青に揺れる。
「僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー」という本を読みました。
とても話題になっている本ということで、書店に足を運び、購入しましたが、最初はまったくタイトルの意味が分かりませんでした。
しかし、読み進めていくうちに、「なるほど。」という納得感がとても強くなっていき、作品に引き込まれながら、あっという間に読了しました。
息子くんの「着眼点」や「発想の源」は、とても新鮮でした。
この本では、親子の会話を通して、日常の中にある「多様性」を様々な経験を通して、考えを深め、そして自分自身にも問いかけられているような感覚になりました。
中でも、僕の心の中に残った内容は「シンパシー」と「エンパシー」についての部分。
そして、このエンパシーを、「誰かの靴を履いてみること」という表現をする息子くんの表現力には、なんとも心をもっていかれました。
さらには、
「自分とは違う立場の人や自分と違う意見を持つ人々の気持を想像することは、世界で起きている混乱を乗り越えるために大事なこと」
「自分がその人の立場だったらどうだろう?と想像することによって誰かの感情や経験を分かち合う能力のこと」
ということも書かれていました。
こういった視点を持ちながら、日々起きる目の前の出来事に対して、表面的に掬うのではなく、多面的に物事を捉え、その背景を想像しながら、奮闘している息子くんの姿には勇気がもらえました。
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」
息子くんが、「ブルー」と表現したこの気持ちは、一体どんな感情を表していたのだろうか?
母ですらまだ、聞き出せずにいるらしい。
僕もこの本を読了してからずっと「青に揺れている。」状態だ。
この「青に揺れる」には、もう1つ意味を込めて書きました。
人間には素晴らしい能力があります。
それは、感情。
「僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー」でも、シンパシーやエンパシーなどの感情に触れる部分はたくさんあり、僕も引き込まれたのだと思う。
最近、2つの漫画を購入しました。
「ブルーピリオド」と「BLUE GIANT」という漫画です。
ブルーピリオドは、
1枚の絵画に心を奪われ、美術の世界に飛び込んでいく物語です。
BLUE GIANTは、
JAZZに心を射抜かれ、サックスに明け暮れれる青年の物語
どちらにも共通しているのが「ブルー」つまり「青」です。
そして、絵画と音楽というアーティスティックな世界なだけに、心に訴えかけてくるものがあり、1ページ1ページにこもっている熱が、僕の感情を揺さぶってきます。
込み上げてくる感情が、感動に変わり、自分ごとに変わります。
これからしばらくは、僕の心は「青に揺れそう」です。
おわり。
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