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自己顕示欲の大暴走?!(渋谷PARCOの配信を終えて)

安きにながれてしまう。それは人間としての業だ。

また、小山田氏に限らず、無意識的であろうと意識的であろうと人は過去を自分に都合よく解釈する。それが今はしない”やんちゃ”であれば「武勇伝」になり、思い出したくない人間性を否定されたように感じたできごとであれば「悲劇のヒーロ(ヒロイン)」となる。

セゾンカルチャーとは何か。そもそもそんなものがあったのか?

近年、故堤清二氏の経営手法を再評価するような著作が出版され、かつてより”セゾン(カルチャー)”という言葉が再び肯定的に用いられるようになった。

その”文化”を享受していたのはどのような層だったのか。
インターネットが普及する以前の社会では流行が広まるのは都市圏に限ったことだった。そのような中、渋谷にアクセス可能かつ流行に敏感かつ、今で言う”サブカル”的な消費の仕方を好む若者という限りなく限定された存在であったのではないだろうか。

セゾングループが企業体として元気があったのは、バブル崩壊前の80年代半ばである。
当時の実体験を体験した方に語っていただくようなコンテンツはよく目にするが、当時40代の方は70代後半以上、20代でもアラ還である。

当事者は既に第一線から退きつつある中、自身の青春時代を懐古的に語るものがほとんどである。

聞き手としてどこまで、事実に寄り添って、判断できるのか。
語り手としては、どこまで体験を美化せず語れるのか。

双方にとって、どこまで難しい道を選びうるのか。
特に広告手法が巧みであった”セゾングループ”と”消費の憧れ”であった渋谷を語る上で、重要な出発点であるのではないか。      (K,T)

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