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ご都合主義的知覚一元論のススメ

「余計なことは考えない方がいいこともあるね」ということを出来るだけまどろっこしく、難しそうに言ってみます。

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ぼくはこれまでのnoteで、想像力の大切さをバカの一つ覚えのように何度も語ってきた。

だけど当然、想像力には負の側面もある。
ありもしないことを無駄に想像して、勝手に嫌な気持ちになるのが人の常だ。
想像力が逞しすぎることは、人間を幸福から遠ざける。

もちろんポジティブな想像だけを出来ればそれに越したことはないのだけれど、想像は往々にして暴れ馬だ。だからこそ時に心強く、また時に手が付けられない。

想像力についてのこのジレンマを解決するためにどうすればいいか、考えた。

ぼくの答えは、「ご都合主義的知覚一元論」だ。
これは一言でいえば、「想像力のスイッチを完全にオフにするためだけに想像力をフル稼働させる営み」と言えるかもしれない。

以下で詳しく説明する。

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これから哲学用語がいくつか出てきますが、ぼく自身哲学は軽くかじった程度なので、単語の定義や使い方が的外れになっている可能性も否定できません。ぼくなりの解釈で押しきることをご容赦ください。
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さて、知覚一元論を説明する前に、まずは実体二元論について触れておこう。

実体二元論

実体二元論とは、有り体に言えばぼくらが慣れ親しんでいる世界の認識の仕方だ。

ある人にとって、世界は互いに独立した二つの要素からなる。ひとつは物質的な世界、もうひとつは意識の世界、つまりその人が知覚している世界だ。 

これはぼくらの直観にわりと則している。

ぼくらは普段、自分の視野の外にも世界が地続きでつながっていることを問題なく想像できる。広大に広がる世界がまず実在し、そのほんの一部をいま自分は頭で知覚している、ということを自覚している。

何を当たり前のことを言っているのかと思うかもしれない。
でも、じつはそうでもないのだ。

というところから知覚一元論が生まれる。

知覚一元論

思索のプロである哲学者たちは、こんなふうに考えた。

いま自分たちが生きていると思っているこの世界は、本当に実在するのだろうか?

これがすべて夢の世界で、本当の自分はどこかで永い眠りについているのではないとなぜ言い切れるのか? 

あるいは映画『マトリックス』のようにこの世界はすべて仮想現実で、本当の自分は脳みそだけが取り出され、電極をつながれた状態でホルマリン漬けにされているという可能性をどうやって否定できるのか?

この懐疑論を発展させた先に生まれるのが、知覚一元論だ。

世界がまず実在し、それを自分が知覚するのではなく、自分が知覚するからこそ、 そこに世界が現れるという考え方。
もう少し分かりやすく言えば、今あるこの世界は自分一人が見ている永い永い夢に過ぎず、自分以外の全ては実在しないのだ、というような考え方。

この考え方にもいろいろな問題があるけれど、それはいまは置いておいて次に進む。

ご都合主義的知覚一元論

これは文字通り、都合の良いときにだけこの知覚一元論を採用しよう、という考え方だ。

正直、知覚一元論はぼくらには直観的に理解しがたい。自分以外が実在しないなら、他人の存在はどうなるのだ、という話になる。

しかし、これは無駄な想像を避けたい時に役に立つ。
自分が見えていない部分について余計な想像をめぐらしてしまうのが問題なのだから、自分が見えていない世界がそもそも存在しなければいい。

余計なことにごちゃごちゃと想像をめぐらしてしまいそうになった時に、「いま自分に見えている景色が世界の全てで、この外側には何も存在しない。ただ虚無が広がっているだけだ」ということを、「この世界はすべて自分の見ている夢なのだ」という与太話を、持てる想像力を総動員して無理やり呑み込む。 

「無駄なことを想像しないようにする」のではなく、視野の外に広がる虚無を「全力で想像する」。

くだらない例をひとつ出す。

家にゴキブリが出てきて、タンスの裏側に逃げ込んでしまったという時、「ご都合主義的知覚一元論」を発動しよう。

タンスの裏側にゴキブリの存在を思うから不安なのだ。
だが知覚一元論のもとでは、タンスの裏側のスペースも、そこに息を潜めるゴキブリも、何も存在しない。そこには虚無しかない。

何をバカみたいなことをと思うかもしれないが、そもそも、 ゴキブリなんてずっとそこらに居て、目に入らないから考えもしないというだけなのだ。
ずっとそこに居るという真実は変わらないのに、たまたま自分の視野に入り込んだという事実だけを取りあげて、ぼくらは不安や恐怖を覚えてしまう。

そういう意味で、じつは最初からぼくらは知覚一元論者的だ。

だったら都合の良いときだけそれを徹底的に利用するのも悪くないのではないか。

どうせ目に入った時に対処するしかないのだから、見えていない時は無いものとしてしまい、無駄にネガティブな感情が発生するのを防ぐというのもアリなのではないか。

この思考が、「ご都合主義的知覚一元論」のエッセンスだ。

おしまいに

「ご都合主義的知覚一元論」は、想像力が豊かな人が無駄な想像に心を削られることを防ぐために役立つ。

想像力を無理やり抑えつけることができないのであれば、逆にその豊かな想像力を「自分がいま見えている部分が世界のすべてだ」と思い込むためだけに総動員すればいい。

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