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Boys, be "wagamama"―『ニュータイプの時代』を読んで

山口周 著『ニュータイプの時代』を読んで思ったことを,さらっと書いていきます。半分備忘録です。

この本の内容をざっくりと。

この本では,急激な世界の変化に取り残されず,活躍できる人材「ニュータイプ」とはどのようなものなのかが書かれています。

この世界は,まずますVUCA化が進んでいます。世界のVUCA化とは,Volatile(不安定な)Uncertain(不確かな)Complex(複雑な)Ambiguous(あいまいな)世界になっているということです。

たとえば,AIの発展。AIの発展により,「将来の仕事はあるのだろうか?」また,「AIが人間の代わりをするとなれば,人間の存在意義は何なのだろうか?」「そもそも人間とは何なのだろうか?」という問いが出てきます。

これも,VUCA化の1つではないでしょうか。

筆者は,このようなVUCA化する世界で活躍し続けるには,自分の思考・内面が,オールドタイプからニュータイプへ移行することが必要だと言います。

では,ニュータイプとは何なのか?端的に,筆者はこう言います。

オールドタイプ ⇒ ニュータイプ 

正解を探す⇒問題を探す
予測する⇒構想する
KPIで管理する⇒意味を与える
生産性を上げる⇒遊びを盛り込む
   ルールに従う⇒自らの道徳観に従う
一つの組織にとどまる⇒組織間を越境する  
綿密に計画し実行する⇒とりあえず試す   
奪い,独占する⇒与え,共有する
  経験に頼る⇒学習能力に頼る

特に,「問題を探す」「意味を与える」「自らの道徳観に従う」「とりあえず試す」の4つは,なるほど~と思いましたね。

ここからは,読んで気になったこと,思ったことを気の向くままに書いていきます。

「問題」=「望ましい姿との差」

確かにその通り。理想と現実が一致しないから問題があるんですよね。

ちょっと待てよ。

「理想と現実が一致しない」のは,理想が何か見えているってことが前提だよなあ。

自分にとっての理想ってなんだ?理想,つまり,望んでる未来ってなんだ?

住むところはあるし,食べ物もあるし,読みたい本も買えるし,スマホやパソコンまである。モノは充実してるなあ。

じゃあ,理想はモノを満たすことではない。目に見えないコトを満たすということ?どういうこと?

このように,問題を解決するためには,問題がどのようなものか把握する必要がある。
その問題を把握するためには,自分の思う理想が何なのかを明確にイメージする必要がある。

これこそ,「文系の知」だよね!
理系の技術が,これまで人類を発展させ,人間を豊かにしてきました。
でも,モノがあふれている現代,必要なのはまず「問題」を明らかにすることです。
それに必要なのが,文系の知,つまり,「理想の世界ってなにだろう?」「自分の,世界のあるべき姿ってどんなものだろう?」って構想する力ですよね。

なんだか自分が今大学で勉強していることの意味が少し見えた気がします。

文系学部廃止だなんて,やっぱりありえない。

「意味」にハングリー

こんな一節が。

いつの時代にあっても,その時代の「若者」というのは,常に「その時代に足りないもの」についてハングリーなだけだということです。
モノが過剰に溢れる一方で,意味が枯渇している社会にあって,若者が「モノ」に対してハングリーになれないのは当たり前のことです。

そうだ。その通りだ。

「近頃のわけぇもんは,ハングリー精神が足りひんねん!もっとガツガツ行かんかい!」と居酒屋の隣のテーブルから聞こえてきそうですが,そうじゃない。

オールドタイプとは違うところにガツガツしているんですよね。

なぜ僕が「福井」「ローカル」にこだわるか。
それは,そこに意味を見出したからなんですよね。

もし「福井」や「ローカル」を仕事にしても,たいして儲からないかもしれない。

むしろ,学歴をブイブイ言わせて東京の大手有名企業に就職した方が,IHコンロが2口あってキッチンが広い家に住み,毎日ホンダのCIVICに乗って通勤し,ゴールデンウィークには空港でデカいキャリーバッグを持って「ちょっとパリに1週間~」ってテレビの取材に答えることができるかもしれない。(妄想と偏見)

それでも,僕はローカルが好き。ローカルに生きていきたいんです。

しつこいが,なぜなら,そこに意味を感じるから。
日下慶太さんの言葉をお借りすると,「田舎型進歩人」の生き方に,人生の豊かさ,生きる意味を感じるから。(日下慶太 著『迷子のコピーライター』より。この本もおもしろかった。)

話を戻すと,オールドタイプは他人を管理します。たとえば,権力を使って。たとえば,報酬をちらつかせて。

一方で,ニュータイプは,人を,意味を与えて動かします。このタスクにはこういう意味がある,と伝えて意味を共有しながら進めるんですね。

自分では意味で動きたいと思っているのに,いざ自分が人を動かすときは,他人を管理しているかもしれないなあ。
管理する方が,目の前の課題は早く片付くし。管理する方が,思い通りいくし。

いやはや,視野が狭いなあ。目先のことしか見えてねえよ!
自分がされたいことをやれよ!長い目で見て動けよ!!バーカ!!

愚かな増田くんへの戒め。

試す勇気は,やめる勇気。

これまで僕は,考えていました。どうしたらよくなるか,何が問題なのか。

そう。何も始めていないのに。

このスタンスは,オールドタイプだそうです。

まずやってみて,うまくいったものを続けていけばいいのだと。これが,ニュータイプなんだと。

世界がYMCA化していく中で,みんなが元気に踊りだす…… ん?違う違う。

世界がVUCA化していく中で,これまでの経験則が価値を持たなくなります。論理も画一的な答えしか出しません。そんな中で,経験と論理に基づいて綿密な計画を立てても,うまくいかないことの方が多い。

だったら,最初から試しながら手ごたえやアウトカムを見て,改善か撤退を続けていく方が賢いですね。納得です。

って,すんなり納得できてたら今頃すでにトライアル&エラーを繰り返してますよ。

なぜトライアル&エラーができないのか。
つまり,何がトライアル&エラーをすることのバリアになっているのか,ですよ。

それは,リスクが取れないから。

じゃあ,なぜリスクが取れないのか。それは,撤退がうまくできないというところに原因があります。

始めてみて,うまくいかなければすぐやめることができれば,スタートのリスクは減りますよね。なるほど,「やめること」に抵抗があるから,「やめること」ことが難しいから,トライアル&エラーがしにくいんですね。

試す勇気は、やめる勇気。

急に教育学的な視点ですけど,やめることは,何か悪いことのように教育されてきましたよね。たとえば,部活。たとえば,習い事。

継続は力なりですけど,やめる勇気も必要ですよね。自分の意思でやめるっていう経験がないから,やめるタイミングがつかめないっていうの,あると思うんですよね。

やってみてやめて,やってみてやめて・・・
その繰り返しで,自分はこれに魅力を感じた!わくわくした!ってものに出会うと思っています。

自分に合わないものを感じていくことで,消去法的に自分のわくわくすることの輪郭が見えてくる。そんなもんでしょ?

って,適当に言ってみました。半分ぐらい本気で思っていて,半分ぐらい自分でもよくわからずに書いています。ごめんなさい。

「意味」を求めて ~Boys, be "wagamama"~

つまるところ,この本は何を言っているのかというと,

自分が意味を持てることをやりなさい。

ということだと思うんです。そして,そうなる手段や考え方を紹介してくれている本なんだと思います。

本の中で,ヘルマン・ヘッセという人の言葉が引用されていました。とっても心に響いたので,少し長いですけど,書かせてください。

人間が考え出した数多くの美徳のすべてを,ただひとつの名前で総括することができよう。すなわち,「服従」である。問題はただ,誰に服従するかである。つまり「わがまま」も服従である。けれどもわがまま以外のすべての,非常に愛され,称賛されている美徳は,人間によってつくられた法律への服従である。唯一わがままだけが,これら人間のつくった法律を無視するのである。わがままな者は,人間のつくったものではない法律に,唯一の,無条件に神聖な法律に,自分自身の中にある法律に,「我」の「心」のままに従うのである。わがままが,さほど愛されていないのは残念なことである!

つまり,何に服従するかという問いに対して,自分の中から出てくるもの,つまり,自分が何に意味を持つのかという自分の価値観に服従することを「わがまま」といい,それこそが良い生き方をもたらすのだと思います。

他人(論理も含めて)の決めた正解に,もはや価値はないんですね。

自分が意味を感じるものに忠実に生きていく。これこそが,ニュータイプの時代を生き抜くための重要な指針なのではないでしょうか。

さて,これから「わがまま」に生きるための訓練をしていこうっと。

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