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INTERVIEW: 遠藤 薫

89年生まれのアーティスト遠藤薫。沖縄で染織を学び、その後染織家志村ふくみさんのスタジオで経験を積んだ後独立。昨年資生堂ギャラリーの新進作家プログラム『shiseido art egg』に入賞し「重力と虹霓(こうげい)」展を開催、グランプリのart egg賞受賞、VOCA展では佳作受賞などといった活躍ぶりだ。彼女が東京ビエンナーレに提案したプロジェクトは、日本全国47都道府県の“銀座”を訪ね歩き、そこで得たストーリーに関連するオブジェクトを東京銀座にある47軒のギャラリーに展示するというものだ。現在はベトナムを拠点に、染織の原点を探るリサーチや表現活動を行う彼女に、何故銀座のプロジェクトを企画されたのか、お話しを伺った。聞き手:上條桂子(編集者)、花岡美緒(事務局)

遠藤薫のプロジェクト&プロフィールはこちら
https://tb2020.jp/project/ginza/

アーティスト公式ウェブサイトはこちら
https://www.kaori-endo.com/

47都道府県にある“銀座”の歴史に耳を傾け、
東京銀座のギャラリー47箇所で展示をする。

東京ビエンナーレ(以下、T):遠藤さんは、沖縄の大学や志村ふくみさんのアトリエで布について専門的に学ばれて、生活の中で布がどういう風に使われているのかというリサーチをもとに様々な作品を展開されていると思うのですが、今回、東京ビエンナーレで発表されるプロジェクトは、47都道府県にある“銀座”と名のつく場所を巡り、そこで見つけた何かを東京銀座のギャラリー47軒に展示するという試みです。これまでの活動とは少し違うアプローチだと思いました。どういう経緯で、このプロジェクトを計画されたのでしょうか?

遠藤薫(以下、E):現在、国際芸術センター青森(ACAC)での展覧会のためにレジデンスをしていますが、それ以前から民芸を学ぶ上で外せない民俗学者の田中忠三郎、考現学の今和次郎、その弟の今純三、棟方志功など、青森ゆかりの近代の思想家や活動家や作家に興味があって、青森に行く機会が増えていた時でした。キュレーターの青木彬さん(※東京ビエンナーレソーシャルダイブアシスタントディレクター)からソーシャルダイブの話を聞き、青森の知人と話していたら、そう言えば「銀座」と名のつく場所は地方でよく見かけるが47都道府県全てにあるのだろうか、という話題になり、調べてみたらとりあえず全国にあったので「47都道府県の“銀座”を歩きます」と宣言してしまったのが始まりです。
 「地方」と「銀座」をキーワードにすると、棟方はもちろん、今兄弟や農閑工藝館の大川亮も東京銀座とゆかりの深い人物で…、どことなく青森と東京銀座が繋がり始めたんです。


:ものごとが動いていく時は、思考の連鎖がトントン拍子に行くんですね、面白い。

:銀座は資生堂や三越、民藝たくみ、画廊などを始め近代の工芸史を語る上で重要な地でもあるんですよね。名だたる先人たちが銀座に関わっているので、それを軸に東京銀座と地方銀座を繋げてみてはどうかな、と。結果的に地方の銀座を歩きながら近代のそういった工芸ゆかりの人物や、運動、近代の文学、日本近代化の歴史を学ぶ旅になればと考えました。
 最初に訪れた北海道でアイヌの民芸品について学ぼうものなら、必然的に差別の問題や、開拓民のこと、プロレタリア文学のことまで繋がってきてしまう。そもそも工芸のことを知るのに生活=政治的な動きや歴史を知ることは必須なんだな、とも感じています。
 ですから、この『銀座』プロジェクトはあくまで、地元の人に話を聞く工芸・民芸的なリサーチの延長なのだと思います。日本中を歩いた民俗学者の宮本常一さんのようなイメージでしょうか。実際に歩いて見て、聞き、物語を収集する。

 ちなみに、東京銀座のギャラリーは100軒以上あるのですが、私は100軒も訪れたことがないです。単純にまずその事実に驚きました。
 それから、1964(昭和39)年10月16日、オリンピック開催に沸く東京・銀座の並木通りではハイレッド・センターの掃除(「首都圏清掃整理促進運動」)があり、90年代のアーティストたちは銀座のギャラリーというシステムに対してアンチテーゼとなる「ギンブラート」(「THEGINBURART(ザ・ギンブラート)」1993年)を行いました。参加作家はスモール・ヴィレッジ・センター(小沢剛、村上隆、中ザワヒデキ)など。小沢剛さんが「なすび画廊」(1993~1995)を開廊していました。
 そこから、再び開催されるオリンピックと銀座ギャラリーの歴史を踏まえて私はどうやって表現しようか、とも考えました。 

:遠藤さんは89年生まれで、東京にお住まいになったこともありませんよね?遠藤さんは、東京に対してどんなイメージを持っているのでしょうか?

:大阪と奈良の間で生まれて、大学は沖縄に行きました。京都にも東京にも行こうとは思いませんでした。沖縄の米軍の物資と魚の骨や土が混ざった琉球ガラスに魅せられて、沖縄に行くことを幼少の頃から決めていました。
 もちろん、東京にも江戸小紋など学ぶべき庶民の素晴らしい文化があることは確かです。しかしながら、在りし日の生活様式や環境を残してくれているのは都から遠く離れた場所なんだという印象が強かったです。私はどちらかといえば江戸の庶民の粋よりもさらに土っぽく、素朴なおおらかさと切実さが漂う地方の土着的な民芸に興味がありました。現代の東京はそういったものより遠く、すべてが速くて過剰な場所、というイメージです。

:東京に行かないと美術の活動がうまく行かないとか、そういう事は考えず、どこにいても活動は出来ると思っていたのでしょうか。

:はい。高校の頃からインターネットがあったので地方で暮らすことにさほど抵抗はなかったです。長い間沖縄にいたのでどことなく東京は苦手で、近年”東京の好きになり方”を探っていた、という感じでしょうか。
 そこで調べていると、東京銀座に地方の民芸や運動とも切り離せない歴史があることに気がついて、資生堂ギャラリーに応募して工芸作品を展示させていただきました。(※遠藤は資生堂ギャラリー100周年の2019年の第13回ShiseidoEgg賞を受賞し、同ギャラリーで展覧会を開催した)資生堂はかつて今純三が意匠部主任を勤めていたり、大川亮やバナード・リーチ、富本憲吉も展示しています。
 今では、むしろ東京ビエンナーレだからこそ地方の話をするべきなのではないかなと思っています。

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資生堂artegg13「重力と恩寵」展より会場風景
※主に遠藤が長年のあいだ集めて使用し修復したボロ布。使用した道具や記録動画を展示。

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資生堂artegg13「重力と恩寵」展より会場風景

“東京”ビエンナーレだからこそ、
語る意味がある地方の話。

:なるほど、東京ビエンナーレで地方の話をするという、その理由を教えてください。

:しばらく銀座に滞在した時にレトロな雰囲気を感じた、ということもあります。現代というよりは近代らしさがあるような。(日本の近代は明治維新の1868年から1945年あたりだそうです。)それから、領域を行き来することの重要性も常々感じていますが、単純に東京の人に地方の面白さを知って欲しかったからかもしれません。 
 とにかく地方の銀座って面白いんです。銀座商店街や銀座通りなど、各県の中でも比較的歴史のある場所だったりして、創業100年越えのお茶屋さんや呉服屋さんの話も楽しくて。その中でも例えば山形のとある銀座、江戸時代からある目抜き通りに”山形のレオナルド・ダ・ヴィンチ”と呼ばれる方がいます。その人は発明家みたいな方で、参勤交代が大変だから飛行機を作った方がいい、と当時から奇妙な模型を作ってみたり、山形に写真の技術を持ち込んだり。その末裔の方が、今でも山形の銀座で写真館を営んでいたので、そこで私の息子と一緒に証明写真を撮りました。そうした銀座にまつわるストーリーと、現地で得たもの──山形の場合はその証明写真、を展示できればと思っています。
 展示方法については、まだ考え中ですが、ギャラリー内にはオブジェクトと短い文章のみを展示して、そのバックグラウンドのストーリーの全貌はウェブサイトで読めるような形を考えています。ウェブではオブジェクトは観られない。
 また、銀の採掘地である山形銀山にも行きました。山形の新庄市に行けば、民俗・建築学者・今和次郎もまたここで関係しているわけです。柳宗悦も登場します。
 なぜその場所に「銀座」という名前がついたのかも様々で、反対運動が起きた場所があったり、地元の人の話を聞くだけでも面白かったです。

:なるほど、確かにその場所に行かなきゃわからないことは多いですよね。

:そうですね、行ってみないとわからないことばかりです。
 宮城県では、石巻の銀座通りの電気屋さんから港の待合室の屋根に使用されていたボロボロのスレート石をもらったんですが、それは宮城県産の雄勝石で、震災の際に津波で流されたものを彼が拾ったんだそう。話を聞くと、そのスレート工場も震災の時に流されたけれど従業員さんが拾い集めて、当時ある目的のために東京に送られた。それは10年前東京駅の修復工事の際の屋根の修復に利用されたのだそうです。このようなエピソードは特に東京と地方が繋がっていることの象徴のように感じます。
 ストーリーが主で、展示するものはゴミみたいな場合が多いです。長野では農民芸術運動、農民一揆、浅間山荘事件。岩手なら宮沢賢治、光源社、羅須地人協会、高村光太郎、ホームスパン。群馬は富岡製糸場、井上房一郎。名古屋はトヨタ紡績など……。例えば一部ですが、キーワードはこのようになっています。
 突然ですが、沖縄の問題には常々心を痛めています。その話を日本の首都である東京の人たちに届けたいと思ってもいつも届かない。自分ごととして考えてもらえない、という現実がありました。それは、きっと物理的な距離感ではなく心理的な距離感の問題なのだと思います。一方で、東日本大震災があった時、当時沖縄に住んでいた私は果たしてどうだったかと考えると、今私が言ったことがブーメランのように返ってくる。
 全てを背負い込みたいわけではありませんが、本で読んでもネットで調べてもなかなか身につかなくて。私はそういう人なので、生っぽい何かを体感しながら日本の輪郭を確かめたいと思いました。
 青森でも取材してみて初めて、米軍基地の問題、北朝鮮からのミサイルの問題、そして想像以上に豊かな近代的文化があったことも知りました。現在20都道府県を回った時点で、すでにもうたくさんの人の優しさにも触れ、毎回胸が潰れるような気持ちで学んでいます。

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ACAC「閃光と落下傘」2020 インスタレーションの一部
※青森と全国から集めた着物を裂き、直径約5メートルの裂織のパラシュートを織った。民俗学者・田中忠三郎の収集した民具を配置する。青森で偶然発見した山下清の肉筆画も会場に展示されている。

ACAC 「閃光と落下傘」動画 3 2020

ACAC「閃光と落下傘」2020動画の一部

ACAC 「閃光と落下傘」動画 5 2020

ACAC「閃光と落下傘」2020動画の一部
動画作品『インタビュー 沢田サタ ”食べること、慣れること、忘れること”』https://youtu.be/L21rQkdl9JU
※ACACで発表した「閃光と落下傘」のコンセプトである”爆弾と花火”について、代表作がベトナム戦争写真である青森の報道写真家・沢田教一の妻、沢田サタ(95歳)にお話を伺った。

:鑑賞する人はストーリーをウェブ上でみて、オブジェクトはギャラリーで見るようなかたちになる。ひょっとしたら全部回るのは難しい展示になるかもしれません。例えば、この遠藤さんのプロジェクトをまとめて一冊の本にするようなことは考えていらっしゃるんでしょうか。

:そうですね。おそらく多くの鑑賞者は網羅できない。会期中はホームページを見てもオブジェクトは載っていないので、よっぽど歩いて会場をまわらないと全貌を完全に見ることができないです。47軒の銀座のギャラリーに展示するというのは、ある一定期間空間を占拠するということです。それに対して時間に耐えうるものにしなければならないのは確かなので、後々本にできないかと考えています。

:遠い歴史や近い歴史がいろんなレイヤーで重なって、いろんな場所で「銀座」が地域に根付いていく。壮大なプロジェクトですね。

:どうしてこんな大変なことをやるって言ったんでしょうね……、発端はすべて私の”想像力の欠如”によるものだと思います。体感するまで理解できたと思えなくて、全国をまわることの大変さも想像できず……。でも、歩くからこそ腑に落ちることがありました。
 幸か不幸か、約3ヶ月、20県回ったところでコロナで足止めになってしまったので、残りは来年にまわる予定です。コロナの景気の影響でお店が閉まっていないといいのですが。
 そもそも、銀座は銀の鋳造所であり、お金の象徴でもあり、ひいては資本主義の象徴でもあるのですよね。金座、銀座、銅座も出てくるので、聖火ランナーのように地方を回りつつ、1964年のオリンピックとも絡めて考えていきたかった。延期の先に、果たして東京オリンピックは開催されるのでしょうか。
 ちなみに、民俗学者・宮本常一は全国を一人で練り歩いたのですが、その師である柳田國男はお弟子さんを全国に派遣して昔話を蒐集し、編集していたそうです。当時からリモートだった、と。コロナの状況次第では、柳田さんの方法でこのプロジェクトを継続せざるを得ないかもしれません。宮本さんのように自ら歩いた方が対等かつ圧倒的情報量なのは確かなのですが、これからは何かしら工夫が必要だと感じています。

:展示全部を見ることができないかもしれない、と先ほどお話しましたが、もう少しその部分についてお聞かせいただけますか?

:歩くことで発生する偶然性、時間や思考の流れに感動があります。そんな風な展示形式を目指したいです。それぞれの動機で展示しているどこかしらのギャラリーに赴いてみる、むしろギャラリーで展示されている他の作品の方に興味をそそられるやもしれず、はたまたその地域を実際に訪ねてみようと考えたり……。そういう体験こそ大事にしたいものなのだと思います。

:それだけいろいろ歩いて話を聞いたとなると、一箇所で全部見せたいという気持ちにもなるような気がするのですが、でも一人ひとりの体験を大事にしているんですね。

:こっそり秘密を共有することが好きで、それは一人ひとりの鑑賞者を信じたいということなのかもしれません。本になった際にもギャラリーを47軒巡る体験が欠如する。どのみち完璧な状態はないです。

:そこは大事ですね。一部を知っただけで全部を知ったわけではないという事実に向き合うことが何事においても重要な気がします。

:また、原発の問題や異常気象続きなのもあって、過剰な経済活動がそれらと無関係ではない、という認識はますます顕著になってゆくのではないでしょうか。この旅が、コロナ以降の自分の生活の見直し、住む場所を考えるきっかけになったりしたらいいな、とも。何か作品を作る時はたくさんの物事がその要素になっています。

工芸の歴史に深くからむ政治を
静かに見つめ、対話をする。

:なるほど。以前お話を伺った際に、世界の染織物の起源を見に行きたいという話をされていたので、なぜ突然「銀座」のプロジェクトをされるのか、いまいち腑に落ちていなかったのですが納得しました。

:繰り返しになりますが、私は一つの技術としての染織だけでなく、広義としての工芸に興味があります。どうすれば私たちの生活が良くなるんだろう、私たちはどうやって生きていけばいいんだろうと考えることから端を発し、より住みやすくする方法を考える。それは身の回りの知恵や道具の工夫に限らないのではないか、と。
 例えば、有島武郎の農地解放、新しき村、マルキシズムに倒錯しながら倒れゆくその当時の作家たちのこと、資本主義とは対極の方法論であるその挑戦と挫折の歴史をいま一度“銀座”というキーワードと対比させながら学んでみたかったんです。
 日本近代化100年の歴史を踏まえて、私たちの世代は(私は)どうやってこの先の100年を生きていけばいいだろう、と考える旅になりそうです。

:美術との距離感は、どう考えていらっしゃいますか?

:最初は工芸や書道の場で活動をしていたのですが、このような広義での工芸・民芸の再解釈のようなものは受け入れてもらえないことが多く、形式から弾かれてしまいがちでした。一方で現代美術には定形がなく、その反省性はすごく信じられる。その時代に美術と言われているものじゃなくても考察の対象になり得る。現代美術の懐の広さを信頼してます。私みたいな一見何をしてるか捉えがたいような人物でも、そのように生きてていいよ、と言ってくれているような、そんな距離感です。

:東京ビエンナーレも、権威によって決められたものでなく、表現の場所を探している人たちと一緒に進んでいく事が重要なのだと思います。たぶん、遠藤さんのような方が参加されているのも、新しい声を聞きたいからなのだと思います。ありがとうございました。


【群像 エッセイ】|第七七官界彷徨/遠藤 薫|tree
https://tree-novel.com/works/episode/adbfd746f0508106d4a3fef403d2b3b5.html
※群像に寄せたエッセイに『銀座』プロジェクトについて触れている。


遠藤薫のプロジェクト&プロフィールはこちら
https://tb2020.jp/project/ginza/

アーティスト公式ウェブサイトはこちら
https://www.kaori-endo.com/

東京ビエンナーレ2020/2021
見なれぬ景色へ ―純粋×切実×逸脱―
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