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中国の「美談」について

中国の「美談」で忘れられないことがあります。 

その「美談」は三国志演義に記録されていたものとして吉川英治の著述から学んだものでした。地元の公立中学に進んだとき、叔父から吉川英治の三国志、上中下の三巻をもらいました。僕は小さいときから激しい偏食で母親を困らせました。甘いお菓子しか食べないのです。なんとか食べるようになったご飯のおかずも、ハンバーグと鰻、そして五目飯と限られていました。同じように、読書にも頑なな偏食があり、推理小説はホームズ、シートン動物記、ウェルズなどのSF。外は受け付けないという困った子どもでした。母親のぼやきを聞いて案じた叔父から与えられたのが三国志の吉川英治版でした。会う度に感想を聞かれるのでこっちも往生しました。

そんな子どもの頃の読書の思い出のなかに、衝撃的な記憶がありました。確か「黄巾の乱」から「桃園の誓い」までの間でのエピソードだったと思うのですが、漢の王朝である劉家の血統をひく劉備玄徳が敗走し、追手から逃れていくなかで、ある田舎家に匿われ、自らの出自を語ったところ、もと王朝の家臣だったという主人が感激して歓待を受けるというシーンがありました。
「いまはこんな姿だが世が世なら」「必ずや漢王朝の再興を」「こんな山深い田舎でよくも・・・」という印象的な場面なので四十五年経った今も記憶に残っているのですが、本に挟まれた「しおり」を読んでぞっとしました。「しおり」には、吉川英治が三国志の著述における苦労話や裏話などが拾ってあるのですが、原本の「三国志演義」には、なんとこの涙の歓待で出されたご馳走が長年連れ添った愛妻の「肉」であり、そのことを聞いた劉備はその忠に感涙するというエピソードがあったのだが、読者のなかに少年少女がいることを思うとそのまま載せられなかった、という著者の独白が書かれてあったのです。

中国とはそういう社会だったということを思い知らされました。もちろん、過去には日本にも同じような残虐があったかも知れません。伝わっていないだけなのかも知れません。しかし、大事なことは、妻の肉をかつての主君の血筋のものを歓待するためにふるまったということが、「美談」として伝えられているということなのです。日本には古代からそのような文化はなかったと承知しています。
 自らを犠牲にして、その肉をふるまうという「美談」はありました。これも小学生のとき、NHKの人形劇(ぬいぐるみだったかも)でオオクニヌシの命に助けられた白ウサギが、自らの火に投じてその肉を捧げる場面がありました。「死」が怖くてならなかった時期でしたから、目を背けるようにテレビを切り、そのあとも震えていたことを思い出します。しかし、白ウサギが自らの肉を差し出すことと、愛妻を叩き殺して料理するのとは、明らかに違います。その違いを違いと感じずに「美談」とする文化には畏れおののくところがあります。
中国の「美談」というお題で、僕が真っ先に思い出すことは、そのことなのです。

(H26/05/19)

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