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非常識を受け入れるような感覚

これまで様々な取材等の質問で、何故この活動を始めたのですか?への自身のコメントにしっくりきていませんでした。後に知ることになった和棉の壊滅やコットン栽培の実態等の知識が本当の理由を覆い隠したように思います。 本当の理由であり活動の本質は、身に纏えるぐらいの布や服を自給出来るのだ!という事実を知ってしまったこと。服は買うもの、布とは完成品、布を購入して作る、そういうもの、それが当たり前と思っていた、いやそれまで気にも留めてこなかったのだ。 原料から創る、しかも原料をも作る、種蒔きから。なんて創造したこともなかった。だから出来るという可能性を知った時は、震えるような感覚がありました。 クリエーティブの本質か、それはまるで非常識を受け入れるような感覚と感動でした。

しかも壊滅した和棉、今日その感触は誰も知る術のない和棉生地、それを纏って感じることが、やれば出来るのか。本当にやるの、うん、やってみよう! 本当に出来るのか、出来たら凄いなぁ、肌で感じてみたいなぁ、うおー、やってみたい!ロックだぜー、ってぐあいに思ったものです。そして、今もその感覚で邁進しております。 そして、和棉生地の感触はこれまで購入した何にも例えることが出来ないぐらいのものです。やれば出来る!です。

<執筆者: トミザワタクヤ>


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