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新聞奨学生時代の思い出(8)

貧しい苦学生に見えたのか、集金中に突然食べ物を渡されることがよくあった。

特に、古い戸建てが密集する地域では、80歳前後のおばあさんが食べ物を差し出す確率が高く、また同時に、それは賞味期限切れの食べ物である確率も高かった。

大きな一軒家に独りで住んでいるおばあさんなどは、話し相手が欲しいのか、集金時に私を引き留めて長話に付き合わせようとすることも多く、月内80%の回収率を達成するためには、如何にして、その場から脱するかということが非常に重要だった。それゆえ、集金開始日は、まずは高齢者の少ない、確実に集金できる家から攻めてゆくのが鉄則だった。

住宅街の外れに、さびれたアパートの1階を住居兼ピアノ教室にしていた、80過ぎくらいのおばあさんがいた。おばあさんには少し痴呆症のような兆候がみられたが、ピアノ教室は現役で、細々と営業している様子だった。

ある日、私が集金で伺うと、唐突に「あなたピアノ教えてあげるわよ、タダでいいわ」と言った。私は学校の勉強で忙しく、ピアノを弾いているヒマなどなかったので、丁重にお断りしたものの、その後、集金に行くたびに同じことを言われるもんだから、1度だけピアノを弾いてみることにした。

おばあさんの住むアパートは、玄関とキッチンが直結しており、ほぼ足の踏み場がないくらいに雑然としていた。

おばあさんは、私にキッチンに置かれた小さな椅子に腰掛けるように言い、昭和的な小さなガラスのコップに、何故か人参ジュースを注いで私に差し出した。カゴメの野菜生活100だった。私は人参ジュースを一気に飲み干し、おばあさんの指示があるまでジッとしていることにした。

キッチンの奥には、4畳半の部屋の壁をぶち抜いて連結させたような長細い部屋があり、左の壁側にはアップライトのピアノが置かれていた。おばあさんは部屋の右寄りに置かれたソファーに座るよう、私に指示した。

ソファーと同じ高さのガラス製のテーブルの上には、古びたアルバムが数冊置いてあり、おばあさんはおもむろにアルバムをめくると、頼んでもいないのに個々のモノクロ写真についての解説を始めた。

どうやら、おばあさんは、かつては有名なピアニストらしかった。写真には若かりし頃のおばあさんと、どこぞの外国人やら、要人らしき人物やらが一緒に写っていたが、オルタナティブロックに関する素養しか持ち合わせていない、非文明人の私には、その写真に写る人々の偉大さなど微塵もわからなかった。

おばあさんはひと通りアルバムをめくったあと、皺枯れた自分の手を見つめ、「今はもうピアノが弾けなくなったのよ」と悲しそうに呟(つぶや)いた。当時の私は医学的知識など皆無だったから、おばあさんの手がどのような病態なのかは理解できなかったけれども、今思えば典型的なヘバーデン結節だった(ヘバーデン結節は医学的には原因が不明で、手を酷使する中年以降の女性に多い病態であるが、根本的な原因は前腕筋群の慢性的な炎症であり、指の変形は軟部組織癒着の帰結である)。

私は、そんな手でどうやってピアノを教えるのかと思ったが、おばあさんは私をピアノの前に座らせ、「好きに弾いてみなさい」と言った。ピアノなんて弾いたことがなかったから、好きに弾いてみろと言われても、そう簡単に弾けるものではない。

私がロクに指を動かせずに困っていると、おばあさんは『子供のバイエル』と書かれた、橙色の表紙の本を譜面台に広げ、「私が棒で指した場所を弾いてみなさい」と言って、鍵盤をプラスチック製の細長い棒で叩き始めた。

しばらく、言われたままに同じフレーズを弾いていると、率直に言って耄碌(もうろく)ババアにしか見えなかったおばあさんが、あたかもピアノの達人の霊に憑りつかれたかのように、キリっとした表情になっていることに気が付いた。

そのあまりのギャップの大きさに驚きつつ、必死に鍵盤を叩いていると、おばあさんは突然、「あなた中々いいわね!また来なさい!」と叫んだ。

その後、適当に理由をつけて、おいとま申し上げることにしたわけだが、おばあさんはおもむろにバイエルの本を閉じて、「これで練習しなさい」と私に差し出した。

ピアノを持っていないのにどうやって練習すればいいのか、と言いそうになったが、キリっとしっぱなしのおばあさんに反論することもできず、お礼を言って本を受け取り、最初で最後のピアノ教室をあとにした。

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