昇也3のコピー

築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした74  春風亭昇也

今月は春風亭昇也さんと、新宿の熊野神社にやってきました。

 通っていたお笑いの専門学校がこのすぐそばで、よくここで相方と漫才の稽古をしていました。久しぶりに来ましたが懐かしいですね。当時の境内はこんなに整備されていませんでした。
 実家は酒屋を営んでいて、あまりかまってもらえず、テレビっ子でした。幼稚園のころからひょうきん者のポジション。小学校の3、4年生の頃にはお笑いの道に進むと決めていました。友達との帰り道での会話があまりに面白くて、自分達しか聴いていないのがもったいないと思っていました。小中高の文化祭や修学旅行では友達とコンビを組んでネタをやってました。小学生のころからツッコミ担当です。前座の時も、根がツッコミなので、つい、先輩方にツッコミたくなって苦労しました。お笑い界はどんなに先輩でもツッコまないとしくじるのですが、落語界は前座が先輩にツッコむと生意気になるので、ルールの違いに順応するまで時間がかかりました。しかし、我慢出来ずにツッコんでしまう事多数(笑)。でもいつしかそのキャラクターも楽屋で浸透して行った様です。
 落語にはまったのは米朝師匠のNHKのドキュメンタリーがきっかけでした。落語ってこんなに緻密に演るのかとあらためて思いました。その頃から、寄席通いやCDで落語を見聞きしだしました。お笑い芸人仲間には、落語好きで知られていました。同じ事務所の先輩のスピードワゴンさんになぞかけを振られたり、ねづっちさんにもよく「まっちゃん、アイドリングしようぜ」って言われて二人でやっていました。クラブで小噺をやったりもしましたよ。コンビを解散してからはピンで活動しようか落語家になろうか1年迷いました。25歳の時に30歳の自分を想像した時に、きっと落語家になりたいだろうと思った。年を重ねてもより輝ける落語家に魅力を感じました。
 一門の忘年会で師匠・昇太は必ず「来年もプロであるように!」って言うんです。プロとして食っていけて人に迷惑をかけていなければいいと。落語をやって機嫌良く生きる、うちの師匠が目標です。あとは歌舞伎座で独演会をすること、人間国宝になることです(笑)。

春風亭昇也・しゅんぷうていしょうや

本名=松本和也。1982年6月18日生まれ、千葉県野田市出身。東京アナウンス学院卒業。2008年、春風亭昇太に入門して「昇也」。13年1月、二ツ目昇進。B型、妻と娘あり。出囃子は東京節。※先月号の「今月のお言葉」もご覧ください

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