[最初から]ゾンビつかいの弟子 2章(前半)

(約12000字 / 読むのにかかる時間 : 約25分)

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こちらは「ゾンビつかいの弟子」本連載ではありません。今後の投稿スケジュールはこちら


二章


1. 

特殊事態物流法、通称「関所法」が施行されて1週間が経った。

これは完全に今回のこの事態のためだけに作られた法律で、平たく言えば全ての県境に関所を置くというものだった。

県境をまたぐ道路を行く車はすべて一度止められ、「身元が十分に確認された者」しか通ることを許されない。電車はもっと厳しく、身元が「不十分」な者は改札で追い返され、ホームに入ることができなかった。

そしてこの「十分に確認」というのが難題だった。何を満たせば合格なのか、基準が公開されていない。ある関所を通過できても、次の関所を通れるという保証はなかった。

大企業や公的機関など、大きな組織の一員であればかなり自由に動けるらしい。特に、仕事上の必要があって関所越えをする場合は、あらかじめ話を通しておくこともできるようだ。

いっぽう、僕のような未成年者や、神白みたいに無職の者は基本的に駄目だった。「事故」で車を失い、雨に濡れてラブホに駆け込んだ日から1週間、僕たちはいまだにF県から出られずにいた。

「飯なんだがな」
数田が何処からかふらっと戻ってきて、藪から棒に言った。
「この先で今日、炊き出しをしてる」

「この先で、ね」
僕はうんざりしていた。

この数日、情報提供と引き換えに小金をせびってくるこの数田という男、何かと言えば「ちょっとすぐそこ」みたいな言い方をするのだ。実際、彼の鍛え抜かれた健脚なら、山をひとつ越えてスープを一杯もらいに行くくらい、どうってこともないらしかった。

「数田さんの脚でどれくらいなの?」神白も期待しない顔で聞いた。

「俺が朝ここを出てから、今戻ったわけだから、片道1時間は掛けてないと思うが」

「やめ、やめ」僕は首を振った。「コンビニ屋さんを待とう」

僕たちは、歩道橋の階段下の出っ張りをベンチ代わりに、日差しを避けて座り込んでいた。
関所法が施行されてからは、こんなふうに昼間は日陰で休み、夜になると基準の緩いと言われる関所に向かってゾロゾロと移動していく、「流浪者」が見られるようになった。

そして、こうした流浪者の客を当て込んで、コンビニなどで購入した食料を道端で転売する闇業者「コンビニ屋」が繁盛していた。元来割高なコンビニの商品をさらに上乗せして転売するわけだから、とんだぼったくりだ。しかし、移動手段が徒歩しかない者にとっては、コンビニ屋との取引はライフラインですらあった。

数田は無表情だったが、目だけ少し不満げに細くなった。
「もうすぐ『ツナマヨ』の相場は千円を超えるぞ」

「どうして『ツナマヨ』限定なの」

「日持ちしないからだろう。他の具も700円からだ。馬鹿げた値段で買う奴がいるから連中が付け上がるんだ」

「君も健脚なら、コンビニ屋を開けば」

僕の軽口に、数田は呆れた目をして、それ以上何も言わなかった。

神白が数田をわりと丁重に扱っているのは、体格が良いから、とのことだった。自分たちのそばにいてくれるだけで、ある程度の用心棒になると。

実際、僕はかなり痩せているし、神白も背が低めとあって、ふたりだけでいると不良のような連中に挑発されることがあった。
それに引き換え、ずんぐりとした体型で背丈もある数田が一緒のときは、絡まれることが全くない。

また、数田は物知りで野宿の技術にも長けていた。ライターひとつで大きな火を起こしたり、コンビニ屋から買った食材を日持ちするように加工したり、安全で虫が少ない寝床を確保したりできた。
おかげで僕たちは、他の当てずっぽうな流浪者よりはかなりマシな旅をしていた。

それに、僕には自宅から持ち出した大金があった。
だから、天気が悪そうならホテルに入ってしまうこともできたし、コンビニ屋にいくらふっかけられたところで、結局は欲しいものを欲しいだけ買うことができた。

用心深い数田は何も聞いてはこなかったが、僕がかなりの金額を持ち歩いていることを察しているようだった。だからこそ、彼のせびりかたも日に日に図々しいものになっていくのだった。

うだる暑さだった。F県の南端だ。僕の住むM県よりは確実に暑い。しかも、僕はここ何年も、インドアで勉強ばかりして身体を甘やかしてきた。

日陰に座っているだけで苦行だった。

「伊東君、ご相談なんですけどね」
神白が言った。

僕はじっとりと目線だけ送った。声を出して返事をするのが億劫だった。

「僕たちのそもそもの目的は、伊東君の生活環境の向上ですよね。お父さんのところへ行くことになったのは、お母さんの捜索と、生活基盤の確保に、助力いただけるはずだったから」

「そんな呑気な話だった頃が懐かしいね」
僕はげんなりして言った。

神白は構わず続けた。

「C県のお父さんのところへ行くには少なくとも2度の関所越えをしなければいけません。引き返して家に帰るにも、1度は関所をパスする必要がある。この際、徒歩でこのF県内をさまよう辛さは置くとして、この先も何度も関所にアタックして疲弊するよりは、関所を通らずにことを済ませる方法を考えたほうが早いかも知れません」

「通らなきゃどこへも行けないよ」

「F県内で目的を達するんです。生活環境を確保し、お母さんの捜索をするための準備を進める。F県内で」

「どういうこと? つまり」

「あなたの恋人はF県にいるんですよね。手紙によれば。彼女は少なくとも屋根と食事の確保された環境にいるのではないでしょうか」

「はあ、まあ、そうかもね」

「ここからB山までとなると徒歩では相当遠いですが、少なくとも、努力すれば確実にたどり着ける。なぜなら関所越えが必要ないからです」

僕だってそれを考えなかったわけではない。
しかし、あの手紙には「B山中でハッカソンの続きをする」としか書いていない。場所の手掛かりとしては貧弱に過ぎる。

それに、ビィがまだそこにいて再会できたとして、せいぜい雨宿りをさせてくれておやつを出してくれるくらいが関の山だろう。

僕がそう言うと、神白は「もっと重要なことができます」と言った。

「そもそも関所法が何のために運用されているか考えてください。目的はテロリストを交通網から排除することです。これから僕たちが最優先すべきは、自分がテロリストではないことを証明することなんです」

「ビィに、僕たちの身元を保証させるの?」

「関所をパスできるほどの保証にはならないでしょう。しかし、そのイベントの主催者や他の参加者に対しては、ある程度のコネになってくれるはずです。どんな人達が集まるイベントなのか分かりませんが、中には社会的信用のある組織に顔のきく人もいるのではないでしょうか。そうした人を通じて、何らかの下仕事をもらって、その組織に雇われるという体を取れば、僕たちは身元が保証された人間に格上げされ、関所を通りやすくなります。
つまり、就職活動をするのです」

ニートがこんなことを言い出すようでは、本当に世も末だ。

僕たちは数田に大まかな事情を伝え、B山までどうやって行くかを相談した。

例によって自分の脚基準の答えが返ってくるのかと思ったが、数田は冷たく、「あんたたちの根性じゃ来年までに着くかどうか」と言った。

「そこは頑張りますよ。生活がかかってるんだから」と、神白は言った。

「どうだかな。現状に疑問を持ってない時点で、真剣味に欠けてるように、俺には見える」

「疑問、ですか」

「関所法なんてものがまかり通っている状況がどういうことだか、わかってるのか? 努力してそれに適応することで、あんたたちはこの不条理に加担することになるんだぞ」

数田が自分の考えを述べるなんて珍しいことだと僕は思った。いつも寡黙で、たまに口を開けば自分の取り分のことしか言わない人間だったから、インテリとは程遠い奴なのだと思っていた。

「そりゃそうですけどね……」とだけ言って、神白はあっさり流した。

けっこう高度な議論を仕掛けられているはずなのに、まともに応じる気がないらしい。

大人の余裕ってこういうやつなんだろうか、と僕は思った。

コンビニ屋が回ってきたので、僕たちはめいめい好きなおにぎりと飲み物を買った。
そういえば、近ごろは異物混入について気にすることもなくなった。
食べ物が買えるだけありがたい、という状況になってしまい、何か入っていたら吐き出せばいい、と割り切っていた。そして、いまのところ何か入っていたためしがなかった。無味無臭の劇薬が入っていたら一発で死んでしまうわけだが、そもそも、そのような犯罪を防止するのは根本的に不可能だ。

「ヒッチハイクで距離を稼げるといいんだが」
数田はどこからか手に入れてきた段ボールの切れ端とマジックペンで、「B山方面 3名」という看板を作った。

「3名って、君も付いてくる気なの」と僕は聞いた。

「俺はもともとそのあたりの人間だし」と、数田は言った。

「じゃあここには何しに来たの?」

「何かな、自分探し」数田の口調は明らかに適当だった。

僕を子供だと思って馬鹿にしているに違いない。

「あのさ、僕お金持ってるんだよね」と、僕は言った。

「知ってる」と数田。

「だから、なんならここからB山までのタクシー代出してもいいんだよ」

「2億円持ってるならそれでもいいがな。どうせ百万がいいとこだろう」数田はかなり正確に金額を言い当てた。「本気でここで生活を立て直すつもりなら、かなり心もとない金額だぞ。あんたは学生だから分からんかも知れないが」

やっぱり馬鹿にされている。
「その心もとない金額にたかってるのは誰なの」

「何を言う。貧しい者はより貧しい者にたかるんだ」

つくづくムカつく男だった。

初めにヒッチハイクに反応したのは、正面にベンツのエンブレムの模造品をつけた、小さめのワゴンだった。

「通り道ですけど?」フレームの太い眼鏡をかけた、妙に真面目そうな感じの男が運転席から顔を出した。

「いえ……ちょっと申し訳ないんで」と、神白が言った。

僕も乗る気はしなかった。

後部座席に固定されたチャイルドシートの幌の中から、赤ん坊の金切り声が聞こえていたからだ。

「ああ……」男は後部を少し振り返った。「いつもはすぐに泣き止むんですけどねえ。おお、よしよし。よしよし。ダメか。うーん、ダメか……」

男はおざなりな会釈をして走り去った。

その後に止まった車も、冷やかしだったりお説教だったり、いずれにしろ乗せてくれなかった。

もう諦めようかと思う頃、先ほどの似非ベンツのワゴンがまた通りかかった。
「やっぱり乗りませんか? 泣き止んだんで」

「ですが……」神白はチャイルドシートを振り返ったが、

「実は、乗ってもらったほうが助かるんです。運転中は赤ん坊の様子を見れないものですから」

男にそうまで言われると、断りづらくなった。

数田は真っ先に助手席に乗り込んでしまい、僕と神白がチャイルドシートと向かい合う位置の後部席に入った。

涼しい。
クーラーの恩恵にあずかるのは本当に久しぶりだった。

「眠っちゃってるでしょう。特に世話は必要ないんですが、ミルクを吐いて喉に詰まらせてないか、たまに確認してくれると」
男はそう言って発進した。

「どうして車に三ツ矢サイダーみたいなマークつけてるの?」
僕は運転席に向かって聞いた。

「三ツ矢サイダーか」男は笑った。「前のオーナーの趣味だよ。業者を通さずに買い取ったんでね、取り外すのも面倒で」

「どちらまで行かれるんです?」と神白が聞いた。

「A市の、妻の実家へ。酷いと思いませんか、妻だけ関所を越えられなかったんです」

「え、では、奥さん抜きで奥さんのご実家へ?」

「疎開ですよ、疎開。首都圏はもう物騒で。赤ん坊をいい環境に置きたいんでね」

その赤ん坊は、幌付きのチャイルドシートの中で熟睡していた。

「わたしはタゴヤマと言います」男はしばらくしてから思い出したようにそう言ったが、赤ん坊の名前は言わなかった。

あえて教えないのか、話題に出し忘れただけなのか、よくわからない。

僕たちもそれぞれ名乗った。
まず神白が「カミシロです」と言い、僕もそれにならって「イトウです」と、名字だけを言った。

ところが数田は「カトウと申します」と言って、僕と目が合っても平然とした顔でいる。

考えてみれば、彼が僕たちに対して名乗った「数田」が本名だという証拠もない。おそらくこの男は、誰にも本名を明かす気がないのだろう。

しかし、僕たちが聞いている目の前で敢えて別な偽名を名乗る必要はあるのだろうか。

神白に小声で聞いてみると、「僕たちに心を開く気がないという意思表示でしょう」と返ってきた。

しばらくは、主に神白とタゴヤマが、当たり障りのない世間話をしていた。

数田はずっと黙っている。
会話する気がないなら、助手席に座らなければいいのに。
僕はだんだんイライラしてきて、数田だけこの車から放り出せないだろうか、と考えた。

「それじゃ、野宿してたんですか? へんなものに会いませんでした?」
へんなもの、と言うときにタゴヤマは少し口ごもった。

「近くに出たらしいと聞いたことは何度かあります」神白は淡々と答えた。

「怖いですね」

「でも、もっと怖かったのは、別々に野宿してたグループ同士の抗争があったことですよ。物や金を互いに盗んだり、最終的には女の取り合いまで始めて」

「はあ、かなり無法地帯なんですね」

「なかなかですよ」

「本当に怖いのは人間ってことなんですかね」
タゴヤマは妙に感じ入ったような口調でそう言った。

僕は背もたれに身体を預けて、ぼんやりと赤ん坊の寝顔を眺めた。

まったく可愛くなかった。

閉じた目の端に目やにがこびりつき、おでこには湿疹のかさぶたができ、頭は汗だくで、少ない髪がジメジメと絡み合っていた。
頬は下膨れで、眠っているのにふてぶてしそうな顔だった。

人に好かれようとか思ったことないんだろうな、と僕は考えた。

それに、この子が物心つく頃には、僕が育ってきた社会は失われ、違う時代になっているのかも知れない。
人に好かれようなんて平和ぼけた考えは時代遅れになり、この子はもう一生、ふてぶてしい顔のまま生きていくかも知れない。

タゴヤマの運転は平凡だった。スピードを出すでもなく、極端に遅いわけでもなく。

一度だけ、赤ん坊が激しく泣き出したので、タゴヤマは最寄りのコンビニに車を乗り入れた。

僕と神白がおやつを買って戻ってくると、タゴヤマは後部席に道具を広げて赤ん坊にミルクをやっていた。

「手慣れたものですね」神白が言った。

「妻が身体が弱いもので」とタゴヤマは言った。「普段から、夜泣きの相手はほとんど私ですよ」

飲んでいる姿も、まったく可愛げがない。

もっと可愛げがないのは数田で、たぬき寝入りなのか本当に爆睡しているのか、帽子を顔にかぶせて助手席から動かなかった。

「奥さんはどうするんですか?」
B山が近づいてきて、降ろしてもらう場所も決まった後、ふいに神白が聞いた。

「取り敢えず帰宅です。関所越えに必要な書類を整え直さないと」

「整えれば何とかなりそうですか」

「どうでしょうね。まあ、私とこの子だけ先へ行くと決めた時点で、最悪の事態も覚悟してますから」

「最悪の事態」

「一家離散です」

「つまり……奥さんにもう会えない?」

「そう、それでもゾンビに食われるよりはマシですよ」
タゴヤマは何かを思い出したらしく、顔をしかめて溜息をつきながら、ルームミラーごしにじっと赤ん坊を見やった。


2.

気の滅入るような曇り空だった。

今夜の宿を当て込んだB山中腹の温泉街まで、道のりにして5キロ、標高にして200メートルほどあった。

僕と神白は上りのきつい階段を上がりながら、ずっと言い争っていた。

「僕が、原因だって言うの?」

「原因じゃないだろうけど、伊東君と行動してることで僕が何か得ているとは思わないで欲しい」

「何も得てないだろうよ、君がおせっかいを焼こうとしたのが始まりだろ。僕がC県まで送ってくれと頼んだ?」

「そういう言い方は良くないだろう」

「恩に着せる気? ほんと図々しいね、分かりやすく金を要求する数田のほうがまだマシだよ」

「あなたね、お金を持ってるからって疑心暗鬼になりすぎだよ。はっきり言ってたいした額でもない」

「たいした額じゃない? 同じ額稼いでから言いなよ」

「伊東君の稼いだ金でもないだろう」

階段を上りながらなので、僕は息切れを起こしかけていた。
しかし、荒い息をすると負けたように感じるので、強がって普段通りの声を出していた。
今にも声が裏返りそうで、息も苦しく、頭がぐらぐらした。

自警団の活動で里山を駆け回っていた神白は、僕よりはずっと体力に余裕がありそうだった。

けれども、「頼むよ、もう息が苦しいから」と先に言ったのは神白だった。

神白は立ち止まってしばらく息を整えた。

僕たちより7段ほど上を行っていた数田が振り返り、「終わった?」と聞いた。

僕はもう何も言い返す気力がなかった。
しかし、神白が「お前もちょっとは気を遣えよ」と声を荒げた。

神白が数田に苦言を呈すのは初めてだった。

「付かず離れずみたいな、都合のいい場所取ってんじゃねえよ。その、おれは知りませんみたいな態度は、なんなんだよ、真面目にやらないなら付いて来んな」

数田はその動物的な黒い目でじっと僕たちを見比べてから、
「ま、分かれ道に来てから考えようか、それについては」
言いながらまた先へと上っていった。

確かに、もうずっと一本道で、付いて来るも何もなかった。

僕たちは互いにだんまりを決めたままひたすら上った。
結局、分かれ道がないまま、温泉街に着いてしまった。
そして、街の風景を見た途端、僕たちは諍いのことを忘れた。

全ての壁が、壁という壁が、黒く塗りつぶされていた。

真新しいペンキの跡がわかる。
民家も店も、母屋も離れも、古風な電話ボックスのガラスの壁までもが。
べったりと均一な、安っぽい黒だった。

何かの呪術か、イタズラなのか……どちらにしろここまでする意味がわからない。

僕たちは顔を見合わせながら黒い町を歩いた。

観光地のはずなのに、ひとけがなくひっそりとしている。

しかし数田は、「ここは冬のスキー客が中心だから。夏場はこれくらいでも変ではない」と言った。

土産物屋が見つかったので、僕たちはとりあえず入った。
何処ででも売っていそうな量産品のお土産が、安っぽい棚にダラダラと並んでいた。
レジカウンターには、なんとも言えない野暮ったい格好をした若い女がいて、低い声でいらっしゃいませと言った。

「あの、急に申し訳ないんですがね」
神白はその女に丁寧な物腰で声を掛けた。

僕と初めて会った時もこの口調だったな、と思った。

「この山の地図を持ってませんか? 山小屋や、合宿所の場所がわかるようなものを探してるんですが」

「はあ」女は無表情で首をひねった。「うちにはないですけど」

「うーん、そうですか。持ってそうな人、知りません?」

「ちょっとわからないですね」
まったく取りつく島もない。

しかし神白は気にするふうでもなく、「そうですか。まあ他で聞いてみますよ」

「壁のことで、来たんじゃないんですか?」
女は不審そうに、そう言った。

「壁? ああ、あの壁はどうしたんです?」

「普通は先にそう聞くよ」と女は言った。薄く笑っている。

「最近塗ったように見えますけど」

「塗ったわけじゃないよ。やられたんだよ」

「やられた?」

「そう、ほら、いま流行りの、アレにね」

「人の形をしたヤツラに?」神白の目が少しだけ鋭くなった。

「まあ、そう、そういうヤツに」

「こんなことをするんですか。こういう被害は初めて見ましたね」

「他の被害を見たことあるの?」女は小馬鹿にしたように聞いた。

「ええ、まあ、色々ね」神白は曖昧な答えで流してしまった。

「もしかしてS村の人?」と、女は言った。

「いえ? どうしてですか?」

「あそこも実験に使われてるって聞いたから」

「実験?」神白は急に不安そうな顔をした。「どういう意味ですか? 誰かが実験をしてるんですか?」

ロボット人間の動作チェックだよ」

「ロボット人間?」

「あ、知らないんだね、じゃ忘れて」女は片手をめんどくさそうに振った。

神白は黙って、考え込む顔をした。

気まずい静けさが生まれた。

数田は飽きてしまったらしく、ひとりで外に出て自販機のアイスを買っていた。

「ゾンビはロボットなの?」と、僕は聞いた。

「さあ、私は知らない」女は意図のよく分からない笑みを浮かべた。

「誰かが、ヤツラの使い方を試しているのでしょうか」神白が聞いた。

「そうかも知れない」と女は言った。

「でも……」

「私に聞かれても困るんですよ」と女は言った。「私はもうこの村の者じゃないんです。大学が夏休みの間、店番を手伝ってるだけで」

「あなたの知ってることだけで結構ですよ」神白はほとんど猫なで声のような声色で言った。

「私が知ってるのは、こういうことを」女は外の景色を顎で示した。「町の連中が黙認してるということだけ。きっと金をもらってるんでしょう。誰が誰に、とか聞かないでね。私が帰ってきたときにはもう、そうなってたんだから」

「ロボット人間のテストというのは?」

「見てればわかるよ。あれは低レベルなアルゴリズムで動くロボットだ。そしてプログラマたちはこの町を定期的に襲わせて、その結果を見ながらデバッグをしている」

「はあ」急に聞きなれない言葉が並んで、神白はぽかんとした顔になった。「あの、それはつまり……」

「低レベルなアルゴリズムというのは、歩き方に柔軟性がない点を指してるんですか?」
いつのまにか数田が戻ってきていて、いきなり横から割り込んだ。

僕と神白は呆気に取られたが、女は「まあそれが一番ですね」と、普通に答えた。
「ただ、そもそも柔軟な歩き方を目指してないようだね。社会との協調が目的ではないのは明白だ。人にぶつかったり物を壊したりすることをまったく恐れていないから、あの程度のアルゴリズムで問題ないと考えているんだろう。それよりも、彼らが熱心にデバッグしているのは建物の形状の把握能力だ。壁を塗らせるという作業を、この能力のメルクマールにしている」

「でも、何のためでしょう」神白が聞くと、

「社会性がない連中が建物の形を知りたがるとしたら、テロか戦争でしょ。ま、もっと平和的なところで、全自動空き巣マシーンかも知れないけど」

「そのプログラマたちの根城が知りたいんです」と、数田が言った。

「だから知らないって」女はまた小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

「本当に?」数田は食い下がった。

「知りたきゃ、ロボットの後をつければいいじゃん?」と、女は言った。

「あなたはつけたことないんですか」

「なぜそんなことする必要があるの?」女はまるで怒ったような口調で返した。「私が大学で担当してるロボットのほうが上手に歩ける。あんなガラクタに学ぶことは何もないね」

女の自慢げな自己紹介に、数田はまったく反応しなかった。

「ともかく」と、神白も四文字で片付けた。「ヤツラの次の襲撃はいつになるでしょうか」

「私はヤツラの番人じゃないんだよ。売り上げに貢献しないなら帰ってくれる?」

「来た」と、数田が外を真っ直ぐに指差した。

そして僕は、初めて、それを目の当たりにしたのだった。

人のようなものの集団が通りを動いていた。

10人以上いるように見えるが、20人まではいかない。全員が、当たり障りのないスニーカーとジーパン、作業着風のシャツ姿だった。

ヤツラの歩き方は、驚くほど人間に似ていた。手足の動きは滑らかで自然だった。足取りはしっかりしており、転んだり、ふらついたり、身体の一部がこわばったりする様子もない。
だから、ぱっと見は何かの視察団か、土木作業員のようにも見えた。

しかし、異様なのはその動線だった。

僕の目には、店が面している通りはほぼ真っ直ぐに見えたが、厳密にはごく僅かにカーブしているようだった。

そしてヤツラの先頭を行く数名は、そのカーブを認識せず、律儀に直進しようとしていた。

すると、すぐに道をそれてしまう。草むらや付近の店の駐車場に踏み込み、つまづいたり、ポールに身体が当たる。

ヤツラはそうなってから初めて、元の道を探し始め、元の道に戻ると、また直進し続けるのだった。

そして、列の後ろのものたちはもっと悲惨なことになっていた。

どうやら集団で歩くための距離の取り方や協調の仕方が、まったくわからないらしい。

後ろのものたちは2秒おきに自分の仲間にぶつかっていた。
そのたびにヤツラは微妙に、ランダムに向きを変えて、歩行を続けていた。
すると、真ん中のものは何となく先頭を追って進むことになり、両端のものはしょっちゅう列を離れてあらぬ方向へ進むことになった。

しかし一定距離以上離れると、何らかの理由で道が間違っていることに気づき、また仲間たちの近くに戻ってくる。

そしてヤツラは何がどうなっても歩く速さを全く変えなかった。

「確かに人間じゃないね」と僕は言った。

「何度見ても殴りたくなる」と女が言った。

数田は無言で店を出て行った。

神白が慌てて追いながら、「どうする気なんです?」

「ずっと付いて歩けば、いずれ元来た場所に帰るんだろう」と数田は言った。

僕もふたりを追った。
神白は、数田がヤツラの行き先にこだわる理由がわからない様子だった。

しかし、僕には数田の考えが読めていた。

信じがたいことだ。
それでも、状況から見ればその可能性は高い。

「B山中で今、行われてるハッカソンは、これなんだね?」

「しょうがない」というのが、数田の返答だった。「見る人が見れば、この動きが安上がりなロボットのそれだということはすぐわかるだろう。あんたの探してる人がその畑の人なら、誰がこれを動かしているのかという点に注目し、自分でも動かしてみたいと思ってしまっても、仕方がない」

「君はいつの時点でこれを予測してたの?」

「予測なんかしていなかった」数田は不機嫌そうに言った。「俺は本当にこの隣の町の人間なんだ。ただで帰れると思ったから同乗しただけで」

「じゃ帰ったら?」と僕は言ってみた。

「そうだな」と数田は言った。
それきり、無言で歩き続ける。

本当に性格の悪い男だ。

ヤツラの群れは非常に効率の悪い足取りで、通りの突き当たりの丁字路を目指していた。

道端にどこかレトロな色合いの朱色のポストがあって、その上に、若い女が無造作に腰掛けていた。

だぼだぼの作業着のようなもので着ぶくれていたので、僕はわりと目の前に来るまでそれが誰だか分からなかった。

通り過ぎていく「人ならざるもの」の群れを無言で見送ってから、女はこちらを振り向き、すごく無感動に片手を振った。

「あ、お兄ちゃん」

「な……」と僕は言った。

なんで、と聞くのは変だ。ビィがこの山にいることは知っていて、だからこそ僕たちはここに来たわけで、むしろ、手間が省けて良かったというべきか。

いや、やはり、なんだろう、これは。

「怒ってるの?」ビィが言った。

「なぜこんなことに関わってる?」と、僕は聞いた。

「ごめんね、誘えば良かった? でもお兄ちゃんは受験が第一だと思ったし」

「そういうことじゃ……」

「というか、お兄ちゃんこそ、なぜここに来たの? というか、相変わらずソイツ、来てんだね」ビィは神白を目で示した。

「はあ、すみません」と神白は言った。

僕は黙って5秒考えた。
会話の中での5秒というのは、すごく長いものだ。
ビィはじっと僕を見つめており、無表情だった。

「帰ろう」と僕は言った。

「何が?」とビィは首をかしげた。

「家に……それぞれの家に、戻らないと」

「私は実家を出たのよ。手紙にそう書いたでしょ」

「けど、こんなことに首を突っ込んでるべきじゃないよ」

「それは私が決めるんだよ。だいたいこんなことって、どんなことだか分かってるの?」

「それは……」

「私はこの現状を打破するためにできることがあるんだ」
ビィは手紙に書いていた言葉を繰り返した。

「でも」

「ごめん、もう行くね」
ビィは勢いをつけてポストから飛び降りた。

すっと、近づいてきたバイクが横付けになり、背の高い男が脚を突っ張って車体を傾けた。顔はヘルメットで見えない。
ビィは当然のようにその後部に乗り込んだ。

バイクは景気の良い音を立てて発進し、ヤツラが去っていった方向へと、あっという間に遠ざかり、カーブをきって見えなくなった。


(2章後半につづく)


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それはともかく「ゾンビつかいの弟子」は二次創作、ファンアート、絵、歌、朗読、無断転載、再配布、全て自由です。作者を偽らないでくれればあとは何をしてくれてもかまいません。もし面倒なら、特に報告なども不要です。皆で可愛がってやってください。

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アラサーのママです。#小説 タグを無差別に読みます。長編小説「ゾンビつかいの弟子」をよろしくお願いします。目次ご覧ください→ https://note.mu/toma_mori/n/n40761080856c 現在は続編「怪獣をつかう者」連載中。
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