特別支援の先生なら持っていたい3つの力
おはようございます。
台風上陸の木曜日です。
九州にお住まいのみなさん、無事でしょうか。
大きな被害なく、過ぎ去ってくれることを祈るばかりです。
台風で今日明日は保育園も閉まりそうなので、あらかじめ2日間お休みすることにしました。
ですから週明けからいきなり始業式が始まる!
長いと思っていた夏休みはあっという間に終わってしまいました。
学校が夏休みで子どもたちに会わないと、教育について考えるモードじゃなくなってしまいます。笑
今日はちょっと教育のことを書きたいと思います。
私は大学の教育学部の特別支援教育科を卒業して、そのまま特支を研究するために院生になったので、どっぷり特別支援教育の人です。
特別支援学校って小学校~高校の免許を1つでも持っていれば、異動できる場所なので、特別支援学校の先生だけど特支の免許持ってない人っていっぱいいるんですよ。
そんな中で、ごりごりの特別支援教育の人って意外と少数派なんですよね。
よく聞くのは、小学校の特別支援学級に行ったら、担任の先生が特支のこと、発達障がいのことがあんまりわかんない先生で、求めていた支援が受けられなくてがっかり…みたいなパターンですね。
あんまり大きい声では言えないですけど、小学校とかだと通常学級の担任を持てない先生が特別支援学級に回されるとか言います。ヤバいですよね。でもこれが現状なんじゃないかと思います。
でも、現状そうなんだから、今ある状況でどうにかやっていくしかない。
特別支援学校・学級の担任になったら、どんな能力が最低でもあった方がいいのかについて、少し考えてみたいと思います。
①’’その子’’を見る力
障がいのある子どもを相手にするので、知的障がいや発達障がいなどの診断名にどうしても目が行きがちになると思います。
どんな診断名がついているかは、とても重要な観点で、それぞれの障がいによって特性が異なるため、最低限の知識として知っている必要はあると思います。
ですが、障がいにばかり気を取られることはおすすめしません。
自閉症児は人の気持ちを想像するのが難しいと言われますが、すごく友だちや教師への細かい気遣いができる子もいます。
〇〇障がい=~ができない。という単純な方程式は成立しません。
つまり、〇〇障がいの子にはこの支援が有効などの情報も、必ずしも’’その子’’にあてはまるとは限らないということです。
私自身も常々、その子の診断名は一旦置いといて、その子の個性として得意なこと不得意なことはなんだっけ?と考えることを大切にしたいと思っています。
障がいの特性やそれに対する支援方法は参考程度に、’’その子’’にフィットするようにカスタマイズしていくことが大切です。
②その子を取り巻く環境を疑う力
障がい者を障がい者たらしめるのは、脳機能の低下などではなく、その人を取り巻く環境ですよね。
環境とは、空間や道具だけでなく、周囲の人も含まれると考えます。
対象児が何かができないことを、その子の障がいのせいにしてはいけないということです。
ちょっとこの空間はこの子には暑すぎる?狭すぎる?煩雑?この道具は指にフィットしない?私のこの声掛けはあってる?私のこの支援の仕方の問題点は?
というように、子どもを取り巻くあらゆる環境に目を向け疑い続ける力が必要だと思います。
③自分の中の’’普通’’を壊す力
特別支援学校にいるとこうゆう言葉をよく耳にします。
「高学年だから~はできるようにならないといけないでしょ。」
「中学部に行ったら、~はできないと、普通の中学生ならそうするんだから。」
こんな言葉を聞くたびに、普通ってなんだろうねと考えさせられます。
〇歳の子どものあるべき姿って、誰が決めたんですかね。
私は現在29歳ですけど、自分でごみ箱にごみ袋をしっかり設置できないので夫に頼ってます。あと敬語もあんまり使えないので、目上の人にも気づいたらため口で話しちゃってますね。
もし、自分の中に’’普通’’こうでしょ。と思うことがあるのなら、壊していった方がいいかもしれません。
子どもそれぞれに、素敵な個性があって、みんなそれぞれのびのび成長したいと思っています。誰かが決めた’’普通’’の枠は、窮屈なことが多いのです。
ということで、特別支援の先生になったら、最低限持っていたい力を3つ考えてみました。
こう見てみると、特別支援教育の専門性ってそこまで関係ないのかなと思いますね。本とかで時々確認すればいい程度の話です。
むしろ本で得た障がいの知識で頭でっかちになると、本質を見失うパターンって多いかもしれないですね。
とにかく頭をやわらかくすることが重要なのかも。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました!
台風はどんどん強くなっていってるような…。
お互い気を付けて過ごしましょう!
それではまた明日。