
プレイベント『無用』トークレポート | 11/18(月) |第25回フィルメックス
東京フィルメックスのプレイベント「今だけ、スクリーンで!東京フィルメックス25周年の軌跡」で、ジャ・ジャンクー監督のドキュメンタリー『無用』(2007年/第8回・特別招待作品)が17年ぶりにスクリーンに登場した。11月18日の上映後トークでは、ジャ監督の劇映画を製作してきた映画プロデューサーの市山尚三さんが、フィクションとドキュメンタリーを往還する監督の映画作りについて語った。聞き手は、フィルメックスの神谷直希プログラム・ディレクターが務めた。

『無用』はジャ監督の3本目のドキュメンタリー映画。2007年のヴェネツィア国際映画祭オリゾンティ部門で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した。経済成長著しい中国のファッション産業を3部構成で描いた作品で、第1部は広東省珠海の大規模縫製工場、第2部はパリ進出を果たした気鋭の女性デザイナー馬可(マー・クー)のアトリエ、第3部は監督の故郷である山西省汾陽(フェンヤン)の仕立屋にカメラを向ける。
ジャ監督とはデビュー当時から親交があり、第2作『プラットホーム』(2000年)以降のすべての劇映画のプロデューサーを務めてきた市山さんは、「僕自身はドキュメンタリー作品には関与したことがないが、初期の頃からジャ監督の映画作りにはドキュメンタリー的な要素が含まれていた」と語る。
ドキュメンタリーと劇映画の密接な関係
「デビュー作『一瞬の夢』(1997年)の頃から『ドキュメンタリーを見ているかのようだ』とよく言われていました。というのは、街の空気感がすごくよくとらえられていたから。この映画も監督の故郷の汾陽が舞台だったんですが、世界にほとんど知られていなかった田舎町の魅力がよく出ていて、見る人にも響いた。初期の頃から、物語を撮るというより、その場の雰囲気や人々を撮ることに注力しているところがありました」

ジャ監督がドキュメンタリーに意識的に取り組むようになったのは2000年代に入ってから。全州国際映画祭のオムニバス企画「三人三色」のために委嘱された短編『イン・パブリック』(2001年)が最初の1本。山西省の大同の街や人々をスケッチするように描いた作品で、この映画を製作中に『青の稲妻』(2002年)の構想がひらめいたという。第2作目のドキュメンタリー『東』(2006年)は三峡ダムの出稼ぎ労働者を描き続ける画家・劉小東(リウ・シャオドン)を追った作品。三峡ダムを撮影中に劇映画のアイデアを思いつき、並行して撮ったのが『長江哀歌(エレジー)』(2006年)。続く『四川のうた』(2008年)も、取り壊し間際の巨大工場のドキュメンタリーにドラマを融合させた。「そんな風に、ジャ・ジャンクーのドキュメンタリーは単独の作品と言うより、劇映画とかなり密接に結びついている」と市山さんは解説する。
バブル時代に迎えた大きな転機
『無用』を撮ったのは、『長江哀歌』でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を獲得した直後。「ジャ・ジャンクーにとってはキャリアの大きな転換期だった」という。
「金獅子賞受賞で、過去作とは比較にならないくらい観客が入ったことに加え、いろんなCMの依頼が舞い込んだ。実は、ジャ・ジャンクーのビジネスで一番大きいのはCM。映画を作るとだいたい予算オーバーで持ち出しになり、全然儲からないんです(苦笑)。CMは予算内で撮れば結構大きな額がもらえる。いろんなCMを撮ってはその収益で新作映画を作るという循環が生まれていきました」

CM依頼が殺到した背景には、中国経済の活況がある。『青の稲妻』を撮っていた頃に北京が五輪の開催地に決まり、その後は建設ラッシュで右肩上がりの好景気に。『東』に出て来る劉小東らの現代アート作品を富裕層が高値で次々買い上げ、『無用』には海外の高級ブランドの人気ぶりも描かれる。
『無用』の第2部に登場するデザイナー馬可は、バブル経済の大量消費に背を向け、繊細な手仕事を重視した服作りに取り組んでいた。「彼女はもともとチャオ・タオの知り合いだったそうです。この映画が馬可とジャ・ジャンクーのどちらの発案かは知らないのですが、題名の『無用』は馬可のブランド名。彼女のパリのショーを記録することから企画がスタートしたはずで、最初にこの第2部を撮り、後で第1部と第3部を加えたと聞いています」
矛盾を含む構成の意図は…
「完成当時は、中国のファッションを様々な角度から描いたという印象だったが、いま見直すと、もっと複雑なものを感じる」と市山さん。第2部の馬可も第3部の汾陽の仕立屋も、地道な手作業を繰り返すが、瀟洒で広々とした馬可のアトリエと汾陽の古く手狭な店はまさに別世界。第1部で描かれた安価な大量生産の服に押され、汾陽の職人は「商売が立ち行かない」と嘆く。

「同じようにコツコツと服作りをしている人たちなのにえらい違いです。第1部と第2部は大量生産と手作りを対照していますが、第3部は富裕層に支えられた第2部の世界に対する批評にも見えてくる。監督が意図したのか、撮りたいものを撮った結果こういう形になったのかはわかりませんが、ひとつの映画のなかで矛盾することをやっている。この構成を最初から決めていたのか、撮り始めた後で決めたのか、改めて聞いてみたくなりました」
時代の変動を見つめ続けて
一方で、大量生産の時代に手作りにこだわる馬可の姿勢はジャ・ジャンクー自身の映画作りにも通じるところがあるという。「中国の映画産業は2001年以降にものすごく肥大化して、陳凱歌や張芸謀も大予算の娯楽映画を作るようになりましたが、ジャ・ジャンクーは一貫して自分の周囲の世界を撮り続けている。そんなところで馬可と共鳴するものがあり、この映画を撮ったのかなという気がします」

時代の空気を音楽で伝える演出もジャ・ジャンクー作品の特色。本作でも音楽が強い印象を残す。第1部の工場に流れるのは香港のロックバンドBeyondの「情人」。第3部の『青の稲妻』を連想させるバイクの疾走シーンで使ったのは、ロック歌手の左小祖咒(ズォシャオ・ズージョウ)の「愛的労工」。労働者のラブソングだという。

「ジャ・ジャンクーの歌の使い方は本当にうまい」と市山さん。今年のフィルメックスの開幕を飾った最新作『新世紀ロマンティクス』にも、時代を象徴する音楽が多数登場する。「ここ最近のジャ・ジャンクー作品は中国の2000年代以降の歴史…というと大げさですが、社会の動向を見据えた作品が続いていて、新作も同じ系譜。2001年から現代に至る話で、『無用』と同じ時期も描いています。ドキュメンタリーも含めて彼のフィルモグラフィーを総体的に見ると、その時代の中国を描いているのがよくわかります」
過去作の未使用フッテージも多数盛り込みながら新たなドラマを紡ぎ出した『新世紀ロマンティクス』は来年5月9日から劇場公開される。