裏に1本ずつ。見張りを2人立てるだけで簡単に封鎖できるんだ。だから今の今まで情報が漏れてないんだよ」

こうした活動を山奥で行なうメリットが、僕にもようやく分かった。

「助けを求めてみましょう」神白が言った。「あの大学のお姉さんなら何か手立てを持ってるかも知れません」

「君、少し成長したね」と僕は言った。

「はあ」神白は今までで一番雑な流し方をした。

僕は目が冴えて仕方なかったが、神白もビィも相当眠そうだった。ビィの目はもう半ば閉じかけていた。

どちらにしろ、夜が明けるまでは何もできそうになかった。
ひとまず僕たちはビィを連れて部屋に戻った。
神白は予備として押し入れに入っていた座布団をまとめて引っ張り出し、自分の寝床を作ると、無言で明かりを消して横になった。
ビィも、特に断りもなく僕の使っていた布団に潜り込む。
僕はまったく眠れる気がしなかったが、仕方なく神白の使っていた布団に入った。

寝返りを打ち続けていたような気がした。

「は」

という声で目が覚めて、僕は眠っていたことに気づいた。

神白が暗闇に起き上がっていた。

そのただならぬ様子で、僕は一気に目が覚めた。
「何、なんなの」

「ミスった」神白は立ち上がろうとしたまま固まってしまい、目をぎゅっとつぶって、また開けた。「油断した!」

「何」

「服を着ろ」

「着てるよ」

「彼女も着てるか?」

「さあ……」僕はビィが寝ている方向を見た。

ビィは頭まで布団をかぶっていて、姿は見えなかった。神白の様子から緊急事態なのは分かったが、布団を剥ぎ取るのも気が引けた。

「彼女に服を着せろ。5秒で!
神白は無茶苦茶なことを言って立ち上がり、通りに面した窓を開けた。

まだ空は暗い。

ガサガサと耳障りな音がしていた。誰かが外にいる。
ここは2階なのに。

神白は何かよくわからないうめき声をあげて、いきなり窓の上に飛びついた。そこに取り付けてあった空のカーテンレールを、体重と腕力に任せて剥ぎ取る。
すごく嫌な音を立ててカーテンレールは壁から外れた。

神白は障子と窓を開け放ち、その細い金属の棒を、窓の下にいる何かに向けて突き下ろした。
あまりにも無慈悲な、そして明らかな殺意を込めた動作だった。
僕はぞっとした。

カーテンレールのリングがぶつかり合う乾いた音が繰り返された。

神白の動きには迷いがなかった。彼の、取り立てて筋骨隆々というわけでもない華奢めな身体が、ひとつの目的のために統制し躍動していた。

ずっとこんなことをしていたのか。あの山深い農村で、「防衛」と称して。
僕は神白のことをここしばらくで随分と知ったつもりだったが、考えてみれば彼が戦っているところを一度も見たことが無かった。

そして戦っていないときの彼は、いつも気が抜けるほど温厚で控えめだった。
僕がどれほど言葉で挑発しても、神白は笑うか、せいぜい不愉快そうになるだけだった。県境の道沿いで不良まがいの一団に絡まれたときでさえ、大柄な数田を頼ってへらへらと逃げ回っていた。

僕はいつの間にか神白を、自分と同じ領域に住む人間だと思い込んでいた。
それがまったくの幻であったことに気づいて、僕は自分でもびっくりするほど打ちのめされてしまった。

「何匹いるの」
ビィは起きていたらしい。

僕を押しのけて窓際へ行き、遠慮なく神白に近付く。

ビィに気づいた神白は迷惑そうに何か言いかけたが、

ていし
とビィは、窓の外に向けて言った。

耳障りな音が消えた。

「え」
神白は慌てて下を覗き込む。

僕はようやく、ふらふらと窓際へ近づいた。
窓の下、街灯の光から外れた薄暗いアスファルトの歩道に、作業服姿のかたまりが折り重なって落ちていた。
あまりにも人間に似ていたから、吐きそうになった。

「なんすか、今の」
肩で息をしながら、神白はビィに聞いた。

「隠しコード」ビィは無表情で言った。「私の声にだけ反応するように、いくつか組んでる。こっそりね」

「こっそり? なんで……」

「保険だよ。制御が効かなくなったときのために」

「それはそうだろうけど」

「分かってる?」ビィは神白の言葉を遮った。「制御というのは、こいつらの制御じゃなくて、あの組織の制御だよ。あんなトウシロウの寄せ集めの組織、いつか必ず仲間割れする。そのとき、必ず誰かが、こいつらを本来の使い道で使おうとする。そんなことになったら、悪夢だなと思って」

「確かに、悪夢だ」神白はすごく嫌そうな顔でもう一度、窓の下を見た。「あいつらは、しばらくあのまま?」

「他の命令が入らない限りは、当分動かないと思うよ。保証はできないけどね」

「よし、じゃあ出よう」
神白は窓を閉め、僕たちを急き立てた。

僕はもうなんだかわからなくなって、ビィが持ってきてくれた自分のリュックを呆然と受け取った。


(3章につづく)


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それはともかく「ゾンビつかいの弟子」は二次創作、ファンアート、絵、歌、朗読、無断転載、再配布、全て自由です。作者を偽らないでくれればあとは何をしてくれてもかまいません。もし面倒なら、特に報告なども不要です。皆で可愛がってやってください。

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アラサーのママです。#小説 タグを無差別に読みます。長編小説「ゾンビつかいの弟子」をよろしくお願いします。目次ご覧ください→ https://note.mu/toma_mori/n/n40761080856c 現在は続編「怪獣をつかう者」連載中。
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