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ジョーカー 圧倒的ネタバレ考察

早速ですが映画JOKER(2019)について感想・考察について書きたいと思います。

以降ネタバレのオンパレードですので、この映画をこれから一ミリでも見るご予定のある方、または先ず一人でじっくりとこの作品について考えたいという方は即刻ページを閉じて下さい。

この映画、個人的には紛れも無い大傑作だと感じました。

先ず恐らく誰もが魅了されたに違いないのはホアキン・フェニックスの凄まじい演技だと思います。私は俳優の演技によって、これほどまでにスクリーンに引き込まれた経験はありませんでした。フェニックスは今年度アカデミー主演男優賞の最有力候補でしょう。それ程までに素晴らしい怪演でした。


そして私がその演技と同じぐらいに感嘆したのは脚本の素晴らしさです。バットマンの最大の敵にしてアメコミ界が誇るスーパーヴィラン、Clown Prince of Crime、「ジョーカー」の誕生物語として完璧な出来でした。

多様なメッセージ性が含まれている事も賞賛すべき事なのですが個人的に完璧だと思った最大の理由は、ジョーカー誕生の物語として描かれている本作ですが、この映画観終わっても

結局ジョーカーの出生は良く分からないのです。

トッド・フィリップス監督が表現をぼかしつつも、そうなるように創意工夫を凝らしているのです。
(ちなみに2回視聴した本作ですが、1回目は全く気づく事ができませんでした。。。)

ここでジョーカーというキャラクターに簡単にお話しします。今まで過去何十年の間に「ジョーカー」は様々な作品にて描かれていますが、キャラクター性はほぼ一貫しており、それは「残虐非道」「冷酷で頭脳明晰」「サイコパスの中のサイコパス」などが主な要素となっています。

また彼の一番気味の悪い所は出生不明で本名すら不明、存在自体が全くの謎なのです。

人間らしい過去やエピソードが明解化されていないために、観る側はジョーカーに対して底無しの不気味さや恐怖を覚えるのです。それゆえジョーカーはあらゆるアメコミのヴィランの中でも他の追随を許さない「悪の象徴」「純粋なカオス」と評され、彼を最狂のヴィランたらしめています。

つまりこの映画によってジョーカーの過去なるものを明らかにしてしまうと、そんな超一級ヴィランの格は落ちてしまうわけで、過去を用意するのであればそれはもう極上過ぎるエピソードでないとファンは納得しません。案の定、この作品の制作が決まってから、多くのアメコミファン達からは、ジョーカーの過去を描くような映画は作らないでくれと本作品の制作に対して反発の声があがっていました。

しかし蓋を開けた今はどうでしょうか。まさに各地で大絶賛、当初は反発していたコアなファン達の間でも大論争が起きています。勿論これは監督が完全に狙って起きているものです。正体不明の「ジョーカー」の誕生を明らかにする映画を成功させるという高過ぎるハードルを、フィリップス監督、主演のフェニックスは見事に飛び越えてみせたのです。

話を戻すとこの映画の大成功した最大の理由の一つは「この映画を観終わってもジョーカーの出生はよく分からないまま」という部分にあります。


「いやいや、だから売れないコメディアンが世間から虐げられ、心を病んで、世のいわぬる勝ち組達と呼ばれる人達を殺した事で社会の底辺層の人達に賞賛されてそれがきっかけでジョーカーになったんでしょ?2時間あんたは何を観てたの?」と私に対して思う方もいると思います

いえいえ、この映画最後の2分以外で観た出来事についてはほとんど信頼してはいけない可能性が非常に高い作品となっているのです、、、


そもそも作中で描かれるアーサーはジョーカーで無い可能性もあります


それでは「最後の2分以外で観た出来事は信頼できない可能性が高い」理由を以下に列挙いたします。

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・信頼できない語り手
この物語のアーサー、将来のジョーカーとされる彼には重度の妄想癖があり、アーサーがマレー・フランクリン・ショーに出演してマレーにステージ上に呼ばれ、優しい言葉をかけられるシーン、ソフィーと良い関係になっている全てのシーンは彼の妄想である事は作中で明らかになります。このことは終始彼の視点でからしか語られないこの作品において、他のシーンについても同様に信頼度が落ちざるをえない重要な要素となっています。

・ブルース・ウェインとの対峙
この映画の中では将来バットマンとなる幼少期のブルース・ウェインとアーサーが対峙します。ブルースの年齢は見た目や、原作で両親が殺された年齢から推測するに約8歳と仮定しましょう。他の作品で描かれるバットマンは若くても20代後半の人物として描かれます。つまり本作の約20年後になりますね。一方ジョーカーとされるアーサーは若く見積もってもせいぜい30代後半に見えます。したがってアーサーがジョーカーとしてバットマンと対峙するのは、最速でもアーサーが50代後半の時になります。流石にそれはジョーカーが叔父様過ぎるのではないでしょうか。。。


・アーカム精神病院の面談室のシーン
この映画を自然に見ていくとこのシーンはラストシーン、つまりマレーをTVショーで殺し逮捕されてジョーカーの信者達に助けられ、祭り上げられた直後のように思えます。しかし画面に映るアーサーらしき男の髪は真っ黒です。そしてこの男の雰囲気、作中のアーサーと比べても妙に不気味なのです。またこのシーンの後ろで流れはじめるサイレンのような気味の悪いBGMも非常に意味深に感じました。

このシーンで精神科医の女性が笑っている男に対して「何が面白くて笑ってるの?」と尋ねますが、アーサーを担当している精神科医であれば彼がトゥレット症候群を持っている事は承知のはずで、もしこの男がアーサーであるのであれば彼に対してする質問としては少し不自然ではないでしょうか。  

またこの精神科医の女性、髪はアッシュシルバーに染めていて、これは完全に私の感覚の話で恐縮ですが、女性のファッション含めこの空間は本作の舞台であるはずの70年代のイメージはあまりしませんでした。

そしてフィリップス監督はインタビューにてこのシーンの笑いだけが作中で唯一の「正真正銘の本物」と語っています。義母と会話していた時や、ゴッサムが業火に包まれる様子を見た時も、本当に笑っていたように見えましたけどね、、、この監督の言葉からもやはり他のシーンは偽物である可能性を示唆しているように勘ぐってしまいます。


・最後の台詞
面談室で男が精神科医の女性から思いついたジョークの事について尋ねられた時に、その男は薄ら笑いを浮かべながら「You would’nt get it」「お前には到底理解出来ないよ」と言い放ちます。この言葉、実は観客の私達にも放たれた言葉とも捉えられるのではないでしょうか。

その際に一瞬だけ死んだ両親の傍らで立ち尽くすブルース・ウェインのビジョンが映ります。思いついたジョークとはブルース・ウェインの両親の死を結びつける自身の偽誕生物語(映画)の事なのでは無いでしょうか。

また彼がそのあと精神科医を殺し、病院の看守から逃げ回り、The Endと表示されるシーン。一転コミカルなBGMで締めくくられたその時間はジョーカーに嘲笑されている感満載では無かったでしょうか。


・キリングジョークについて
ジョーカーにはキリングジョーク(1988)という有名な作品があります。フィリップス監督はこの作品から今回の映画についてのインスピレーションを得たとインタビューで話しています。
このキリングジョークの中ではジョーカーの過去話について触れられているのですが、ジョーカーは自分の過去に関する事についてこう話しています。
「記憶?記憶なんてものはしないよ、記憶するという事はとても危険なことなんだ」
「俺は自分に何かが起こった時、それをはっきりと記憶していないんだ、だから思い起こす度に過去は変わるし、仮に俺に過去というものが存在するのであれば複数の過去が存在するほうがいい」

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また関連してヒースレジャーがジョーカーを演じた映画ダークナイト(2008)の中でも彼は自分の過去を2度話しているのですが、毎回異なることを話します。したがって今回の映画ではその時にデタラメに話す自分の過去話の内の一つをただ拡大して長く話しただけの可能性があるのではないでしょうか。


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以上、ここまでが私が「最後の2分以外で観た出来事はほとんど信頼できない可能性が高い」と考える理由です。


えーー、じゃあ全部嘘かよ!なんだよそれ!!そしたらこの映画なんなの?意味無いやん!!と思う方もいるかもしれませんが、そんな事は決して無いと思います。

作中に起こった出来事は信頼できないかもしれませんが、少なくともジョーカーの概念は間違いなく存在していたと思います。
特にウォールストリートで働く若者3人を殺した後、元同僚のランドルを惨殺した直後の階段、業火に包まれるゴッサムを背景にした踊りのシーンでは、悲哀に溢れるアーサーの面影は一切消え、狂気に満ちつつもどこか崇高で妖艶さを感じさせるまさにスーパーヴィランの姿がそこには在りました。


このシーン自体も本当は存在し無いのかもしれませんが、ジョーカーの概念は確かにこの映画の中で表現されていたような気がしました。
また出来事も丸ごと全部嘘ではなく、真実も紛れているのかもしれませんし、更に矛盾するようなことを言いますが、ジョーカーにとってはどんなジョークも本物の過去になるのかもしれません。。

大変長くなってしまいましたが、いよいよ私の考察も終盤です。

私が言いたかったのは、この映画は単に「ある男がジョーカーになる話」で、哀れなアーサーに感情移入するだけでは勿体無い映画で、観る側から多くの干渉が必要な作品として設計されているということです。


ちなみに私はこの映画はフィリップス監督というより映画Taxi driverとThe King of Comedyが好きなジョーカー監督の作った「大衆を同情させ悪に洗脳する映画」と解釈しています。もう色々と考えれば考える程に最後の2分で出てきた本物のジョーカーが私達を小馬鹿にしているような気しかしなくなってくるのです。

なんならトッド・フィリップス監督が「コメディ」映画の監督である事さえも伏線なんじゃないかと思えてきました。

なので本作品はまさしくジョーカーのジョーカーによるジョーカーのための作品だったのではと個人的には考えています。

お前考え過ぎだろ!頭沸いてんな!あれは普通にジョーカーの誕生の話でいいだろ!!と思われる方もいるかもしれませんが、それも正解かもしれません。私の解釈はファンボーイ的でかなりぶっ飛んだ解釈をしているの承知ですし、恐らくただ一つの正解なんてものはこの映画には無いのが正解です。


ただ少なくともこの作品は幾通りの解釈することで、姿を様々な形に変え、観る者は様々なメッセージを享受する作品である事は間違いありません。

追いかければ追いかける程に煙に巻かれるような気分にさせてくれる本作は、まさに「ジョーカー」の誕生譚として素晴らし過ぎる出来だと改めて思います。


以上、私のJOKER(2019)についての感想、考察でした。

皆さまの貴重なお時間を頂戴し、読んで頂き本当に有難うございました。


※アーサーが冷蔵庫に入るシーンについてコメント欄にてご質問を頂いたので追記いたします。以降、この冷蔵庫のシーンに纏わる私の更に極端かつ細かい考察になる旨ご了承下さい。

同シーンも実に様々な憶測が飛んでいます。あれはアーサーの窮屈で寂しい心情を表すためでは?あれはゴッサムシティの暗く冷たい世の中を表現したのでは?などです。これもどれも正解で正解ではないのかもしれません。


ちなみに私の解釈は以下の通りです。
上記の考察の中で最後の2分以外はジョーカーのほぼ戯言で信頼に値しないと書きました。

その意見は変わりません。ただもしかしたらジョーカーは70年代のゴッサムシティに実在した哀れで悲しすぎる運命を辿ったアーサーという人物にインスピレーションを受けてこのジョーク(映画)を作った可能性があるのではと私は考えています。そうすると実は全くのデタラメ話では無いのかもしれません。

アーサーとは世間から除け者にされ、そんな世界に絶望していた所で、地下鉄の電車の中でエリートでありながら卑劣な3人の若者に襲われた事で癇癪を起こして、ついその若者達を撃ち殺してしまい、警察の捜査の手に追われ、唯一頼りにしていた愛する母も倒れてしまい、精神的に追い詰められ、最後は警察から鳴り止まない電話がかかってくる中、自宅の冷蔵庫の中に入って窒息死、自殺をしてしまった男の事です。

あのシーンでアーサーが自殺したのではと思っているかには私なりに理由があります。

あの冷蔵庫はアメリカの昔の取っ手が付いている旧式のもので、一回閉じると決して中からは開かなくなっている様式のものに私は見えました。(詳細は以下リンクご参照)

https://www.google.co.uk/amp/s/www.excite.co.jp/news/article-amp/Mycom_freshers__gmd_articles_9187/

また気づかれた方も多いと思いますが、この冷蔵庫にアーサーが入って扉を完全に閉めた直後、画面が不自然にグラグラ長い時間揺れるんですよね。私はあれは本作の事実らしきものと妄想の境目が表現されていたと感じました。そして次のシーンで不自然にアーサーがベットの部屋にいるシーンへ移行し、直後にマレーショーの招待の電話が鳴ります。

いやー、いつ彼は冷蔵庫から出て、ベットの部屋でくつろぎはじめたのでしょうね、、、

やはり実在したアーサーは冷蔵庫の中で亡くなっていたのではないでしょうか。

つまり冷蔵庫に入るシーンまではアーサーという実在した悲哀に溢れた男の事実に沿った形で語られており、その後はアーサーの人生を乗っ取ったジョーカーが描く理想のアーサーの姿である可能性があるのではと考えています。

したがってこの映画を時系列順に整理すると

第一章:70年代。不幸にもジョーカーに興味を持たれてしまったアーサーという哀れな男の一生の物語。(アーサー自身の妄想とジョーカーの多少の脚色は有り)
第二章:冷蔵庫のシーン以降。ジョーカー監督の作った理想的で最高にファニーなその後のアーサーの物語。
最終章:アーカム精神病院。現代。まさに今から病院を脱走しバットマンに混沌を届けにいく本物のジョーカー。

なのではないでしょうか。

アーカム精神病院で母の事について知ったのも、ソフィーが妄想だと観客が気づかされたのも、養母(本当は確りとした肉親だったのかも)を殺したのも冷蔵庫のシーン以降の出来事でしたよね。

もしかしたら心優しい隣人のソフィーや愛するお母様という唯一の心の拠り所である存在はジョーカー監督の手によって抹消されてしまったのかもしれませんね。。。

私はこの映画考えれば考える程にジョーカーが不気味で堪らなく、頼むから早くバットマンこいつをなんとかしてくれ!!という気持ちになりました。

以上、最後は私の極端過ぎる考察でした。

繰り返しになりますが、この映画は恐らくこれといった正解は存在しなく、幾通りもの捉え方をすることで多種多様なストーリー、ありとあらゆるメッセージを享受できる大傑作であり、上記は完全なる私個人の考えですのでどうぞあくまでご参考迄に楽しんでください。

また上記考察を書くにあたって、ネット上での議論や、トッド・フィリップス監督、ホアキン・フェニックスのインタビュー記事も多く目を通しています。記事をご覧になりたい方は下部のリンクをご参照下さい。

最後まで読んで頂き改めて本当に有難うございました。





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イギリス🇬🇧に住むサラリーマン。健康第一のスポーツ好きの映画好き!
コメント (2)
映画を一回しか見ていないので、色々引っかかってるけど何だったんかな、というポイントがはっきりしましたし、概ね共感しました。冷蔵庫のシーンの不自然な切り替わりはとくに!
社会的弱者でありがちな不幸で感動するなんてこの映画はバットマンじゃなくていい、という論調も多い中、わたしはめっちゃゴッサムでめっちゃジョーカーやん?芯にあるのはゴッサムだしバットマンやったやん?と思っていたポイントが
明確になった気分です。
どうしようもないサイコパス性悪説ジョーカーじゃなく、the killing jokeの実は悲しい過去あった版ジョーカーとしては、これからのスーパーヴィランになるとより狂気が際立って良いと思っています。
黒髪になったのは、事件直後かはわからないので時間が経って単に髪が伸びたからだと思っていました笑
冷蔵庫の考察、すごくふに落ち、その後の流れにもピンとくるなと思いました!
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