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マダミス「RP(ロールプレイ)がしづらいと聞いて」

1 書こうと思った理由
 先日、TRPGメイトとマダミスをプレイした時に、「マダミスやってて嘘をついた時に、後から情報が出てきて嘘がバレてしまうことを考えるとRPがしづらいよね」とのぼやきを聞いていて、その感覚って他のシステムにはないよな、RPしたい勢(あとダイスも振りたい)としてアウトプットしてみたいと考えたから。

(なお、この記事は感想文であり、マダミスにおけるRPのハウツーではありません。マダミスをプレイするにあたり、謎解きを優先したい、RPを優先したい、何でもやりたいという全てのPLやGMの意思を尊重していることを前置きとします)


2 考察(読み飛ばしてもよい)
 システムの構成から考えてみると、PLたちが目指すのはシナリオの中に秘された真実の追求、いわゆる謎解きであり、そのためにアリバイの整頓や情報の整理を行うこととなる。それらをHOによって割り振られた設定を元とするRPとともにこなさなければならない(これって結構大変よね)。

 謎解きであるがゆえに、自PCの情報(設定と読み替えてもよい)でさえPLに秘匿されていることがあって、後から出てきた情報と矛盾しないように、と気をつけると、なかなか自由なRPがしにくいという感覚に引っかかる。

 他のシステムでは情報とRPの関係はどのようになっているだろうか。シナリオによっては同様にGMから事前にHOを振られていたり、PLがせっせとセッション前に設定を練り込んでPCを持ち込んだりして、いざセッションが始まると他PC、NPCとの掛け合いやシーンの演出でごく自然に(恣意的にとも言う)行ったRPによって、PCの情報どころかシナリオの世界観まで書き換えられることがある。

 これがセッション内で『事実(あるいは真実)』として決定づけられるのは、ひとえにGMの持つ『許可』の権限においてだ。GMが許せばC4とRPGを持ち出して悪霊の家を吹き飛ばすことだって簡単である(たとえそれがシナリオの作者が用意していた恐怖や謎解きを同時に吹き飛ばしたとしても)。
 RPの結果によって起きた事象に合わせて、GMがその権限においてシナリオに寄り添った演出を行うこととなる。つまり、PLによるRPの自由性はGMの裁量の余地によってシナリオとの整合性が保証されることになり(ここでいう整合性とは、元のシナリオとのそれではなく、そのセッションにおいて描写された物語とのそれを指している)、言い換えればPLの自由なRPとそれを捌くGMの華麗なマスタリングによって二つとないセッションのオリジナリティが生まれることになる。
 
 これがマダミスにおいては、用意された情報に対するGMやPLの自由性は少ない。GMによってセッション中に情報が書き換えられることはまずなく、せいぜい、HOの読み込みをプリセッションで行ったり、議論時間をPLのレベルに合わせて調整したりするくらいだろう。PLにおいてもRPの余地は情報のフレーバー程度にとどまることになる。先に書いたように、情報の整合性を超えてしまわないようブレーキを意識してしまうかもしれない。

(もちろん、提示されたHOの設定の中でも限りある自由なRPを行うPLはいるし、自分もその一人としてプレイしたいと思う。今回の考察もマダミスをTRPGの一つとして書こうと思ったもので、ただ犯人を当てるパーティーゲームとしての要素もあるため、必ずしもRPの尺度においてその楽しみ方の全てを限るものではない。、とここまで保険をかけてしまうと考察の軸がブレるしボヤけるね)


3 要約及び感想とそれの展開、そして結論
 マダミスでPLがRPをしづらいと感じるのは、用意された情報との整合性が優先されるため。他のシステムではGMがPLのRPに応じて情報の書き換えを行うことができるため、RPがしやすい。と、こんな感じだろうか。

 ではマダミスにおいてセッションのオリジナリティはどこから生まれるのだろうか。ここも言語化してみると、それは真相へのアプローチにあるのではないか。同じシナリオをプレイしている別のメンツのセッションを見てみると、情報の提示のタイミングや推論の主軸が異なることで全く別の物語性が展開されていた。
 それは個々のRPからズレていったり、逆にそのズレが同じキャラでも異なったRPに繋がっていったりしていた。そうするとやはり、RPのしづらさがあったとしても、二つとないセッションを演出するためにはマダミスであってもRPは必要なんだなと実感することができる。

 RPが必要だから、と言ってRPが上手くできない方を責めるつもりは一切ない。むしろ、マダミスは情報の整理の傍でRPもこなさなければならないのは事実大変だ(2回目)。それでも、ほんの気持ち程度でも、特に考えずに行われたRPが実は真相に近い場所にあったことがしばしばあり、本質的にフレーバー程度にとどまるはずのRPが真相が明かされた時に『伏線』となって色づいて、セッションの物語性を一気に高めていた。(そう見ると、マダミスは後で自分のセッションのリプレイを見返すところまでが遊び方に含まれるのか)。 

 と言うことで、結論としてマダミスは比較的、システム上RPがしづらかったりするけれど、他のTRPG同様、RPを行うことでオリジナリティが生まれて、プレイし終わった後の感想戦や個人的な余韻がヒトシオとなるよ。
 だからみんなRPを怖がらずどんどんやろう!と言う話でした。以上。

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