のれんたま平のコピー

築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした108 林家たま平

林家たま平さんと、浅草・尾張家本店で待ち合わせ。天ぷら蕎麦を食べながら幼少期の頃や、今後の事など、お話を伺いました。
 高校3年生の12月頃に、大女将・海老名香葉子に「ちょっと話がある」と言われて、二人でここにきて「将来何になるんだ」と言われました。偶然隣の席が和菓子屋・亀十の旦那さんで、急に女将さんの手を握って「いい話を聞いた。俺が仲人になるから、坊っちゃん、噺家になってくれ」って言われ、周りから固められて、断れない状況が生まれました(笑)。
 実は師匠の正蔵も、初代三平も、先々代の七代目正蔵も、高校生、中学生時分に女将さん(海老名うた)に連れられて、尾張家さんに来ていたんです。そこで「噺家になるのか?」って。四代にわたって受け継がれた、そんな思い出の入り口ですね。

 噺家の一家で育ちましたので、小さな頃は「林家小ぶた」として落語会の賑やかしで使って頂きました。大銀座落語祭も出ましたが、中学校に入って一回やめなさいと言われました。ある日小朝師匠からお電話を頂戴し、「前座の代演でよみうりホール出てくれる?」って言われて『つる』をかけました。中学生だったので、本当の前座さんかなっていう目で(お客さんは)見てるわけですよ。それもまた面白くて。何を演っても受ける子供の頃と、ちゃんと所作や言いまわしで受けるという違いをここで学んだんです。噺家になりたいと思ったきっかけの一つです。
 学生時代に部活を終えてうちに帰ったら、夜こん平師匠がお酒ではなく、一杯のお茶を飲みに来ていたんです。その一杯だけで、翌朝まで女将さんと話してるんですよ。朝7時に起きて「学校行ってきます」ってリビング見たら、まだいらっしゃいました。
 多くの先輩方がうちにいらしていたので、芸人としての振る舞いを幼少時代に覚えたのは、当時は何もわからないですけど、今考えれば大きな財産ですよね。学生の頃やっていたラグビーの経験から分かったのですが、うちの一門の仲のよさ、結束力の強さって、皆で同じ釜の飯を食ってるからなんですね。それが絆を深めるんです。
 演劇を見るような視点で噺を考える事があるんです。「古典」「新作」などとジャンル分けせず、三題噺だろうが、人情噺だろうが関係なしに、良いものはどんどん高座にかけていきたいです。暗い噺も大好きなので、怪談噺もやりたいですね。
 今後の目標はたま平の名前を大切にし、大きくする事です。師匠のように、出てきただけで会場の空気を明るく変える事が出来るような噺家になりたいです。


林家たま平・はやしやたまへい

本名=海老名泰良。1994年5月29日生まれ。東京都台東区出身。明治大学付属中野高校卒業。2013年4月、九代林家正蔵に入門、14年8月に「たま平」で前座。2017年11月二ツ目昇進。出囃子=三ツ面子守り ひょっとこの合方 血液型O型。曾祖父は七代目正蔵、祖父は初代三平、父は九代正蔵、叔父は二代三平。


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