[最初から]ゾンビつかいの弟子 5章(前半)

(約11000字 / 読むのにかかる時間 : 約25分)

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こちらは「ゾンビつかいの弟子」本連載ではありません。今後の投稿スケジュールはこちら


第二部 大学篇

五章

1.

長い冬が明けた。


とはいえ僕は、何のためにあれほど勉強したのか分からなくなるほど、相変わらず勉強に追われていた。どちらかといえば、受験生だったときのほうが楽だったのではないか、と感じるほどだ。

数式、ギリシャ文字、見たこともない記号、長いカタカナの専門用語。
演習、実験、レポート、実技講習……

そして、新入生というのはどこまで大人ぶったところで結局「顔でわかる」ものらしく、教養キャンパスを歩いている限り、ひっきり無しに先輩たちからの勧誘を受けた。

サークルや勉強会というのがほとんどだが、それ以外では、ビジネスをしないか、とか、政治家と知り合わないか、とか、環境問題についてのセミナーを受けないか、とか。それに、アンケートをさせてくれと言って質問を重ねつつ、途中から人生について壮大なお説教を始める、という人種にも数回捕まった。

「話し掛けたくなるような顔してるんだよ」
と、清水先輩は笑った。
「あと、あそこ歩き回って勧誘してる連中は、学内の人間とは限らんよ。気をつけて」

清水先輩は2年生で、いつ行っても必ずサークル室にいた。講義に出ているのを見たことがない、と、他の先輩たちが口を揃えて言うほどだ。本人は「たまたま暇なだけ」だと言う。あるいは、「今日だけ、どうしてもやる気が出なくて」と。
僕は勝手に、コマ数の少ない文系学部の先輩なのだろうと決め込んでいたが、何かの拍子に、僕と同じ学科の先輩だと判明した。

以来、テストの過去問をもらったり、実験レポートのチートシートをもらったりしている。

サークルは『漫画読書会』という名目で大学に届けられていたが、結局のところ、放課後何名かで集まっては共用のPCで動画サイトの投稿動画を眺めるという、まあなんとも緩い団体だった。
僕は、もともとは隣の部室を使っているジャグリング部の見学に来たはずだった。ところが、その帰りに清水先輩のよく分からない強引な勧誘で引き込まれてしまったわけだ。

「先輩も宗教の勧誘を受けたりします?」
僕は、テーブルの向かいで20年前の「週刊少年チャンピオン」を開いている清水先輩に聞いた。

このサークル室の中では、時代の流れが止まっているように見える。
本棚にぎっしりと並ぶ漫画誌やコミックスは、もはや本の形を保っているのが不思議なほどの傷み方で、9割以上が前世紀の漫画だった。
部屋の奥にはビデオテープ挿入口の付いたブラウン管テレビ。テレビ台の下の収納部にはラベルの剥げかかったビデオテープが大量に詰め込んであり、一部は溢れて床に積み上がっている。
あと、きちんと現役で動くダイヤル式の黒電話が、床に直置きされていた。主に、宅配ピザを注文するときに使われている。

「なんだっけ。ごめん、聞いてなかった」清水先輩は見開き3ページほど読んでから、やっと返事をした。

「先輩は童貞ですか?」

「さっき絶対違うこと聞いてたよね!」清水先輩は勢い良く漫画を閉じた。
「なんだっけ、宗教がどうって……あ、勧誘されるかって? 俺はされないな。結局は顔だよ。あとデブはお断りなんだよ。どうせな、あんな連中、出会い目的なんだから」

「言うほど太っちゃいないでしょう」

「嫌味。すごく嫌味に聞こえる」清水先輩はニヤニヤ笑った。「痩せたくても痩せれない人間に向かって、痩せてる人間がそういうこと言う、これはもうね、人種差別だと思うよ!」

しかし、こう言ってはなんだが、清水先輩ははっきりデブとも言い切れないような微妙な体型だった。だから、デブキャラと開き直って笑いを取っていくのも難しい。

部長の塚田さんは実に無慈悲な口調で、「もっと引き締めるかもっとキモくなるかどちらかにしろ」と言っていた。何となくその言い分はわかる。清水先輩は眼鏡ではないし、髪型は小ざっぱりしているし、ファッションもそれなりだ。それに、やや童顔な感じの愛嬌のある顔で、明るくよく喋る。

ただ、何をどうしたところで「女子からそういう対象として見られにくい」という印象が抜けず、本人にとってはそこが大問題なのだった。

「声を掛けられてみたいもんだよ。美人に勧誘されたら、俺ぜったい入信するのに」

「いや、それ系で美人の勧誘なんて見たことないですよ。たいてい、目がすわってる感じの男ですよ」

「伊東君は男にも好かれそうだもんな」

「別に、女子にもモテませんけど」

「は? 何言ってんの? そんなの信じないよ? え? 喧嘩売ってんの?」清水先輩は椅子から立ち上がって、バンバンとテーブルを叩いた。

「いや、本当に彼女とか居たことないですし。ていうか落ち着いてください」

「なんで? おかしくない? 共学出身だよね? なに、あ、本当はものすごく性格が悪いとか? すぐ殴っちゃうとか、性癖がおかしいとか?」

「さすがに酷くないですか?」

そのとき、塚田さんが入ってきたので清水先輩の注意はそちらに逸れ、僕はスマホが鳴ったのでリュックのポケットに手を入れた。

スマホの通知は単なるプロモーションメールだったが、それと一緒に今朝入れたまま忘れていた茶封筒が出てきた。

家を出る直前に母から渡され、確認する暇もないまま突っ込んできたものだった。

個人が出した感じがありありと出ている封書だ。僕の名前と住所がボールペンで、刻むような筆圧で記され、切手には知らない地名の消印があった。
封筒の裏を見るが、差出人の名が無い。

このパターンの郵便物で記憶に新しいのは、去年のあの騒ぎの中で届いたビィからの手紙だった。また「笑笑笑」に満ちた謎の近況報告ではないかと、期待混じりの疲労感をおぼえながら開封した。

真っ先に、何度も漢字を間違えて塗り潰した跡が目に入った。
宛名書きと同じ、紙が破れそうなほどの筆圧で、要件が羅列されていた。

----------------------
伊東君へ

新生活は始まっておりますか。

とつぜんですが、
〒***-****
S町***大字**42のイ
セントラル・プラザS

に、カップめんと、スナック菓子
(なるべく、しょっぱいやつ)

ありったけ

送ってもらえませんか。

今、男7名いて、「ゾンビを守る会」?に

ひょうろう責めをされてます。

米とカンヅメは十分ありますが、

ジャンクフードがこいしいです。

お金は書留で払います。(レシートをください)

着払いにしてください。

ごめん。

ムリなら気にしないで。

あと、あて先の電話番号は
080-****-**** にしてください。

ただしこれは僕の電話ではないので、かけるとちがう人が出ます。

いろいろすみません。

神白 明
----------------------

何をやってるんだか。
思わず、口に出して呟きそうになった。

山で死にかけたとき数田に送った手紙も、こんな文面だったに違いない。

兵糧攻め、と書こうとして何度も塗り潰した末、カタカナで書いたヒョウロウも二重線で取り消し、最終的にやっぱり漢字を間違えている。

本当に馬鹿なんだな。

去年、スマホが復活してから神白には何度か電話をしていたが、電波が届かないとか、お客様の都合でとか、そんなアナウンスばかりで、一度も掛かったことは無かった。

ネットの復旧と関所の廃止にともなって、S駅周辺の混乱状態も迅速に解消し、もうひとりの神白にもあの後二度と出会わなかった。

今さら何なんだ。都合良く手紙なんか寄越して。
ていうか、下書きくらいしろ。

「それ、ラブレター?」
塚田さんが聞いた。

ふたりの先輩は並んで座り、テーブル越しに興味深そうな顔で僕を見ていた。

塚田さんは博士課程の学生だ。しかも、いちど工学部の修士号を取った後、理学部数学科の修士課程に転入してそちらでも修士号を取り、そのまま博士課程に進学している。
まあ、年齢からしても経歴からしても、学部に入りたての僕や清水先輩にとっては雲の上の人だ。

「伊東君が嬉しそうな顔してるの、初めて見た」と、塚田さんは言った。

「そうですか?」

「うん、いつもポーカーフェイスだもの」

そう言う塚田さんも、基本的には無表情な人間だ。それに、ファッションなどという概念もない。本日も、寝巻きと変わりない格好だった。それでも、髭を剃っているから、先週よりはかなり身綺麗と言える。

「これってM県の住所ですか?」
僕は手紙を先輩たちの方へ向けて差し出した。

「なにこれ」と清水先輩が言った。「つうか、男かよ。字きたねえなあ」

「S町はK町の隣だよ」と、塚田さんは言った。

「K町も良くわかりませんが」

「まあ、こっからだと車で1時間……では着かないかな。そう、最近たしかにゾンビで荒れてたと思うよ。収容センターがあるから」

「伊東君の友達はファンキーだな」清水先輩は手紙を眺めながら笑った。「ちょっと、ほんとに想像がつかないんだけど。誰なのこれ?」

「僕の彼氏ですよ」

「ああ……」

「いや、冗談ですよ。なんですか、ああって。納得しないで」

「ゾンビを守る会って何?」

「さあ。あちこちにいるんじゃないですかね……過激な人権派って言うのか」

テロ行為を目的として派送された生体ロボット、というのが政府公式の言い回しだった。(ちなみに、派送などという言葉は無い、という指摘が相次ぎ、この単語はすでに今年の流行語大賞の候補と言われている。)

捕まえたゾンビの処遇については議論が白熱し、国も持て余し気味だった。

処分、つまり、殺してしまえという意見はネット上を中心にかなりの勢いを占めている。しかし、明らかにヤツラの素材は成人の肉体だ。生まれつきロボットだったとは到底考えられない。
そうなると、世論がどこを向くかとは関係なく、現状の法律では一切傷をつけることができない。

ひとまずは大量のゾンビたちが全国津々浦々に急設された『収容センター』に収められ、強力な鎮静剤と革ベルトでベッドに固定されたまま、生命維持装置に繋がれていた。

こんなことは許されない、と多くの人間が憤っている。ただ、その方向性はまちまちで、「同胞を殺したやつらを税金で延命するのか」という意見の他に、「彼らも被害者だ。プログラムが初期化された以上は、身元を突き止めて家族のもとに帰すべき。拘束具もあり得ない」という意見もあった。
ゾンビを守る会、などというのは当然、後者の部類だろう。

そのうえ、ゾンビは全部が完全に捕まったわけではなかった。いわゆる初期型の、まともに道を歩けない程度のものは、いまだにあちこちの山村や僻地に潜伏しているらしい。政府は、初期化済みの印である『腕輪』をしていない個体を見かけたら速やかに通報するようにと呼び掛けている。しかし、リンチにかけようとする者や、逆に個人で保護しようとする者が後を絶たず、いずれにしろそれらの勝手な行為は『公務執行妨害』という枠で処理されていた。

「なんか楽しそうだな」
清水先輩は何度も手紙を読み返していた。
「俺、この住所、見に行ってみようかな。何やってるんだろう。兵糧攻めってことは、ここに立てこもって戦争でもしてんの?」

「想像はつく。そういう奴ですから」と、僕は言った。

「それが伊東君の友達だというのがよくわからないな。いや、俺は伊東君を甘く見ていた気がする。もっと、なんか、ふんわりした奴だと思ってた」

「なんですか、ふんわりって」

「カップ麺とポテチなら、うちの実家から箱で出せるよ」
と、塚田さんが言った。

「実家って、コンビニでしたっけ」と清水先輩。

「コンビニじゃないけど、まあ、青果店というか。適当に理由つければ持ち出せる気がする」

「いえ、買いますよ」と僕は言った。

「いやいや、いいって」塚田さんは言った。「これは先輩からおごり。基本ね、下の者は財布出しちゃいけないよ。それはこのサークルのルールだからね」

「いえ、でも、何もそこまで……」

「清水君、車あるなら出してあげなよ。わざわざ送料払うほどじゃないだろう? S町なら、直で届けたほうが安く済む」

「そうですね」清水先輩はあっさりと言った。「ついでに見てこよ。写真撮りまくってツイッターに上げて煽ったろう」

「やめなさい」塚田さんは笑った。

「あ、でも、週末でいい?」と、清水先輩は言った。「俺、今週は、彼女が……」

彼女?」僕は聞き返してしまった。

「え、いちゃ悪いか?」清水先輩はテーブルに身を乗り出した。「俺に彼女がいちゃおかしいのか? ああ?」

「だっていつも……モテたいと言ってるから」

「モテたいよ」

「彼女がいるのに、これ以上モテたいんですか?」

「そういう問題じゃねえ」

「彼女も連れてけばいいのに」と、塚田さんは言った。「早いとこ持ってってあげなよ。この人かわいそうじゃん? ジャンクフードに飢えてるんだよ。切実な手紙じゃないか」

「いえ、なんなら半年ほど無視してもいいくらいです」と、僕は言った。「米だけ、ていうか土でも食ってりゃいいんですよ。相手にすることない……」

「まあまあ、後で持ってきてあげるから」

塚田さんは本当にその日のうちにカップ麺3箱とスナック菓子5箱を持って来た。

週末までの間に、神白の書いた手紙はサークル室に来た学生たち十数名に回し読みされた。そして、各々が爆笑したり首を傾げたりしながらカップ麺や菓子類を持ち寄って追加していったので、最終的には塚田さんの用意した量のほぼ倍になった。

「明日の朝迎えに行くよ」
金曜日の帰り際、清水先輩は集まった食料を車に積み終えると、そう言った。
「伊東君は実家だっけ? 名簿の住所だよね。11時とかでいい? 俺、あんまり早く起きれないから」

「はい、構いません」と僕は言った。「あと、すみません、あの手紙を返して頂けませんかね? 恥ずかしいので」

「え、俺が持ってた?」清水先輩は鞄を探った。「ああ、持ってた持ってた、いや、ナビに住所入れるとき、これ見るから、明日まで預かる」

「ええ……」

「面白い奴じゃん。他大学の子なの?」

「いえ、社会人。それにたぶん、先輩より2、3歳は上ですよ」

「え! あ、そうなの」

「まあちょっとT大の人間には想像も付かないような馬鹿ですから」

「なかなか牽制するね。ま、楽しみにしている」
清水先輩は上機嫌で帰って行った。

僕はいつものように地下鉄での帰り、乗り換えついでにS駅前をぶらついた。

この半年の間にあちこちでコンビニや飲食店が再オープンし、駅前は元通りの活気を取り戻していた。

かねてからの懸案だった巨大歩道橋の修繕、エスカレータやエレベータの追加設置も進んでいる。
特に、駅の東側は大規模な改修が行われ、以前よりも一気に明るくなった。

ただ、関所法の施行時に建設された各改札向こうの壁は、いまだに残されていた。

ゲートこそ取り除かれて、乗客たちはそのトンネルのような穴を毎日当たり前のようにくぐって行ったが、僕はその分厚い緑色の壁を見るたびに、まだ今後「何か」があり得るのだろうかと、重苦しい不安をおぼえずにはいられなかった。


2.

ナビに導かれてたどり着いた場所は、車が入れないようになっていた。

もちろん、手紙に兵糧攻めという言葉があった時点で、予測しておくべきだったのかもしれない。

元はパチンコ屋だったと思われる、特徴的な箱型の建物の側面に、消えかけた字で「セントラル・プラザS」とあった。その手前の平らな土地が、本来は駐車場だったと思われるが、ほぼすべてアスファルトを剥がされていた。しかも、むき出しの土の上にぎっしりと鉄パイプ、コンクリブロック、建築資材の類がばらまかれ、3メートルおきに「すべて私有物 さわるな」という立て札が差してあった。

6台ほど、バラバラな位置に車が停まっていた。その6台の真下だけは、綺麗なアスファルトが残っている。つまり、駐車場が破壊されたのは、この6台が来た後なのだろう。

「ふふふ。やべえ」
清水先輩はさっそく運転席から写真を撮った。

「思ったよりやばいですね。もう帰りましょうか」

「いやいや、ここまで来たんだぜ」

「でも、これじゃ入れませんよ」

「いったんそっちに停めるか」
清水先輩は道路を挟んで向かい側の区画に車を乗り入れた。

そちらは、セントラル・プラザよりもはるかに大きな駐車場を備えた、複合型の観光施設のようだった。

温泉施設と、産直販売センター、レストラン2軒、そして観光案内所が、それぞれのっぺりと横に広がっている。すべての建物が1階建てで、建物どうしの距離もたっぷりだ。
田舎の土地の使い方は豪快だな、と僕は感心した。

僕と清水先輩は車を降り、スナック菓子の箱を1つずつ持ってセントラル・プラザの前まで戻った。

「おい、誰だ!」
「今日はジイさんじゃねえのかよ!」
箱型の建物から男が3人出てきた。田舎によく居そうな不良っぽかった。

清水先輩はすかさずスマホで撮影した。

「あ、おい、なんだよ」先頭の男が叫んだ。「なんの真似? なんなのマジ」

「神白に頼まれて来たんだけど!」と僕は言った。「食べ物持って来たんだけど、迷惑だったんなら、帰るけど?」

「え、神白さんの?」

「そもそも、これ何なの? こんなことしたら自分たちも出られないでしょ、馬鹿なの?」

「え、向こうがやったことだって。俺たちが出られないように。だから何も買いに行けないんじゃないか。兵糧攻めだよ」

「この立札も、相手方? だとすると君たちが不法侵入っぽいけど」

「それも誤解だ。ここは俺が継いだ土地だ。叔父が権利を主張してるけど、登記簿はうちなんだ。弁護士も入ってる。裁判まではいかないはずだって話だ」

なにしろ、あまりにも障害物が多いので、ここまで話したところでようやく3人は僕たちの前までたどり着いた。

間近で見ると、それほど粗暴には見えなかった。先頭の、地主を名乗る男は20代後半と見えたが、他2人はもしかすると僕よりも若いかも知れない。

「神白は?」と僕は聞いた。

「あ、いるよ」地主の男は建物を振り返った。「てか、誰ですか。神白さんの友達?」

「食べ物いるの? いらないの?」

「えっと……」

「いるんならさあ、車まで取りに来てくれない?」と、清水先輩は言った。「まだこの5倍くらいあるんだけど」

「すいません。もちろん行きます。あの車?」
男は道路の向こうを見た。

「ていうか、自分たちで取ってきてくれない? 後部席とトランクの食べ物類は、全部だから」清水先輩は車のキーをほぼ無理やり男に押し付けた。「食品じゃないものには、触るなよ」

「あ、はい……ありがとうございます」
3人の男は腑に落ちない顔で道路を渡って行った。

僕と清水先輩はゆっくりと障害物を避けながら建物に向かった。よく見ると、割れたガラスが散在している。釘と画鋲も相当、まかれていた。

「戦場って感じだなあ」
清水先輩はほぼ途切れなくスマホのシャッターを押し続けていた。

「先輩、転びますよ。ながらスマホ」

「靴傷みそう。サンダルで来なくて良かったわ」

「誰?」
と、また別な若者が入口から顔を出した。

「神白に頼まれたんだけど!」僕はもう一度怒鳴った。「もう帰ろうかと思ってるよ。君たち、めちゃくちゃ態度悪くない?」

「え、すみません」若者はさっと引っ込んで、誰かに何かを言いに行ったようだった。

やっと建物にたどり着いた。

入口の自動ドアは、止まって久しいようだ。人ひとりぶんの隙間が開け放してあったが、段ボールが通らないので更にこじ開けた。

内装はまったくパチンコ屋そのものだった。ただし、台などはすべて撤去され、ただただ真四角なホールが広がっている。

あっちこっちに鞄やら、着替えの山やら、キャンプ用と思われる折りたたみ式の椅子やら、鍋やら、半分入ったゴミ袋やらが無秩序に転がり、文明とは程遠い暮らしぶりがうかがえた。

当然、それらもすべて、清水先輩の被写体となった。

「先輩、ほんとにSNSで煽る気ですか」

「2ちゃんねるに投稿してやろうぜ。位置情報つきで撮ってる」

「さすがにやめたほうが……まあ、叩かれた方がこいつらのためかも知れませんけど」

「ちょっと、なんで撮ってるの?」
ゴミ山の向こうから、先ほど引っ込んだ若者と、報告を受けていた別なふたりの男が揃って睨んできた。

「記念だよ。別にいいだろ?」清水先輩は明るく叫んだ。

「消してくださいよ」
と、僕たちの背中から声が掛かった。

そこに階段があって、神白が丁度降りてきたところだった。

神白は作業ズボンのようなものの上に、真っ赤なTシャツを着ていた。いつも思うけど、どこで買えるんだろう。無地の赤一色。
頭には赤いバンダナを巻いている。こちらについては、百均でもよく見かけるような、ありがちなデザインのバンダナだ。

「伊東君。びっくりした」
神白は無邪気な笑顔を浮かべた。

「びっくりはこっちだよ」と、僕は言った。「相変わらずだね……」

「車で来たの?」

「うん、向かいに停まってる。この先輩の車ね」

「あそこ、長くは停められませんよ」神白は清水先輩に向かって言った。「この建物に来るために停めてるとバレたら、嫌がらせをされる」

「うん、そうだろうな」清水先輩は平然とスマホを向け、神白の写真を1枚撮った。
「見て」清水先輩は画面を僕に見せる。「彼氏、よく撮れてるだろ」

「消してくださいよ」神白はそれほど慌てた様子でもなく、しかし何となく断固とした口調で言った。

「嫌だと言ったら?」と、清水先輩。

「嫌だと言ってる人には、何言っても無駄でしょう」神白は穏やかな口調のまま、少しだけ目を逸らした。「頼めば消してくれそうな気がしたから、頼んだんです」

「……わかったよ。あとで消しとくよ」

「信用してますよ。確認はしませんから」

「いつも、こんな感じ?」清水先輩は半笑いで僕を見た。

「まあ、平常運転ですね」

「思ってたのと違うわー」清水先輩はスマホをポケットに入れた。

「それ、お菓子ですか?」神白は僕たちの持つ段ボールを示してとても嬉しそうに言った。

「まだ10箱はあるよ。土下座して受け取れ」と僕は言った。「T大生たちからのお恵みだよ」

「ご入学おめでとうございます」神白はニヤニヤしながら言った。「受かると思ってた。君はいつも勉強してたね。あ、ピザポテト……」
神白は「夢にまで見た」と言いながら箱を受け取って開けた。そのまま3袋連続で開封し、次々と他の若者たちに回した。
神白自身は、最初の一口しか食べなかった。

3人の馬鹿どもがピザポテトを貪り食っている間に、さっきの3人が荷物を抱えて戻って来た。小ぶりの段ボール10箱、パンパンに膨らんだスーパーのビニル袋が3袋。
「これはすごいよ」と、自称ここの地主である男が言った。「神白さん。これ全部カップ麺だよ」

「ちょっといったん置いて」神白は食べている3人と、運んできた3人に指示を出して、積みあがった物資の前に全員を一列に並ばせた。

「ありがとうございます!」
7人の馬鹿な人たちは、僕と清水先輩に向かって一斉に頭を下げた。

嬉しくない、と思ったのは僕だけのようで、清水先輩はすかさずスマホを出して動画モードで撮影を始めた。
「はい、続けて。続けて。土下座して! 神白さんだけでいいから。土下座して!」

「こうですかね?」神白はけっこう楽しそうな顔で、すぐに両膝と手をついた。「ありがとうございます。ありがたく頂戴いたします」

「いいね。いい絵が撮れてるよ。プライドとか無いの?」

「あったら、ここには居ません」

「なるほどね。良い心がけだ」

「神白さん、やめてよ」一番若そうに見える坊主頭の青年が、心底嫌そうな顔で言った。

「ごめん」神白はすぐに立ち上がった。「お湯、沸かそうか。食べよう」

「俺、やってきます」坊主頭はさっと柱の向こうへ駆けて行った。

「さ、じゃあ帰ろうか」清水先輩は言った。

「そうですね。用事は済んだ」と僕も言った。

「伊東君、ほんとにありがとう。来てくれると思わなかったよ」神白はにこにこして言った。

「うるさいよ。君も早く実家に戻れよ。弟さんが心配していたよ」

「ああ、会ったの? トモ君に……」

「なんか、去年の秋だったかな? S駅でイキってた。君が戻らないって心配していたよ」

「ああ、あれね」神白はうんざりした感じで言った。「僕も見たよ。頭に来ちゃってさ。僕の自警団の仲間を全部横取りしてたから。腹立ったからそのまま見なかったことにして、T市に行ってしばらくゾンビ退治をしてた。でも、冬には家に戻って、先月までは派遣で働いてたんですよ、僕。車を弁償しなくちゃならなかったから」

「ああ……そう。じゃあなぜ電話に出なかったの」

「電話くれてた? ごめん、料金払ってなかった。車の弁償が先だったから。で、無事に借金完済して、だいぶストレスも溜まったので、今度はこちらでゾンビ退治を」

「あのね、ゾンビ退治はスポーツじゃないんだよ」僕は溜息をついた。「テレビとか見てないの? 君のしていることは、犯罪なんだよ。いつか捕まるよ」

「まあ、グレーゾーンてやつですよ」神白は雑なまとめ方をして、「お昼、もしあれなら、向こうの温泉の中の冷やし中華がお勧めですよ。温泉に入場しなくても食べれます。すごく美味しい、具が豪華でね」

「じゃ毎日それを食べれば」

「僕は2回目で『倒す会』のメンバーだとバレて、出禁になっちゃったから。この辺り歩いて行ける店はほとんど『守る会』側なので、僕たちは出禁です。それに、中立を保ってる店には、毎朝開店と同時に『守る会』の人たちが押し入って全部の商品を買い占めます」

「なるほど、まさしく兵糧攻めだ」清水先輩は感心したように言った。「秀吉がやったのと同じだな」

「そこに閉じ込められてる車が、君たちの車ってわけ」僕は戦場と化している駐車場跡を見やった。

「そう。まあ、業者に頼めばクレーンで出せるみたいですけど、出しちゃったらもう戻せない。だから、用事が終わるまではここに留まろうかと」

「用事なんてもう無いでしょうが。ゾンビに何の用事があるの」

「あと1、2体だと思うんだよねー」神白は首をかしげて言った。「弓矢が欲しくなりますよ。2階から、ときどき見えるんです。でも、捕まえようとすると森に逃げられる」

坊主頭が、お湯が沸いたと知らせに来た。神白以外の男たちはめいめい、好きなカップ麺を取り出して奥へ去って行った。

「あんた、利用されてるのわかってる?」
清水先輩は、急に声をひそめて、神白のすぐそばまで歩み寄った。

神白は何も言わずに薄く微笑んだ。

「あいつがガンだろ。ここの地主だっていう、あいつ。叔父さんが権利を主張して、駐車場を剥がしたんだろ? あんた、あいつの家の相続争いに巻き込まれてるだけだぞ」

「知ってますよ」神白は言った。「けど、こっちも利用しているわけですよ。ただで泊まれて、好きにさせてもらえる」

「適当なところで引かないと……」

「大丈夫。僕はお盆前には引き上げると言ってあります」神白はあっさりと言った。「うち、今年は新盆なんで。手伝いに戻らなかったら勘当されます、これは冗談じゃなく。だからそれまでに決着がついてるといいですけど、もしつかなくたって僕は帰るんで」

「わかってるなら、いいけどさ……」清水先輩の目は少し不安そうだった。

「ありがとう。あ、そうだ、お金」神白は段ボールの山を見やった。「これ、いくらでした?」

「別にいいよ。俺も伊東君も金を出してないから。部長たちからのおごりです」

「そんなわけには……これ、万はするでしょう」

「いい、取っといて」と、僕は言った。「みんなでさっきの動画見て笑いものにして遊ぶから。出演料だよ」

「はあ。YouTubeとかに上げないでね」

「そんなつまらないことしないよ」清水先輩は笑った。「もっと面白く使い倒すから!」

「ええ、お手柔らかにね……」


僕と清水先輩はそのあと、神白の勧めた冷やし中華を食べに温泉施設へ入った。確かに豪勢な冷やし中華だった。この辺りで今朝取ったようなみずみずしい夏野菜と、分厚いチャーシューが山盛りで、麺よりも具が多いほどだった。

「いいよなあ、この辺りは。何食べても美味いよな。普通の食材が美味い。料理なんて必要ないくらい」
清水先輩は、柄にもなく大真面目に言った。

僕は温泉に入ってみたかったが、清水先輩はちらっと料金表を見て、「ごめん、今月は金欠だから」と言った。

「出しますよ。ガソリン代ぶんを」と僕は言った。

「いや、来月また来よう。タオルとか持ってくれば、レンタルしないで済む。こんな事で後輩に出してもらうわけにいかん」

「まあ、次は塚田さんたちも誘って来ますかね」

「この町、いいよな。観光地だよなあ」

「ゾンビさえいなきゃね」と、僕は言った。


五章 後半へつづく)


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それはともかく「ゾンビつかいの弟子」「怪獣をつかう者」は二次創作、ファンアート、絵、歌、朗読、コスプレ、無断転載、再配布、全て自由です。作者を偽らないでくれればあとは何をしてくれてもかまいません。もし面倒なら、特に報告なども不要ですので、皆で可愛がってやってください。

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アラサーのママです。長編小説「ゾンビつかいの弟子」「怪獣をつかう者」目次ご覧ください→ https://note.mu/toma_mori/n/n40761080856c SFとかパルプ書きます。

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