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『無意味なものを本気でつくること──「強制終了」の時代に』意味をこえる身体へ のきろく#5

こんにちは。ショットムービープログラムのプロデューサー、脚本などを担当している長谷川祐輔です。
今回は、前回の内容をふまえて、ショットムービープログラムの理念的なことを書きます。 

▲ 前回の記事はこちら

共同制作の偶然性

制作のプロセスにおいて生じた、具体的な問題から始めます。
ショットムービーのここまでの制作は、おもに(1)俳優同士のオンラインでの対話によるプロフィールの形成と、(2)対面での撮影によって構成されます。

(1)のみをまとめた記録は《八月対談録》としてすでに公開され、12月11日から26日まで、北千住BUoYで行われている「多国籍美術展 : わたしたちはみえている -日本に暮らす海外ルーツの人びと-」(イミグレーション・ミュージアム・東京企画)にて展示されています。

前回の記述をなぞると、オンラインでの対話から対面での制作へ移行する際、それまで必要なかった話し合い──予算配分、撮影場所の許可、移動の是非など──をすることになります。これらは慣れてる人がやったとしても、なかなかスムーズに進むことではありません。事前に全てを把握してあとはそれを遂行する、といった風にリニアに進むものではなく、必ず予防できないトラブルが生じます。そうしたトラブルを前にした時、人の態度はそれまでと変わることがあります。ショットムービーの制作に限って言えば、メンバーの態度は次の二つにわかれました。

一つは、様々な偶然性を前にしてみんなでどうするか考えよう、という態度。二つ目は、作品の内容よりも、実務的なことをおろそかにするのは許容できない。見切り発車で進めるのではなく、実務的な条件を全て把握してからじゃないと不安だ、という態度。
言い換えると、一つ目は偶然性にみんなで対応していこうという態度であり、二つ目は偶然生じる問題を全て事前に防ごうとする態度です。しかし実際にやってみれば、生じうるすべての問題を事前に把握してそれを抑え込むということはどうやっても不可能です。問題は必ず生じます。問題が起きたときに話し合おうとするのではなく、責任を一人に帰して攻め立てるという態度は、共同で制作してると言えるものではないでしょう。8月のオンライン対話は、3人の制作組で回っていましたが、オンラインから対面撮影への移行期において、以上のような制作の偶然的な性格を前にして、一人の人はなかば対話を拒否する形で辞めていってしまいました。

 会社とアートプロジェクトのちがい。

今日このような問題はいたるところにあります。対価を受け取ってやる仕事とはことなり、作品制作はしばしば条件があいまいなまま始まります。それによって様々な問題──ハラスメント、やりがい搾取、過剰労働など──が生じて人間関係が和解不可能に陥ることもあります。
したがってわたしはここで、どんな問題が起きてもみんなで対話を続けるべきだとか、「この人のためだから」といった理由で負担を強いることを許容するべきだとは全く思いませんし、チームに残ることは他人に強制できることでもありません。ショットムービーはあくまでアートプロジェクトの枠で行われているものです。つまり会社ではありません。アートプロジェクトと会社では、受け取れる対価が異なります。会社はお金と仕事がセットです。しかしアートプロジェクトはそうではありません。自分の仕事に見合うお金が欲しければ、むしろアートプロジェクトには参加せずに普通に働いたほうが賢明でしょう──お金を稼ぎたくてアートプロジェクトに参加しているという人をわたしは聞いたことがありませんが。

そこでわたしは、ショットムービー制作に中心的に関わるようになった8月以来、改めて自分はなぜわざわざアートプロジェクトに参加しているのか、ということを考えるようになりました。
さしあたりの結論は、会社や学校では得られない人間関係がつくれると思っているからです。そんなの当たり前じゃないか、と思われるかもしれません。ですがこのことは、わたしにとって大きな意味を持っています。

「強制終了」の時代に人間であること

会社的な人間関係、つまりお金という対価によって支えられた人間関係は、いってみればお金をくれなくなったら終わります。つまり、どちらか一方にとってその関係性が有益ではない、つまり無意味になったら終わるのです。そこでは「お金のために」という具体的な目的が優先されて、よく分からないけど「その人のために」「その人だから」何か力になりたいといった、他人に対して意味をこえた気もちが生じる可能性はほとんどありません。
わたしは、2019年以来アートプロジェクトに参加して、「意味をこえた気もち」に支えられた人間関係こそが、アートプロジェクトで得られる最大の対価だと考えるようになりました。(誤解されたくないので一言付け加えておけば、こうした論理が悪用されてハラスメントが遍在している昨今、あらゆる種類の暴力を肯定するつもりはまったくありません。)

今の社会では、具体的な目的や文脈に支えられた人間関係──金銭的対価、社会的属性に支えられた関係性──の方ができやすいようになっている。余剰に支えられた人間関係を作ることがとても難しくなっているように思います。
他人と関わる動機として、お金や社会的立場の獲得が強いと、それらが自分の思うように得られない場合人は情動的になります。したがって、他人の行為や発言に何か欠陥を見出したり一貫性が欠けていたりすると、それが既成事実化されてしまい、なぜできないのか、それは無自覚の暴力だ、これをやるのにこれをおさえてないとは何事だ、などと指摘される。そこでは「話し合う」という余地がほとんど抹消されています。社会がこうなれば、いついかなるときも潜在する暴力に対して気を配り、当たり障りのないこと──事務的な話や社交辞令など──しか言えなくなります。そして今の社会はもうほとんどそうなっているでしょう。
わたしはこの点に生きづらさを感じることがあります。「会社や学校では得られない人間関係がつくれる」ことが個人的に大きな意味を持っているとは、こうした出口がないかのような社会に対して、一つの光明を与えてくれるように感じるからです。

このプロジェクトに参加して感じることの一つは、生身の人とのコミュニケーションにおいて、「正しさ」を指摘することだけでは関係性はできていかないということです。潜在的な暴力やハラスメントの可能性を肯定するわけでは毛頭ありませんが、他人のいたらない発言や行為を指摘し続けたその先に、一体何があるのかわたしには分からないときがあります。人間関係において、何かを優先すれば何かを失います。どんな場面においても他人に対して「正しさ」を求めることの代償として、今は「人間であろうとすること」が社会から失われかけているように感じます。
つねに潜伏しているあらゆる種類の暴力に配慮した先に、人間は人間でいられるのでしょうか。人の一つ一つの身ぶりやことばや表情は、他人にすっきりと説明できるほど意味に還元可能なものでしょうか。自分でも、なんであんなことを言ったのか、したのかわからないということはしばしばあるでしょう。そうした、根本的に脱意味的で複数性にささえられた存在こそが、人間だったのではないでしょうか。

 人によって体感の差はあると思いますが、わたしは今はいろんなことが「強制終了」されていく時代だと思っています。個人史的にも社会的にも、日々とにかくいろんなことが起こっている。ささいな出来事のみならず、例外的な出来事が日常的に起こっている。大切な人との関係性が失われ、動けなくなるほどつらい状態に追い込まれても、悲しむ時間すらなく数日後には別の新しいイベントごとがあったりして、ふつうに楽しんでいたりする。また逆に、楽しかった出来事があってもすぐ後にはつらいことが起こって、楽しかった記憶に浸る時間すらない、といった具合に。明るいことも暗いことも、そしてそこから生じる人間的な喜怒哀楽も、十分に味わい尽くす前に強制終了されていく。

 わたしは、そんな、いろいろな出来事が強制終了されていく時代に人間であることを支えるのは、他人に対して自発的に生じる意味をこえた気もちであり、それに支えられた──無意味な──人間関係や制作だと今のところは考えています。そして、それこそがわたしがこのプログラムに参加して得られた今のところの対価です。

ことしの夏以来ショットムービーの制作に携わらせてもらって、最近はそんなことを考えています。

執筆者:長谷川祐輔 新潟大学 博士前期課程 哲学(美学、現代フランス哲学)


「意味をこえる身体へ」は、アートプロジェクト『東京で(国)境をこえる』のメインプログラム「kyodo 20_30」から始まった企画です。
kyodo 20_30については、この記事に書いています👇


『東京で(国)境をこえる』のもう一つのメインプログラム、「サカイノコエカタ」の紹介はこちら。
日常にある、でも向き合えていないさまざまな境(サカイ)について、その境を越えている実践者と対話することであなたが考えるプログラムです。

開催予定:
全ての回が終了しました。

2022年1月18日(火) 18:00~20:00「コエカタを見続けること」
ゲスト:川内有緒(ノンフィクション作家)

2月11日(金・祝) 15:30~17:30「協働することでコエていく」
ゲスト:FC越後妻有 坂口裕昭SM & 元井淳GM兼監督 & 石渡美里選手(FC越後妻有シニアディレクター&GM兼監督&所属選手)

2月13日(日) 15:30~17:30「コエられなかった先へ」
ゲスト:北川フラム(アートフロントギャラリー)