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このたびアジャイルメディア・ネットワークの取締役を退任し、アンバサダー/ブロガーとして再雇用してもらうことにしました。

本日、プレスリリースもでていますが、このたび私 徳力は2019年6月末をもってアジャイルメディア・ネットワーク株式会社の取締役を退任させていただき、7月からは、アジャイルメディア・ネットワーク株式会社のアンバサダー/ブロガーとして働くことになりました。

取締役の異動に関するお知らせ

リリースだけ見ると、あまり詳しく書いてなくて誤解されてしまいそうなので、退任の背景と今後について、こちらでご説明させていただきたいと思います。

超長文注意ですので、お暇なときの箸休めにでもお読み下さい。


アジャイルメディア・ネットワーク株式会社が2007年に設立されてから、はや12年以上が経ちました。
私も創業に携わらせて頂き、2009年から2014年まで5年間社長を務めさせていただき、昨年には上場まで経験させていただき、本当に充実した12年間を過ごさせてもらったと思っています。
創業当時から応援頂いた皆さん、チャンスを頂いた企業の皆さんには本当に感謝しております。ありがとうございます。

当然、アジャイルメディア・ネットワーク株式会社は上場はできたものの、まだまだ従業員が100人にも満たない小さな会社ですし、おかげさまでアンバサダープログラムも100社近い企業にお取り組みいただけるようになりましたが、まだまだ成果の証明や効果測定は試行錯誤が続いており、やるべきことは山積みです。

そういう意味では、個人的にもまだアンバサダープログラム周辺で、引き続き取り組みたいことはたくさん残っていますので、今回の取締役退任によってアジャイルメディア・ネットワーク株式会社の仕事から完全に離れるつもりはありません。
退任後も、引き続きアジャイルメディア・ネットワークの仕事は続ける予定です。

それなら取締役も退任しなくてもいいじゃんか、と思われる方も多いと思うので、まずは取締役を退任することにした背景をご説明しておきます。


そもそも2019年の今年を取締役を退任する年にする、というのは、自分の中では、5年前に社長を退任したときに決めていたことでした。
2014年に、5年間つとめた社長を降り、上田さんを社長に、高柳さんを副社長に、という新体制に変更することになったわけですが。

当時のブログには、できるだけ前向きに見えるように、色んな言葉を並べていますが、言葉を選ばずに単純にあの時の組織変更を表現すると、「徳力が社長を降ろされた」というのが正確な組織変更でした。

5年前の2014年の段階では、売上こそ徐々にあげることはできていたものの、毎年のように赤字が続いている状態。
正直、上場なんて夢のまた夢で、投資家の方々にかなり迷惑をかけてしまっていたのが実情でした。

その直前の2013年に、さとなおラボの1期が開始されるという偶然があり。
当時、アジャイルメディア・ネットワークの社長でありながら、私はさとなおさんに無理矢理弟子入りするという選択をしました。

その結果、自分がぼんやりとイメージしていたアンバサダープログラム、今で言う「ファンベース」的な概念の可能性に自信を持ち、会社としてそっちの方向に明確に舵を切ろうとはしていたんですが。

2013年の間は、アンバサダープログラムとしての事業成果はまだ全く出ておらず、迷走が続いていたのが正直な状況でした。

その結果、徳力が社長のままではダメだと思われるので、経営体制を変えるべき、という結論が投資家の方々の間で出てしまったわけです。

2014年のそのタイミングで、私としては
1・投資家に反発して全力で社長にしがみつこうとするか
2・社長を降りるのと同時に会社もやめるか
3・新体制にシフトして取締役として続けるか
という3つの選択肢があったわけですが。

私自身も、自分が社長に向いてないのではないかと薄々感じていたこともあり、素直に3番目の選択肢を選んだわけです。

ただ、やっぱり普通の会社だと、社長を辞めるというのは、イコール会社を辞めることを意味することが多いですからね。
なんとか、外向きには平静を装ってはいましたが、やはり当時「まだアジャイルにいるんですか?」とか「次は何をやるんですか?」と当然のように聞かれることも多く、なかなか複雑な気持ちだったのが正直なところです(苦笑)。

その時に、自分も残って取締役として続ける、と決められたのは、さとなおさんのところで学んだファンベースの考え方が、アンバサダープログラム事業として芽が見え始めていたこともあり、それをラストチャンスとしてやりきりたいと思っていたからです。
GW中にNTT退職時の振り返り話を書きましたが、ある意味5年前の自分が同じ状態だったと言えます。)

ただ、当時自分に切ったタイムリミットが、最長でも5年。
自分が社長を務めた5年と同じ期間が、上限かなと思っていたわけです。

実際、良く誤解されてますが、私はアジャイルメディア・ネットワークの一人目の社長ではありません。
創業者は元CNETで編集をされていた坂和さんです。

一番リスクのあるときに、勇気を持って会社を起業されたのは坂和さんであって。
私はあくまで創業時は、外部のコンサルとして週二日とかで手伝っていただけで、アジャイルメディア・ネットワークという船が動き出したのを確認してから取締役として入るという、ある意味後出しの入社をしてるんですよね(汗)

その坂和さんも2年社長を務め、社長を私と交代してから2年後に退職されるという選択をされました。

当時の私には、坂和さんの決断の本当の理由は良く分かっていませんでしたが、今となっては良く分かったりするわけです。

社長を降りてから、自分に決めていたタイムリミットの5年が経過し、お陰様でアンバサダープログラムに社運を賭けた私の最後の賭けはなんとか芽吹き、アンバサダープログラムと言えばアジャイルメディア・ネットワーク、と言って頂けることも増えましたし、ありがたいことに会社も上場させていただくことができました。
今だから言える話ですが、5年前の私は明らかに5年以内に上場とか不可能だろうと諦めていましたし、最後はどこかに会社を買ってもらうしかないかな、と覚悟を決めていた時期もあったのが正直なところ。

そういう意味で、そこからここまで会社を導いてくれた上田さん、高柳さん、そして特に、うちの会社が一番ヤバかったときにうちに入るという決断をしてくれて、魔法のように上場への道を描いてくれた石動さん、そして諦めずにがんばってくれた大勢のスタッフのみんなには、感謝しかありません。

もちろん、今後のアジャイルメディア・ネットワークにとって、上場自体は一つの通過点でしかないのですが。
5年前の自分に今の会社の状況の話をしても、間違いなく信じてもらえないだろうと、しみじみ振り返っています。


そういう意味では、今は5年前に比べればはるかに居心地も良いですし、別に誰かに取締役を降りろと言われたわけでもなく、このまま続けるという選択肢はあったとは思うのですが。

それでも、今回、取締役は降りた方がいいな、と思った理由は二つあります。

1つ目は、外から見える私の位置づけの明確化です。

私が社長を降りてからも、アンバサダープログラムの啓発活動自体は私が中心になって実施していたこともあり、久しぶりにお会いした方から、今も徳力が社長だと思っていた、と言われることがまだ良くあります。
先日の株主総会でも、前社長の私と上田さんの意見がズレたらどうしているんだ?と株主の方から質問を頂きましたが、社長をしていた人間が取締役に残っていると、どうしてもそういう会長とか院政的な見え方はしちゃうと思うんですよね。

前の社長である私が取締役に残っていることで、大なり小なり上田さんや高柳さん、石動さんがやりにくかったことは間違いなくあると思いますし、スタッフからしても私の発言に混乱することは少なくなかったのではないかと思います。

なにより外部から見ても分かりにくいと思うんですよね。

実は、もうここ数年は、アジャイルメディア・ネットワークにおける大きな意思決定には、私はほとんど中心的な役割を果たしていません。
上場前の投資家説明も、私は一切参加せずに済ましてもらいましたし、最近上田さんや石動さんが中心になって注力している新事業のカタパルトや台湾の新会社のプロジェクトも、私自身は直接は関わってないので、細かいところは知らないんですよね。

この5年間、私自身は社長を降りるときにコミットすると決めたアンバサダープログラム事業の可能性の検証に全力をかけていたので、アンバサダープログラムに一緒に挑戦してくれそうな企業担当者の方々とのコミュニケーションやヒアリング、提案活動に全ての時間を使っていました。

CMOという肩書きに憧れがあったので、名刺の肩書きはCMOですが。
実際には、MはMarketingのMというより、当時のアンバサダープログラムへの妄想のMで。

アンバサダープログラム事業自体は、実質的にはソリューション提案事業なので、私の活動は営業部に提案してもらう企業を見つけるために、提案をさせて頂けそうな企業を足で探してまわるという、典型的なヒラメ筋を使った営業活動でした。

そういう意味で、この5年間は取締役という肩書きを持ちつつも、実際には1営業担当として、かなり自由にやらせて頂いていたのが実情です。

ただ、昨年上場したことにより、会社にとって、私の自由活動のリスクも上がってしまっていると感じています。

私自身は、今もブログやコラム執筆を自由にさせてもらってますし、ツイッターやFacebookにも思ったことを自由に書かせてもらってますが。
NTTでIR担当を経験させてもらった人間としては、上場企業の取締役が、そういう活動をするのって、やはりリスクが大きいと思っています。

大昔には、私がブロガーであり、ブロガーの方々と近い関係だったこともあり。
やまもといちろうさんに、倒産すれば良いのにという記事をネタで書かれて、会社名を検索する度にその記事がトップに出てきてしまったこともありますし。

WELQ騒動の時に、ついカッとなってDeNAを批判する記事を書いたら、それに対して清水亮さんにこんな記事を書く人間が取締役のAMNとの取引こそ見直すべきだ、という記事を書かれてしまったこともあります。

現実問題として、現在は取締役と言うより、1営業担当+ブロガー的な活動に特化している私が、取締役という肩書きをつけ続けていると、今後、私がまたブログで炎上騒動に首を突っ込んだ結果、会社に迷惑をかけてしまう可能性が、着実に上がってきていると感じてしまうわけです。

そういう意味で、今回の取締役退任により、私の個人の発言が、会社の経営陣の方針とは異なることが明確になることが、私にとっても会社にとっても重要かなと思ったわけです。


もう一つの取締役退任の理由は、個人的なものです。
前半に言い訳がましいこともいろいろ書きましたが、対外的な見え方や直近の活動内容は別として、私自身が取締役として100%コミットし続けるという選択肢は当然あります。

ただ、やはり私個人の性格や、残りの人生を考えると、100%アジャイルメディア・ネットワークにコミットするのは向いてないな、というのが私個人の結論でした。

元々私がNTTを飛び出したのは、インターネットを中心とした、新しい何かがボトムアップで次々に生まれる世界に魅せられてしまったからでもあります。

NTTからの転職自体は、ブログに書いたように正直若気の至り転職でしたが。
それでも、その後、運良く出会ったアリエル・ネットワークで、P2Pの可能性に魅せられ、ブログやSNSに巡り会い、大企業ではなく個人でも新しいサービスやコミュニティを生み出せるという可能性に、私はすっかり虜になってしまっています。
光栄にも初めて本を書くこともできました。

本の中にも書きましたが、私が見せられたP2PはPeer to Peerという技術的な面だけでなく、それによりフラットなPeople to Peopleなコミュニケーションが実現されると思ったから。

アジャイルメディア・ネットワークが設立される前から、何度も声をかけて頂いたのを何度も断ってしまっていたのは、私自身が挑戦したいのは、新しいウェブサービスの0から1の立上げのお手伝いだったから。
すでに成功した存在である大企業の広告宣伝のお手伝いには、正直あまり興味はなかったんです。

それでも最終的に、アジャイルメディア・ネットワークに入ることにしたのは、自分の人生を救ってくれたブログというコミュニティに恩返しがしたかったからですし。

大企業の広告宣伝に興味がなかった私が、アンバサダープログラムにはコミットすることができたのは、アンバサダープログラムが、いわゆる従来の大企業の「広告宣伝」活動ではなく。
大企業においても、0から1の立上げからうまれるコミュニティの形だったからです。

私が社長時代に慢性的な赤字体質が改善しなかったのは、最後の最後で私がいつも会社の利益よりも、個人の興味やブロガーの方々への見え方やメンツを重視したからでした。
「広告より口コミ重視」を言い過ぎた関係で、ソーシャルメディアマーケティングブームの波には乗り遅れてしまいましたし、「アンチステマ」を旗頭にしていた関係で、ペイドのインフルエンサーマーケティングの波にも完全に乗り遅れてしまいました。

そんなわけで、私が社長を降りてから、アンバサダープログラムが事業として軌道に乗り、アジャイルメディア・ネットワークが上場を明確に目指せるようになってから。
会社が成長を前提にした事業計画を描いていく過程で、私の興味の方向性と、会社を大きくするという方向性に、ズレがあるなと感じるシーンが増えるようになりました。

例えば、アンバサダープログラムをお手伝いする上でも、会社としては当然ある程度の費用をいただかないと事業として成り立たないので、どうしても現時点でアンバサダープログラムを提案できる企業というのは、ある程度広告予算がある企業の方々に限られます。
でも、個人的に一番興味があるのは、広告予算がないような商品やサービスが、クチコミの力で拡がっていく過程なんですよね。

もちろん大企業でもそういうケースはあるんですが、それはそれで、大企業であればその活動の中心になるべきキーマンが、それぞれの企業にちゃんといます。

ネスカフェアンバサダーを立ち上げられた津田さんは個人的にも師匠のような人でしたし、数々のアンバサダープログラムをお手伝いする過程で、やっぱりファンと向き合う覚悟ができている企業の中の人には、最終的に自分がアドバイスできることは無くなるな、というのは、頻繁に感じるようになりました。

例えば効果測定に関しては、最近はデルの横塚さんやコーセーの杉崎さんに学ぶことの方が多いですし、ファンとのコミュニケーションのあり方については、自ら先頭に立ってファンと向き合っておられるシャープの山本さんや、エステーの鹿毛さん、花子さんに追いつける気は全くしません。
様々なクライアントの方々や、実際に企画に携わっているうちのスタッフと議論する度にも、自分は本当の意味でのファンとのコミュニケーションは実践できてないなと、感じることが増えているのが正直な現状です。

おかげさまで「アンバサダーマーケティング」の解説とか、「顧客視点の企業戦略」とか、マーケティング関係の本も書かせていただきましたが、やはり私が書けるのは総論や事例まで。


自分の存在意義は、企業の方々に既存顧客やファンを重視するよう、アンバサダープログラム的な活動にも挑戦していただくよう、きっかけを作ることであって。
プログラムが立ち上がってしまうと、自分ができることってほとんど無かったりするんですよね。

私は、世間がWinnyのファイル共有問題で揺れて、P2P技術が悪役扱いされていたときに、P2P技術で企業横断のボトムアップな情報共有システムを作るというアリエル・ネットワークのビジョンに魅せられた、天邪鬼な人間で(笑)
NTTという超巨大企業を飛び出した自分を正当化したいという思いもきっと潜在意識にあるんだと思うんですけど、大企業でなくてもネットとコミュニティの力を使えば、大きなことができるというのを信じたい人間なんです。

そういう意味で、昨年のカメラを止めるな!の大ヒットは、本当に勇気づけられる出来事でしたし、自分が最も携わりたいことは、ああいう既得権を持っていない人達の応援なんだなと言うのを再確認させられた1年でした。


社長時代にえらそうに、いくつかのメディアのインタビューで、「ブログに恩返しをしたい」と明言してしまったわけですが。

実際には、事業としての可能性をかんがみて、会社の軸足を、企業にブロガーをインフルエンサーとして提案する事業から、企業のファンを重視するアンバサダープログラムに明確に舵を切ったタイミングで、私はブロガーコミュニティの活動から一旦、離れざるを得ない結果になりました。

企業への提案が仕事という会社のポジションから、ブログに書けないことが増えて、ブロガーに名刺を入れているのが恥ずかしくなるぐらい、全くブログを更新していない時期が長く続くことにもなりました。

でも、やっぱり私の原点はブログにあるんですよね。
WELQ騒動や、フェイクニュースの影響もあり、一時期はすっかりブログを書けなくなってる自分がいましたし、昨年は、ブログ上の過激な論争が深刻化する形で日本ではじめて実際に犠牲者が出てしまい、完全にブログ鬱になっていたタイミングもあるんですが。

その結果、やっぱり自分のライフワークは、この現在の日本のブログの状況を少しでも良い方に変えることにあるのではないかと、腹を据えることができました。


15年前の私のように、大企業を若気の至りで飛び出して、何者でもないまま会社にクビを切られることにビクビクとおびえていた人間が。
ブログのおかげで大きく人生が変わり、「アルファブロガー」というキーワードが有名になるきっかけを作ったり、「デジタルワークスタイル」という仕事術の本を出したり、しまいには社長をさせていただく経験までさせていただくことができました。


そんなことが可能になった時代だということを、1人でも多くの人に知ってもらい、ブログを書くという行為をただのお金目当ての行為ではなく、普通のコミュニケーションだと分かってもらい、普通にブログを書く人を1人でも増やして、ネット上のシナプスを少しでもつながりやすくすることが、個人的なブログへの恩返しになるのかなと。

そんなことを考えるようになっていた矢先。
昨年は、アジャイルメディアの原点とも言える百式の田口さんがブログ更新を止めるという決断をされ、うちの会社の立上げにも協力頂いた2人の尊敬していたブロガーが相次ぐように息を引き取られ、勝手に背中を押されるような感覚を感じた1年でもあったのです。

ブログへの恩返し活動を、取締役のまま続けるという選択肢は当然あったとは思いますが。

私が社長時代には、予算がないプロジェクトでも、個人的にかかわりたいものを見つけると、ついタダでもいいから一緒にやりたいと思ってしまい、営業メンバーにたいへんな苦労をさせてしまった経緯があるわけで。

やはりアジャイルメディア・ネットワークの取締役として会社の成長や投資家への利益還元にコミットするべき人間が、お金にならない個人的なプロジェクトに時間を使いすぎるのは問題だと考えるようになりました。


そういう意味で、今回、素直に取締役は退任させて頂き、1社員、1スタッフとしての働き方に変わるべきだと考えた次第です。

もう私も今年で47歳で、50代がハッキリと視界に入ってきましたし。
今のままのヒラメ筋重視の働き方を、このままずっと続けるというのも正直、想像できないんですよね。

役職定年というわけではありませんが、これからの自分に何ができるのかというのは、アンバサダープログラムの仕事の時間とは別の時間を作ってちゃんと考え、行動したいと思った次第です。


ということで、大変長くなりましたが、上記のような背景から、7月以降は私、徳力基彦は、アジャイルメディア・ネットワーク株式会社の取締役は退任し、1スタッフとして再雇用してもらい、アンバサダープログラムのアンバサダー/ブロガーとして働かせていただくことになりました。

冒頭にも書いたように、今回は、あくまで取締役を退任するだけですので、今まで通り、企業の方々とのアンバサダープログラムの可能性や効果測定についてのディスカッションや、アンバサダーサミット等のイベントの企画や勉強会の講師などは、私の方で引き続き担当させて頂きます。

最近、アジェンダノートで始めさせて頂いたインタビュー企画なんかも、その一環のつもりです。


一方で、個人的なライフワークにも時間を割くために、アジャイルメディア・ネットワークでの仕事は週3日ベースに絞らせて頂くことにしました。
正直、ここ数年間も、直接会社の売上に貢献しなさそうなイベントの登壇とか、ブログの執筆とかも並行してやっていた人間ですので、実際の本業への稼働時間はそんなに変わらない気もするのですが(汗)
1スタッフとして、会社への貢献と、個人的な活動にかけている時間を明確に分離するようにしたいと思います。

そんな私のワガママを受け止めてくれた経営メンバーやスタッフ、そして家族には、本当に感謝しています。
特に、いま一番一緒に動くことが多いアンバサダープログラム事業部のメンバーは、事業部長の出口さんを中心に、5年前には想像できなかったぐらい成長してくれています。
それが無ければ、今回の私の活動のシフトを、今のタイミングで行うのは難しかったと思います。本当に感謝しています。

今回の決断を聞いたときには、きっとビックリしたと思いますし、今も深くは理解してくれていないメンバーもいるかもしれませんが、この記事で少しでも分かってもらえれば幸いです。

なお、アジャイルメディア・ネットワークに勤務する週3日以外の時間をどう使うかについては、前述したとおり、0から1をお手伝いすることに使おうと、ある程度腹は決まっているのですが、今月から6月末までは少しずつ有休をとらせて頂きつつ、少しリセットする時間をとりたいと思います。

月1アドバイザーとかで、私に何か相談したいと思うことがある奇特な方がおられましたら、是非ご連絡頂ければ幸いです。
特にスタートアップの方は歓迎します。
まずは、気軽に情報交換でもしましょう。

もちろん、アンバサダープログラムに関するご相談やブレストは、今まで通り喜んで対応させて頂きますので、遠慮なく今まで通りの会社のメールアドレスにご連絡下さい。


最近は、同時に複数の企業の仕事をすることを、マルチキャリアとか、スラッシュキャリアとか言うようですが。

個人的には、スラッシュキャリアならぬ、スラッシュブロガーとして、企業の仕事をしながらも、ブロガーとして個人の軸を立て続ける、というキャリアの積み方がアリかどうか、という社会実験に自分でも挑戦してみたいと思っています。

実は、企業の方々のアンバサダープログラム一つ一つも、ある意味では、企業の中の小さなスタートアッププログラムのお手伝いのような感じなので、好きなのかなと、改めて感じている今日この頃です。

5年前の社長退任のときに引き続き、あきらめの悪い感じの取締役退任の仕方で、関係者の方々を混乱させてしまうことはお詫びします。

個人的には、アンバサダープログラムのようなファンを重視するコミュニケーション活動を広めることも、ビジネスパーソンの方々によるブログやソーシャルメディアでの情報発信を勧めることも、実はソーシャルメディア時代のコミュニケーションの可能性を多くの方々に理解して頂くという意味で、地続きにつながっている一つのライフワークだったりします。

是非、ご理解頂けますと幸いです。

こんな私ですが、普段応援頂いている皆さまに改めて感謝を申し上げます。
本当にいつもありがとうございます。
引き続き、よろしくお願いいたします。



ここまで記事を読んでいただき、ありがとうございます。 このブログはブレストのための公開メモみたいなものですが、何かの参考になりましたら、是非ツイッター等でシェアしていただければ幸いです。