【18歳】右足を失って・・・生きている証を残す その8
全体的に暗い話になりますが
次回からは少し明るい話にしたいと思ってます。
18歳の2月頃(寒かったとしか記憶ないので月は適当)
病院で文通をしていたユミさんと同部屋のアイさんが亡くなった。
2・3回病院で会った事はあるぐらいだったけど
手紙の中や母から話を聞いたりしていたので近い感覚で友達のように感じていた。
人生で初めてのお葬式。
アイさんの家に行き最後のお別れをしました。
正直な感想を言うと
号泣したのですが、それは悲しいとかそいうものではなく
自分も近い将来同じようになるんじゃないかっていう
とてつもない恐怖からくる涙だ。
ほんと悲しさなんて1ミリもなかった
そういう思考になってしまうという意味で普通の人ではもうないのだろう・・・。
アイさんの家から変える時、その怖さと気温の寒さを今でも覚えています。
生と死についての考え
宗教的な話はまったくないです(無宗教なので)
神は居るかと問われたら居ると答える。
自分にとってマイナスの願いは叶えてくれる。
自分にとってプラスの願いは、「努力」で解決なので叶えてはくれない。
他人の事を祈るのは叶えてくれる(想いの強さに応じて)
死について
例えば、もっと死んでもいい奴や病気になってもいい人がいるのに
自分がなるなんて・・・とは1度も思った事無い(自分が望んでなっている為)
だけど、他の人が病気になったり、ひどい目にあった場合
↑のように思う事がある。
自殺について
自分に関係ない人なら「どうぞどうぞ」って思う。
理由は、当時出生率と死亡率がほぼ同じぐらいの時があったので
死にたい人が死んでくれれば生きたい人が生きれるだろう理論。
今でもずっと思っている。
障害者になって考えが変わったか?
例えば、5体満足なのにそんな小さい事(僕にとっては)で悩みやがって!!
とかはまったく思わない。
悩みは人それぞれだと逆に思うようになったのかもしれない。
障害者だからそれがコンプレックスになって恋愛とか厳しい
とかも全くないですね。
障害について隠すつもりもないですが、自ら言う事もないです。
自然と言わなきゃいけないタイミングが来たら言う感じかな。
と言う事で、また書く機会があれば恋愛を中心に書きたいと思います。
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