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【ラタキアの魔女/フライングガール】笠辺哲先生インタビュー

2003年のデビュー以来、商業誌・同人誌と活動の場を選ばず珠玉の短編を次々と産み出し続け、そのダークでありながらも何処かのんびりとしたストーリーは、読者をめくるめく不思議な世界へと誘う。昨年11月には最新短篇集『ラタキアの魔女』を発表し好評を博するも、更なる進化を目指し奮闘する笠辺哲先生にインタビューを敢行した!

遅咲きのデビューと同人誌との出会い

先生はいつ頃からイラストを描いていたのでしょうか?

笠辺哲先生(以下笠辺):物心ついた時から描いていましたね、子供の頃ってみんな絵を描くの好きじゃないですか。主にチラシの裏に描いていました。
ザラザラした裏白のチラシが描き味が良くて好きでした。同じザラザラの裏白でも厚みのないやつは表の広告が透けて良くなかったですね。
絵が好きな子はこの習慣がずっと続くんだと思います。スポーツより絵が好きでした。

では、漫画を描き始めたのは?

笠辺:初めて漫画を描いたのは小学3~4年のころ、これもみんな一度はやると思うんですけど、ノートに描いてましたね。
映画「ゴーストバスターズ」をパクって、まんま「ゴーストバスターズ」という漫画を描いたのを覚えています。うんこの噴射で地球を飛び出して宇宙空間でマシュマロマンと対決する感じだったと思います。
めちゃくちゃな漫画だったんだけど、結構自信はあったんですね。
ところがある日、二軒となりに住んでた秋山兄弟という双子の同級生が「オレたちも漫画を描いてるんだ」というので見せてもらったことがあるんです。
そしたら、コマ割りとかストーリー展開とか、ちゃんとしたスポ根漫画なんです。へええと、思いました。身の程を知るのに世間に出る必要もなかった、二軒隣に上がいたわけです。
ただ、残念なことに秋山兄弟に刺激を受けて奮起するとか、競い合うとかはなく「へええ」と思っただけで、終わってしまいました。そのうち秋山兄弟も引っ越してしまい。僕のまんが道第一部終了です。その後、中学~高校は魚釣りばかりしてました。
改めて漫画を描き始めたのは二十歳を過ぎてからですね。僕の場合はちょっと他の人よりスタートが遅かったので、自分の作品を誰かに見せるというのもありませんでした。

本格的に漫画を描くようになったきっかけは何でしたか?

笠辺:水木しげる先生の短編集を友達が持っていたのをたまたま読んで、漫画というのは非常に奥が深いものなんだなぁ、と気付きまして。そこから漫画を描き始めました。

デビューされてからおよそ十年が経ちましたが、いかかでしょうか。

笠辺:もうそんなになるんですか、怖いですね(笑)。僕は漫画を描き始めるのが二十代半ばだったので、最初から漫画を描くなら生業にしなければならないという意識がとても強かったので、デビューした時はやはり素直にうれしかったですね。いまは水面下で頑張ってるんですが厳しい世界だなと痛感しています。まだ、納得できるものを描けていないので踏ん張らないといけないです。

デビュー作が短編集というのは珍しい形ですよね。

笠辺:そうですね、何本か短編を描かせていただいて、それが最初の短編集(『短編集「バニーズ」ほか』)に繋がっています。

笠辺先生は商業誌の他にコミティアの方で合同の同人誌(『ユースカ』など)を何度か発行されていますが、周りの先生方からはどのような影響を受けていますか?

笠辺:それはもう、皆さんすごい人たちばかりですから、すごく刺激を受けています。『ユースカ』以前には『赤い牙』というプロが集まる同人誌に参加して、その時に初めて同人漫画を描いたんですよ。

『赤い牙』!コミティアでは有名なサークルですね。

笠辺:そうですね、そこで初めて同人漫画を描いて「うわ、同人って面白いぞ!」と思って、活動を始めました。漫画を描くなら生業にしないといけないと言いましたけど、その反面無垢な気持ちで漫画を作っていないという負い目があったので、そういう意味で同人活動を通して漫画を描くことの楽しさを再認識しました。

他にはどういった活動をされましたか?

笠辺:僕が音頭役で『たこぶえ』というサークルを立ち上げたんですね。そのサークルのコンセプトというのが「中心人物を置かずに、その時やりたい人が集まって同人誌を作る」というものだったんです。
一回のイベントならともかく、継続的にとなると、中心に立つ人に大きな負担がかかってしまうんです。不公平だし、サークルの方向性が固定されてしまう面もあります。そこでルールを決めて負担がうまく分散するようにしたんです。結構厳密なルールを決めてたんですけど、うまく機能しなくて……。
ルールの運用の問題は難しいです。まあ、僕も含め、メンバーにルール順守型の人間が1人もいなかったので機能しなかったのも当然ですけど。そもそもサークル運営を「負担」と考えるのが間違っていたんですね。たこぶえは最高に面白い経験だったんですが、継続という意味では失敗でした。                          その後『たこぶえ』にも参加した森(敬太)くんという人が編集長としてジオラマブックス(『ユースカ』を発行しているサークル)を立ち上げて、今はそれに不定期にゲスト参加させてもらっています。
『たこぶえ』に参加した時の森くんのフラストレーションが、ジオラマブックス立ち上げのちょっとした呼び水になったんじゃないかと密かに思っています。
結局、同人サークルを継続的に運営するには、中心にしっかりしたビジョンと情熱を持った人物が不可欠なんですね。
ジオラマは刺激的な作家さんがどんどん参加してて、漫画の最前線の一つになってると思います。
読者でも作家でも参加する人がもっと増えればいいなと考えています。その他にイレギュラーで佐々木崇さんと2人で「昭和50年」というサークルをつくったり、津川智宏さん主催の「同人誌800」に参加させてもらったりしました。

同人誌の商業誌との違いはどこにありますか?

笠辺:僕は商業誌と同人誌ではちょっと作風が違うんですけど、同人誌ではネームを切らずにいきなり原稿に入ります。
行き詰まってボツになることが多いんですが、どういう漫画になるのかさっぱりわからない状況で描き進めるのはおもしろいです。
商業誌は原稿の前段階でネームを描かないといけないので、このやり方は無理です。

「アイデアが出た瞬間は手が震えます」

製作の話になりますが、ネームの切り方はどのようにしていますか?

笠辺:商業誌の場合はある程度プロットを頭の中で組み立てて描くか、あるいは同人誌のように即興的なやり方でネームを描いてみてネタが出るのを待つ、といった感じですね。最終的にはとにかく「面白いかどうか」ということが大事です。

やはり後者の方が楽なのでしょうか?

笠辺:どちらとも言えないですね。即興的に描くとすぐに詰まってしまうので……。商業用の描き方だとプロットさえできればいいけど、今度はプロットを考えるのが難しい。それはどの漫画家さんでも苦労される部分だと思います。

ネームを切る上でのこだわりはありますか?

笠辺:「面白いかそうでないか」というのは今言った通りですが、それでも自分を騙しながら描いてしまうことがあるんですよ。面白くないと気付いているのにそのまま描いてしまうという……。特に締め切りがあるような、切羽詰まった状況だと編集者からのOKを免罪符にしてしまって、OKが出たんだからまあいいのだろう、といった妥協をしてしまう。なるべく自分が納得のいく物にしたいですね。

連載作品については何かありますか?

笠辺:今まで二作品を連載しましたが、どちらもなかなか大変でしたね。短編と違い、全体が見えない状況でお話を作り続けるというのがすごく難しいな、と感じていて。ただ、続けていくうちにどんどんキャラクターに思い入れが篭っていくというのは短編にはない醍醐味だと思います。それをもう少しうまく形にできたらと思います。

プロットの組み方はどのようにされていますか?

笠辺:短編であればプロットは頭の中だけで考えてネームに入ります。その方がスムーズだし、入れ替えもすぐ効きます。
アイデアがしっかりしていれば、プロットは必然的に構築されるものだし、あとはネーム段階でのキャラクターの動きに委ねます。
もちろんアイデアが良くない、という場合が多いですから、そんな単純ではないかもしれません。
アイデアが出てくる瞬間はいろいろ、例えば布団の中だったり散歩中だったりするんですけどその前段階として、ゴチャゴチャ描くという作業は重要です。

落書きを描いてみたり、ということですか?

笠辺:そうですね。落書きでもなんでも、とにかく机にしがみつかないとアイデアというものは出ません。結果的にアイデアが出る瞬間というのは寝起きだったり、散歩中だったりいろいろあるんですけど……僕は寝てればアイデアが出るんだと思ってた時期があって、昼間からずっと布団の中に入ってたこともあります。もちろん何も出なかったんだけど(笑)。
経験的に言うと「なにか描いてみる」しかなくて、かなりまとまった時間……五、六時間とか八時間以上ひたすら机にしがみついて「何か出そうとしてるんだけど何も出ない状態」を経てからでないとアイデアは出ない、ということみたいです。そういう苦しい時間に耐えたあと、ふとした瞬間にアイデアがポロッと出るものらしいです。
〆切効果ってありますよね。それは〆切がアイデアを出してるんじゃなく、〆切によって机に向かい続ける状態が強制される「時間」からアイデアが出る、というものだと思います。そのアイデアが出た一瞬というのが漫画を描く作業の中で一番気持ち良くて、その時はもう手が震えるような感覚を覚えますね。

そのアイデアはどのようなところから生まれるのでしょうか?

笠辺:何かを読んだり、見たりすることが大事だと思います。
子供の頃「まんが日本昔ばなし」というアニメがあって、毎週土曜に色んな昔話を放映してたんですけど、ああいったものを観ていた蓄積も大きいかもしれません。
僕の場合ベースになりやすいのが映画です。二十歳くらいの頃は結構な数の映画を見ていて、大学では映画サークルで自主制作映画を何本か撮ったりもしました。
あと、当時とは通信環境が変化したので、気をつけているのですが、インターネットを切断した静かな環境も重要なのではないかな、と思っています。

どんなジャンルの映画を観るのでしょうか?

笠辺:どんなジャンルにも名作というのはあるので、あまりこだわりはないですね。ひとつ上げれば、タランティーノの『パルプ・フィクション』でしょうか。ちょうど僕の多感な青春時代とリアルタイムで被るのが『パルプ・フィクション』で、非常にショックを受けましたね。「パルプ・ショック」を受けたと自分は言ってるんですが(笑)
あと、好きで何回も見返してるのは黒澤作品、デビッド・リーン作品、キューブリック作品……上げればキリがないです。
漫画家なので鑑賞の方法がどうしても創作意図を読み解く、という風になってしまうのですが、この見方でも作品に感情移入するのと同じように楽しめます。優れた演出には興奮するし感動します。
面白い作品というと十年前でも二十年前でも、すごい作品なら半世紀経っても面白いんですよね。「天井桟敷の人々」なんて何回見ても深い感動を覚えます。何回も見返してる作品だから、斬新な設定に出会うわけでもないんだけど、面白いものは面白いという確実なものがあって、僕が映画とかを見る目的はそういう作品に出会うためですね。
自分もいつかそのような風雪に耐えうる作品を作れればいいなと思います。

「やはり基礎の基礎が一番大事です」

作画環境はどうでしょう?

笠辺:ペンは色々変えてますね。鉛筆とかボールペンとか。変える理由はまず、ペン使いが上手じゃないというのがあります。鉛筆が一番好きなので、最近は鉛筆で原稿を描いてますね。昔は鉛筆の原稿はダメというのが常識でしたが、今はコンピュータが発達してるからPhotoshopのようなソフトでコントラストを強めて、鉛筆の線で完成させています。

鉛筆の魅力、というのはどこにありますか?

笠辺:まず描き心地がいいですね。線の強弱も付くし、紙を噛んでる感じが好きです。当たり前なんですけど、階調の幅が広すぎて基本的に漫画には向かないから線が汚くなってしまうんですが、その辺りはトレードオフということで割り切っています。
可能な限りアナログにこだわっていますが、なぜかというと、コンピュータの性能は良すぎるから道具の限界まで行けない、と思ってしまうんですよ。なんでもできてしまう、というのはちょっと怖いなと思うんです。というのは、どんなものでも道具のギリギリまで使った表現というのはやっぱり力強さを感じるんです、これは理屈ではない部分かもしれませんね。
僕のコンピューターとの付き合い方は、素朴な素材を印刷に栄えるとこまで持ってくという限定的な使い方です。

作画する上でのこだわりはありますか?

笠辺:「漫画の絵」を描くんだ、という意識でやっています。漫画の絵、というのは記号的な描き方なんだと思うんですよね。手塚先生の漫画教本に書かれてるんですが、漫画は同じ目でも記号の組み合わせで色んな感情を表せるんですね。
なぜかというと、人間の脳には表情を記号的に読み取るシステムがあって、それを逆に利用したのが漫画絵だと思うんです、はじめて漫画を読んだ人でも「これは笑ってる顔の絵だな」とわかってもらえるように、ということを意識しています。
僕の絵は「(・)(・)」でほんとに記号みたいなんですが、その仕組の中で、キャラクターの感情を豊かに表現することが目標です。
それと作画ではないですが、部分的なリアリティも大事にしています。連載した『フライングガール』という作品で主人公の耳が取れるシーンがあるんですが、耳が取れたら簡単にくっついちゃダメだなと思いまして、その後の話でもしばらく包帯をさせていました。単純に耳の取れた状態が面白かったからという理由もあるんですが、それを当時医学部生だった友達に「なんであの耳はあんなに治療が長引いてるんだ」って突っ込まれまして(笑)。包帯ぐるぐるまきの期間が長すぎたみたいなんですね。そういう点ではかえってリアリティのない方向に行ってしまったと反省しています。
もうひとつ、やっぱり作画ではないですが「物語」というものを信頼してる点です。人間は「物語」が大好きですが、「物語」ってなんなのか考えると、良くわかからないんですね。でも、わからないから「物語」を引っこ抜いたものを描こうとは思いません。

漫画を描く際の自分ルールというのはありますか?

笠辺:なるべく直接的なセックスシーンを描かないことと、極端にエグい表現はしないようにしています。といっても別にタブーにしてるわけではなくて、刺激的な絵を描くときは最大限効果的にと思います。

先生の描く女性キャラクターは独特の魅力がありますが、先生の女性観をお聞かせ頂きたいのですが……。

笠辺:漫画の中では強い意志を持ってる女性というのが好きですね、あくまで漫画の中の話ですよ。漫画に出てくる女性を、男の願望を押し付けるフェチズム的な対象にはしたくないと思っています。だけど、フェチズムを前面に出した漫画は、読む分には大好きです(笑)。

デビューから十年で変わったことはありますか?

笠辺:あんまり成長してないですね(笑)。しかしながら同人をやることで、描き方に幅ができたというのはあります。その手法と商業的な方法を混ぜたような作り方をしてみたいんですけれど、苦戦中です。
まだ、全然描き足りないので、何とかしがみついていきたいです。

それでは最後に、漫画家を目指す学生に向けてメッセージをお願いします。

笠辺:学生さんだと最初の作品を書き上げてるかそうでないかが大事だと思います。最初の作品というのは想像以上に難しいし、描いたところで死にたくなるようなヒドイ漫画にしかならないと思うんですが、そこで潰れないでもう一作、もう一作と、がんばってみることが大事だと思います。完成を先送りしてはいけません。当たり前のことであると同時に、はまりやすい落とし穴です、まずはきちんと完成させることです。
技術的な話では、パースやデッサンの練習をすることですね。パースの基礎にしてもデッサンの基礎にしても、深くやろうとするとすごく奥が深くて大変なのですが。さわりだけでもしっかり勉強して、あと、これも基礎だけでいいので人体の骨格やら解剖学を勉強してみる。医者になるわけではないので全部の骨の名前を覚える必要は無いと思います、主要な骨と筋肉だけでいいです。
半端にかじる事を推奨してるようですが、とりあえず、ひと通りなんでも描けるよ、という状態が漫画家には最低限必要なんじゃないかと思います。
また、技術を身につけて、それを捨てる器用さも必要かなと思います。ワイルドな絵を描いていた人が絵の勉強した途端に平凡な絵に落ち着いてしまったという例は多いですよね。
だから、デリケートな部分ではあると思います、俺の絵はこうだ!ドッカーン!と叫べる地点を目指しましょう。僕もその地点を目指して勉強は継続中です。
ちなみに作品を完成させることと、技術の勉強、どちらが大切かというと前者です。
あとは試行錯誤をすることですね。簡単に自分の中でOKを出さないで、出来る限り自分のベストを目指して、楽しんで描きましょう!